貯金したいけどフィギュアで散財

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新NISA一括投資→即毎月定率取り崩し運用中のQ太郎です。

今回はコレクションで散財してしまい、貯金できないという話についてです。

本記事をYouTube動画で観たい方はこちらのリンクから。

コレクション癖で散財してしまう

こんなご質問をいただきました。

「いつも役に立つ動画をありがとうございます。今回質問させていただきます。

私はミリタリーフィギュアを集める趣味があり、新製品が出てくるたびに買ってしまいます。

FIREとまではいかないまでも、あるていどは貯金したいと思っている一方、どうしても無駄遣いしてしまいます。

お金の無駄だと頭ではわかっているのですが、どうしてもやめられません。

これは昔からそうで、例えば漫画で途中の巻がないとどうしてもそろえてしまいたくなります。

Q太郎さんは「FIREまで待たずにやりたいことはやれ」といっていますが、ここでいくつか疑問があります。

コレクション自体はやりたいこととは思っているのですが、ミリタリーフィギュア自体が何かの役に立つとは思えません。べつに何かに使えるわけでもありませんし、ただ飾っているだけです。あくまで自己満足の世界です。散財だとは思っています。

Q太郎さんはモノをあまり持ちたくないと言っていますが、このような趣味をどう思いますか?

やりたいことなので続けた方が良いでしょうか。それとも貯金をした方がいいでしょうか。

「死んだあとにモノは持っていけない」というのは理解しているのですが、そろわないと心が落ち着かないというのもあります。

そうなると日々ストレスをためてしまうことになるため、メンタル的にもあまりいいことのように思えません。

いろいろと質問が多くなってしまいましたが、お答えいただければ幸いです。長文失礼しました。」

とのことです。

コレクションという趣味

まずコレクションという趣味ですが、これが無駄かどうか、散財かどうかというのは主観的な問題です。

自分にとって重要だと思うものも、他人にとってはどうでもいいものだったりします。

たとえばQ太郎の親戚はゲームサイトSteamのゲームをひたすら買って、いまやゲームの数が4000を超えていますが、ゲームに興味のない人からすればお金の無駄以外の何物でもありません。1本500円で計算しても200万円になります。DLCとかも買っているのでさらにお金がかかっているとは思います。

そもそも4000本も遊びきれるわけもないので、ほぼコレクション目的とは思います。仕事も忙しい人なので、ほとんどプレイしていないようです。さわりだけをちょっとプレイしてすぐやめるみたいな感じですね。

しかもSteamの場合、遊ばなくなったゲームを中古で売ることもできません。資産価値も無いということです。オークションでアカウントを売るという方法もないわけではないですが、セキュリティの観点からはやめた方がいいと思います。

それで「そんなにゲーム買ってどうするの」と聞いたら、「ライブラリを見てニヤニヤして楽しむ」とのことです。ある意味、コレクターのやりたいことってこれですね。集めたものを見てニヤニヤするというのが本質とは思います。

正直ゲーム名が並んでいるのを見たいだけならエクセルでゲーム名をひたすら入力して、それを見てニヤニヤしていればいいような気はしますが、本人としては所有することに意味があるので、エクセルにゲーム名を並べても意味がないわけです。遊んでいないのだったら、実際はライブラリにゲーム名が並んでいるだけなのですけどね。

そんなわけで、コレクションというのはそんなものなので、本人が満足しているかどうかがすべてです。合理性とかはいっさいありません。合理性のある人は4000本もゲームを買いません。すべて主観の世界です。

それが良いか悪いかですが、親戚は完全に開き直っているので、まあ本人が良いのなら好きにすればいいとは思います。家族は迷惑に思ってるかもしれませんが、それは家族内で解決していただければといったところです。

結局のところ、コレクションの本質は「所有欲を満たしたい」という部分が多くを占めているとは思います。「Steamのライブラリにあるゲームを見てニヤニヤする」というように、それを持っているということへの満足感ですね。

それと人間には、「漫画で途中の巻がないとそろえたくなる」みたいな、足りないものを補いたくなる性質もあります。足りないことへの不安や恐怖ですね。

大昔の狩猟時代では食料が足りないなど、何か足りないと即死につながってしまうため、その本能が現在も残っているということともいえます。生命維持のために、足りないことに不安を覚えてしまうのですね。

つまるところ、この「所有欲による満足感」と「不足感による恐怖」がコレクションの原動力になってしまっているところがあります。

食料を集める、足りるようにするというのは、ある意味、人間の生存本能とも言えますので、この欲望自体に良いも悪いもないのですが、ただ欲というのはきりがありません。

小学1年生のころの道徳の教科書で、お父さんに連れられてお祭りに行った子供がおもちゃをねだるという話がありました。お父さんは子供におもちゃを買えあたえますが、少し歩くともっといいおもちゃが売っていたのですね。

それで子供はそのおもちゃが欲しいと言い出した。お父さんは仕方なく、さっき買ったおもちゃを返品して、そのおもちゃを買います。

さらにもう少し歩いていくと、もっといいおもちゃが売っていたのですね。また子供が欲しいとねだりだしたので、またお父さんはさっき買ったおもちゃを返品して、そのおもちゃを買い与えます。

さらに歩くと、もっといいおもちゃがあって、また子供が欲しいと言い出しました。ここでお父さんが怒り出して、子供を連れてお祭りから立ち去ったという、そんな感じの話だったと思います。細かいところが違うかもしれませんが、小学一年生の道徳の教科書の中で、この話が一番印象に残っていました。

とにかく人の欲望はきりがないので、何かを手に入れれば、もっといい何かが欲しくなります。いま手元にあるものは、以前の自分が欲しかったものであるにもかかわらずです。

お祭りに行った子供も、欲しかったものを手に入れているのに、新しいものが出てくれば、すぐに過去のものを忘れてそっちが欲しくなります。この欲望にはきりがありません。

モノに執着してしまうと、お金が貯まらないという問題だけでなく、つねに不足や不満を感じ続けなければいけなくなります。すでに手元にはたくさんのモノがあるのに、それに満足せず、「もっといいものがある」と思い続けて探し続けて、永久に満足しなくなります。

そのため、問題はコレクションが悪いかどうかということではなく、自分がつねに「足りない」という不安感や不満感を持ち続けているという精神状態になるのが問題なのです。このあたりが理解できてないと、不安感や不満感だらけの一生になってしまうとは思います。

コレクションの良いところ

ネガティブな話をしてきましたが、不安感や不満感を理解したうえでコレクションを続けるのでしたらメリットはあると思います。

まずそのものについての知識が深まるということですね。

ただコレクションするだけだとインプットオンリーになってしまうので、たとえばブログでもはじめて、コレクションしてきたものを1個ずつ写真を撮って紹介記事を書いてアウトプットしていくのもいいとは思います。

たとえばこのフィギュアにはどういう意味があって、こういうところが良くできていて・・・みたいなことを1個1個事細かに書いていきます。1記事で1つ紹介していく感じですね。

そうすれば自分が何を持っているかを再認識できますし、ブログを書くのに忙しくなってどんどん新しいのが欲しいということにはなりづらいとは思います。

貯金がしたいのであれば、いま持っているフィギュアの記事をすべて書いてから、新しいものを買うなどすれば、これまでに買ってきたものへの感謝にもなるとは思います。

ここで重要なのは、ブログから収益得ようとかそういうことはいったん置いといてください。目的が違ってきますので、あくまでこれまでのコレクションの整理という意味でおこなってください。

そうすれば、震災とかでそれらフィギュアが全部壊れたとしてもブログ上には写真が残っているので、それを見てニヤニヤしていればよいでしょう。

またこれから欲しいフィギュアについても、「こういうフィギュアが発売されたけど、こういうところが良さそうなので欲しい」みたいな記事を書いてみるといいかもしれません。2000文字以上書ければ本当に欲しいのかもしれませんし、書いているうちに冷静になって「やっぱりなくてもいいや」みたいなことになるかもしれません。

とにかく新しいものに目を向ける前に、これまで集めたものに目を向けて、一つひとつ供養してやるのがいいでしょう。供養というかどうかしりませんが、自分の持ち物をブログにまとめるというのは、モノへの感謝にもなりますし、冷静にもなれるのでいいとは思います。

世界のものがすべて自分のものだと思う

それとコレクションに対するQ太郎の考え方ですが、基本的に世界中のすべてのものが自分のものだと思っています。そのため、それが世界のどこにあるかは大きな問題ではないわけです。自分の手元にあるか、別の場所にあるかの差でしかないのですね。集める必要性がそもそもないのですね。

Q太郎的には空間を奪われるのが一番の問題です。物がたくさんあると、部屋のスペースを圧迫してしまいます。あと管理も大変です。そのため世界中の人々に任せたいわけです。

たとえばモナリザの絵もQ太郎のものだったりしますが、自分で管理するのが面倒なのでルーヴル美術館が代わりに管理してくれています。温度の調整とかいろいろやってくれるわけです。頑張って管理してくれている手数料として、ルーヴル美術館に入るときには入場料を払ってあげるという感じですね。

それとQ太郎はプラモデル世代なので、フィギュアの面白さはよくわかりません。あれって完成品なんですよね。

プラモの完成品もらってもうれしいという感覚がないというか、「それくれても何を楽しめばいいんだ」という感じなので、正直ちょっと面白さが理解できないのですが、たとえばアマゾンとかを自分の倉庫だと思っていれば、フィギュアの商品紹介ページの見ていればいいんじゃないでしょうか。アマゾンが大量のフィギュアをあずかってくれて、一つひとつ紹介してくれているということですね。本当に手元に持ってきたいときだけ、管理費としてお金を払うみたいな感じです。

 

まとめ

そんなわけでまとめると、

・人間は生存本能から不足感を感じるようになっている。

・人間の欲望はきりがない。どんどん新しいものを求めてしまう(欲しかったものをすでに手に入れているのに、新しいものが出てくれば、すぐに過去のものを忘れてそっちが欲しくなってしまいます。そのような人間の習性をまず理解しておくといいでしょう)。

・ブログを書くなどして、すでに持っているフィギュアを一つひとつ記事にしていく。(そうすることで自分がいま何があるかが再確認できますし、いまあるものに感謝できます)

・欲しいフィギュアがあったとき、買う前に「なぜ欲しいのか」の記事を書く(書いているうちに、本当に欲しいのかどうかの再確認ができるとは思います。)

・そもそも世界中のものが自分のものなので、それがどこにあるかは大きな問題ではない(管理の面倒さ、スペースを占有されることを考えれば、人に預かってもらったほうがいいわけです。それを見たい場合は管理費として入場料を払ったりなど費用を払ってあげます)。

となります。

そんなわけでコレクション自体が悪いというわけではなく、つねに新しいもの新しいものと欲望のかぎり求め続けると、つねに不足感や不満感を抱き続けることになるのですね。

これはお金の問題ではなくて、人生を生きていくうえでつらくならないためですね。つねに不満・不満・不満の人生なんて嫌ですしね。これはお金をいくら持っていてもおなじことです。自分の持っているものに満足せず、ずっと「もっといいものはないか」と求め続けるのですから、つねに心の中は不満だらけで心の平穏はありません。

新しいものを買うこと自体はべつにいいのですが、それと同時に自分が何を持っているかを再確認して、満足感を得ることが重要とは思います。「これがあるから似たようなものは買わない」ということにもなるかもしれませんしね。