【FIRE悲報】仕事は幸福の第一条件ーヒルティ『幸福論』

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今回は世界三大幸福論の一つ、ヒルティの『幸福論』の話です。

本記事をYouTube動画で観たい方はこちらのリンクから。

仕事こそが幸福

今回は『幸福論』の延長線上の話として、ヒルティの『幸福論』についてです。

これまでの動画で、三大幸福論のアランとラッセルの考え方は出てきましたが、ヒルティについてはまだ出てきていなかったので軽く紹介していきます。

ヒルティは1833年スイスで生まれました。亡くなったのは 1909年で、77歳ぐらいまで生きてますね。幸福論を書いている人はだいたい長寿で、アランは83歳、ラッセルは97歳まで生きています。幸福は長寿につながるのかもしれません。

ヒルティが他の幸福論と異なるところとしては、仕事をすることこそが人間の幸せにつながるというような、「仕事を楽しむことこそが幸福「働くことを嫌がっているかぎり、人は幸福にはなれない」という立場をとり、「できるだけ働きたくない」「適当に働いて、あとはのんびり暮らしたい」と願っている人たちに対して、ヒルティは大きな間違いだと警告します。

ヒルティは敬虔なキリスト教徒としても知られており、その影響は彼の著書にも色濃く表れていますが、神秘主義的なものや権威主義的なものはきらっており、あくまで福音書でキリストが述べた言葉を重視し、隣人愛などのキリスト教的精神を実行することこそが重要という立場をとっています。

それができていなければ、教会に通ったり、形式を重んじたり、聖書を研究したりの行為には意味がないということですね。キリスト教を信仰しているのに隣人を恨んだり殴り倒していたら「なんでやねん」みたいな話になりますし、「何を学んできたんだ」みたいな話になるので、言っていることは結構ロジカルなのです。

自分を愛するものを愛するのは簡単なので、そんなのはべつに褒められるような話ではありません。

キリストは「自分の敵を愛し、迫害するもののために祈りなさい」と言っていますし、それをいかに実践するかが重要なのですね。神は善人にも悪人にも雨を降らせますので、人間も神を見習ってそうありなさいという話です。

そんなわけで、キリストのいうことを実践するのはそう簡単ではないわけです。「神を信じるだけで救われる」というあまっちょろい話ではまったくなく、むしろ「神が完全なように、人も完全でありなさい」とむちゃくちゃ厳しいことを要求しています。

隣人愛などキリストの言うことをガチで実践しようと思えば、それこそたゆまぬ精神修行が必要になります。このあたりはブッダの言葉を重視し、実戦する原始仏教的な考え方に近いものがあります。

自分が苦しいときなど、都合のいいときだけ神にすがったり、教会に通ったり形式だけは守ったりしながらも、キリストの言った隣人愛とかは全然実践していないみたいな人が多すぎることを、ヒルティは嘆いていました。

そんなわけでヒルティは敬虔なキリスト教徒ですが神秘主義的・権威主義的ではなく、あくまでロジカルな実践主義者でした。形式だけを重視したうわべだけのキリスト教徒ではなく、キリスト教精神の実践者だったのですね。

仕事こそが幸福

ヒルティの『幸福論』では仕事こそが人生を幸福にするカギだと説いています。これは『幸福論』だけでなく、彼の他の著書でもだいたい書かれています。精神疾患の治し方や読書術などにまで仕事の話が出てくるのですね。

「仕事は最上の時間の使い方」であり、「仕事無しで本当の幸福が得られることは絶対にないといっても過言ではない」「仕事を通じて大きな喜びが得られる」「幸福を求めたければ、まず仕事を求めろ」「娯楽は仕事の合間にちょっとあればいい」「この世で仕事がないことほど不幸なことはない」とヒルティは言います。

また前述したように、「できるだけ働きたくない」「適当に働いて、あとはのんびり暮らしたい」と願っている人たちに対して、ヒルティは大きな間違いだと警告します。

「働くことを嫌がっているかぎり、人は幸福にはなれない。なぜなら人間の本性は働くようにできている」からだと説くのですね。

ワークライフバランスな現代人からすると、「ワタミ構文か」「ブラック企業の回し者か」みたいな感じになるとは思いますが、これは切り取りの怖さというもので、切り取った部分だけ聞けばそんな感想になってしまうのですが、ちゃんと内容を理解すれば「それもそうだよね」みたいになります。

ならばなぜ世間一般では働くのつらいことのように思われているのかですが、それは「正しい働き方を知らないから」だと述べています。いつの世も、正しい働き方を知っている人たちはごく少数だとのことですね。

つまり正しい働き方をマスターしさえすれば、仕事が人生の幸福につながっていくというわけです。

我々は、人生の多くの時間を仕事に費やします。そのため、仕事の時間以外で生きがいを見つけ出そうとすれば、人生のほとんどの時間を無意味に過ごしてしまうことになります。

例えば「人生は休暇のためにある」と考えてしまうと、どうなってしまうのか。会社勤めであれば、月曜から金曜まで働くことになります。仕事以外の時間に幸福を感じるのであれば、一週間のうちに2日しか幸福な日がないことにもなりかねません。

すると残った5日間は、できるだけ速く過ぎてほしいと願うことになります。そうなると、日数にして不幸のほうが幸福よりも2倍以上多いことになってしまうのですね。これはあまり幸せな状態とは言えません。

ならばどうするかと言えば、「正しい働き方」をすることです。

この正しい働き方とは何かということですが、まず仕事が嫌に感じるのは「しなければならないこと」、すなわち「義務」でやらされていると思っているからです。ようは受け身的に仕事を見ているのですね。

そのような受動的な考えではなく、我々には「働く権利がある」と考えるわけです。働かされているのではなく、能動的に働く権利を行使しているのですね。幸福論においては、この「能動的」というが大きなキーワードになってきます。他人からあたえられる・押し付けられるのでなく、自分でコントロールをしているという感覚が必要なのですね。

それと現代では「仕事=お金を稼ぐ手段」というのが一般認識になっていますが、ヒルティは「仕事の種類や内容はたいした問題ではない」といいます。どんな仕事でも真剣に没頭すれば面白くなる、仕事のもたらす創造性と成功が人を喜びに導くと述べています。

ここでの仕事の定義ですが、「世の中に作用すること、役に立つこと」ですね。近所の道路掃除を自主的にしても仕事になりますし、もっと小さな視点で、家族のために家の掃除や家事をしても、それは立派な仕事になるわけです。

自分の力を自分のためだけでなく、他人のために使うということですね。これは「嫌われる勇気」で知られるアドラーの提唱する「人の幸福は、共同体に貢献すること」という話にも通じます。

「自分のために500円を使うよりも、人のために500円使ったほうが幸福度が高い」みたいな心理学実験が示すように、人は他人に貢献することでより多くの幸福を感じるようにできています。

そのため、「他者への貢献=仕事」無くして人生の幸福はありえないわけです。

道徳について猛批判しているニーチェでさえ、「機嫌よく生きるためには人の助けになるか、誰かの役に立つことだ」と言ってるぐらいですしね。

仕事がつらい

「でも実際仕事ってつらいじゃん。気が乗らない日もあるじゃん」という人がいるかもしれません。

ヒルティは仕事のコツとして、「とにかく仕事をはじめろ」と言います。うだうだ考えてないで、とりかかれるところからやってしまえということですね。

たとえば文章を書くときに「何を書くか」を考えるのではなく、とにかく一文字でもいいから文字を書いて、書きながら考えていきます。できるところから着手していくのですね。いったん動き始めさえすれば案外気分が乗ってきて、いつの間にか仕上げているということもあります。

そのため「気が乗らない」という自分の気持ちはいったん無視して、仕事にとりかかることをすすめています。

人間というのは想像力がたくましいので、とりかかる前にいろいろよけいなことを考えてしまうのですね。それによって本来数分で終わるようなことも、考えてばかりで何もできないという事態になったりします。

ヒルティは「仕事の奴隷になるな」とも言っています。ここで重要なのは、やらされているのではなく、あくまで自分が主導権を握って、自主的に仕事をすすめているという気持ちです。人生の主役は、あくまで自分ということですね。

そして仕事は丁寧におこなうことが重要ですが、基本的には「自分が得意なところを丁寧におこなうのがよい」と述べています。

人には得意・不得意がありますので、仕事の中で自分が得意な部分をできるかぎり丁寧に完璧にやるということですね。「多くを望む者は、小さなものしかあたえられない」との言葉通り、あれもこれもではなく、取捨選択して仕事の本質になる部分をきっちり仕上げるというのが重要になります。

そして「規則正しく働き、だらだらと長く働くな」とも述べています。昼も夜もない状態で働くのは最低の働き方とし、「決まった時間に規則正しく働き、任務をしっかり果たす」ことが幸福感にもつながります。

「時間が不規則なクリエイターとかどうなるの?」と思う方もいるかもしれませんが、ベストセラー作家のスティーブン・キングも村上春樹、ヘミングウェイも「早起きして、仕事は朝しかしない」みたいに規則正しい生活を送っています。

村上春樹は「もっと書きたくても十枚くらいでやめておくし、今日は今ひとつ乗らないなと思っても、なんとかがんばって十枚は書きます。なぜなら長い仕事をするときには、規則性が大切な意味を持ってくるからです。」とインタビューで述べています。村上春樹は朝4時起きて執筆をはじめていますね。それで終わったらランニングをしています。

規則正しさというのは、「今日は気が乗らない」ということで仕事をしたりしなかったりみたいな状態を防ぐことができます。とにかく時間がきたらやるしかないのですね。そうでもなければ長編小説なんて書けないわけです。

ユーチューバーのヒカキンさんも毎日投稿していましたし、規律というのは「今日は気が乗らない」みたいなのを防ぐ意味でも重要なこととは思います。

ちなみに当チャンネルは不定期な感じになっているので、自分で言っていて耳が痛いというか申し訳ない感じです。まあ、趣味でやっているので、そのあたりはご容赦していただければ幸いです。動画自体は楽しんで作っています。

だらだらやるぐらいならやめる

仕事はとにかく取り掛かることが大事であり、規則正しい時間に始めることが重要と説いてきましたが、逆に仕事中にどうしても新鮮味や興味を失ってしまい、喜びを感じられなくなったときは、ヒルティは「それ以上だらだらやらなくていい」と述べています。

完全にやめるわけではなく、いったん中断して、べつの仕事に取り掛かれということですね。いつまでも一つの仕事を粘らないほうがいいということです。こうすることで休憩をとったのとおなじようなリフレッシュをすることができ、また前の仕事がやりたくなったら戻ればいいということです。

単純労働でしたら、やり方を変えてみるなど、自分でいろいろアレンジしてみるといいでしょう。とにかく能動的に動くことです。

そして「今日はもう時間がない。今からはじめても無駄だ」と思うことも取り除くべきであり、わずかな時間でも進められることはあるので、仕事時間内であればやった方がいいと述べています。とにかく細切れ時間もしっかり利用して、仕事をする間は手を動かせですね。

休日については、「休日の安らぎは、しっかり働いた人にしか得られない。仕事の喜びを知る人にしか味わえない」として、よい休日はよい仕事から生まれるとしています。

また「仕事のない休日は、耐えられるものではない」とも述べています。

休日を充実させるためには、仕事を楽しみ、充実させないといけないのですね。

 

まとめ

そんなわけでまとめると、

・働くことを嫌がっているかぎり、人は幸福にはなれない。なぜなら人間の本性は働くようにできている。

・仕事とは他者・世の中への貢献(家事・育児・家のまわりの掃除も他者への貢献ですので仕事と言えます。アドラー的に言えば共同体への貢献ですね)。

・働くことがつらいと思われているのは、正しい働き方を知らないから。

・仕事が嫌に感じるのは「義務」という受動的な考えから。能動的に働く権利を行使していると考えるべき。

・「人生は休暇のためにある」と思うと、人生の時間の大半を不幸な時間で過ごすことになる。

・仕事はとにかく取り掛かることが大事であり、規則正しい時間に始めることが重要。

・仕事中に新鮮味や興味を失ってしまい、喜びを感じられなくなったときは、いったん中断してべつの仕事に取り掛かる。

・休日の安らぎは、しっかり働いた人にしか得られない。仕事の喜びを知る人にしか味わえない。

となります。

まとめだけ見るとブラック企業の理念みたいな感じになってしまいますが、ちゃんと動画を観ていただければ理由はわかるとは思います。

「足るを知る」もそうですが、とにかく幸福は受動的であってはいけないというのは、他の幸福論でもさんざん述べられてきていることです。自分で自発的に動いて、コントロールしていかないといけないのですね。

ヒルティは「人生の不幸の原因は、仕事を持っていないか、仕事が少なすぎるか、自分にとって適切な仕事をしてないかのどれか」と述べています。

そんなわけでFIRE後や退職後も、幸せのためには何かしら定期的な他者貢献が必要になってくると思います。自分のためにゲームしまくっても幸せになれない、むしろ精神的なダメージがどんどん強くなっていくのもこのあたりのことがあるとは思います。

ボランティアでもバイトでも、規則正しく何かしら他者貢献をすることで充実した退職後生活が送れるのではないかと思います。