【タイパの罠】効率を求めるほど「不自由」になる正体。当てる投資から「整える投資」へ

tipa fuziyuu

取り崩し投資運用中のQ太郎です。

今回はタイパの罠についてです。

Youtubeで観たい方は以下のリンクから。

【タイパの罠】効率を求めるほど「不自由」になる正体。当てる投資から「整える投資」へ
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効率化という名の罠

私たちは情報をできるだけ早く、できるだけ多く取り込もうとします。人によっては1分1秒を無駄にしないために時短家電を買い、映画やアニメを1.5倍速や2倍速で観ます。

隙間時間を徹底的に使い切ろうとします。そういう生き方が「賢い人間のやり方」として、いつの間にか当たり前になってきた感じがあります。

ただ、そうやって浮かせた「自由な時間」で何をしているかと言えば、効率的に稼ぐ方法を検索したり、スマホで資産残高をチェックしたり、次の節約術を調べたりしているわけです。

Q太郎も昔はそんな感じで、時間を浮かせるために工夫して、浮いた時間でまた何かを詰め込もうとします。時間を無駄にしないようにするために、時間の空白があると、何かで埋めないといけない気がしてくるわけです。

ただこれは、よく考えると全然自由ではないのですね。

効率を求めるほど、私たちは「何もしない時間」の価値を忘れ、時間の空白を埋めることばかりを考えるようになってきます。これは自由ではなく、「効率」という名前のついた新しい檻の中に入っているだけとも言えます。

ここで少し立ち止まって考えてみてほしいのですが、そもそも私たちはなぜ効率化を始めたのかというと、「お金ために使う時間を減らしたい」からです。残業したくない、会社に縛られたくない、もっと自分の好きなことに時間を使いたい。そういう動機で、投資を学んだり、副業を始めたり、節約を徹底したりするわけです。

つまり出発点は「お金の檻から出たい」という気持ちなのです。お金の檻から出るために、さっさとお金を稼ぎたいという話ですね。

ところが気づくと、朝起きてまず相場をチェックして、昼休みにポートフォリオを確認して、夜は節約レシピを調べて、週末は投資の勉強をする、という生活になっていたりします。

投資の勉強自体は良い事なのですが、過剰になりすぎている危険性があるわけです。

この状態になると、お金の檻から出られていないどころか、今度は「効率化しなければならない」という強迫観念の中に入り込んでしまうわけです。

以前は会社や上司に時間を支配されていたのが、今度は「効率」という概念に時間を支配されているということですね。支配者が変わっただけで、檻の中にいるという状況は変わっていないわけです。それでけっきょく時間は支配されているという状態です。

しかも厄介なのは、この「効率の檻」は自分で選んで入っているので、外から見ると自由に見えるし、本人も「これは自分の意志でやっていることだ」と思いやすいんですよね。でも、やめようとするとなんとなく罪悪感があるわけです。何もしない日があると「今日は無駄にした」と感じてしまう。これは本当に自由な状態でしょうか、という話です。

効率を求めるほど、私たちは「何もしない時間」の価値を忘れ、時間の空白を埋めることに怯えるようになっていきます。これは自由ではなく、「効率」という名前のついた新しい檻の中に入っているだけです。

「時給」で換算した瞬間に失われるもの

会社だとよく「自分の行動を時給換算しろ」とかいう人がいます。

「スコーンを焼くのに1時間かかるなら、その時間で働いてお金を稼いで、買ったほうが安い」という考え方ですね。

「1時間何万円も稼げる人はタクシー使った方がいい」とか「お手伝いさんを雇って家事をやらせたほうがいい」とかの、意識高い系によくあるあの理屈ですね。計算上は確かに正解です。

でも、Q太郎はこの思考こそが、あなたを「お金への依存」に引き戻す罠だと思っています。

なぜかというと、この考え方を突き詰めると、すべての行動が「稼ぐか稼がないか」という一軸で評価されるようになるからです。料理も、休憩も、散歩も、友人と過ごす時間も、全部「時給換算したら非効率」という結論になってしまうわけです。

計算上は確かにそうなのですが、そうなると、純粋に何かを楽しむ能力が、じわじわと失われていきます。

自分の手を動かして、材料を混ぜて、焼ける香りを楽しみながら、焼き上がりを待つという、この「非効率なプロセス」そのものが、実はお金というシステムから自分を切り離す、究極の贅沢といえます。

時給で測れない時間を持っている人こそが、本当の意味での、この資本主義のシステムをハッキングしている人なのではないかとは思います。

お金持ちの定義は色々ありますが、Q太郎が思う本当のお金持ちというのは、「時間をお金に換算しなくていい状態の人」だと思っています。すべての時間に値札がついていない状態ですね。これが最終的に目指すべき豊かさの形じゃないかと思います。

この資本主義システムのハッキングができている人ほど、むしろこの資本主義社会で生き残りやすいとは思います。

長期投資としての「スローライフ」

投資の勉強の話ですが、テクニカル分析とか、果てはエリオット波動とかのもはや占いまがいの後付け理論までやたらに学んで、短期的な相場予想を当てようとすることは、Q太郎的には非常にタイパが悪いと思っています。

精神を削って、画面に張り付いて、情報を追いかけ続けて、それでも外れるわけです。しかも当たったとしても、次の予想をまた外すリスクは変わりません。終わりがない作業です。

一方で、自分の生活を整え、200円の小麦粉で満足できる能力を磨くことは、一生涯にわたって「自分が必要とするお金の総量」を押し下げる、最強にタイパの良い長期投資です。

一度身につけたスキルは裏切りません。相場が暴落しても、自炊の腕前は下がりません。インフレが来ても、自分で楽しみを見つける力は目減りしません。これほど安定したリターンを出し続ける投資対象は、金融市場の中には存在しません。

そんな感じで、本当に時間かけないといけないスキルを後回しにして、短期投資の情報収集に時間を使う事は長期的に見ればあんまり時間効率がいいことをやっているとは思えないわけです。

長期投資をやるのでしたら基本はほぼ放置なので、短期投資の情報集めに時間を割くぐらいだったら自分の好きなことをやるとか、もうちょっと長期的に役に立つスキルを身に着けるとかした方がいいかなとは思います。

この「整える投資」にシフトしたとき、資産形成は終わりなき競争から、心地よい日常の習慣へと変わっていくとは思います。

まとめ

効率化もお金も、本来は人生を豊かにするための『道具』に過ぎません。包丁と同じで、何かを作るために使うものであって、包丁を研ぐこと自体が人生の目的ではないはずです。

でも私たちはいつの間にか、道具を磨くこと、つまり効率を上げること自体が目的になってしまってしまっています。

もっと稼ぐために、もっと節約するために、もっとタイパを上げるためにと、その『もっと』には終わりが来ないんですよね。

まるで、ゴールテープがどんどん先に逃げていくマラソンを走り続けているような状態です。これを続けている限り、どれだけ資産が積み上がっても、心に安らぎが訪れることはありません。

本当の豊かな生活というのは、何かを追いかけ続けることではなくて、今この瞬間の『これで十分だ』という感覚の中にしか存在しないとは思います。

それは例えば、スコーンが焼き上がる香りを、ただそれだけのために楽しめる時間の中にあります。その15分、20分の焼き上がりを待つ時間に、スマホで株価を見ず、ニュースを追わず、ただ『いい香りだな』と思える心の余白こそが、私たちが投資を通じて手に入れたかった『自由』の正体ではないでしょうか。

数字を積み上げながら、同時に『数字がなくても大丈夫な自分』を育てていく。 この、一見すると矛盾するような両輪を意識しながら生きていると、お金との関係が少しずつ変わってきます。 それは、お金に『縛られている感じ』から『使いこなしている感じ』への変化です。時間に『追われている感じ』から、自分の意志で『選んでいる感じ』への転換です。

効率化を否定するわけではありません。しかし効率化によって生み出した空白を、また別の『効率』で埋めないほうがいいでしょう。その空白は、あなたが人間らしく、非効率に、そして自由に振る舞うための聖域になります。

効率という檻を自覚し、あえてそこから一歩踏み出して、無駄だと思える時間を楽しむ。 それができたとき、あなたの資産形成はもう義務ではなくなっています。誰かと競うものでも、恐怖に突き動かされるものでもなく、自分の意志で、自分のペースで続けられる、心地よい日常の習慣になっているとは思います。

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