貯金しすぎはお金使いすぎと同じ?
新NISA一括投資→即毎月定率取り崩し運用中のQ太郎です。
今回は、貯金しすぎもお金使いすぎも根本的には同じことなのかについてです。
本記事をYouTube動画で観たい方はこちらのリンクから。
無駄遣いしすぎも貯金しすぎも根本的には同じ?
こんなご質問をいただきました。
「いつも動画を参考にさせて頂いています。
無駄遣いについてですが、お金をたくさん使うことで有名な作家の中村うさぎさんが「お金を貯め込む人と無駄遣いをする人は、根本的な部分で同じこと」だとおっしゃっていました。
お金をどんどん使うことは物を買う事・物を増やす事への強い欲求ですし、お金を貯め込むことはお金を増やす事への強い欲求だと言います。結局、物やお金への強い欲求や執着が働いているだけで、根本的な部分は同じなのではないかという話です。
浪費と貯金が根本的に一緒というのは、どこか違和感というか引っ掛かる部分もあるのですが、お金を貯めすぎるのもお金への執着が強くなりすぎるので良くないのではないかとも思います。あの世にお金は持っていけませんしね。
Q太郎さんにとって無駄遣いと貯金の関係はどんなものなのでしょうか。Q太郎さんはあまりお金を使わないとのことですが、お金を貯めすぎるのも悪い事という考えはありますでしょうか。また何をもって無駄遣いというのでしょうか。」
とのことです。
中村うさぎさんの本は読んだことがないですが、ブランド品やホストにお金を全部つぎ込んでしょっちゅう貯金が無くなっているという話は聞きますね。
ただこういう著名人の行動は、ある意味自分のキャラクターを作るための投資にもなっているので、一般人の浪費と同じに考えない方がいいとは思います。ホリエモンのいう「有り金は全部使え」みたいなやつですね。
中村うさぎさんも自分の無駄遣いをネタにして本を出したり、それでキャラクターができているのでいろいろな番組に呼ばれたりするわけです。無駄遣いに見えますが、将来的な投資になっているのですね。
ホリエモンも中村うさぎさんも使った分以上のリターンがあるので使っているわけでして、こういう言葉を真に受けて、何のリターンも無いのに無駄遣いすれば、ただただお金が減るだけの、小学校の算数レベルの当たり前の結果が待っています。
お金を使えば使うほどもうかるのだったら、貧乏人なんかこの世にいないわけです。この手の金使えインフルエンサーの言葉は、その人にとっては利益になるのでお金をどんどん使っていると考えた方が良いでしょう。マネするのであれば、その無駄遣いは将来のリターンにつながっているかどうかを考えた方が良いとは思います。自分の無駄遣いを正当化させるために、著名人の心地よい言葉を利用するのはどうかなという気はします。
とはいえ、お金を貯め込んで使わないというのも、あまり意味のある行為じゃないかなとは思います。
お金の本質というのは、物やサービスと交換してこそ意味を発揮するわけで、たんにお金だけ持っていても意味がないわけです。
例えば「3億円あげるけど、1円も使ってはいけないよ」と言われたら、銀行口座の数字眺めてニヤニヤしたい人以外は「意味ねー」という話です。お金の本質は、やはりモノやサービスとの交換なわけです。お金自体には価値はありません。
つまるところ、お金は商品券とか図書券とかと同じですね。
最近、日本の総理が10万円の商品券を配っていましたが、お金の本質が物との交換の場合、商品券もお金も表面に印刷されている内容が違うだけで、本質的には同じ物なのです。商品券を配るのと、お金を配るのとは、紙切れの印刷されているものが違うだけで、本質的には同じなのですね。
それでお金は商品券の一種なので、その商品券をただひたすらため込んでもあまり意味が無いわけです。机の引き出しに図書券をひたすらため込んでいるだけなのと同じですね。
ちなみにQ太郎は昔、ファミ通に裏技を送ってガバスという商品券をもらいましたが、今でも引き出しの中にあったりします。これ今でも使えるのかよくわかりませんが、交換しないとただの紙ですね。子供の頃にさっさと使わなかったのが悔やまれます。
そんなわけで、お金は商品券なわけなので、活かすにはやはり何かと交換しないといけません。
それで適切に交換した場合、お金の価値は保存されるのですね。お金は使っても減らないという考え方です。
例えば1000円払ってゲームを買った場合、考え方によっては1000円を渡して、1000円の価値のゲームを受け取ったことになります。つまり交換した時点では、お互いの価値は保存されているのですね。
場合によってはそのゲームにプレミアがついて、将来的に1000円以上の価値を生み出す可能性もあるわけです。
また1万円払って、1万円分の株式やゴールドを買った場合もおなじで、交換した時点では1万円の価値同士を交換しただけなので、1万円が株式やゴールドに形を変えただけで、価値自体は何も変わっていないのですね。そのあとに価値の変動がある場合はありますが、交換した時点では価値は変わらないのです。
この価値というのはあくまで主観で、例えばゲームが好きな人は、ゲームに価値がありますし、洋服とか好きな人は、洋服に価値があります。中村うさぎさんにとっては、たぶんホストやブランド品に価値があるのでしょう。
つまり手元にお金という価値を持っておくよりも、自分の好きな物と交換して、好きな物を手元に置いた方が良いという考え方ですね。価値を等価交換しただけなので、価値の総量自体は変わりません。手元にお金があるか、ブランド品があるかの違いだけです。それだったら、大好きなブランド品を手元に置いた方が良いという話になります。中村さんの本の読んでいないので、本当にそういう考えなのかどうかは知りませんけど、価値自体は等価交換されているわけです。手元に何を残したいかの問題です。
旅行やサービスにお金を使うのも、思い出などの目に見えないものを価値として受け取っているわけです。思い出は人に盗まれることはありませんので、保存できる価値としては悪くないとは思います。
それと価値というのは、人それぞれ違うものです。例えば1万円のブランド品のバッグがあったとして、Q太郎はブランド品に価値を見出せないので、たかがバッグで1万円だと高いと思うわけです。そのため、1万円とバッグは、Q太郎的には等価交換にならないわけです。1万円のバッグに価値を感じている人が1万円払うわけです。
それで貯金しまくる人は何をやっているかと言えば、お金でお金を買っているようなものなのですね。1万円の価値のお金で、1万円の価値のお金を買っているとも言えるわけです。お金に対して価値を感じているので、お金以外のものに交換したくないという話です。
欲しいものがあっても、それと交換せずに、お金と交換してしまうわけです。1万円手元にあって、1万円のバッグが欲しくても、我慢して1万円の現金と交換してしまっているわけですね。
そうなるとやっていることは結局、お金とブランド品を交換しているのと本質的には変わらないわけです。交換先がお金かブランド品かの違いだけですね。貯金しまくる人は、他のモノと交換したくないぐらいに、お金に対して価値を感じているわけです。ブランド品をコレクションするか、お金という名の商品券をコレクションするかの違いにもなります。
価値のアセットアロケーション
それで「お金は商品券で、価値を交換しているだけなら、どんどんお金をつかってもいいってことになるの?」と言う方もいるかもしれませんが、ここで考えて欲しいのは、価値を存在させるための本体が必要ということです。つまりあなたが生きていないと、そもそも価値も存在しないのですね。
つまり本体の生命維持がまず最重要課題になります。価値を感じるための本体の価値が一番高いので、その生命維持のためにお金を使うことが最優先になります。物の価値を生み出しているのはあくまでもあなたなのです。
例えばバケツ戦略で、短期バケツに生活費の1年分、中期バケツに生活費の5年分を最優先にそろえてから、それでもお金が余ったら長期バケツで資産運用するということをします。生命維持が最優先で、投資は余剰資金でということですね。
ブランド品のバッグを買ったりはいいのですが、それは長期バケツで買ってくださいという話になります。ブランド品を手に入れたけど飢え死にしたとかは本末転倒なわけです。
それで「短期バケツ・中期バケツの資金はそろったから、長期バケツのお金全部使ってブランド品買ってもいいのか」という話が出てきそうですが、次に考えてほしいのが、価値のアセットアロケーションの問題です。
お金で持とうがブランド品で持とうが価値が変わらないといっても、価値のアセットアロケーションで現金0%:ブランド品100%だと、かなりバランスの悪いアセットアロケーションになります。
逆にブランド品が好きなのに、現金100%:ブランド品0%というアセットアロケーションも、価値を現金に全ツッパしているので、これもこれでいびつなわけです。もちろんブランド品に興味がなかったら0%でいいですけど、ここではブランド品が好きなのに、あえて現金に全ツッパという状態ですね。これだったら、まだブランド品に全ツッパしている方が健全な気もします。この意味では、お金を貯め込んでいる人は、お金を使いまくっている人よりもむしろやばいことになっていますね。
図書券ひたすらため込んで本を買わない人とか、某イオンの商品券ため込んで、イオンで物買わない人とおなじです。貯めて意味あるのとしか突っ込みようがありません。
例えば1000万円持っているとして、500万円をブランド品という価値に交換して、残り500万円を現金で持ったり投資に回すとかなら、価値の総量自体はおなじですが分散できてますのでバランスの取れたアセットアロケーションと言えます。
これがブランド品欲しいのに1000万円全部投資に回すようなアセットアロケーションを組むと、メンタル的なバランスとしてもどうなのかという気もします。死ぬ前にお金という名の商品券だけ残っていても仕方ないですし、死ぬ前の後悔がすごいことになりそうです。「使っとけばよかったー」みたいな感じになるとは思いますね。
まとめ
そんなわけでまとめると、
・著名人の浪費は投資になっているが、一般人が考えずに浪費すると、単にお金が減るだけの場合が多い
・お金はモノやサービスと交換できる商品券。
・お金は価値を等価交換するので、価値の量自体は減っても増えてもいない。お金の形が変わっただけ。
・何に価値を感じるかは人それぞれ。
・欲しいものがあるのにお金を貯め込むのは、お金と欲しいものを交換せずに、お金でお金を交換している行為。欲しい物よりお金に価値を置いている。
・価値を保存するためには、価値を感じる本体の生存が第一条件。それが一番価値のあるものなので、最優先にする(バケツ戦略でいえば、短期・中期バケツを先に埋めてから、長期バケツで投資したりするということですね)。
・価値のアセットアロケーションがいびつな形だとメンタルにもよくない。(現金100%:欲しい物0%のようなのは、現金0%:欲しい物100%よりもいびつな形とは思います。図書券を貯め込んでも、本を買わなかったら意味がありません)。
・お金そのもの自体には価値はない。価値の受け手である自分の生存を最優先にしつつ、適切な価値のアセットアロケーションをつくることが必要。
となります。
そんなわけで価値のアセットアロケーションという考え方をすると、お金を貯め込むだけの人は「本が好きなのに図書券ため込んで、死ぬまで本買わないやべー奴」という感じなので、ブランド品買いまくってる方がまだ精神的には幸せなんじゃないかなとは思います。お金を自分にとっての価値や喜びに変換していますしね。
そんなわけでバケツ戦略的に、価値を感じる主体である自分の生存を優先しつつ、それ以上の余剰資金に関しては、そのうちの何パーセントかを欲しい物に振り分けた方が、価値のアセットアロケーションとしては健全なものになるとは思います。お金という商品券だけ貯めても何の意味もありませんしね。