
取り崩し投資運用中のQ太郎です。
今回は最近話題になっている「NISA貧乏」について話していきます。
本記事をYouTube動画で観たい方はこちらのリンクから。
「NISA貧乏」が話題に
NISA貧乏というパワー(少なめ)ワード
まず「NISA貧乏」というワードについてですが、以前Q太郎が動画を作ったとき「NISA損切り」というパワーワードがありまして、あれはインパクトがありましたよね。
NISAで損切りって何やねんという感じで(笑)。それに比べると「NISA貧乏」はちょっとワードとしての爆発力に欠けるといいますか、地味な感じがしなくもない。
ただ、今年に入ってからニュースでも取り上げられるようになりまして、衆院財務金融委員会で政治家が問題提起したことで一気に注目を集めました。
片山さつき金融担当相も「積み立て自体の目的化は意図していない」とコメントしています。ワードは地味でも、中身はけっこう深刻な話なんですね。
具体的にどういう状態か
具体的にどういう状態かといいますと、報道されている事例がなかなか衝撃的でして。都内の20代男性、年収約800万円・手取り40万円という、はっきり言って恵まれた収入の人なんですが、毎月25万円を投資に回しているため、昼食はおにぎりとインスタント味噌汁、友人からの飲み会の誘いも断る日々だそうです。
「1回5000円あれば投資信託に回せる」という思考になっているわけですね。
また40代の共働き夫婦の事例では、年間360万円をNISAに拠出しているものの、手取りから生活費・住宅ローンを引くと240万円しか残らないため、毎月10万円ずつ預貯金を取り崩してNISAに入れているという状況。
さらにiDeCoも始めようとしていたというのですから、もはやギャグみたいな話です。SNSで「枠を埋めないと損」「現金を寝かせるのはバカだ」という言説があふれていて、それが強迫観念になっているわけですね。
問題の本質
この問題の本質は何かといいますと、「今を犠牲にして未来を生きている」状態になってしまっているということだと思います。
将来への不安は誰でもありますし、その不安自体は間違っていない。
ただ、不安が強すぎると人は極端な行動に走りがちなんですよね。
本来、投資は人生を豊かにするための手段のはずです。それが「NISAの枠を満額埋める」こと自体が目的になってしまっている。
手段と目的が逆転しているわけです。
飲み会も旅行も我慢して、今の自分の生活を犠牲にしてまで未来に備える。それって本当に豊かな人生と言えるんでしょうか、という話です。
老後前に死ぬこともある
もう少し踏み込んだ話をすると、老後になる前に死んでしまうこともあるわけです。これは縁起でもない話のように聞こえるかもしれませんが、現実問題として、若くして病気になったり事故に遭ったりすることはあります。
今の20代・30代が全員老後まで生きられる保証はどこにもない。そう考えると、今の自分の生活を極限まで切り詰めて老後資金を積み上げることに、どれだけの意味があるのかという疑問が出てきます。
今を犠牲にして積み上げたお金を使えなかった、という可能性は誰にでもある。「今」という時間は今しか存在しないわけで、20代の1日と60代の1日は同じ1日でも、体力・経験・可能性という意味でまったく違う価値を持っているとも言えるわけです。
「今を生きろ」も危ない
一方で、「じゃあ今を生きればいいじゃないか」という話になると、これはこれで問題があります。
「若いうちは経験にお金をかけろ」とよく言われますが、その「経験」が単なる娯楽の消費行動になっていたり、よくわからない自己啓発セミナーや怪しい資格取得に大金を投じるケースも少なくない。飲み歩いたり、映えるスポットに行ったりすることが「経験」かというと、まあそれはそれで楽しいとは思いますが、それが将来の自分に何をもたらすかは微妙なところです。
「今を生きる」が単なる散財の言い訳になってしまうと、それはそれで問題なわけで。どちらの極端も正解ではないというのがわたしの考えです。
日本の現実
ただ現実問題として、日本という国自体がどんどん貧しくなっているのも事実です。物価は上がり、賃金はなかなか上がらず、円安も続いている。
30代以下の約75%が公的年金に期待していないというデータもあります。これは単なる若者の悲観論ではなくて、年金制度の持続可能性に対する現実的な懸念だと思います。
そう考えると、将来への備えをまったくしないというのも非現実的です。老後に何の資産もなければ、働けなくなったときに詰んでしまう可能性がある。
つまり「今だけ生きればいい」も「未来だけのために今を犠牲にする」も、どちらも極端すぎるということです。
NISAが幸福な人もいる
ここで少し視点を変えると、新NISAに全力でお金を突っ込むことに純粋に幸福を感じている人もいるわけです。
残高が増えていくのを見るのが楽しい、将来の安心感が嬉しい、という人にとってはそれが豊かさであって、他人がとやかく言う話ではない。
また最近はミニマリストやシンプルライフを好む人も増えてきていて、「お金を使う=幸福」という図式自体が崩れてきています。
物をたくさん持つことよりも、シンプルに生きることに価値を見出す人が増えている。そういう人にとっては、消費を抑えてNISAに回すこと自体がライフスタイルと一致しているわけで、無理をしているわけでも不幸なわけでもない。問題なのは、自分に合っていないのに無理して続けているケースです。
Q太郎の場合
Q太郎自身の話をすると、もともとお金をあまり使わなくても満足できるタイプです。休日は図書館に行ったり、散歩したり、Epicゲームズストアでもらえる無料ゲームをしたりするだけで十分楽しい。旅行へ行くこともありますが、観光地を巡りたいわけでもグルメを楽しみたいわけでもなくて、たんに環境を変えて暮らしたいというだけなんですよね。
で、旅行先でも結局図書館行って、散歩して、ゲームして、という(笑)。
これは別に節約のために無理しているわけではなくて、本当にそれで十分なんです。
こういう人間にとっては、消費を抑えて投資に回すことはまったく苦ではない。
でも逆に、外食や旅行や買い物に価値を感じる人が無理して同じことをしようとすると、それはストレスになるわけです。
バランスをどう取るか
では結局どうすればいいのかという話ですが、わたしが思うのは「自分の幸福の源泉を知る」ことが最初のステップだということです。
何にお金を使うと自分は幸福を感じるのか、何はなくても平気なのか。それを把握した上で、生活に余裕がある範囲で投資をする。
NISAの枠を満額埋めることは、あくまでも手段であって目的ではない。手取りの何割かを投資に回す目安としては、生活防衛資金として最低6ヶ月分の生活費を確保した上での余剰資金が基本です。
枠が余っても全然かまわない。
逆に、投資を続けることで今の生活が苦しくなっているなら、それは明らかにやりすぎのサインです。今を楽しみながら未来にも備える。
そのバランスは人によって違いますが、どちらかを完全に犠牲にすることは、わたしはおすすめしません。
まとめ
NISA貧乏の問題の本質は、投資の知識の話ではなくて「今を生きるか、未来を生きるか」という価値観の問題です。
将来への不安から今を極限まで犠牲にするのも危ないし、かといって何も備えないのも現実的ではない。
大切なのは、自分が何に幸福を感じるかを知った上で、生活に余裕がある範囲で投資をするということ。
NISAは素晴らしい制度ですが、枠を満額埋めること自体が目的になってしまうと本末転倒です。
今の自分の生活を犠牲にしてまでやることではないということを、頭の片隅に置いておいていただければと思います。
