
取り崩し投資運用中のQ太郎です。
今回は「成長の呪縛」と「怠惰のウソ」についてです。
Youtubeで観たい方は以下のリンクから。
50歳を超えても「もっと稼げ、成長しろ」の呪縛
今回は「成長の呪縛」と「怠惰のウソ」についてです。
こんなご質問をいただきました。
「いつも動画をありがとうございます。自己啓発本の多くは、「成長しろ」「自分の限界を突破しろ」みたいな論調で語られることが多いですが、Q太郎さんのおっしゃるように50歳を超えてもそのテンションはきついと思います。
ただ「成長神話」ですが、インデックス投資を含め、資本主義は成長の上で成り立っているので、この呪縛から逃れるのは簡単では無いと思います。この辺りについてのご意見お聞かせください。」
とのことです。ありがとうございます。
結構以前に、「50歳超えても「成長」とか言われても困る」みたいな動画を出しましたが、一方で資本主義は、やはり成長の上に成り立っています。そうじゃないと、インデックス投資が成功しないことになりますしね。
ただ、個人と全体の問題は切り分けた方がいいです。「全体」、つまりマクロ経済と、「個人」、つまり「ミクロの人生」は別の問題なので、切り分ける必要があるということですね。
経済は成長しても、人間はどこかでピークダウンしていくわけです。なぜなら経済は「群体」であって、人間は「個体」だからです。
群体と個体
インデックス投資が右肩上がりで成長し続けるのは、それが数千、数万という企業や労働者が新陳代謝を繰り返す「群体」のシステムだからです。古い細胞が死んでも、新しい若い細胞が次々と参入し、全体として拡大を続けるアメーバのようなものです。だから世界経済のパイは大きくなり続けます。
しかし、あなたという人間は、新陳代謝の利かない、たった一つの有限な「個体」です。 車に寿命があるように、パソコンのスペックに限界があるように、人間の肉体や脳のエネルギーも、年齢とともに確実にピークダウンしていきます。これは避けられません。自己啓発本で「年をとっても限界を突破しろ」とか言われても、物理的に無理なものは無理です。
20代と同じ睡眠時間で、30代と同じ集中力をキープして、50代になっても24時間戦い続けるなんて、生物学的なバグでも起きない限り不可能です。そういうバグみたいな人もいるかもしれませんけど、統計的には厳しい話です。
老いるということは、細胞が衰え、エネルギーの総量が減っていくということ。それなのに「気合いが足りない」「限界を疑え」と精神論で煽るのは、ガソリンが空の車に向かって「お前のポテンシャルはそんなものじゃない、もっと走れるはずだ」とムチを打っているようなものです。車からしてみたら、「ガソリン無いのに、どうやって走れっちゅうねん」という話です。
群体である資本主義のルールを、個体であるあなたの肉体にそのままコピペして、「死ぬまで無限に右肩上がりで成長しろ、限界を突破しろ」と命じること自体が、構造上の大いなる矛盾であり、狂気の沙汰なのです。
では、個体としての人間は、一体何歳でその「稼ぎの成長」に限界を迎えるように設計されているのでしょうか。
賃金の上昇が止まり、ピークを迎える年齢について、公的な統計データから極めて明確なファクトがあります。
結論から言うと、日本の労働者の平均的な稼ぎの成長が止まるのは「50代前半」。50歳から54歳あたりです。ここをピークに、55代以降は下降線をたどることになります。
実際に、今回のテーマである「50歳を超えても『もっと稼げ、成長しろ』の呪縛」の裏付けとなる公的データを見ていきましょう。
厚生労働省「賃金構造基本統計調査」から見るピークアウト
厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」において、「年齢階級別の賃金」、ようするに月給の推移を見ると、綺麗に50代前半で成長が止まることが分かります。
年齢別の平均月給ですが、「45から49歳」が35万900円、「50から54歳」が36万9,200円、 「55から59歳」が35万9,500円、「60から64歳」が29万3,700円と50代前半でピークダウンしているのですね。とくに60歳以降はがっつり減りますね。
「これは肉体労働も入っているからだ」とおっしゃられる方もいるかもしれないので、ホワイトカラーの多い大卒に限定してみましょう。
大卒の男性に限定した場合、「45から49歳」が48万7,400円、「50から54歳」が53万2,400円、「55から59歳」が51万6,300円と、やはりここでも「50から54歳」をピークに、下り坂に入ります。
ご覧の通り、どれだけ優秀で、どれだけ会社に尽くして成長を目指して走ってきたビジネスパーソンであっても、50〜54歳の壁を境に、統計的には「稼ぎの純減フェーズ」へと強制的にシフトさせられます。
国税庁「民間給与実態統計調査」から見るピークアウト
「月給だけで比較している。ボーナスを含めたら変わるだろ」という方もいるかもしれませんので、国税庁の「民間給与実態統計調査」も見てみましょう。
こちらは月収ではなく、ボーナスも含めた「平均年収」ベースのデータですが、やはり全く同じ傾向を示しています。
男性の、年齢階層別の平均年収を見てみますと、「45から49歳」で643万円、「50から54歳」で684万円、「55から59歳」で657万円と、やはり「50から54歳」でピークになるわけです。
この50代半ばでの下落の背景には、会社組織における「役職定年」、たとえば55歳前後で管理職から外され、給与が2から3割一気に下がるシステムや、定年後の再雇用を見据えた基本給の抑制という、日本の雇用構造上の冷徹なリアルがあります。
そんなわけで、統計からみても、やはり50歳は稼ぎのピークになるので、そこで「成長しろ」と言われても、それが出来る人がいるかもしれませんが、大多数にとっては厳しい話なわけです。
怠惰という罪悪感
ここで皆さんに一つ、質問をします。
「今日、一歩も家から出ず、何も生産的なことをせず、ただベッドの上でぼんやりと天井を眺めて過ごしてしまった」
そんな日があった時、皆さんの心の中に湧き上がってくるのは、最高の充足感でしょうか。それとも、「時間を無駄にしてしまった」「自分はなんて怠け者なんだ」という、得体の知れない罪悪感でしょうか。
現代社会を生きる私たちは、常に何かに追い立てられています。 「もっと勉強しなければ」「もっと資産を増やさなければ」「時間を有効に使わなければ」。 休んでいるはずの時間すら、頭のどこかで「次の成長のためのインプット」を探してしまう。心身を壊すと分かっているのに、なぜだかこのレースの「やめ方」が分からない。
以前の動画でQ太郎は、他人の目を気にした「義務の消費」を削り、自分の意志で正しくお金を使う「意思の消費」にシフトする、「スペンド・シフト」についてお話ししました。
今回お話しするのは、そのさらに奥にある「脳の断捨離」です。 アメリカの社会心理学者デヴォン・プライス氏の著書「なぜ休むことに罪悪感を覚えるのか」で提唱されている「怠惰のウソ」という概念をもとに、私たちが知らず知らずのうちに罹っている「成長という名の病」の正体を、お金の哲学を絡めながら深堀りしていきます。
システムが仕掛ける「怠惰のウソ」3原則
プライス氏は、私たちが幼い頃から刷り込まれてきた「努力と成長の物語」の裏には、ある強烈なウソが隠されていると指摘します。それが、以下の「怠惰のウソ・3原則」です。
一つは、「人の価値は生産性で測られる」ということです。稼いだ金額や成果で測られるということですね。
二つ目は、「自分の限界を疑え」「自分の限界を越えろ」という、自己啓発本にありがちなキラキラフレーズです。これはテレビCMでもよく登場するフレーズですね。
三つめは、「もっとできることはあるはず」です。ただ停滞しているだけではなく、自分のできることを探していけという話ですね。
この1番の「人の価値は生産性で測られる」というのは、まさに資本主義というシステムが、私たちを「労働力」とするために最適化したルールです。「たくさん稼いで、たくさん消費する人間こそが偉い」という、前々回の動画でお話しした『お金持ち=偉いという病』と全く同じ構造です。アメリカンドリームというのは、まさにこの金銭的な成功なのですね。良くも悪くも、アメリカが資本主義として強いのは、これがあるからです。
そして厄介なのは、2番と3番です。 「限界を疑え」「もっとできる」。一見すると、自己啓発本やスポーツメーカー、栄養ドリンクの広告に書かれていそうな、美しく、前向きな言葉に見えますよね。
昔、「24時間戦えますか」みたいなCMもありましたね。いまだにあの歌、Q太郎の頭にこびりついていますね。CMとしては成功していると思いますが、今あのCMをやったら、かなりコンプラ問題が出てきそうですね。「『ジャパニーズ、ビジネスマン』、じゃねーよ!」と。今考えるとすごい時代でしたね。今だったら100%炎上してますね。
しかし、これらのキラキラした言葉を真に受けた人間がどうなるか。大谷翔平選手とかの特殊例はありますけど、特殊例だからニュースに出るわけです。
多くの人に待っているのは、自分の限界が見えなくなるまで働き続け、心身をすり減らし、最終的に鬱や燃え尽き症候群になって倒れるという、最悪の結末です。
日常とメディアが再生産する「呪いの種」
なぜ私たちは、これほどまでに「怠惰」を恐れ、走り続けてしまうのか。それは、私たちが子供の頃から、日常のワンシーンやメディアやテレビCMによって、この呪いの種を絶え間なく撒かれ、育てられてきたからです。
学校の図書室に行けば、エジソンやリンカーンの伝記が並んでいます。「一生懸命努力して、成長し、偉大な成果を残した」というシンプルな三段論法です。「天才は99%の努力」という言葉を浴び、部活に入ればコービー・ブライアントのような超一流選手の「朝4時から練習しろ」という言葉を歓迎します。
実際、エジソンの言う「天才は99%の努力」は、「「1%のひらめき」がなかったら99%の努力は無駄」みたいな話なんですけど、なんか努力の方が取り上げられてしまうのですね。ちなみにエジソンは結構、お金に汚いクソ野郎ですしね。映画の特許を独占して、それを嫌がったクリエイターたちが西海岸のカリフォルニアへと逃げて、それが理由でハリウッドができましたしね。
Q太郎も昔エジソンの伝記を読みましたが、その辺りのことは書かれていませんね。大人になってから知りました。
そんな感じで、メディアもまた、この手の「努力すれば成功する」物語が大好きです。テレビ番組が障害者や逆境にある人を取り上げる時、社会的な配慮の必要性には触れず、「個人の強い意志と血の滲むような努力だけで壁を克服した」という美談ばかりを仕立て上げます。
私たちはこれらを観て、無意識のうちにこう刷り込まれるのです。 「社会的弱者でも成功できる。成功していない人、貧しい人は、努力が足りない『怠け者』なのだ」と。
若いうちは、体力とやる気と時間と可能性があるから、がっつり頑張るのはむしろ良い事です。チャレンジするのは良いことです。それができるポテンシャルがあります。
しかし、プロの世界を見れば分かる通り、どれだけ努力しても報われないことなどザラにあります。成功の裏には、本人の努力だけでなく、環境や運という莫大な要素が絡んでいます。お金持ちの子が成功しやすいのは、本人の努力だけでなく、人脈とか環境の問題もあるのです。
にもかかわらず、社会は、「社会的弱者でも、努力すればエジソンになれる。なれないのはお前の限界に対する疑いが足りないからだ」と、責任をすべて個人に押し付けるのです。
投資の世界における「目隠しチキンレース」
ここからお金の話になります。この「怠惰のウソ」に脳をジャックされたまま、投資や資産形成の世界に入ると、非常に危険な現象が起きます。 それが、「目隠し状態でのチキンレース」です。
「新NISAを満額埋めなければならない」 「一刻も早く1億円貯めてFIREしなければならない」 「今の生活を極限まで切り詰めてでも、入金力を上げなければならない」
稼げてお金が余っている人はそれでもいいのですが、「今」を潰してまでやっているのであれば、ちょっと立ち止まった方が良いとは思います。来るかどうかわからない老後のために、「今」が不幸になっていないかという話ですね。
そうやって、自分の心と身体が発している「もう限界だ」「休みたい」というサインを「これは怠惰だ、もっとできるはずだ」ともみ消し、崖に向かってアクセルを踏み続ける。 しかも、その体力の限界、つまり崖がどこにあるのかは、目隠しをされているため、実際に崖から落ちて心身を壊すまで絶対に分かりません。
前回の動画「他人にコストを押し付ける「みっともない節約」」では、他人にコストを押し付けて浮かせたお金で、一体どんな素晴らしい投資信託を買うつもりなのかとお話ししましたが、今回のケースはその刃が「自分自身」に向いている状態です。
自分の今の健康や、上機嫌で過ごす時間を担保に入れて、通帳の数字という「生産性の記号」を増やし続ける。これこそが、お金の主人ではなく、お金の奴隷に成り下がった姿とも言えます。主従が逆転してしまっているのですね。
ここから抜け出すためにこそ、「資産形成しつつ、一方で、お金を大したものと思わず、「道具」や「商品券」として使う」という「お金の哲学」が必要になってくるわけです。
成長の物語から、成熟の物語へ
私たちは、いつか必ず老います。若さや体力というリソースは無限ではありません。どこかで、この社会が勝手に作った「無限成長の物語」を書き換える必要があります。
「休む」ということは、決して怠惰でも悪でもありません。むしろ、長期的に資産を運用し、人生をロング・ゲームとして勝ち抜くための、最も合理的で、最も知性ある「投資行動」そのものです。自分の体力を残しておくことも、健康に対する一つの「投資」なのですね。
数字を増やすこと、成長することにはゴールがありません。上を見ればキリがなく、そこにあるのは終わりのないラットレースです。 しかし、「成熟すること」、自分にとっての十分を知り、自分と相談できるようになることは、それ自体が人生のゴールになり得ると、Q太郎は思います。
自分が何を好きなのか。それを突き詰めれば、メディアに煽られて必要のないものを買う事は少なくなります。Q太郎はゲームは好きですが、RPGとアドベンチャーゲームは最後までやらない事が多いということに気づいたので、これらにお金を払う事はありません。「ドラゴンクエなんちゃら」も「なんちゃらファンタジー」も、人からもらえばやるかもしれませんが、自分からお金を出すことはもう無いですね。自分基準で欲しい物を買います。最新ゲームとかのこだわりもないですね。昔のゲームなら安いので、それが好きだったら儲けものですしね。
ゲームのことで「成熟」とか言ってるのは、なんか変かもしれませんが、Q太郎的にはゲーマーとして「選択と集中」が上手くできているので、成熟した感じはあります。Q太郎がそう思っているだけですが、全体のコストは爆下がりで、欲しい物はしっかり手に入れています。そんな感じで「選択と集中」を上手くやっていくといいんじゃないかとは思います。
なんかちょっと話が脱線してきましたが、広告やメディアが仕掛ける「もっとできる」という目隠しを、50歳を越えたら疑ってみるのがいいとは思います。 手元にあるその資産、その1,000円、1万円は、あなたをさらに働かせるための鞭ではなく、あなたの人生を「成熟」させ、上機嫌に休ませるための盾であるはずです。
資本主義のチキンレースから、いかに降りるかは、FIREや退職後の課題の一つになりますね。
皆さんは、最近「あ、自分は休むことに罪悪感を覚えていたな」と気づいた瞬間はありますか? ぜひ、コメント欄で皆さんの「成熟の物語」について聞かせてください。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。

