
取り崩し投資運用中のQ太郎です。
今回は、「他人にコストを押し付ける節約」についてです。
Youtubeで観たい方は以下のリンクから。

その「節約」、誰がコストを支払っていますか?
視聴者の方から、このようなご質問をいただきました。
「妊婦や子ども連れが新幹線の自由席に乗って、それで席を譲らない人がいるという問題のネットニュースがよく流れます。ですが、そもそも自由席が混雑してそうなることは行く前から分かりきっているのだから、指定席にするなどの配慮が必要だと思います。自分のお金をケチることで、他人に負担をかけるのは節約とは言えないのではないでしょうか?」
とのことです。
Q太郎もこの手のネットニュースは何度も目にしたことがあります。この手のニュース、結構昔からありますよね。ネットがあまり普及していない頃だったら、週刊誌とかでこの手の記事があったりしましたしね。
そんな感じで、「妊婦に席を譲らない冷酷な乗客」や、「自由席なのに子どもを膝の上に抱かず、一席分を占領する親」が登場します。 こうした対立構造を煽る記事が出るたびに、コメント欄は罵詈雑言で埋め尽くされるのは目に見えているわけです。
しかし、この問題の本質は「席を譲るべきか、否か」という道徳論ではありません。質問者様が指摘されているとおり、「自分の財布を痛めないために、他人のリソースを強奪する歪んだ節約」にあります。
今日は、この新幹線の席譲り論争をもとに、私たちが知らず知らずのうちに陥ってしまう「みっともない節約」についてお話しします。
ネットニュースの欺瞞:正義を装った「叩かせビジネス」
まず大前提として、記事の内容以前に、私たちが最初に疑うべきは、この手のニュースを流し続けるネットメディアの姿勢とは思います。
一見すると「マナーや道徳を考える」という高尚な目的を装っていますが、中身はあからさまな「大衆の分断と怒りを利用した、アクセス数稼ぎのマッチポンプ」です。
「妊婦を譲らない奴は不謹慎だ」と正義漢を怒らせるか、あるいは「最初から指定席を取れよ」とコメント欄で妊婦側を叩かせるか。どちらに転んでもメディア側には莫大なページビューと広告収入が転がり込みます。量産されている以上、ある意味、「PV稼ぎのおいしい記事」なのですね。
この仕掛けに気づかず、メディアが用意した土俵の上で「譲るべきだ!」「いや指定席を取らないのが悪い!」と血相を変えて泥仕合をしている時点で、私たちはメディアの良いように扱われているとも言えます。一度、この不毛な金網デスマッチから冷静に降りて、構造を俯瞰してみましょう。
「事実」なのか?という問題
そして「そのエピソード、本当に実在するのか?」という点です。
この手のニュースで、「指定席取れよ」というコメントが出てくることは予想されていますので、すでに先回りして、「指定席を取れない理由」を設定しておく記事を見たことがあります。
その内容ですが、「妊娠9ヶ月の妊婦が、祖母が病気で急いで新幹線に乗らなければならず、指定席が空いていなかったから自由席に乗った」と書かれていました。Q太郎的には「そう来たか」という感じですね。ライターは「指定席取れよ」のコメントを、前もって潰しにいったわけです。
しかし、いろいろとツッコミどころがあります。妊娠9ヶ月といえば、いつ産まれてもおかしくない臨月直前です。そんな超ハイリスクな状態の妊婦が、いくら身内の急病とはいえ、たった一人で新幹線に飛び込んで、病院へ向かう必要があるのでしょうか。
もし指定席が満席なら、次の便やその次の便の指定席が空くまで、ホームで待てばいいはずですし、そもそも体調を最優先して、移動を控えるのが現実的な判断です。
そんな状況で、見舞いに来られた祖母も良い気はしないとは思いますね。Q太郎が祖母だったら、「ふざけんな!来るんじゃね!」と怒りたくなります。年老いた自分が理由で、孫に何かあったら大変ですしね。本当に冗談ではすまないと思います。見舞いに来てもらっても、ありがた迷惑です。
そんな感じでツッコミどころが多いので、こういうのはノンフィクションではなく、ライターがアクセス数を稼ぐために仕立て上げた、「創作話」である可能性が極めて高い気はします。
「妊婦」「新幹線の自由席」「席を譲らない冷酷な乗客」――。 大衆が最も感情を揺さぶられ、怒りのコメントを書き込みたくなる「役者」を机の上で並べ替えただけの、安易なコタツ記事。
この土俵の上で「譲るべきだ!」「いや妊婦側が悪い!」と血相を変えて泥仕合をしている時点で、何かもう、メディアの手のひらで転がされている感じはあります。
席を譲ることの「コスト」を無視した綺麗事
ここで話を戻しまして、「節約とコスト」の話をしましょう。こちらが今回の本質の部分です。お金の哲学のチャンネルですしね。
そもそも、新幹線における「席を譲る」という行為は、通勤電車の10分、20分の話とはワケが違います。
新幹線は長距離移動の手段です。たとえば東京〜博多間を移動する人が、途中の名古屋あたりで「どうぞ」と席を譲ったらどうなるでしょうか。残りの数時間、下手をすれば立ちっぱなしで移動し、自分の体力と精神を限界まで消耗することになります。到着後に仕事があったりしたら、体力が持たない可能性もあります。
自由席の特急券を買い、何十分も前からホームの行列に並び、自分の「時間」と「体力」を投資して正当に確保した席なのかもしれません。苦労して、お金以外のコストを払って、勝ち取った席なのかもしれないのですね。それは周りからは、絶対わからないことです。
そうやって苦労して勝ち取ったかもしれない席に座っている人に対して、「弱者がいるんだから譲るのが当たり前だ」と外野から綺麗事を押し付けるのは、他人が支払った正当なコストの「強奪」にほかなりません。
自分が数時間立ち尽くすリスクを背負いたくないから、席を譲りたくない。そう思う人が出てくるのは、人間として極めて自然で、合理的な反応なのです。それだけ苦労して得た席かもしれませんしね。まわりの人は、そういう個人的な事情がわからないので、好き勝手なことを言えるわけです。
たとえば、「新作ゲームの発売日」を想像してみてください。 どうしても欲しい限定版のゲームを手に入れるために、自分が前夜や早朝から、冷たい風に吹かれながら何時間も行列に並んでいたとします。自分の時間と体力を限界まで投資して、ようやく先頭集団のポジションを勝ち取ったのですね。
そこへ、開店直前になって子ども連れの親が、あなたのところへやってきて、こう言ったらどう思うでしょうか。 「うちの子がこのゲームを欲しがっているんです。子ども相手なんだから、その先頭の席を譲ってあげるのが、大人としての優しさじゃないですか?」――。
これに応じる義務が、苦労して何時間も並んだあなたに、果たしてあるのでしょうか?
どれだけ子どもが可哀想に見えようとも、早くから並んでいた人が得た「先頭の権利」は、その人が支払ったコストに対する正当な対価です。それを「優しさ」や「道徳」という綺麗な言葉でコーティングして、無償で明け渡せと迫るのは、ただの「理不尽な搾取」でしかありません。
新幹線の自由席も、構造はこれと似たようなものです。 自分が数時間立ち尽くすリスクを背負いたくないから、席を譲りたくない。そう思う人が出るのは、人間として極めて自然で、合理的な反応なのです。
そしてまわりの人達は、どれだけ苦労して取った席なのかを知らない。だから「コスト」の話ではなく、「道徳」の話にしてしまうのですね。
他人の善意を「予算」に組み込む、貧しい節約術
では、質問者様のおっしゃる通り、妊婦の方や小さな子ども連れの方が、混雑が予想される時期に、新幹線の「自由席」を選ぶというのはどういう状況なのでしょうか。
お腹に赤ちゃんがいる、あるいは小さな子どもを連れている。その状態で新幹線に乗れば、どれだけ体力を消耗するか、どれだけ周囲に気を遣うことになるかは、乗る前から100%分かっている事実です。
ちなみに東京ー新大阪間の新幹線の自由席と指定席の差額ですが、調べたところ、自由席が1万3,870円、指定席が1万4,720円です。差額は850円ですね。1000円もしないわけです。家族3人でも2,550円ですね。飛行機のファーストクラスとエコノミークラスの金額差ならまだしも、数百円や数千円で人生が変わったり、破産したりはしないわけです。
にもかかわらず、指定席料金をケチって自由席に乗り込み、「誰かが席を譲ってくれるだろう」「周りが配慮してくれるだろう」と期待する。これは、「他人の善意や優しさ」を、あらかじめ自分の節約プランの「予算」に組み込んでいる状態です。
これを経済学の用語では「外部不経済」と言います。要するに、「自分のサイフを痛めないために、節約するために、周囲の人間に対して肉体的・精神的なコストを不当に押し付けている」状況なのです。
これは「節約」でも「資産形成」でもありません。ただの「他人のリソースの搾取」です。
「みっともない節約」と「意思の消費」の境界線
資産を築くために、無駄な支出を徹底的に削る姿勢は素晴らしいものです。Q太郎もこれまで何度も「不買」や「断捨離」の重要性を説いてきました。しかし、その節約はあくまで「自分の生活の範囲内」で完結すべきです。
営利目的の企業相手であれば話は別ですよ。彼らは、あえて自分たちがコストやリスクを背負うことでお客さんを集め、最終的に利益を得るビジネスをしているからです。企業相手なら「基本無料」のまま、相手にコストを払わせて終わってもいいわけです。それ込み込みでのビジネスモデルなので、そのことに対して過剰に気を遣う必要はありません。ちゃんと利益を出せるように計算しているはずです。
ですが、新幹線の車内で隣り合っただけの、1円の利益も得られない「赤の他人」に対して、自分の都合でコストを押し付けるのは間違いとは思います。
「自分さえ安く済めば、周りがどうなろうと知ったことではない」。 「他人に迷惑をかけてでも、1円でも多くサイフに残した方が勝ちだ」。
もしそのような思想でお金を貯めているとしたら、それはお金を守っているのではなく、自分自身の人格や品性をドブに捨てているに等しいことになります。
前回の動画でお話しした「スペンド・シフト」ですが、私たちは消費を「義務の消費」と「意思の消費」に切り分けるべきだと言いました。
このような場面こそ、自分たちの安全と快適さ、そして周囲への余計な負担をかけないために、「指定席」という「意思の消費」にお金を投じた方が良いとは思います。言うても、せいぜい数百円とか数千円の差ですよ?飛行機のファーストクラスみたいに、何十万円や何百万円も違うみたいな話ではないのです。
自分が得するためにその程度のコストを、何の利益も得られない「赤の他人」に払わせようとして、払わなかったら「冷たい」「道徳的におかしい」とか言い出すのは、本当に道徳的にどうかとは思います。
「お金がないから自由席で我慢する」という「義務の消費」になるのではなく、「自分たちの尊厳と周囲の秩序のために、あえて指定席の価値を買う」というコントロール権を持った選択をする。それこそが、「意思の消費」ではないかと思います。
他人の優しさを搾取するな
他人に有形無形のコストを押し付け、他人の善意や優しさをフリーライダーのように搾取して浮かせた、わずか数百円、数千円のお金。
「自分さえ安く済めば、周りがどうなろうと知ったことではない」 ーーそんな冷酷で身勝手な方法で積み上げた資産の数字を、毎晩ベッドの中で眺めて、その人の人生は本当に満たされるのでしょうか。画面の中の数字が増えることと引き換えに、自らの人間性や品格をすり減らしているのではないでしょうか。
本当のFIRE民、本当の賢い投資家というのは、守銭奴のように1円を惜しんで周囲に不快感を撒き散らす人のことではありません。そんなものは、ただのお金の奴隷です。
賢い投資家は、お金の性質を誰よりも深く理解しています。 だからこそ、大企業が仕掛ける巧妙な見栄の広告や、世間の同調圧力といった「義務の消費」にはお金を払いません。
しかし、自分や家族の安全、快適な移動時間、そして社会の秩序や他者への敬意を守るためのコスト――すなわち「意思の消費」に対しては、喜んで、どこまでもスマートにサイフを開くのです。
東京〜新大阪間の指定席と自由席の差額は、わずか850円です。 この1,000円にも満たない金額を投資することをケチり、満席の車内で周囲に有形無形のプレッシャーをかけ、他人の善意をあてにしてハラハラしながら移動する。そんな「目先のお金は残るが、精神的リソースを激しく消耗する選択」は、投資効率の観点から見ても最悪の暴挙と言わざるを得ません。
他人の優しさを搾取するような「みっともない節約」からは、さっさと卒業したほうがいいでしょう。 私たちが目指しているのは、単に「口座残高が多いだけの冷酷な金持ち」ではないはずです。自分のお金の使い方に100%の主権を持ち、哲学を持って自らの資産と人生をコントロールしていくこと。その境界線の中にしか、真の経済的自由は存在しません。
皆さんは、この「新幹線の席譲り論争」の裏に潜む、節約やお金のあり方についてどう思われますか? あるいは、周りから「そこまでしなくても」と言われようとも、自分の中で「ここには絶対に一線を引いてお金を惜しまない」と決めている、あなただけの「意思の消費」はありますか? ぜひ、コメント欄で皆さんのお金の哲学を聞かせてください。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
