お金持ちの言う「お金は重要じゃない」は戯言?【FIRE/退職/仕事】
新NISA一括投資→即毎月定率取り崩し運用中のQ太郎です。
今回は、超絶お金持ちが「お金は重要じゃない」「お金より大切なものがある」というのに対して、「それはお前が金を持っているからだろ」という反論についてです。
本記事をYouTube動画で観たい方はこちらのリンクから。
お金は重要じゃない?
こんなご質問をいただきました。
「質問させてください。前から疑問に思うことがあります。
よく「お金は重要じゃない」「お金よりも大切なものがある」との立派な説教をする方たちがいますが、そう言う人達は大体お金持ちです。
お金があることによって経済的にも心にも余裕ができているため、「お金は重要じゃない」という戯言を言えるのではないかと思っています。毎回こういう意見を聞くと、それは「お前がお金を持っているからだろ」と突っ込みたくなります。
現実問題、明日の食べ物も有るか無いかも分からないような生活をしている人の場合、やっぱりお金が重要です。お金が無いと飢え死にします。
日本は増税と低賃金が続いたことで可処分所得が少なくなり、食費を払うだけでも大変という家庭も多くなりました。
「衣食足りて礼節を知る」と言いますし、まずはお金、そのあとのことはそのあとで考えるのがいいでしょう。
それなのに今の日本は、貧しい人達に対して「お金は重要じゃない」ということを言って、今の境遇に満足させようとします。お金を稼ぐモチベーションを減らしてしまうことにもなりかねません。
Q太郎さんはこのような風潮をどうお思いでしょうか。お金が無いような状況でも「お金より重要なものがある」とお考えでしょうか。」
とのことです。
こういうの昔ありましたね。2017年ごろに、どんどん経済的衰退の進んでいる日本に対して、東大名誉教授である社会学者の上野千鶴子さんが「みんな平等に貧しくなろう」と言って炎上したみたいな事件がありました。
炎上した理由ですが、上野教授自身が高給取りであり、BMWを乗り回し、タワマン暮らしな上に別荘まで持っているという大金持ちなわけで、そんな羽振りのいい生活をエンジョイしているブルジョワな人が「みんな平等に貧しくなろう」と言っても「ふざけんな!」という話にしかならないわけです。
まあ、低賃金で食うや食わずやの生活をしている人たちにとっては、金持ちの戯言にしかならないので腹立たしくは思えますね。「みんな平等に貧しくなろう」と言っても、多くの人たちはべつに貧しくなんかなりたくないわけです。
それで今回はそういう感情的な話ではなく、この金持ちと一般人の温度差がどこから出てくるのかを客観的に考えていきます。
必要なお金とは?
「お金は重要じゃない」という話ですが、畑を耕したり狩猟をしたりで自給自足生活ができている人は例外として、そういう人以外はある一定の生活水準まではお金が必要になります。じゃないと、そもそも生活ができませんしね。
そのため、一定水準までは、お金を稼げば稼ぐほど線形的に幸福度が上がっていくのは間違いありません。この水準にいる人たちにとっては、やはりお金は大切なのです。
じゃあいくらまでお金が必要かと言えば、「衣食住が過不足なくそろうまで」ですね。これがそろわないと人は不幸を感じますので、そこまではお金が幸福度を上げます。正確に言えばマイナスの状態をゼロまで持っていくということですね。ここまでは稼げば稼ぐほど幸福になります。
ただこの「衣食住が過不足なくそろうまで」の一定値を超えてしまうと、これ以上はお金を稼いでも幸福度は上がりにくくなります。
しかしこの「衣食住がそろうまで」が具体的にいくらまでなのかは、人によって違うでしょう。外食が多い人や、着るものにやたらとこだわる人、タワマン以外住みたくないみたいな人は、衣食住がそろうまでのコストはかなり高くなります。
ただ平均的な金額というのはある程度試算されていて、例えば有名な心理学実験で、「年収800万円までは幸福度が上がるけど、800万円を超えると幸福度に大きな変化が見られなくなる。1000万円を超えるとほぼ上がらなくなる」というのがあります。
なんで800万円かというと、これはようするに「年収800万円あれば衣食住には困らなくなる」という話です。あくまで平均値ですが、この年収まで行けば、衣食住の心配は無くなるという話ですね。ようは生活への不安が無くなるわけです。
800万円を超えてから幸福度が上がりにくくなるというのは、ようするに「お金を使って幸福度を上げるのが難しくなる」という話にもなります。「お金を使って」という部分が重要であって、お金を使うことでのコスパが悪くなっていくのですね。
衣食住の心配がある段階だと、1000円で食料を買えるだけでうれしく感じますので、お金を使うことのコスパがいいわけです。ちょっとしたものを買ってもうれしいわけですね。たまにすいかとかブドウとかおいしいものを買えるだけでうれしいのです。せいぜい数百円とか数千円なのでコスパはめちゃくちゃいいわけです。
ただ衣食住がそろった状態だと、次何買うかと言えば、高級車とか宝石とか旅行とか、「あってもなくても困らないようなもの」です。
仮に5000万円の高級車を買ったとします。たぶんうれしいのは最初の何日かぐらいで、あとは所有することに慣れてしまいますの幸福度は落ちていきます。5000万円もかけても、たいして幸福度が上がらないのですね。正直5000円ぐらいの衣服を買ったりするのおなじようなもので、最初はうれしいけど、何日かすればどうでもよくなってきたりします。
自分の好きな5000円の衣服を買うのも、5000万円の高級車を買うのも、幸福度の面ではほぼ変わらないので、コスパが悪すぎるわけです。
そして衣食住が足りると、そこまで頑張って働く必要もなくなるので、訪れるのは「退屈」です。その退屈をどう解消するかで、人によってはゲームをやったり映画を観たり漫画を読んだりで、「それ、べつに金持ちじゃなくてもできることじゃね?」となってしまうわけです。
つまり給料がいくら上がろうと、やってることは誰でもできるようなことばかりなのですね。だからある程度の年収までいくと、何をしても大して幸福にはなりづらいのです。
この段階になると「お金は重要じゃない」「お金で幸せは買えない」と言い出したくなるわけです。とくに現代は質のいいモノやサービスを低価格で提供できてしまうので、お金をたくさん持っていても「金持ちにしかできないこと」が無くなってきてしまっているのですね。
何億もする美術品も、美術館の数百円から数千円の入場料を払えば見られますし、ネットをぐぐっても見られます。映画だってネトフリとかアマゾンプライムとかで低価格で観られるわけです。ゲームなんて、金持ちが買おうが貧乏人が買おうが、5000円のゲームは5000円ですしね。
お寿司にしても、すきやばし次郎とか6万円とかしますが、くら寿司で1000円ぐらいで食べたものの60倍うまいかと言えばそんなことはまったくないわけで、コスパが悪いのです。そもそも6万円ぐらい働いている人なら払える程度の金額ですし、どうしても食べたければ、高校生のバイトでも貯金して食べに行ける程度のものでしかありません。その程度のものしかこの世には無くなってきているわけです。
けっきょくのところ、「何かのバージョンアップ」程度の話でしかなくなってきています。バージョンアップの方を買おうとすればコスパが悪くなるわけです。
車でも「モノを運ぶ」という機能は普通の車も高級車もおなじわけで、「バージョンアップ品」である高級車を買うことは、機能面からすればコスパが悪いわけです。
家だって「雨露をしのげる」という目的なら、ワンルームマンションでもタワマンでもおなじですしね。タワマンはバージョンアップ品でしかないわけで、コスパは悪いのです。
衣服も、金持ちもユニクロ着てますし、食べ物だってたまには卵かけご飯を食べたいでしょう。毎日胃もたれするようなものを食べているわけではありませんしね。
つまるところ「金持ちにしかない買えないもの」「金持ちしか買えない幸福」みたいなものは、世の中が便利になればなるほどどんどん失われてしまいます。
そうなるとお金持ちは言いたくなるわけです、「お金は重要ではない」「お金で幸せは買えない」と。実際に買えるものありませんしね。お金持ちの戯言ではなくて、ガチでお金で買うものがないのです。
お金持ちはどうすればいいのか
そんなわけで、衣食住が足りるまではお金を稼ぐほど幸福度は上がりますので、お金によるコスパがすごくいいわけです。
しかし衣食住がそろうと、途端にお金で幸福を買うことのコスパが悪くなります。いわゆる「機能はおなじなバージョンアップ品」をコスパ悪い値段で買うことぐらいしかできません。
あとは旅行に行きまくるとかですね。ただ海外旅行もいまは安くなりましたし、金持ちじゃないと行けないわけでもありません。世界一周でも数十万円でできますしね。
金持ちのできることは、せいぜいファーストクラスに乗るとかぐらいです。けっきょくコスパの悪いバージョンアップ品を買うしかないわけです。ファーストクラスと言っても、しょせん狭い飛行機の中なので、漫画喫茶のブースレベルのものでしかありません。コスパ悪いわけです。
エコノミークラスでも映画を観たりはできるので、エンタメ方面だと何のメリットもありません。それがわかっているので、お金持ちでもエコノミークラスしか乗らないという人も結構います。お金持ちほど逆にコスパに敏感ですしね。
それじゃ衣食住が足りたあとはどうすればいいかと言えば、お金でどうこうするのはコスパ悪いので「お金を使わない幸せ」を考える必要があります。ここから先はお金に頼ってもどうにもならないのです。
そうなるとゲームや読書を始めてみたり、趣味をやってみたり、散歩や運動してみたり、ヨガや瞑想してみたりと、どんどんお金を使わない方向へと進んでいきます。そもそもお金を使わないからお金持ちになれたので、そのシビアさがよけいにシビアになっていきます。
インドに、仏教よりも禁欲を重視するジャイナ教という宗教がありますが、信者に金持ちが多いことでも知られています。「禁欲なのになんで金持ちが多いんだ」と思うかもしれませんが、ジャイナ教はもともと商人など商業に従事する人達が多く、子供の教育が重視されてきました。字の読めない人が多かった時代に、信者の識字率がめちゃくちゃ高かったのですね。
そのため信者やその子らは現代インドにおいても、金融関係者や医者・弁護士など高収入の職業に就く人が多い一方、禁欲・不殺で断食もしますし肉も食べませんしお金もほとんど使いませんから、結果的にお金が貯まる一方になります。そのぶん寺院や社会福祉への多額の寄付をするなど、社会貢献をしています。寄付が多いこともジャイナ教の特徴ですね。
物質的な豊かさよりも、精神的な豊かさを重視する生き方をしています。ある意味、お金持ちの良い生き方とも言えるかもしれません。
自分の衣食住がそろったら、あとは他者貢献した方が幸福度が上がることは様々な心理学実験でも証明されていますしね。「自分のために500円使うより、他人のために500円使った方が幸せになれる」というのもそうですね。
まとめ
そんなわけでまとめると、
・衣食住が足りるまでは、お金が増えれば幸福度も線形的に増えていく。
・衣食住が足りたあとは、お金による幸福度のコスパが悪くなる(年収800万円あたりから横ばいになっていき、1000万円越すとほぼ横ばいになります。投資したお金からの幸福度のリターンが悪いのですね)。
・現代社会はモノやサービスが安く手に入るため、お金持ちにしか買えないものはどんどん無くなっている。「機能の同じ、コスパの悪いバージョンアップ品」を買うしかなくなる。
・衣食住が足りたあとは、お金に頼らない幸せを見つけるしかなくなる。
・自分のために使うより、他者貢献した方が幸福度が高い。
となります。
そんなわけで、衣食住が十分でない人たちからすると、お金と幸福度は直結していますので「お金は重要だ」になりますし、すでにそれらが満ち足りたお金持ちからすれば、これ以上のお金はひたすらコスパの悪いものを買うぐらいしかなくなるので「お金は重要ではない」「お金では幸せになれない」という話になってしまうわけです。この境が、あくまで平均値ですが、年収800万円から1000万円を超えたあたりからになりますね。
そのため、「お金が重要ではないというのは、金持ちだから言えることだ」というのも間違っていませんし、「お金では幸せになれない」も衣食住が足りたあとの話なら間違っていません。
「衣食足りて礼節を知る」の言葉のように、最低限のところまではやはりお金が重要になります。幸福度にもつながってきますので、そこまでは何とかする必要があります。
ただ別に全員が800万円以上稼げという話ではなく、人によって「この程度あれば満足」というラインはあります。「一か月10万円で暮らせて満足」という人は、年間120万円以上あればそれで衣食住ラインは突破できるので、それ以上はお金に頼らない幸せな生き方を探す方がコスパが良いのですね。
人それぞれ衣食住ラインは違いますので、自分の衣食住ラインを見極めて、それ以上に関してはお金に頼らないコスパのよい幸福度の上げ方を模索した方が合理的と言えます。