【お金の世界史#1】ドイツのハイパーインフレをわかりやすく解説

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hyperinflation

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今回はエンタメ的な新コーナー「お金の世界史」と称して、史上最悪といわれるドイツのハイパーインフレがなぜ起こったのかについてわかりやすく解説していきます。

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ドイツのハイパーインフレ

さて、ハイパーインフレと言えば、近年ではジンバブエの方が有名になっていますが、それ以前はハイパーインフレと言えばドイツでした。

ドイツは第一次世界大戦で敗れたのち、ベルサイユ条約によって賠償金総額が1320億金マルクとなり、国民総所得の2.5倍ほどの莫大な賠償金を課せられました。

日本で考えれば、昨年の日本の国民総所得がだいたい625兆円なので、これの2.5倍は1563兆円という金額です。日本の年間予算が110兆円ぐらいなので、だいたい14~15年分ぐらい払わなければなりません。赤ん坊から老人まで、国民一人当たり1250万円ぐらいの金額ですね。

イギリスの経済学者であるケインズは戦時中のドイツ経済を分析し、「支払い能力そんなにないし、取りすぎだから減らせ」と指摘していたのですが、政治家たちはガン無視していました。ちなみにケインズ案だと「現実的には20億ポンド、高めに見積もってもせいぜい30~40億ポンド」としていたのですが、政治家たちは240億ポンドを提出していました。

そんなわけでドイツは多額の賠償金を払わなくてはならなくなったため、紙幣を大量発行して外貨を買い集めました。こうして紙幣の価値がどんどん下がっていきます。

ただ、この賠償金自体で一気にハイパーインフレが起こったわけではありません。問題はイギリス・フランス・アメリカなどの動きです。

イギリスとフランスは、ドイツに勝ったのはいいものの、戦争で多額のお金を使ってしまい、さらにアメリカから借金もしていました。

とくにフランスは、ドイツと接する国土が戦場になっていたため、これを復興させるためにお金が必要です。ドイツからの賠償金は、何が何でももらわなければいけない状態だったのですね。国土が戦場になっていないアメリカやイギリスとは、賠償金に対する深刻度が違うわけです。

当然ドイツの方も戦後なので、そんなにすぐに多額の賠償金を払えるわけでもありません。最初の1921年分の賠償金は何とか払えていたのですが、1922年以降からは厳しくなってきたので支払いの猶予をフランスに求めました。

ところがフランスはこれを拒否。そして何をしたかと言えば、ベルギーと結託してドイツのルール地方を占領しました。このルール地方は、ドイツの石炭の73%、鉄鋼の83%を産出する地域だったのですね。お金が無いなら差し押さえというやつです。

これに対してイギリスとアメリカは「やりすぎやろ。国がつぶれたら何も取れなくなるぞ」ということで反対していたのですが、フランスとしては「お前らと違って、こっちは国土が戦場になってるんだ」と聞きません。

一方のドイツは、ルール地方の労働者にストライキを起こすよう指示して、フランスの占領に抵抗させます。ただしその間の労働者の給料は、ドイツが払っていました。

しかし石炭の供給源であるルール地方をおさえられたことによって物資不足が加速し、物価高を招きます。そのうえ、ストライキをしている労働者たちの給料や、国土復興のためにどんどん紙幣を印刷し続けていたため、「物不足+紙幣刷りすぎ」でハイパーインフレに突入しました。

1923年1月では1ドル=1万7792マルクでしたが、11月には1ドル=4兆2000億マルクにまで達してしまいます。1920年に3.9マルクだったタマゴ10個の値段が、1923年には3兆マルクにまでなってしまっていました。最終的に50兆マルクの紙幣とかが発行されました。

ちなみにこの1920年代のドイツ企業の株価は、通貨安で爆上がり状態でした。ただそれでも物価高に追いつけなかったのですね。

しかもこの状況においても、フランスは一切手をゆるめません。まだ駆け出しのヒトラーによるミュンヘン一揆が起こったのもこの1923年ですね。ヒトラーは失敗して捕まって投獄されています。

ここで介入したのがアメリカです。アメリカの財政家財政家チャールズ・ドーズが「ドーズ案」を提案します。

フランスやイギリスは多額の戦費をアメリカから借りていたので、ドイツがつぶれてしまうと連鎖的にアメリカもフランスやイギリスから借金をとりっぱぐれてしまうわけです。

そこでまずアメリカがドイツに融資をし、その資金でドイツが経済の立て直しをおこない、イギリス・フランスに賠償金を支払います。そしてイギリス・フランスはアメリカに借金を返し、アメリカはまたドイツに融資をするという経済循環をつくるのですね。

フランスはこれをしぶしぶ了承し、やがてルール地方を占領解除します。

そんなわけでドイツもなんとか経済を立て直し、国際連盟にも加入します。こうして世界に平和はおとずれたように見えたのですが、やがて先ほどの経済循環トライアングルが崩れることとになります。

1929年10月24日、「暗黒の木曜日」と呼ばれる世界恐慌の始まりです。アメリカのバブルがはじけてニューヨーク市場の株価が大暴落、翌週からは投げ売り状態となりました。

こうしてアメリカ経済が崩れたことで、アメリカから融資を受けていたドイツ経済も連鎖的に崩れ、さらにドイツから賠償金を受け取っていたフランス・イギリス経済も崩れます。経済トライアングルが負のスパイラルに陥ってしまったのですね。

アメリカの失業者は25%を超え、社会不安は増大していきます。そんななか、大統領選がおこなわれ、ルーズベルト大統領が誕生。「ニューディール政策」で経済立て直しをはかりますが、それはまた別の話になります。

まとめ

そんなわけでまとめると、

・ドイツは第一次世界大戦後、ベルサイユ条約によって多額の賠償金を課せられた。

・ドイツは紙幣を刷りまくって外貨を購入。賠償金の支払いに充てていた。

・やがて支払いが追い付かなくなるが、国土を戦場にされて復興資金が必要だったフランスはゆるさず、石炭・鉄鋼産出量の多いルール地方を1923年に占領。

・ドイツはストライキで対抗。しかしその間の労働者の賃金もドイツが払わなくてはならない。

・ルール地方をおさえられて物不足+通貨刷りすぎで、1923年1月では1ドル=1万7792マルクが、11月には1ドル=4兆2000億マルクのハイパーインフレになる。

・ドイツ企業の株価、通貨安で爆上がり。それでも物価に追いつかない。

・アメリカが介入し、「ドーズ案」を提案。アメリカがドイツに融資し、ドイツが経済を立て直して賠償金をフランス・イギリスに払い、フランス・イギリスはアメリカに戦時の借金を返すという経済トライアングルを作る。

・束の間の平和がおとずれるが、1929年にアメリカで株価大暴落。経済トライアングルが崩れ、世界恐慌へ。

となります。

そんなわけで、賠償金に関しては、戦争の被害を直接受けていたフランスと、そうでないアメリカとで温度差が大きかったことから、フランスが強硬にやりすぎたことがドイツのハイパーインフレを招いたとも言えます。ルール占領が決定打になりましたね。

ちなみに日本の状況ですが、通貨安+物不足の状態ではありますが、極端な物不足というわけでもないので、すぐにハイパーインフレに結びつくような状況でもありません。

ただやはり戦争とかが起こると、一気に物不足の加速や、それに伴って円の暴落もありますので、できるかぎり戦争がおこらないことを祈るしかありませんね。