【FIRE/退職】「買いたいものが買えて、行きたい所に行ける」は本当に自由?

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fire kaitai

新NISA一括投資→即毎月定率取り崩し運用中のQ太郎です。

今回は、「買いたいものが買えて、行きたい所に行ける」は本当に自由なのかどうかについてです。

本記事をYouTube動画で観たい方はこちらのリンクから。

「買いたいものが買えて、行きたい所に行ける」は自由?

こんなご質問をいただきました。

現在52歳で早期退職しました。会社の人間関係は悪くなかったのですが、これ以上仕事を続けることは精神的な負担が大きかった事と、まとまった資金といずれ受け取る年金もあることから、贅沢をしなければ問題無く暮らしていけると判断しました。

若い頃から貯金もしており、特にお金を使う暮らしをしている訳でもない為、「これ以上稼ぐ必要があるのか」という気持ちがずっと強くありました。今では会社を辞めて正解だったと思っています。

その一方で、心に余裕が出来てきたらまた働きに出てもいいかなと思っています。人との繋がりは必要なので、これまでやった事の無い仕事にチャレンジしてみたいと思っています。

それでよく投資インフルエンサーが言う「FIREすれば買いたいものが買えて、行きたい所に行ける自由がある」というのがあります。上手く言語化出来ませんが、この言葉に胡散臭さを感じます。現在FIREした身からすると、「FIREってそういうものじゃないんじゃないかな」という気がします。

別に買いたい物を好き勝手買える程お金を持っていませんし、そこまでして欲しい物もありませんし、毎日旅行して旨いものを食べるという生活にも一切の憧れが有りません。

そのため、実際にFIREしてみると、「買いたいものが買えて、行きたい所に行ける」が何か違うんじゃないかとしか感じないのですが、この言葉の胡散臭さはどういう理由なのでしょうか。

言いたいことが上手く伝わっていないかもしれませんが、よろしくお願い致します。これからも動画投稿頑張ってください。

とのことです。

まあ、なんかよくありますね、「買いたいものが買えて、行きたい所に行ける。だから投資で儲けるために私のメルマガに登録したり、オンラインサロンに参加したり、有料情報買ったりしてください」みたいな感じとは思います。それでこういう人のアイコンとかホームページって、だいたい海と青空をバックにしていかにもエンジョイしてますよみたいな写真が超高確率でありますね。そして自然の広大さを出すために人物は小さめに映す。海に向かってジャンプしてるとかそんな感じですね。そういうフォーマットになってるんでしょうね。「馬鹿だますなら海と青空をバックに写真撮って自由感を出しとけ。ついでにジャンプしとけ」みたいな感じとは思います。

ようするに「買いたいものが買えて、行きたい所に行ける」っていうのは、そういう情弱ビジネスのキャッチコピー的なものだと思った方が良いので、そこまでまじめにとらえなくていいんじゃないかとは思います。こういうものにあこがれる人たちを取り込むためのキャッチコピーですね。

個人的にもこういうのあまり好きじゃないので、オンラインサロンとかやりたくないですし、案件とかコラボとかもやりたくないですし、LINEに登録すれば有益な情報が得られますとかやりたくないですし、有料級情報とか世の中に存在するとはあまり思っていません。ググったらすぐわかるやんみたいなものがほとんどです。

なんか以前「有料級」とか書いているYoutube動画があって、観てみたら単にマイクロ法人で保険入っとけば節税ができるみたいな「だからググったらわかるやん」レベルの話でちょっとビビったりしました。

そんなわけで、暗号資産を買うようにすすめる一方、自分は売っていたりとか、こういう自分だけが得したい人たちにお金を出さないようにしていただければ世の中よくなるんじゃないかとは思います。

「買いたいものが買えて、行きたい所に行ける」の本質

これまで話したことはあくまで情弱ビジネスのキャッチコピー的な話でしたが、「買いたいものが買えて、行きたい所に行ける」の言葉の本質についても考えてみるといいでしょう。

「買いたいものが買えて、行きたい所に行ける」は、自由と言えば自由ですね。それは間違いないとは思います。

ただこの自由というのは、お金があった上での自由なので、いわゆるお金に依存した状態とも言えます。

自由な生活というのは、できるだけ依存を減らすことだとQ太郎は思っています。

家電なんかもそうですが、アフロ記者で有名な稲垣えみ子氏のように洗濯機や掃除機、冷蔵庫、炊飯器なんかの家電を無くして生活できるようにすれば、引越しも楽ですし、部屋選びの自由度も上がるのですね。すると海外で生活するのも楽なわけです。そういう家電を必要としないスキルを身に着ければ、それこそ「行きたい所に行ける」という自由な状態になります。

また以前も言いましたが、物を手に入れるには、「盗む」とか「奪う」とかの犯罪的な手段を抜かせば、「もらう」「借りる」「つくる」「買う」の4種類になります。この中で一番頭を使わない手段というのが買うですね。オランウータンでもチンパンジーでも、お金さえあれば買うことができるわけです。

今の社会だと、多くの人がお金が無いとモノが手に入れられないと思っているわけです。例えば刺身を食べたいのであれば、自分で釣るという方法もあるわけですね。野菜を食べたければ自分で育てるという方法もあるわけです。ベランダ菜園もできますし、食べられる野草を識別するスキルがあればお金なくても、災害があってもそんなに怖がらなくていいわけです。

塩漬けやぬか漬けのスキルがあれば、冷蔵庫が無くても食料保存ができますし、本来お金を稼ぐことよりも、そういうサバイバルスキルを磨いていくことの方が将来不安を消せるわけです。自分さえいればだいたいのことができるわけですから、お金が無くても、災害にあっても怖がらなくていいのですね。

そんなわけでFIREで経済的独立を果たしたのであれば、次はそもそもの経済からもできるだけ独立していくことが必要なんじゃないかとは思います。経済から完全な独立をすることは無理ですが、経済に依存しすぎない生き方というのは可能です。要は自分で食事を作ったりとか、自分で自分を養うスキルですね。

いろいろお騒がせな発言をしていた森永卓郎氏ですが、経済への依存を減らすために自分で畑を耕して自給自足の生活を行っていたことでも知られています。自給自足していれば、お金の価値が無くなろうが、何が怖くはありませんしね。

そのため「買いたいものが買えて、行きたい所に行ける」の本質というのは、お金に依存したうえでの自由なので、その依存を超えた先にしか自由は無いんじゃないかという気もします。「買いたいものが買えなくても、作ったりなんだりでなんとでもできる」とかのスキルを持っている人の方が本当の自由な人だとは思います。

まとめ

そんなわけでまとめると、

・「買いたいものが買えて、行きたい所に行ける」は情弱ビジネスのキャッチコピーとして使われることが多い。

・情弱ビジネスにお金を払わないことで、世の中が良い方向に行くかと。

・そもそも有料級の情報なんてほぼ無い。ググったらすぐ出てくるレベルがほとんど。

・「買いたいものが買えて、行きたい所に行ける」はお金に依存した状態での自由。

・お金や家電などへの依存を減らす(自分のスキルを磨く)ことで、生活の自由度は増す。

・ものを手に入れる方法は「もらう」「借りる」「つくる」「買う」の4種類。この中で「買う」が一番最悪な方法(オランウータンでもチンパンジーでもお金があれば買うことはできますしね)。

・経済的独立を果たした後は、経済からいかに独立するかを考えた方が良いかと。

・「買いたいものが買えなくても、作ったりなんだりでなんとでもできる」人が本当の自由人かと。

となります。

そんなわけで、現代社会はお金や便利な家電が中心で動いていますが、「本当に必要なのか」ということも考えつつ、無くても何とでもなるようなスキルを磨いておくのが良いんじゃないかとは思います。

FIREして時間があったら、洗濯機と掃除を無くして生活する実験でもしてみたらいいとは思いますね。ついでに家庭菜園したりとか、塩漬けやぬか漬けで冷蔵庫を使わないで保存するスキルを身に着けたり、食べられる野草を識別したりとか、そういうことに時間を使った方がゲームをやっている感じで楽しいとは思います。自分がレベルアップしていく感じですね。

そんなわけで、「買いたいものが買えなくても、作ったりなんだりでなんとでもできる」を目指してスキルを磨き、本当の意味での自由を手に入れていくのがいいんじゃないかとは思います。