【富の階段】お金をどこまで貯めればいいのか?出口戦略の正解と「階段を降りる技術」

okane oriru

取り崩し投資運用中のQ太郎です。

今回は、「お金をどこまで貯めればいいのか」ということについてです。

Youtubeで観たい方は以下のリンクから。

【富の階段】お金をどこまで貯めればいいのか?出口戦略の正解と「階段を降りる技術」
「お金をどこまで貯めればいいのか?」というご質問に対する動画です。録音できない環境なのでゆっくり実況形式(セルフボイス)でお送りします。チャンネル紹介ゆっくり実況形式(セルフボイス)についてTwitterとブログもやってます。今後ともよろし...
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私たちは「出口」のない迷路を走っていないか?

今回は、「お金をどこまで貯めればいいのか」ということについてです。

視聴者の方から、非常にシンプルかつ本質的なご質問をいただきました。

「お金は、結局どこまで貯めればいいのでしょうか?」

とのことです。ある意味、哲学的な問いでもありますね。

この問いに対する答えは、表向きには「人による」で終わってしまいます。

例えば、著名投資家のテスタさんは「死ぬ時に一番お金持ちでありたい」と語っています。投資というゲームそのものが生きがいであり、お金を使うこと自体に興味がないのであれば、それも一つの完成された生き方です。逆『Die with Zero』ですね。

しかし、多くの人は、お金を使うことに興味があるとは思います。「いつかはこのお金を使って、人生を豊かにしたい」と願っている。そのためにお金を貯めているのです。

しかし、気づけば「数字を増やすこと」そのものが目的化し、階段を降りるタイミングを見失っている。今日は、世界一の大富豪すら陥った「もっともっと」という渇望の正体と、蓄財という呪縛から自分を解き放つための戦略についてお話しします。

ロックフェラーの告白:なぜ「十分」は存在しないのか

20世紀初頭、世界最大の富を築いた「石油王」ことジョン・ロックフェラーという人物がいました。当時、石油業界を独占した彼は、現代の価値に換算するとビル・ゲイツら現代の億万長者が霞んでしまうほどの、人類史上でも類を見ない資産を保有していました。

そんなすさまじい世界一の大金持ちに、記者がこのような質問をしました。「ロックフェラーさん、あなたはすでに、一人の人間が一生かかっても使い切れない、いや、一つの国家を動かせるほどの富を手にしています。これほどの数字を積み上げて、まだ満足はされていないのでしょうか? 一体、いくらあれば『十分だ』と言えるのですか?

その問いに対して、ロックフェラーは鼻で笑うことも、怒ることもありませんでした。ただ、冷徹なまでに静かな、しかし確信に満ちた声で、こう囁いたのです。

「あと、もうちょっと欲しい」

Q太郎的には、これ、冗談じゃなくて、ガチで言っていると思います。

この言葉の恐ろしさが分かりますでしょうか。 彼は「あと1億ドルあれば」とか「資産が倍になれば」と具体的な話をしたのではないのです。「今持っている分よりも、あと少し」です。つまり、ゴールテープは常に自分の数歩先にあり、どれだけ全力で走っても、その距離は永遠に縮まらないことを、彼は誰よりも深く理解していたのです。

これはもはや、経済の話ではありません。人間の脳に刻まれた「生存本能という名のバグ」です。

仏教では、この「もっともっと」の欲望を「渇愛」と言います。どれだけバケツに水を汲み上げても、底に「渇愛」という名の穴が空いている限り、私たちは「満たされた」という感覚を味わうことはできません。欲望はきりが無いのですね。

「1億円あったら十分」という人が、いざ1億円を手に入れると、今度はそれを1億5千万円にしたくなります。1億5千万円にしたら、今度は2億円と、まあ、きりが無いわけです。

ロックフェラーは、その穴の大きさを世界で一番知っていたからこそ、あのような答えを返したのでしょう。 世界一の富豪が「足りない」と嘆くのであれば、私たち一般人が「もっと貯めれば安心できるはずだ」と信じることの虚しさが、より鮮明に浮かび上がってくるのではないでしょうか。

世界一の富豪ですら「足りない」と感じる。これは、私たちの脳に備わったバグのようなものです。

すでに見抜かれていた「渇愛」の存在

そして多くの哲学者は、この「もっともっと」の欲望を、何千年も前から見抜いていました。

初期仏教は先祖の霊とか魂とかみたいなスピリチュアルなものは無くて、完全に哲学の世界なのですが、そこでブッダは「人の苦しみの原因は『渇愛』である」と見抜いています。

先ほども言ったように、仏教では、この際限のない「もっともっと」という心理を「渇愛」と呼んでいます。喉が渇いて塩水を飲むように、飲めば飲むほどさらに喉が渇き、ずっと飲み続けなければならなくなる。

私たちが感じる怒りや嫉妬、不安、恐れといった心の悩みは、すべてこの「満たされないことへの渇き」から生じています。

私たちが「安心のためにあと1,000万円」と考え、それを達成しても、その瞬間に安心のラインは「あと2,000万円」へと上方修正されます。欲望にはゴールがない。このメカニズムを理解していない限り、私たちは一生、富の階段を登り続ける「蓄財の奴隷」として人生を終えることになります。

なぜ「富の階段」を降りるのが、登るより難しいのか

FIREを達成し、いざ「取り崩し」のフェーズに入った時、多くの人を襲うのは解放感ではなく「恐怖」です。

視聴者様のコメントにこのようなものがありました。

お金を墓場まで持っていけないのはわかっている。でも、証券口座の数字が減るのを見ると、自分の寿命が削られているような気がして、メンタルが病んでしまう。

このリアルな葛藤、痛いほどよくわかります。

お金を墓場まで持っていけないことは、人に言われるまでもなく、誰でも知っていることです。しかしそれでも、やはり数字が減るのは嫌なのですね。

なぜ階段を降りるのがこれほどまでに難しいのか。それは、数十年という年月をかけて、私たちが自分自身に「貯める=正義」「増える=生存の保証」という強力な教育を施してきたからとも言えます。

長年かけて作り上げた「蓄財の筋肉」は、いざ使おうとしても「減らすこと=悪」と認識し、生存本能にアラートを鳴らします。お金が減ることは、もはや単なる支出ではなく、「生存本能への攻撃」に近い恐怖として処理されるのです。

以前の動画で「所有はアイデンティティ」という話をしましたが、お金の所有はあなたの「アイデンティティ」と密接に結びついています。

「お金をたくさん持っている自分」というラベルで自分を定義してしまった人にとって、残高の減少は、自分という存在が目減りしていくような喪失感を伴います。

「資産5000万円以上」になって、準富裕層のアイデンティティを手に入れた人にとっては、その減らしたくないわけです。

アイデンティティを維持したいという欲求が、階段を降りる足を止めさせてしまうのです。

これは人間の防衛反応などの本能的なものなので、簡単にどうにかなるものではない気はします。世界一の大富豪であるロックフェラー氏ですら、「お金が足りない」と感じているのですからね。

『Die with Zero』の理想と、予測不能な「寿命」という壁

ビル・パーキンス氏の著書『Die with Zero』は、非常に論理的で理想的な人生戦略です。

しかし、この理論には致命的な弱点があります。 何度も指摘していることですが、それは「自分の寿命がわからない」という点です。

もし、自分が82歳の夏に人生を終えると正確にわかっていれば、Q太郎だって完璧な逆算計画を立てます。でも、実際には100歳まで生きるかもしれないし、明日終わるかもしれない。

この「不確実性」が、私たちを不安にさせ、保守的にさせます。 結果として、私たちは「物理的に安心して暮らせる金額」だけでなく、「心理的な不安を打ち消すための予備費」という、実体のないお金を抱え込むことになります。

この「安心料」をいくらに設定するか。 それは結局、あなた自身が「何に怯え、何に喜びを感じるか」という価値観に立ち返るしかありません。

ビル・パーキンス氏の『Die with Zero』という理想論が、なぜ現実の私たちの前で立ち往生してしまうのか。その最大の壁である「寿命の不確実性」と、そこから生まれる「心理的予備費」の正体について、さらに深堀りしていきます。

「安心料」という名の、終わりのない埋め立て工事

この「寿命がわからない」という不確実性は、私たちの家計管理に「無限のバッファ」を要求してきます。

物理的な計算、「月20万円で30年生きるなら7,200万円必要」という数字は、あくまで机上の空論に過ぎません。

私たちの本能は、その数字のすぐ後ろに潜んでいる「もし100歳まで生きたら?」「もし想定外の病気になったら?」という影に怯え続けます。

結果として、私たちは本来「人生を愉しむためのチケット」だったはずのお金を、心の不安という底なし沼を埋めるための「砂利」として使い始めてしまいます。

この「心理的な安心料」には、客観的な正解がありません。 1億円あっても「インフレが来たらどうしよう」と震える人もいれば、3,000万円で「なんとかなるさ」と笑って旅に出る人もいます。この差は、知識の量ではなく、その人が持つ哲学、そして「恐怖の解像度」の違いです。

私たちが向き合うべきは、銀行の残高を増やす方法ではなく、「自分は何を失うのが一番怖いのか」という自問自答です。「恐怖」を基準に考える必要があります。

孤独に貧しく死ぬことが怖いのか?それとも、やりたいことを全て我慢したまま、ただ数字だけを残して死ぬことが怖いのか?

もし、あなたが「数字が減る恐怖」を恐れてお金を貯め続けているのなら、それは「安心」を買っているのではなく、「不安という名の家賃」を一生払い続けているようなものです。

『Die with Zero』が教える戦略を、そのまま実行するのは確かに危険かもしれません。寿命がいつなのかわからないのですから、当たり前です。「よっしゃ! 使っちゃえ!」とはいかないわけです。

しかし、『Die with Zero』の戦略が私たちに突きつけている真の問いは、「寿命がいつ終わるか」ではなく、「今、この瞬間を、いくらの『安心料』と引き換えに犠牲にしているのか」ということだとQ太郎は思います。

その問いを、私たちの日常に転がっている「1,000円の選択」という具体例を通して深掘りしてみましょう。

1,000円の我慢は、何のための「節約」か

例えば今日、あなたは本屋で一冊の雑誌を見かけたとします。今の自分にとって非常に興味深く、ページをめくるだけで心が踊るような内容です。価格は1,000円です。

しかし、あなたはこう考えます。 「いや、1,000円あればS&P500が買える。これを30年運用すれば数倍になるかもしれない。老後の安心のために、今は我慢しよう」

ここで立ち止まって考えてほしいのです。 その1,000円を「安心料」という名の埋め立て地に放り込んだことで、あなたは「今日、その本を読んで得られたはずの知的好奇心や、明日からの仕事への活力」を、文字通りドブに捨てたことにならないでしょうか。

もし、あなたが明日、不慮の事故で人生を終えるとしたら、その「1,000円分の投資残高」は一体誰を幸せにするのでしょうか。 もちろん、無計画に浪費せよと言いたいのではありません。

問題は、「将来の正体不明の不安」というモンスターに餌をあげるために、あなたの「今という時間」を不当に安売りしていないか、ということです。『Die with Zero』の要点は、「今の時間を安売りする危険性」だとQ太郎は思うのですね。

「1,000円の雑誌。前から食べてみたかった料理。大切な人への一輪の花。 それらを「無駄遣い」と切り捨てて積み上げた数字は、あなたの人生を本当に豊かにしていますか?」という本質的な問いなのです。

それとも、ただ「残高が減らない」というだけの、消極的な安心感に依存しているだけではありませんか?

私たちはよく「お金を貯めてから楽しもう」と言いますが、時間は残酷です。 50代の今、1,000円で味わえる感動と、80代になってから同じ1,000円で味わえる感動は、全くの別物です。体力も、感性も、食欲も、時間とともに目減りしていくからです。

今日、あなたが我慢したその1,000円は、「人生で最も若い今のあなた」が受け取れるはずだった配当を、永久に失わせたのかもしれません。 「安心料」を積み立てるあまり、人生という劇場の最前列に座るチャンスを逃し、誰もいないロビーで残高通帳を眺め続ける。そんな「本末転倒な人生」を避けるために、私たちはもっと、「今」という通貨を自分自身の幸福のために両替えする勇気を持つべきなのです。それが『Die with Zero』の言いたかったことなのだと、Q太郎は思いますね。

寿命というブラックボックスを前にして、私たちができる唯一の対抗策。 それは、正体不明の不安に名前をつけ、自分にとっての「十分」というラインに、自ら線を引く勇気を持つこと。 「もしも」のために残すお金が、あなたの「今」という二度と戻らない時間を食いつぶしていないか。そのバランスシートを、私たちは毎日、自分自身の心の中でチェックし続ける必要があるのです。

階段を降りるための「心の安全装置」

「もっともっと」という渇愛に飲み込まれず、しなやかに富の階段を降りるために。 Q太郎から提案したい考え方が2つあります。

お金を「数字」ではなく「機能」として見ること。 口座の残高を「自分の価値」と見るのをやめましょう。お金はあくまで、あなたを上機嫌にするための「商品券」に過ぎませんし、生活を守ったり豊かにしたりするための「道具」でしかありません。資産形成しつつ、心のどこかで「しょせんは道具や商品券」と思っておくのが、メンタル的にも良いとは思います。

あとは、『Die with Zero』でも言われている「経験の配当」を大切にすること。お金を経験に変えると、それは「思い出」という、誰にも奪われず、目減りもしない資産に変換されます。若いうちに使ったお金は、その後の長い人生で「思い出の配当」を出し続けます。

蓄財の呪縛を解くのは、勇気がいります。 でも、「お金をいくら貯めたか」で人生の勝敗が決まるわけではありません。 「そのお金をいかに納得のいく形に変換できたか」。そこが、資産形成という旅の本当のゴールです。

皆さんは、自分の「安心のライン」をどこに設定していますか? 数字が減る恐怖と、どう折り合いをつけていますか? ぜひ、コメント欄で皆さんの「階段の降り方」を教えてください。

数字を味方に、そして自分の人生を自分の手で耕していきましょう。

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