
前回、コレクターに男性が多い理由について、所有欲という切り口でお話ししました。コレクションに対する男女差の話ですね。
その中で、男性は中年以降にコレクション趣味へ戻りやすい、という話をしたんですが、今回はそこをもう少し深く掘ってみたいと思います。
中年男性のコレクション欲というのは、単なる趣味というより、「人生の回収作業」になりやすいと、Q太郎は思っています。とくに50代を過ぎると、その傾向が強くなってきます。昔買えなかったものを買って、それで散財しまくるみたいな感じですね。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学チャンネルへ。賢く資産形成をしつつ、お金に悩まされないための生存戦略を日々発信しています。
今回は、50代から男性がコレクションにハマる5つの理由を順番に見ていきます。ハマるというか沼るみたいな感じもありますね。
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コレクションという行為の正体
まず前提として、コレクションには、かなり深い動機があると言われています。
自分らしさの表現や、自己肯定感の維持。人とのつながりや、競争。死や時間を超えて何かを残したい感覚。こういった動機を整理した研究もあります。
近年の研究では、コレクションは「完成に向かって集める行為」であり、完成に近づくほど、集める動機がさらに強くなることが指摘されています。また、コレクションは自己イメージやアイデンティティと結びつきやすいことも指摘されているんですね。
つまり、コレクションというのは、ただ物を増やす行為ではなく、自分が何者であるかを確認する行為でもある、ということです。以前も言いましたが、所有物というのは「拡張した自己」でもあるので、手や足のように自分の一部とも考えられるのですね。
所有物で自分を表現したりしますし、逆に所有物を取られることに対して、人は激しい抵抗を示すわけです。自分の一部が取られるようなものですしね。
ブルース・フッドの著書「人はなぜ物を欲しがるのか」で、お金持ちが、身の回りのものが入ったバッグを盗まれた話がありました。中身はすぐに買いそろえられるものばかりなのですが、そのお金持ちはずっと怒りを募らせていたのですね。これは所有物が自分の延長だからです。手や足を奪われるように、自分の一部を奪われたと考えてしまうのですね。どれほどの大富豪でも、ささいなものを盗られたら怒るわけです。お金の問題ではないわけです。
そんなわけで話を戻しまして、なぜ中年以降の男性に戻りやすいのか。その理由を五つ、見ていきたいと思います。
理由その一、子どもの頃の自分を回収する
理由の一つ目は、子どもの頃の未完了感を、大人のお金で回収できるからです。
子どもの頃は、欲しい物がたくさんあります。ゲームソフトとか漫画とかプラモとかですね。今プラモって流行っているのかよくわかりませんが、Q太郎が子供の頃はガンダムのプラモ、いわゆるガンプラが流行っていましたね。あと個人的に好きだったのはロボダッチというプラモです。接着剤無しで作れるのがよかったです。あとビックリマンシールも流行ってましたね。おっさんにしかわからない話ばかりですみません。
でも、子どもにはお金がありません。親に買ってもらえなかったり、友達は持っているのに自分は持っていなかったり、年に一回のクリスマスや誕生日まで待つしかなかったりですね。
案外こういう経験は、忍耐力とか工夫する力とか友達から借りる力が身について、結果的によかったということもありますが、この「欲しかったけど手に入らなかった」という記憶は、意外と残るんですね。
中年になると、ある程度お金があります。しかもネットがあります。昔欲しかった物が、メルカリやヤフオクとかで手に入る。
すると、子どもの頃の自分が急に戻ってくるわけです。
「これ、昔めちゃくちゃ欲しかったやつだ」「当時は買えなかったけど、今なら買える」「昔の自分に買ってあげたい」
これは、今の自分の欲望であると同時に、過去の自分を救う行為でもあります。
だから強いんですね。単なる買い物なら我慢できます。でも「子どもの頃の自分を成仏させる買い物」になると、かなり感情が乗ってしまうわけです。
ちなみにQ太郎的には、昔コロコロコミックで連載していた「あばれ隼」という野球漫画がまた読みたいですね。最近は電子書籍で出ているみたいですね。むちゃくちゃな魔球を投げて、それなりなロジックで打ち返すというのが面白かったです。機会があったら読んでみようとは思います。
理由その二、自分の連続性を確認する
おっさんになると昔のものが欲しくなる理由の二つ目ですが、中年になると、自分の人生を振り返り始めるからです。
若い頃は、前を見る時間です。進学とか就職とか、とにかく未来に向かって走っています。
でも中年以降になると、少しずつ時間の感覚が変わります。高かった意識はどんどん低くなっていて、まわりとの競争よりも、自分のペースで動けるようになってきます。
「自分は何が好きだったのか」「昔、何に夢中になっていたのか」「人生で置いてきたものは何か」「自分の本当の趣味は何だったのか」
こういう問いが出てくるんですね。
そのとき、昔好きだった物に戻る。ゲームとか漫画とか玩具とかですね。
これは懐古趣味というより、自分の連続性を確認する作業だと思います。
つまり、「今の自分は、昔の自分とちゃんとつながっている」と確認したいわけです。
中年になると、仕事上の肩書きや家族内の役割に、自分が押し込められやすくなります。そういう役割が増えるほど、「自分個人としての好きなもの」が薄くなっていく。
そこで、コレクションが「自分を取り戻す装置」になるんですね。昔の自分はこういうものが好きだったという確認作業なわけです。
理由その三、趣味が体系になりやすい
理由の三つ目は、男性は趣味を「物」や「分類」に変換しやすいことです。これは前回も話したことですね。
もちろん個人差はありますが、男性の趣味は、比較的、型番やシリーズ、年代、希少性と相性がいいものが多いんですね。
カメラや時計、カードや模型、オーディオ関係など。場合によっては、その希少性が資産になることもあります。
こうなると、趣味が自然に「体系」になります。体系になると、集めたくなる。欠けている部分が見える。穴を埋めたくなる。完成させたくなる。
これも前回言いましたが、近年の消費者研究でも、コレクションには「完成へ向かう」性質があり、完成が近いほどさらに集めたくなることが指摘されています。
なんかテレビCMで毎月模型のパーツが届いて、集めていくと完成させられるみたいなのありますけど、まさに人間のこういう性質を上手く使っていますね。途中まで集めたら、最後までコンプしたいというやつです。
さらに、コレクションは秩序や構造を作る行為でもあり、コントロール感を求める心理と結びつくと説明されているんですね。
ここが、中年男性とかなり相性がいいわけです。
中年になると、人生にはコントロールできないことが増えます。体力は落ちるし、仕事の先行きは読めない。親は老いるし、子どもは自立する。社会は変わるし、若い頃のように何でもできるわけではありません。
でも、コレクションの世界はコントロールできます。棚に並べられるし、番号順にできる。シリーズをそろえられるし、保存状態を管理できる。足りないものを探せるし、完成に近づけられる。
つまり、コレクションは小さな秩序なんですね。
人生全体は思い通りにならない。でも、この棚だけは自分の秩序で並べられる。これが、中年男性にはかなり効くのだと思います。
理由その四、男性は子どもの趣味に戻りやすい
四つ目は、男性は思春期に一度コレクションから離れても、中年以降にまた戻ってくるということです。
前回も言いましたが、女性は思春期以降、所有欲が別の形に移りやすいです。男性のように「物を分類して、シリーズとして保管し、棚に並べて完成させる」という形ではなく、もう少し生活や人間関係、自己演出、実用性に溶け込みやすいんですね。服とか、化粧品とか、バッグとか、アクセサリーとかです。
これらも立派な所有欲ですが、日常的に使いますし、外から見ると「コレクター」に見えにくい。日常的に着る服をたくさん持っている人を「コレクター」とは言わないでしょう。単に「服たくさんあるね」で終わるわけです。
また、女性は思春期以降、社会的に「かわいさ」「人間関係」「身だしなみ」「恋愛」「実用性」へ関心を向ける圧力が強くなりやすい面があります。そのため、子どもの頃のカードやシールのような収集行動が、いったん生活消費や自己演出の方へ吸収されるのだと思います。
一方、男性は思春期に一度離れても、中年以降に「昔好きだったものを、もう一度自分のものにする」という形で戻りやすい。
これは、男性の方が子どもっぽいというより、まあ実際子どもっぽいですが、男性の趣味文化が「子どもの頃の延長線上」に残りやすいのだと、Q太郎は思います。ゲームや模型、カードなど、これらは子どもの趣味から大人の趣味へ、かなり自然につながっているんですね。
理由その五、失われた主役感の回復
五つ目は、中年男性にとってコレクションは、「失われた主役感」の回復になることです。
若い頃は、人生の主役感があります。これから何者かになる。何かを成し遂げる。自由に選べる。未来が広がっている。
でも中年になると、現実が見えてきます。出世や収入、体力の限界。人生の残り時間や、社会での自分の立ち位置など。
そこで、コレクションの世界に入ると、もう一度主役になれるんですね。
自分が選ぶ、自分が探す、自分が語れる。そこには自分の世界がある。
これは、かなり大きいです。
現実社会では、自分が代替可能な存在に感じることがあります。でも、コレクションの世界では、自分は博物館の「館長」なんですね。自分だけの博物館を、自分の好きなようにつくることができるのです。
だから、中年男性のコレクションは、単なる物欲ではなく、自分の人生をもう一度、自分の手元に取り戻す行為になりやすいのだと思います。そう考えると、所有欲ともちょっと違う感じはしてきますね。
コレクションが自分を縛り始めるとき
ここからが、今回一番言いたいところです。
男性が中年以降にコレクションへ戻るのは、単にお金ができたからではありません。
昔買えなかったものを買っているようで、実は昔の自分を回収している。棚に物を並べているようで、実はバラバラになった自分の人生を並べ直している。
コレクションとは、中年男性にとって、小さな博物館であり、小さな王国であり、小さな自分史なんですね。
ただ、ここで危険なのは、前回もお話ししたように、過去の自分を救う買い物が、今の自分を縛ることがある、という点です。
昔欲しかったものを一つ買う。これはいいと思います。でも、それで終わらない。
あれも欲しかった。これも欲しかった。あのシリーズもそろえたい。限定版も欲しい。状態のいいものが欲しい。
こうなると、過去の自分を癒やしているのではなく、過去の自分に支配されている状態になってしまいます。貯金にはキリがありますが、人間の欲望はキリがないので、ちょっとぐらいならいいのですが、生活を崩すレベルにならないよう、どこかでストップをかける必要があるとは思います。
過去を掘り起こすのはいいですけど、過去の自分の願望をすべて叶える必要はないわけです。本当に今必要としているのかは、また別の話です。
人間、楽しくなると前頭葉の判断能力が弱くなって、お金を使うこと自体に抵抗がなくなったりします。そのあたりをどう自分で止められるかですね。過去の自分に財布を握らせるわけにはいかないわけです。
まとめ
そんなわけで、今回の話をまとめます。
中年男性のコレクション欲には、子どもの頃の未完了感の回収、自分の連続性の確認、趣味が体系になりやすいこと、女性とは違う所有欲の向かい先、そして失われた主役感の回復という、いくつもの理由が重なっています。
コレクションは、過去の自分を救ってくれることがあります。でも、過去の自分の欲望を全部叶える必要はありません。昔の自分が欲しがっていたものを、今の自分が本当に必要としているとは限らないからです。
大事なのは、過去の自分をなだめることであって、過去の自分に財布を握らせることではないと、Q太郎は思います。
皆さんは、中年になってから、昔欲しかったものを買い直した経験はありますか。よかったらコメント欄で教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
