50代から「好きなこと」を続けなくていい|趣味に飽きる自分を許せるか

【50代】好きだった趣味を続けなくていい|飽きるのは老化ではない
【毎日17時更新中!】たまに午前中にも追加投稿します。昔は夢中だったゲームやアニメを、今は楽しめない。趣味に飽きたのは「老化」なのか、それとも別の変化なのでしょうか。この動画では、・趣味が自分の名前になると、やめるのが怖くなる理由・好きだっ...

こんなコメントをいただきました。

「50代になると、趣味はだいぶ変わりますね。私はアニメを観なくなりましたし、ゲームもしなくなりました。どんどん老化している感じはあります」

とのことです。ありがとうございます。

趣味は年齢とともに変わっていきますね。Q太郎もRPGは遊ばなくなりましたし、アニメや漫画も、格闘ものとかはあまり興味がなくなりましたね。

三国志とか歴史が絡むものなら、読んで勉強にもなる部分もあるのでいいのですが、たんに「誰々が強い」みたいな格闘ものは、正直誰が強くてもどうでもいい感じがかなり強くなってきて、楽しめなくなりました。

ジャンプ系の格闘漫画がとにかくきつい。どうでもいい感がすごい。誰がランキング1位でもどうでもいい。昔はドラゴンボールとか楽しめていましたけどね。

恋愛ものとかもそうですね。正直どうでもいいという感じになってきました。

そんなとき、ただ「飽きたな」で終われれば、話は簡単です。

ところが、あんなに好きだった物を楽しめなくなった自分は、何か大切なものを失ったのではないか。質問者さんが「老化」という言葉を使っているように、年を取って、感性が鈍くなったのではないか。そんなことを考えたりするわけです。

音楽とかスキーとか、そういう技術の必要な趣味の場合は、あれだけ時間をかけたのに、もう興味がないなんて、自分の過去を裏切るような気もします。

趣味に飽きただけのはずが、自分は何者なのかという、ずいぶん大きな話になってしまうわけです。

Q太郎は以前、スキューバダイビングをやめたという話をしました。

40メートル潜れるライセンスとか取りましたが、なんか楽しめなくなったのですね。それでセット一式も全部売りました。

もちろん、昔は楽しめた時期もあります。しかし昔好きだったという理由で、今の自分に同じ遊び方をさせる必要があるのでしょうか。

そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。

今回は「50代から好きなことを続けなくていい」を深掘りしていきます。

・三つの話

今日は大きく三つ話します。

一つ目、なぜ趣味に飽きると、自分が変わってしまったようで不安になるのか。

二つ目、「好き」を続けようとするほど、楽しみが義務になること。

三つ目、過去の自分が好きだった物と、今の自分がどう付き合うかです。

最後に、趣味と自分らしさについて、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。

・一つ目・趣味が自分の名前になる

それでは一つ目、なぜ趣味に飽きると不安になるのかです。

人は自分のことを説明するとき、好きな物をよく使います。

ゲームが好き。映画が好き。旅行が好き。車が好き。読書が好き。

仕事や家族の話より、好きな物の話をしているときのほうが、自分らしいと感じる人もいるでしょう。

だから長く続けた趣味は、単なる遊びではなく、自分の名前の一部になります。

「自分は、これが好きな人間だ」

そう思って生きてきた人が、ある日、好きだった物に心を動かされなくなる。

すると趣味を失うだけではなく、自分の説明を一つ失ったような気分になります。

たとえば、若いころから音楽が大好きだった人が、最近は新しい曲をほとんど聴かなくなったとします。

新しい音楽についていけない自分を見て、「昔の情熱がなくなった」と思うかもしれません。Q太郎も、昔はよく音楽を聴いていましたが、最近の曲は全然知りませんね。

でも、好きだった音楽を今も同じ熱量で聴き続けなければ、当時の自分が嘘になるわけではありません。

その曲を聴いて元気になった日、その作品を待ちわびた夜は、確かにありました。

好きだったという過去は、今も好きでいることによって証明しなくても、消えないのですね。

50代になると、こういうことは増えると思います。

体力や生活環境も変わります。仕事が忙しかったころに欲しかった刺激が、今は少し重いこともあります。逆に、昔は退屈だと思っていた物が、今は心地よいかもしれません。

変化した自分を「老化した」と呼ぶ必要はないとは思います。

好みが変わることと、感性がなくなることは別です。

それなのに、昔のプロフィールを守ろうとして、「本当は今も好きなはずだ」と自分を説得し始めます。

趣味が自分の名前になると、その名前を失うのが怖くなるのですね。

・二つ目・好きだったからこそ、やめにくい

二つ目、「好き」を続けようとするほど、楽しみが義務になることです。

趣味の嫌なところは、嫌いになった瞬間が、はっきり分からないことです。

昨日まで楽しかったのに、今日から急につまらない。そんなふうには、なかなかなりません。

少し面倒くさい日が増える。新作ゲームを買っても、しばらくプレイしない。楽しんでいるはずなのに、終わったあと、妙に疲れる。というか、遊びながら別のことを考えている自分がいる。没頭できない。

それでも、昔の自分が好きだったものですから、「今回はたまたま気分が乗らないだけ」と思います。

そして次の新作も買う。シリーズを追いかける。積んでいた作品を消化しようとする。

ここで、楽しみ方が変わっているのですね。

今日はこれをしたい、ではなく、好きだった自分ならこれをするはずだ、になっています。

Q太郎はRPGだけじゃなくて、最近はシミュレーションゲームにも飽きを感じ始めてきています。

シヴィライゼーションの新作をプレイしても、途中までやって飽きてしまうのですね。なんかあまり面白くないと思うわけです。なんかやっていることも過去作と変わりませんし、AIに勝ったとして、それがどうしたみたいな感じです。

時間も消費しますし、それなら、最初から買わないほうが気楽だった気もします。

ゲーム自体が悪いわけではありません。今のQ太郎と、その遊び方の相性がよくないのですね。

それでも「ゲーム好きなら、この大作はやるべきだ」と言われることがあります。

本好きなら話題作を読まなければ。映画好きなら名作を押さえなければ。旅行好きなら、休みにはどこかへ行かなければ。

趣味の世界にも、いつの間にか履修科目ができます。

好きなことなのに、やっていないと落第した気分になる。へんな見栄になってしまうのですね。

Q太郎は、趣味でまで単位を取らなくていいと思います。

人生には、仕事や生活の用事だけでも、十分に「やらなければ」があります。楽しむための物まで義務にすると、どこで休めばよいのか分かりません。

もちろん、続けているうちに、また面白くなることもあります。

ただ、その可能性のために、今の楽しさを無視して続ける必要があるのかは、別の話です。そこで粘る必要はないと思うのですね。

・三つ目・過去の好きを保存しなくていい

三つ目、過去の自分が好きだった物と、今の自分がどう付き合うかです。

趣味に飽きると、「これまでの時間は何だったのか」と思うことがあります。

何百時間も遊んだゲーム。集めた本。通ったライブ。覚えた知識。

今やめたら、その全部が無駄になりそうです。

でも、楽しんでいた時間は、そこで終わっていても十分に価値があります。

去年食べたおいしい食事を、今年も毎日食べ続けなければ、去年のおいしさが無効になるわけではありません。

趣味も同じだと思います。

十年間楽しんだなら、十年間楽しんだ。それで成立しています。

十一年目まで続けないと、最初の十年間が無駄になるわけではありません。

思い出は、継続契約ではないのですね。

しかも、やめると決める必要もないかもしれません。

しばらく離れてみる。新作が出ても、すぐには追いかけない。気が向いたら戻る。戻らなければ、それもよい。

趣味に休職届や退職届は要りません。

誰にも許可を取らずに、今日はやらない。それでいいはずです。

Q太郎が気をつけたいのは、昔の自分のために、今の自分へ予定を入れないことです。

かつて好きだったから、今週末もその趣味をする。

昔の自分なら買ったから、今回も新作を買う。

そうやって一日を埋める前に、「今のQ太郎は、それをしたいのか」と聞いてみる。

答えが出なければ、無理に決めなくてもいいでしょう。

好きだった物から離れたあと、すぐに新しい趣味を探す必要もありません。

空いた時間を何かで埋めないと、自分が空っぽになるように感じるかもしれませんが、趣味の数で人間の中身は決まりません。

散歩する日があっても、何もしない日があってもよいのです。

・まとめ・趣味は身分証ではない

最後に、趣味と自分らしさについて、Q太郎なりの見立てを置きます。

Q太郎は、趣味は自分を証明する身分証ではないと思っています。

「ゲームが好きな人」「本が好きな人」「旅行が好きな人」という肩書きを守るために、ゲームをしたり、本を読んだり、旅行へ行ったりするのは、何か順番が逆です。

やっている時間が楽しいから、それをする。

その結果として、周りから「あの人はそれが好きなんだな」と見えるだけです。

先に肩書きがあって、その肩書きに合わせて今の自分を働かせる必要はありません。

昔の自分が好きだった物は、昔の自分を楽しませてくれました。

その役目を果たしてくれたのですから、今の自分まで楽しませ続ける義務はないのですね。

Q太郎は、好きなことが変わるのは、過去の自分への裏切りではなく、今の自分から届いた新しい知らせだと思います。

それを無視して「まだ好きなはずだ」と続けるより、少し耳を傾けたいです。

今は、何をしていると気持ちがよいのか。

あるいは、何もしない時間が必要なのか。

答えは、昔のプロフィールには書かれていません。

だから50代からは、好きだったことを続けなくてもいい。

また好きになるかもしれないし、別の物が好きになるかもしれません。どちらでもなければ、しばらく何者でもなく過ごしてよいとQ太郎は思います。

皆さんにも、昔は夢中だったのに、今は少し離れている趣味がありますか。その変化を寂しく感じたことはあるでしょうか。よろしければコメント欄で教えてください。全部読ませていただいています。

数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。

ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。

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