老後に「毎日同じ」は悪いことか|必要なのは刺激よりリズム

老後に「毎日同じ」は悪いことか|必要なのは刺激よりリズム
【毎日17時更新中!】たまに午前中にも追加投稿します。退職後、同じ時間に起き、同じ道を歩き、家で静かに過ごす。本人は満足しているのに、周囲から「もっと旅行や新しい趣味を」と言われることがあります。変化のない老後は、本当によくないのでしょうか...

こんなご質問をいただきました。

「退職してから、毎日ほとんど同じ生活をしています。

同じ時間に起きて、同じものを食べ、同じ道を散歩して、家で本を読んだり動画を観たりしています。

自分ではそれほど不満はないのですが、まわりからは、もっと旅行へ行ったり、新しい趣味を始めたりしたほうがいいと言われます。

変化のない老後は、やはりよくないのでしょうか?」

とのことです。ありがとうございます。

老後というか、退職後は、毎日が同じになりやすいです。

会社へ行く必要がなくなり、曜日ごとの予定も減ります。

朝起きて、ごはんを食べて、散歩をして、買い物へ行って、家で過ごす。

ぶっちゃけ、昨日と今日の違いが、あまりない。

すると世間は、「刺激がないと老け込む」「新しいことへ挑戦したほうがいい」「老後こそ人生を楽しもう」と言います。テレビでも、老後に輝く的なCMが多いですね。

旅行をする。習い事を始める。人と会う。イベントへ参加する。

たしかに、たまには違うことをしたほうが気分転換になります。

ただ、本人が同じ毎日を穏やかに過ごしているのに、なぜそれを他人が退屈だと決めつけなければならないのかという問題もあります。

毎日同じというのは、毎日つまらないという意味ではありません。

毎日安心して暮らせているという意味でもあります。

ただ一方で、ずっと同じ状態が続けば、生活がよどみ、何をするのも面倒になることもあります。

そこで必要なのは、毎日を大きなイベントで埋めることではありません。

日常の中へ、少しだけ違うものを入れることだと思います。小さな変化でいいのですね。

そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。

今回は「老後に毎日同じは悪いことか」を深掘りしていきます。

・三つの話

今日は大きく三つ話します。

一つ目、毎日同じなのは退屈ではなく、安定でもあること。

二つ目、社会が一年中ハレを作ろうとしていること。

三つ目、ケがよどまないように、小さなハレを入れる方法です。

最後に、老後に必要なのは刺激なのか、それとも別のものなのか、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。

・一つ目・毎日同じなのは安定でもある

それでは一つ目、毎日同じなのは退屈ではなく、安定でもあることです。

同じ時間に起きる。同じ朝食を食べる。同じ道を散歩する。同じ店で買い物をする。

こういう生活を聞くと、「何も起こらない人生」と考える人がいます。

しかし何も起こらないことは、必ずしも悪いことではないとQ太郎は思います。

事故が起こらない。病気が急に悪化しない。家族ともめない。お金の問題も起こらない。

人生では、何も起こらず一日が終わること自体が、けっこうありがたいことです。むしろ良いことなんじゃないかとも思います。

変化が多い生活には、判断が必要です。

どこへ行くか。何を持っていくか。誰と会うか。いくら使うか。予約は必要か。帰りは何時になるか。

楽しい旅行でも、準備や移動によって疲れます。

新しい趣味も、道具をそろえ、やり方を覚え、人間関係を作る必要があります。

たまにならいいのですが、そういうのが続くとさすがに疲れます。

一方で、同じ生活には判断が少なくて済むという利点があります。

いつもの朝食、いつもの道、いつもの店。

何も考えなくても生活が回るので、心が安定します。

若い頃は、新しいことへ挑戦し、できることを増やす必要があるかもしれません。

しかし老後まで、毎日自分を成長させ続けなければならないわけではありません。

昨日と同じ自分ではいけない。昨日より何かを学び、何かを経験し、人生を豊かにしなければならない。

こうなると、老後まで成果主義が続きます。

仕事を辞めても、今度は人生を充実させる仕事が始まるのですね。

やりたい人はやってもいいのですが、現状に本人が満足しているなら、同じ毎日を外から見て「退屈な老後」と決めつける必要はないと思います。

・二つ目・社会が一年中ハレを作る

それでは二つ目、社会が一年中ハレを作ろうとしていることです。ハレとケのハレばかりを世の中が作り出しているというのが大きな問題とは思います。

毎日の生活がケで、ときどき訪れる特別な時間がハレです。

ハレの日には、普段と違う服を着たり、特別なものを食べたり、みんなで集まったりします。

日常と違うからこそ、ハレには喜びがあります。

ところが最近は、とにかく「○○の日」が多すぎるように感じます。

父の日、母の日だけでなく、猫の日、犬の日、肉の日、パンの日、カレーの日、プリンの日。

探せば毎日、何かの日になっています。

この勢いだと、一年中ハレです。もはやなんでもありなわけです。

しかも記念日だけではありません。

バレンタイン、ハロウィーン、クリスマス、ブラックフライデー、初売り、決算セール。とにかくセールが多すぎる気がします。AmazonやSteamでも、大型セール以外でもしょっちゅうセールやってますし、つねにセール状態みたいな感じですね。

次から次へと、今日は特別な日なので、何かを買いましょう、何かを食べましょう、どこかへ出かけましょうと言われます。

土用の丑の日なんて、うなぎが夏に売れないから、店が適当なことを考えただけなのに、なんか伝統的な文化みたいになってきています。恵方巻きもそうですね。

もちろん、記念日を楽しむことが悪いわけではありません。

猫の日に猫の写真を眺めてもいいですし、肉の日に肉を食べてもいいでしょう。

しかし企業にとって、何もない普通の日より、記念日のほうが物を売る理由を作りやすいのも事実です。

実際、日本記念日協会も、企業、団体、個人などが制定した記念日を認定し、その広報や販売促進を支援しています。

特別な日を楽しんでいるつもりが、企業から指定された日に、企業から指定された行動をしているだけになる場合もあります。企業に行動を誘導されているわけです。

今日は何も買わなかった。どこにも行かなかった。何も祝わなかった。

すると、普通に暮らしただけなのに、一日を無駄にしたような気分になります。

しかし、一年中ハレなら、それはもうケなのですね。

毎週高級な料理を食べれば、それが普通の食事になります。

毎月旅行へ行けば、旅行が移動を伴う日常になります。

特別な体験を増やし続けても、人はその状態に慣れてしまいます。

ハレを増やせば増やすほど幸せになるのではなく、ハレとケの差がなくなり、さらに強い刺激が必要になります。

老後の毎日をイベントで埋めようとすれば、お金も体力も使います。

そして、何も予定のない普通の日に耐えられなくなってしまうのですね。

・三つ目・日常へ小さなハレを入れる

それでは三つ目、ケがよどまないように、小さなハレを入れる方法です。

毎日同じでよいからといって、一年中まったく同じでよいとも思いません。

同じ生活が続きすぎると、安心が惰性に変わることがあります。ケが多すぎれば、ケが枯れてケガレになるのですね。

外へ出るのが面倒になる。人と話すのが面倒になる。新しいものを見るのも面倒になる。

本人が穏やかなのではなく、変化へ対応する気力を失っているだけなら、少し注意が必要でしょう。

このケガレを払うために、ときどきハレを入れる。

ただし、海外旅行へ行ったり、高級レストランを予約したりする必要はありません。

いつもと違う道を散歩する。

図書館で、いつもは読まない分野の本を借りる。

電車で一駅先へ行き、知らない町を歩く。

朝食を外で食べる。

季節の花を見に行く。

久しぶりの人へ、短い連絡をしてみる。

この程度でも、日常と少し違えばハレになります。

重要なのは、刺激の大きさではありません。

普段の生活との差です。

毎週海外旅行をする人にとって、旅行は大きなハレにはなりません。差がないからです。

しかし毎日同じ道を歩く人なら、一本隣の道へ入るだけでも、小さな発見があります。

普段のケを派手にしすぎないから、小さな変化でも楽しめるのですね。

以前の動画でも話しましたが、ハレとケを分けることは、生活レベルを上げすぎないことにもつながります。

毎日を豪華にしなければ、たまの外食や旅行を大きく楽しめます。

お金をたくさん使わなくても、日常に小さな句読点を打つことはできます。

むしろお金を自由に使える人ほど、ハレとケを意識的にコントロールしないといけないのですね。

・Q太郎の見立て・老後に必要なのはイベントではなくリズム

ここからは、Q太郎なりの見立てです。

Q太郎は、老後に必要なのはイベントではなく、リズムだと思っています。

安定したケがあり、ときどき小さなハレがある。

そしてハレを楽しんだら、また安心できるケへ戻る。

ずっとケでもよどみますし、ずっとハレでも疲れます。

大切なのは、どちらか一方にすることではなく、行ったり来たりできることです。割合としてはケが多くて、ハレはたまにですね。

社会は、変化のない生活を退屈だと決めつけます。

なぜなら、毎日同じでいい人には、企業としては物や体験を売りにくいからです。これほどやっかいな客はいません。

普通の日では足りない。新しい刺激が必要だ。せっかくの老後なのだから、もっと楽しまなければならない。

そう思わせれば、旅行も、外食も、習い事も売れます。企業からすれば、良いお客さんです。

しかし人生の大部分は、ハレではなくケです。

朝起きて、ごはんを食べ、少し歩いて、好きなものを見て、眠る。

その普通の日を退屈だと思わずに過ごせることは、老後のかなり重要な能力だと思います。

ただし普通の日を守ることと、生活を閉じることは違います。

ときどき一本違う道を歩き、小さなハレを入れ、また日常へ戻る。

毎日を特別にする必要はありません。

同じ毎日の中に、自分で小さな違いを作ればいいのですね。

企業が決めた「○○の日」に合わせて一年中何かを買うのではなく、自分が少し気分を変えたい日を、自分のハレにする。

老後の充実とは、予定表をイベントで埋めることではありません。

何もない日を安心して過ごし、ときどき訪れる違いを楽しめる感性を持てることだとは思います。

皆さんは、毎日同じ生活を退屈だと感じますか。

また、お金をあまり使わずに楽しんでいる小さなハレがあれば、コメント欄で教えてください。全部読ませていただいています。

数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。

ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。

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