
こんなご質問をいただきました。
「自分の行動を時給で考えろみたいなことを言う人がいますが、効率がいい人ほど短時間で終わらせることができるので、むしろ時給で考えるのはダメだと思うのですがどうでしょうか?」
とのことです。ありがとうございます。
なんかありますね。「自分の時間を時給で考えろ」みたいなことを言う人。
でも時給だと、短時間で終わらせることのできる有能な人ほど、損してしまうのですね。
例えば、家の鍵が開かなくなったので、鍵屋を呼びました。
来てくれた人は、ものの1分で開けてくれました。
料金は2万円です。
このとき、「たった1分で2万円も取るのか。ふざけんな」と怒る人もいるのではないでしょうか。
では、同じ料金で、2時間かかっていたらどうでしょう。
人は不思議なもので、この場合は「大変な作業だったのだな」と思い、なぜかありがたく2万円を払ってしまったりするわけです。
ベテランの鍵屋さんからすれば、「いやいやいやいや、なんでへたくそが感謝されるねん」という話ですね。
しかし、開ける結果も料金も同じなら、早く開いたほうが、こちらの待ち時間は少なくて済みます。
助かっているはずなのに、早く終わると、高く感じる。
少し変な話ですよね。有能な人のほうが損するわけです。
ここでは、料金は事前に2万円と説明され、納得して依頼したものとして考えます。あとから突然高額を請求された場合には、また別の問題がありますので、それはそれで別の問題です。
今回考えたいのは、我々が値段の公平さを判断するとき、何を見ているのかということです。
同じ仕事でも、相手が苦労している様子が見えたかどうかで、支払いたい気持ちが変わるのですね。逆に短時間で大金を稼ぐと、「苦労していない」とか言われるわけですね。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。
今回は「見えない仕事と、お金の公平性」を深掘りしていきます。
・三つの話
今日は大きく三つ話します。
一つ目、早く終わる仕事ほど高く感じること。
二つ目、公平感が多く払いたい気持ちにもなること。
三つ目、見えない仕事を伝える透明性についてです。
最後に、公平に払うために何を見るか、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
・一つ目・早い仕事が損をする
それでは一つ目、早く終わる仕事ほど高く感じることです。
今回も、ダン・アリエリーさんとジェフ・クライスラーさんの著書「無料より安いものもある お金の行動経済学」をもとに考えます。
本書では、著者の知り合いの鍵屋の話が紹介されています。
まだ慣れていないころには、開けるまで、かなり時間がかかりました。
ところが客はなぜか、「苦労してくれてありがとう」と感謝し、チップをくれることもあったそうです。
ところが、腕が上がって短時間で開けられるようになると、今度は料金へ文句を言われるようになったというのですね。「そんな短時間の仕事で、そんなにお金をとるのか」と言われるわけです。
技術が上がり、客を待たせずに済むようになったのに、評価が悪くなる。
Q太郎にも似たようなことがあって、昔、頼まれた原稿の修正を一日ぐらいでやったのですね。
一日ぐらいといっても、16時間ぐらいはぶっ続けでやっていたわけです。一日をフルに使ったわけですね。
それなのに、向こうは一週間ぐらいかかるものと思っていたので、原稿を見もせずに、「ちゃんとやってください」と言われたわけです。向こうの計算だと、たぶん一日4時間ぐらいのペースで一週間みたいな計算だったのでしょう。
それであとから原稿を見て、「すみません。ちゃんとやってくださったのですね」と謝ってくれましたが、Q太郎はそれ以来、わざと仕事を遅くすることにしました。やり終わっても、あえて何日か時間を空けて送ることにしていますね。
そんな感じで、我々は、問題の解決に払っているつもりで、相手が目の前で苦労した時間を、価格の物差しにしているのかもしれません。
しかし、1分でできる人が、その1分だけを使って仕事をしているわけではありません。
技術を身につけた時間があり、道具をそろえ、依頼に応じて出張する準備もあります。
その積み重ねの結果として、目の前の作業が短くなっているわけです。それなのに、「楽しやがって」と思われるわけです。
ピカソの逸話として、公園にいた女性に、数秒で描いた肖像を渡したわけです。女性は喜んで、いくらか聞いたところ、ピカソは「5000ドルだ」と言いました。
「数秒で書いたものが5000ドルは高すぎますよ」と女性は驚きましたが、ピカソは「数秒ではない。これまで絵を描くのに使った数万時間と数秒だ」と答えたそうです。
その数秒は、途方もない時間の積み重ねの上にあるわけです。それが見えていないわけですね。
弁護士の仕事も、似た誤解を受けることがあると思います。
弁護士はちょっと話をしただけで、高い金額を請求されると不満を言う人もいますが、依頼者に見えるのは、短い面談や数枚の書類だけなわけです。
しかし、その知識は、これまでの勉強してきた時間がすべて含まれていますし、資料を確認したり、調べたり、経験に照らして問題を見抜いたりしているわけです。
ところがそういうのが見えないので、「こんな短時間で大金ぼったくりやがって」という話になる。
そうなると、腕のよい人ほど文句を言われることになるので、わざと時間をかけて苦労して見せたほうが得になってしまいます。
効率のよい仕事を求めながら、効率よく終わると払いたくなくなる。我々の公平感には、こういう不合理さがあるのですね。
・二つ目・苦労が伝わると払いたくなる
それでは二つ目、公平感が多く払いたい気持ちにもなることです。
人は、いつでも相手へ少なく払いたいだけの生き物でもありません。
相手の仕事や苦労が伝わると、むしろ、きちんと払いたいと思うことがあります。
Q太郎の実家でも、庭が荒れ放題になっていたので、業者へ頼んできれいにしてもらったことがあります。
一日がかりの作業でした。本当は2日かかるかもしれなかったところを、頑張って1日でやってくれたのですね。
その大変さを目の前で見ていますので、そのときは多めに払ったわけです。
よくやってくれたなと思えば、少し余分に払いたくなるわけです。
これも、お金の公平性です。
安く済ませたいという気持ちだけなら、決まった料金より多く払う必要はありません。
それでも、受け取った仕事に対して、こちらもきちんと返したいと感じます。人間は公平性を大事にするわけです。
支払額を客が決めるレストランというのがニューヨークであったそうですが、無銭飲食や、それに近い料金を払った人はほとんどいなくて、トータルとしては普段の売り上げより多かったそうです。目の前で調理をしているところが見えたり、従業員が忙しくサービスしているところが見えたりしているからですね。
そんな感じで、人間は自分だけが得したいわけでは無く、公平性を重視する生き物なわけです。
食事を作ってくれた。接客してくれた。よい時間を過ごせた。
そういうものが伝われば、そこへ返したいという気持ちも生まれます。
だから、公平性を重視すること自体を、悪いものとして捨てる必要はありません。
Q太郎も、その気持ちで庭仕事へ多めに払っているわけです。
ただ、そこで考えたいのは、苦労が見えなかった仕事へも、同じように感謝できているだろうか、ということです。
庭仕事やレストランの大変さは目に見えるわけです。だからお金を払うことに不満はないわけで、むしろ多く払ったりするわけです。
ところが、鍵屋や弁護士、ピカソの絵のような仕事は、そのうしろにあるものが見えにくいわけです。だから「短時間で大金とりやがって」という話になってきます。「苦労が見えていない」というのが、ここでの大きな問題なのですね。
・三つ目・苦労の演出より仕事の透明性
それでは三つ目、見えない仕事を伝える透明性についてです。
目の前で作業を全部見せなければ、価値が伝わらないわけではありません。
どんな手順で、ここまで届いたのかが分かれば、見ていなかった仕事も想像できます。
野菜なら、どう育て、どんな手入れをし、どう選別して届けているのか。
値札だけでは分からなくても、説明書きや、栽培の様子を映した動画があれば、価格の背景を知ることができます。
草を取る作業や、虫への対処などが伝われば、この作り方には、こういう手間が必要なのかと理解できます。
そういう資料とか動画とかをお客さんに見せれば、その値段に納得しやすくなるわけです。説明が必要なのですね。
鍵屋でも、実際に手を動かした時間以外に、何が料金に含まれるかを説明できるでしょう。
弁護士なら、面談の前後に何を確認し、どこまでの対応を引き受けるのかを伝える。
ピカソはうまく説明したと思いますね。
こうした透明性があれば、依頼者も、作業時間の数秒とか数分だけで価格を判断せずに済みます。
ここで、苦労が多いほどよい仕事だという話へ戻らないことも大切です。時間をかけても、努力の方向性がおかしかったら、結果が出ないのと同じですね。
非効率に何時間もかけたから、高く評価されるべきだとはかぎりません。
同じ問題を、確実に、早く解決する技術にも価値があります。
伝えたいのは苦労の演出ではなく、仕事の中身です。
例えば、コンサルが経営をどうすればいいかを数分で分析して、そのとおりにやったら会社の売り上げが爆上がりしたというのだったら、それはすごく価値があるわけです。逆に、何週間もかけたのに、会社の売り上げがあがらなかったのでは、意味がないわけですね。
何を受け取ったのか。それを実現するために、どんな準備や判断があったのか。
買う側もそこへ関心を持ち、売る側も伝える工夫をする。
そのほうが、目の前で何分働いたかだけを数えるより、納得して取引しやすくなると思います。
・まとめ・Q太郎の見立て
最後に、公平に払うために何を見るか、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
人間は、不公平なことがあると腹を立てます。
その感覚には、相手をただ働きさせず、受け取ったものへ返したいという、よい面もあります。
あくまで自分も相手も公平でありたいということですね。
ただ、公平に判断しているつもりの自分が、実際には何を見ているのかは、考えてみる必要があります。
目の前で汗をかいていたか。時間がかかったか。大変そうだったか。
それだけが物差しになると、目に見えない準備や、苦労を短縮する技術が、評価から抜け落ちます。
学校の先生とかもそうですね。授業の準備に時間がかかるのに、それが生徒には見えていないわけです。授業の時間だけが労働時間だと思っているのですね。
あとオーケストラの指揮者もそうですね。彼らの仕事は、楽団員を訓練することなのですが、音楽を知らない人から見ると、「なんか棒を振ってるだけで高い給料もらえる」みたいに勘違いされるわけです。
人間は公平であろうとします。ただ、公平に判断するために見ている範囲が、あまりにも狭いのかもしれません。
庭仕事を見て、多く払いたくなった気持ちは、それでよいと思います。
その気持ちを大切にしながら、見えなかった仕事まで、なかったことにしない。
よい仕事は、受け取る側の手間や、待ち時間を減らしてくれることもあります。
だから時給で考えない方がいいというのも、こういうところがあるからですね。
ただやはり、双方の努力は必要ですね。
売る側には、見えない仕事を伝える工夫が必要になります。売る側も説明をさぼらないほうがいい。Q太郎は説明をさぼっていたわけです。正直、「言っても理解されないだろう」と思っていましたし、実際その通りかもしれませんが、やはりある程度は努力したほうがいいかなとも思います。
また買う側には、見えている作業だけが全部ではないと、想像力を働かせる必要があります。買う側も努力が必要ですね。時給で考えない。
Q太郎は、その両方があってこそ、公平に払いたいという気持ちを、もう少し広いところへ使えるのではないかと思っています。
皆さんは、仕事の手間を知ってから、料金への印象が変わったことがありますか。
反対に、自分の仕事の見えない部分を、理解してもらいにくいと感じたことはあるでしょうか。
よろしければコメント欄で教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。
