
マウントはあまりよろしくないというのがいまや一般常識になってきていますが、最近読んだ本で、中野信子さんの著書、『ロンドン紳士と脳科学に学ぶ 品格のあるマウントのとり方』というのが面白かったので紹介します。
タイトルからして面白い。皮肉好きのイギリス人、その中でも最上級であるロンドン紳士がタイトルに出てきていますしね。日本でいうところの京都人のようなものです。
本書では、マウントを取ることは人間の快楽なので、それを否定せず、マウントをするなら品格を持って、相手を不愉快にさせずに、それこそロンドン紳士や京都の人のように、うまくマウントしていきましょうという、本気なのか冗談なのかよくわからないような内容です。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。
今回は「品格のあるマウントの取り方」を深掘りしていきます。
・三つの話
今日は大きく三つ話します。
一つ目、なぜ人間はマウントをやめられないのか。
二つ目、自分を上げながら相手も上げる方法。
三つ目、ロンドン紳士と京都人に学ぶ、毒の包み方です。
最後に、そもそも品格のあるマウントを取る必要があるのか、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
・一つ目・猿山からは逃げられない
それでは一つ目、なぜ人間はマウントをやめられないのかです。
マウントは、よくないものだとされています。
人を見下してはいけない。自慢してはいけない。学歴や年収で人の価値を測ってはいけない。
これは、その通りだと思います。
ただ、禁止されたからといって、優越感を得たい気持ちまで消えるわけではありません。
マウントは人間にとっての娯楽であり、快感であるので、これをやめることはドーパミンやらなんやらの脳内物質的になかなかできない。
そもそも人間の脳は、相対的にしか物を認知できません。「長い」は「短い」があるからですし、「高い」は「安い」があるからです。単独で存在できないわけです。
人間関係も、自分と相手を相対的に見て、態度などを無意識に決めてしまいます。
ですから、「マウントは悪いので、今後一切取らないようにしましょう」と言うだけでは、あまり現実的ではないのですね。脳の構造上、比較から離れることは難しい。というか、無理です。
だから本書では、心の奥にいる「マウントしたい猿」を追い出すのではなく、その猿に礼儀作法を教えようとします。
マウントを取るにしても、自分だけが気持ちよくなり、相手を不愉快にする必要はありません。
どうせ取るなら、相手も少し気持ちよくなる形へ加工する。
マウントの全面禁止ではなく、マウントの品質改善ですね。
自慢話を聞いて喜ぶ人はいませんが、それをうまく加工することで、相手を持ち上げつつ、さわやかに、しれっとマウントしていくということです。
なんか言っていることがむちゃくちゃですが、そんな感じでマウントをやめるのではなく、「品格をもってマウントしましょう」という話になってくるわけです。それこそロンドン紳士のように。
ロンドン紳士というか、Q太郎的にはモンティ・パイソンを思い浮かべてしまいますね。
・二つ目・自慢の配当を相手にも渡す
二つ目、どうやって品格のあるマウントをするかと言えば、先ほども言ったように、自分を上げながら相手も上げることです。
たとえば、学歴マウントを取りたいとします。
なぜ取りたいのかは分かりませんが、今日はどうしても東大を会話へ出したい。相手に、自分が東大出身だということを伝えてマウントしたい。
そこで、
「いちおう東大出身です」
と言う。
これは下策です。この「いちおうなんちゃら大学です」はダメ。
東大出身であること以外に情報がありません。聞いた相手には、東大という大きな荷物だけが渡されます。なんの加工もない、あきらかなマウンティングなわけです。
相手は「すごいですね」と言うしかありません。
言わせていますね。これでは品格がありません。マウンティングをたくらんでいる時点で品格もクソもない気もしますが、これの「いちおうなんちゃら大学です」はストレートすぎてダメ。
そこで、相手が仕事でよい提案をしたときに、こんなふうに言います。
「なかなかよいアイデアですね。東大には頭のよい人がたくさんいましたが、こんな発想ができる人はいませんでした」
これであれば、東大出身であることを、しれっと伝えたうえに、相手を持ち上げています。
しかし、話の着地点は相手です。
東大という高い物差しを自分で持ち込み、その物差しより相手を上へ置いています。
自分は、東大出身だとマウンティングできて気持ちがよい。
相手は、東大の優秀な人たち以上だと褒められて気持ちがよい。少なくとも悪い気はしない。
マウントの利益を独り占めせず、相手にも配当しているのですね。
謎のウィンウィンが成立しているわけです。
ほかにも、いろいろ応用できます。
「大企業で優秀な人をたくさん見てきましたが、あなたほど説明の分かりやすい人は珍しいです」
自分が大企業勤務をしていることを、しれっとマウンティングしつつ、相手の説明力を持ち上げています。これなら相手も悪い気はしない。
ほかにも、
「海外をずいぶん回りましたが、ここまで気配りのできる人には、なかなか会いませんでした」
と、海外経験をマウンティングしながら、相手の気配りを持ち上げたり、
「高級店にもいろいろ行きましたが、あなたの料理はまったく負けていませんね」
と、高級店へ行ける自分をマウンティングしながら、目の前の料理を持ち上げています。
結局全部、マウントなんですけどね。
マウントしていない顔をして、かなりしています。
ただし、自慢の配当を相手にも渡すので、相手も強く文句を言いにくい。むしろ褒められていて、悪い気はしない。
なかなか巧妙です。
マウントすること自体に品格があるかどうかは置いておき、品格とは、自慢をやめることではなく、相手にも利益が出る形にすることなのかもしれませんね。
・三つ目・毒を砂糖で包む
三つ目、ロンドン紳士と京都人に学ぶ、毒の包み方です。
イギリス人や京都人は皮肉好きなイメージがあります。
「ぶぶづけ、食べていきますか?」や「いい腕時計してはりますな」は「早く帰れ」ですし、「お子さん、ピアノがお上手にならはりましたなあ」は「音がうるさい」です。
もちろん、これは京都の人を題材にした有名な笑い話のようなもので、実際には、本当に褒めている場合もあるでしょう。
問題は、相手が皮肉を聞き返しにくいことです。
「それは、うるさいという意味でしょうか」と聞くのも、かなり野暮です。
「いえいえ、本当にお上手だと思いまして」と返されたら、こちらだけが性格の悪い人になります。
毒を飲まされたうえに、被害妄想まで追加されます。
ただ、このような皮肉と、先ほどの品格のあるマウントは、少し方向が違います。
皮肉は、表面上は相手を上げながら、裏では相手を下げます。
品格のあるマウントは、自分をしれっと上げながら、最後には相手も上げます。
どちらも言葉を包装していますが、中身が違うのですね。
ロンドンや京都の皮肉が、毒を砂糖で包んで相手に飲ませる技術なら、品格のあるマウントは、自分のために買ったケーキを相手にも一口分ける技術です。
自分が大きいほうを食べている気もしますが、何も渡さないよりはましです。
ただし、どちらにも高度な言語能力が必要です。
相手を褒めたつもりが、単なる自慢に聞こえることもあります。言葉をひねりすぎて、意味が伝わらないこともあります。
ここは注意が必要でしょう。「だったら最初からマウントするなよ」という話にもなったりますね。
・まとめ・取らないほうが早い
最後に、そもそも品格のあるマウントを取る必要があるのか、Q太郎なりの見立てを置きます。
この本は読んでいて、「ん?」と思うところも、いろいろありますが、人間はマウントを取ると気持ちがよいというところから出発し、それを否定せず、技術として昇華させようとする発想は、面白いと思いました。
マウントが好きな人に、「マウントはよくないので、今日からやめましょう」と言っても、たぶんやめません。
本人には快楽がありますし、自分では情報提供や助言だと思っている場合もあります。
それなら、自分だけを上げて相手を下げるより、自分をしれっと上げながら、相手も一緒に上げたほうがよい。
良いか悪いかは別として、人間関係を壊さずに欲望を満たす、一つの工夫にはなります。
品格のあるマウントとは、マウントを隠す技術ではありません。
自分が得た優越感の一部を、相手へ配当する技術です。
ただ、Q太郎としては、ここまで複雑な計算をするくらいなら、そもそも最初からマウントを取らないほうが無難だとは思います。
東大を会話へねじ込み、そこから相手を東大より上へ持ち上げ、嫌味に聞こえない言葉を選ぶ。すごい面倒くさい。
もう普通に「よいアイデアですね」でいいでしょう。
紅茶を飲みながら毒の分量を調整するのも大変です。
ただ、どうしてもマウントしたい日もある。
心の中の猿が、今日はどうしても山へ登りたいと言っている。
そんなときは、自分だけ頂上へ行かず、相手も一緒に連れていく。
少なくとも、相手を踏み台にして登るよりは、品格があります。
皆さんは、自慢されていると分かっていても、同時に褒められたら悪い気はしないでしょうか。また、あとになって「あれは嫌味だったのでは」と気づいた経験はありますか。よろしければコメント欄で教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。
