
こんなコメントをいただきました。
「人間関係の断捨離をしている人は、いわゆる価値を証明し続けないといけない人生なんだと思います。長期的にはきついことになりそうです。」
とのことです。ありがとうございます。
まあ、そうですね。価値を提供できるかどうかで人を選ぶので、自分自身も価値を提供できるかどうかを頑張ることになってしまうのですね。メリトクラシーの世界なわけです。
ただここまで極端じゃなくても、Q太郎も人と会う前に、何か面白い話を用意しなければと思うことがあります。
役に立つ情報を持っていく。最近うまくいったことを話す。相手が悩んでいれば、解決方法を考えてあげる。
せっかく会うのだから、相手に何かを持ち帰ってもらいたい。
そう聞くと、かなり立派な心がけに見えます。
ただ、これが行き過ぎると、人付き合いが営業になったり、自分のプレゼンになります。
自分はこんな仕事をしてきた。こんな人を知っている。昔はこんな困難を乗り越えた。あなたの問題も、自分の経験を使えば解決できる。
本人は相手に「価値」を提供しているつもりです。
しかし相手は、そんな話を聞きたいのでしょうか。
ただ最近あったことを話したいだけかもしれません。少し愚痴を聞いてほしいだけかもしれません。何も解決せず、一緒に食事をして帰りたいだけかもしれません。
そこへ頼んでもいない助言と武勇伝が届く。
本人は親切のつもりでも、相手にはマウンティングに見えることがあります。
これ、かなり疲れる人付き合いだと思います。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。
今回は「人付き合いで、自分の価値を証明する必要がない」ことを深掘りしていきます。
・三つの話
今日は大きく三つ話します。
一つ目、人付き合いが価値提供合戦になる理由。
二つ目、親切や助言がマウンティングへ変わるとき。
三つ目、お互いに価値を証明しなくてよい関係についてです。
最後に、50代からどんな人間関係を残したいのか、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
・一つ目・人付き合いが価値提供合戦になる
それでは一つ目、人付き合いが価値提供合戦になる理由です。
最近は、「価値を提供する」という言葉をよく見かけます。
仕事であれば、もちろん必要です。
会社は商品やサービスを提供し、客はその対価としてお金を払います。何を提供できるのかを考えるのは、商売として自然なことです。
問題は、この考え方を、そのまま友人関係や家族関係へ持ち込むことです。
この人と付き合うメリットは何か。この人から何を学べるのか。一緒にいることで成長できるのか。
反対に、自分は相手へ何を提供できるのか。有益な情報を渡せるか。人脈を紹介できるか。困ったときに救えるか。
人付き合いが、企業同士の業務提携みたいになります。
若い人にも、この考え方で苦しんでいる人は多いのではないでしょうか。
自分の市場価値を高める。有益な人間になる。成長できない関係は切る。
本人は前向きに生きているつもりなので、自分が何をしているのか、なかなか気づきません。
しかし、つねに価値を提供しなければならない世界では、ただそこにいることが許されません。
面白い話がない日もあります。役立つ情報がない日もあります。仕事がうまくいかず、誰かを助けるどころか、自分が助けてほしい日もあります。
それでも、自分には提供するものがなければならない。
だから話を盛ったり、昔の成功を持ち出したり、相手の問題を探して助けようとしたりします。
価値提供のために、話題だけでなく、救う相手まで必要になるのですね。
さらに、自分を価値で測る人は、相手も価値で測るようになります。
「この人と会っても得るものがない」
「成長できない相手とは距離を置こう」
「自分に価値を提供できない人は断捨離しよう」
一見すると合理的です。
しかし、それは将来の自分にも向けられる物差しです。
仕事を辞めたとき。病気になったとき。新しい話題がなくなったとき。役に立つ情報を持っていないとき。
そのとき、自分も誰かにとって、価値を提供できない人になります。というか、年を取ればどんどんそうなっていきます。
相手を査定しているようで、未来の自分へも、「役に立たなくなったら席はない」と宣告しているのですね。
・二つ目・親切がマウンティングへ変わる
二つ目、親切や助言がマウンティングへ変わるときです。
困っている人を見ると、助けたくなる。
それ自体は、悪いことではありません。
ただ、相手を救うことで、自分の価値を証明しようとする場合があります。
いわゆるホワイトナイト症候群、あるいは救世主願望と呼ばれるような状態です。
相手が困っていると、自分の出番ができます。ホワイトナイト、お姫様を助ける白い騎士ですね。
話を聞くだけでは終われません。解決方法を教え、正しい方向へ導き、できれば相手から感謝されたい。
本人は善意でやっていますので、なかなか自覚できません。
しかし、相手が助言どおりに動かないと、だんだん腹が立ってきます。
「あれだけ教えてあげたのに」
「心配しているのに、なぜ言うことを聞かないのか」
この言葉が出てきたら、相手を助けることより、自分の価値を認めてもらうことが目的になっているのかもしれません。
相手が自分で問題を解決すると、喜ぶより先に、少し寂しくなることさえあります。
自分の役割がなくなるからです。
すると無意識に、相手を「自分がいなければ困る人」のままにしてしまいます。
助ける側と、助けられる側。教える側と、教えられる側。
この位置関係が固定されると、親切は支配へ近づいていきます。
以前にも言った「武勇伝おじさん」も、根っこは少し似ています。
昔はこんな大きな仕事をした。若いころは寝ないで働いた。自分の判断で会社を救った。
ただ自慢したいだけではなく、今の自分にも価値があると証明したいのかもしれません。
本人は、若い人へ経験を伝えているつもりです。
しかし若い人は、聞いてもいない過去の実績を延々と聞かされます。
しかも最後には、「今の若い人は」という評価まで付いてくる。何千年も前から、人類が使ってきたお決まりの言葉ですね。
これでは、人が逃げるのも無理はありません。
価値を認めてほしくて話しているのに、その話によって人が離れていく。
人が離れると、「もっと価値を伝えなければ」と思い、さらに強く語る。
自分も疲れます。相手も疲れます。
相手と会話をしているようで、実際には自分の価値を証明する面接を、一人で続けているからです。相手もそんなものには付き合いたくないわけです。
・三つ目・何も証明しなくてよい関係
三つ目、お互いに価値を証明しなくてよい関係についてです。
人と会って、何の役にも立たない話をする。
最近食べたものの話。昔見たテレビの話。近所で猫を見かけた話。
話したところで、仕事の能力は上がりません。資産も増えません。人生の問題も解決しません。
それでも楽しかったから、また会う。長い間会わなくても、別に関係は切れない。
Q太郎は、こういう関係が一番楽だと思います。
役立つ情報を持っていかなくていい。面白い自分を演じなくていい。成功しているところを見せなくていい。
相手の悩みを解決できなくてもいい。
反対に、相手からも知識や人脈、刺激や成長を受け取ろうとしない。
どちらも価値を証明しないまま、その場にいてよい。
これは何も生み出していない関係に見えるかもしれません。
しかし、何も提供できない日にも席が残っているというのは、かなり大きなことです。
若いころは、自分を売り込むような人付き合いが必要な場面もあります。
仕事を得る。仲間を増やす。新しい場所へ入る。自分が何をできるのか、相手へ伝えなければ始まらないこともあるでしょう。
ただ、その姿勢をすべての人間関係へ持ち込み、50代になっても続けていたら、かなり疲れます。
人生の後半まで、全員に自分を採用してもらおうとしなくてよいと思うのですね。
会うたびに実績を更新し、役立つ情報を納品し、相手の問題を解決する。
それは友人というより、無料のコンサルタントです。
もちろん、友人を助ける日もあります。知っていることを教える日もあります。
ただ、それが関係を維持するための入場料になっていないかは、考えてよいと思います。
今日は何も提供できない。
それでも会ってよい。
相手も何も提供してくれない。
それでも一緒にいてよい。
この安心があると、会話はようやく価値提供合戦ではなくなります。
そもそも友達関係って、価値の証明とか必要ない関係だとは思います。
例えば友達の家にいって、漫画の「キャプテン」が全巻揃っていたとします。それを読んでいると、友達がなんか「価値のある話」を話をひたすらしてきたら、
「いや、それよりマンガ読ませて。青葉学園の佐野くんが出てきたところだし」
と言いたいわけです。べつに価値を証明しなくても友達ですし、漫画を読ませてほしいわけです。
小学生のころの友達付き合いって、そんな感じだったとは思います。ひとんちでひたすらマンガ読んだりとか、適当にゲーム遊んだりとか、そんな感じですね。価値の証明とか、役に立つ会話とか、そんなのないです。やりたいことやってる感じですね。
・まとめ・人間関係から面接をなくす
最後に、50代からどんな人間関係を残したいのか、Q太郎なりの見立てを置きます。
Q太郎は、一番よい人間関係とは、お互いに高い価値を提供できる関係ではないと思います。
お互いに価値を証明しなくても、その場にいてよい関係です。そのほうが友達という感じですね。ひとんちに遊びに行って、黙々と「キャプテン」全巻を読んでも問題ない関係です。
自分の価値を証明しようとすると、相手の話を聞けなくなります。
相手が話している途中から、自分の経験でどう答えるかを考える。どんな助言をすれば感謝されるかを考える。自分の実績へどうつなげるかを考える。
そうして、相手の話が、自分を売り込むための材料になります。
正直そういう関係は疲れるので、長期的には静かに離れていきます。
50代になったら、そろそろこの面接を終えてもよいのではないでしょうか。というか、小学生のころもそんな友達との付き合い方をしてなかったと思います。
昔の実績を持ち出さなくてもいい。頼まれていない人を救わなくてもいい。何の得にもならない相手を、断捨離しなくてもいい。
何も生み出さず、何も解決せず、どうでもよい話をして帰る。「キャプテン」を読んで、夕食になったら帰っていく。
それでも次に会えるなら、その関係では、自分も相手も価値を証明しなくてよいのです。
価値を提供しなくても一緒にいられる関係は、価値がないのではありません。
お互いにプレゼンをしなくてよい場所を、二人で作っています。
Q太郎は、それが一番楽で、人生の後半に残したい人間関係だと思います。
あと「キャプテン」を今読み返すと、やっぱりイガラシくんの指導はやりすぎだと思いました。
皆さんには、何も役立つ話をしなくても、気楽に一緒にいられる人がいるでしょうか。また、相手のためだと思って助言していたのに、あとから余計だったと気づいた経験はありますか。よろしければコメント欄で教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。
