
こんなコメントをいただきました。
「退職後や老後に、仕事の武勇伝を話したがる人たちは、収入が人間の価値という思い込みを捨てられない人たちなのだと思いますね」
とのことです。ありがとうございます。
「仕事の武勇伝おじさん」というか、おじいさんというか、もう会社に勤めていないのに、聞いてもいない仕事の話をしたがる人たちはいますね。そしてアンケート的には、嫌がられる話の第1位に燦然と輝いています。
こういうような、会社を辞めたあとも、心の中では会社を辞められない人たちというのがいます。
昔は、大きなプロジェクトを動かしていた。
部下が何十人もいた。
有名な会社の社長と、直接話したことがある。
現役時代は、これだけ稼いでいた。
ただ、聞いている側は、そもそもそんな話を求めていないわけです。それなのに、勝手に話をはじめて、自分だけ勝手に気持ちよくなっているわけです。
それで相手があまり感心してくれないと、さらに詳しく説明します。自分の価値が、まだ十分に伝わっていないと思うからです。
こちらとしては「聞いてないちゅーねん」と心の中で思っていても、礼儀上は「素晴らしいですね」とか相槌を打たないといけないわけです。
なぜ、こんなことになるのでしょうか。
もしかすると、収入や役職が、人間の価値を表すと思ったまま、会社を辞めてしまったからかもしれません。
現役時代なら、毎月の給料や名刺の肩書を見れば、自分がどの位置にいるのか分かりました。
しかし、退職すれば、その数字は表示されなくなります。ただの無職のおっさんや、無職のおじいさんです。これが受け入れられないのですね。
それで、現在の立場がなくなっているので、過去の最高値を持ち出します。
ただ、我々もこういう人達をあまり笑えないわけで、やはりどこかで収入イコールその人の価値と考えてしまう部分があるのですね。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。
今回は「50代からは、収入イコール価値という思い込みを捨てる」を深掘りしていきます。
・三つの話
今日は大きく三つ話します。
一つ目、収入という数字は、本当は何の値段なのか。
二つ目、その物差しを老後まで持ち込むと、なぜ武勇伝とマウントが増えるのか。
三つ目、退職後は何を使って、一日の価値を受け取ればよいのかです。
最後に、過去の最高年収よりも、老後に役立つ能力とは何か、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
・一つ目・給料は仕事に付いた値札
それでは一つ目、収入という数字は、本当は何の値段なのかです。
年収が高い人を見ると、価値の高い人に見えることがあります。
年収が低い人を見ると、その人の能力も低いように感じることがあります。
そして、自分の収入が上がれば、自分の価値が上がったと思う。
下がれば、自分の価値も下がったように思います。
しかし、収入が表している範囲は、もっと狭いものです。
その時点の市場で、その組織が必要としている仕事を、その雇用形態と条件で提供した対価です。
会社が評価しているのは、基本的に会社へ提供された仕事です。
家族にとって、どんな存在なのか。
友人と、どんな関係を築いているのか。
自分の生活を、自分で維持できるのか。
人の話を聞けるのか。
一緒にいると楽しいのか。
そうしたものを全部採点し、最後に年収として振り込んでいるわけではありません。
給料は、会社が仕事へ付けた値札です。
あなたの額に貼られた値札ではありません。
同じ人でも、会社を辞めた翌日に、給与収入がゼロになることがあります。
それでは、昨日まで年収一千万円の価値があった人間が、退職した瞬間、無価値になったのかという話ですね。
知識も、経験も、人格も、一晩で消えてはいません。
再就職して年収五百万円になったら、人間としての価値が半分になったと考えるのも変なわけです。
そのあと起業して、一千五百万円稼いだら、今度は一・五倍の人間へ膨らむのかといえば、クソ野郎はやっぱりクソ野郎なわけです。
収入は、社会との一時的な取引価格です。
市場の需要、会社の都合、業界の収益性、働く場所、交渉条件などによって変わります。
本人の努力や能力が関係することは、もちろんあります。
だからといって、収入だけで、その人全体の価値を測れるわけではありません。こんなことを言い出したら、特殊詐欺なんかどんだけ人格者なんだという話ですね。
それなのに会社員として長く働いていると、毎月表示される数字が、自分の成績表に見えてきます。
年収が高ければ、自分は社会から必要とされている。
年収が下がれば、自分は必要とされていない。
若い時はそれで自分を鼓舞するのも悪くはないのですが、さすがにこの考えを、いい年した50代まで持ち続けると、退職後にかなり苦しくなります。
会社の外へ出たあとも、存在しない給与明細で、自分を採点し続けるからです。
・二つ目・過去の領収書を見せ続ける
二つ目、その物差しを老後まで持ち込むと、なぜ武勇伝とマウントが増えるのかです。
会社員時代は、自分の価値を説明する材料が、いくつもありました。
年収。
役職。
部下の人数。
会社の規模。
担当した仕事。
名刺を出せば、相手もある程度は理解してくれます。
しかし退職すると、それらの多くが過去形になります。
今の役職はない。
今の部下もいない。
会社の名前が書かれた名刺もない。
現在の自分を評価する材料が見つからないので、昔の話を始めます。
あの仕事は、自分がまとめた。
あの問題は、自分が解決した。
自分がいたころの会社は、こうだった。
こうして「武勇伝おじさん」や「武勇伝おじいさん」が爆誕するわけです。
最初の一回なら、その人の大切な思い出として、面白く聞けるかもしれません。
しかし、会うたびに同じ話をします。
相手が誰でも、同じ話です。
話題が今日の天気でも、最後には昔のプロジェクトへ到着します。Q太郎の父がまさにこれで、何度も同じ話を聞かされてきました。
過去の武勇伝を語る人は、単に自慢したいだけではないのかもしれません。
現在の自分には価値がないと思っているので、過去の領収書を見せ続けているのです。
自分は昔、これだけ高く評価された。
これだけの人間だった。
その証明書として、年収や役職の話を提出します。
しかし、こちらとしては、そもそもその資料を求めていません。別に「価値を証明しろ」なんて要求してもいない。勝手に向こうが証明を始める。
しかも、収入イコール価値の物差しは、武勇伝だけでは終わりません。
どれだけ年金をもらっているのか。
どんな家に住んでいるか。
子どもが、どの大学を出て、どの会社で働いているか。
どこへ旅行へ行ったか。
武勇伝のあとはマウントが始まるのですね。
相手より上だと思えば安心し、下だと思えば不機嫌になります。
会社を辞めても、心の中では人事評価が続いているわけです。
この価値観は、他人を見下すだけではありません。
最後には、未来の自分を攻撃します。
現役時代より収入が減った。
もう肩書もない。
仕事で頼られることもない。
収入が価値なら、現在の自分は、昔の自分より価値が低いことになります。
だから、過去の自分を何度も呼び出し、現在の自分の代わりに話してもらいます。
収入イコール価値という考えを手放せない人は、会社を退職しても、心の中では退職できません。
存在しない上司と、存在しない同僚を相手に、存在しない評価を守り続けます。「無職のおっさん」や「無職のおじいさん」が受け入れられないのです。それ以外の何者でもないのですが、それが受け入れられないのですね。
FIREした人もこれには気を付けたほうがよくて、早期退職とかは、ようするに「無職のおっさん」になることです。セミFIREとかだったら「パートのおっさん」「バイトのおっさん」ですね。これが受け入れられないと、メンタルを変にこじらせますので、ありのままの自分を受け入れたほうがいいでしょう。
・三つ目・今日の喜びを話せる人になる
三つ目、退職後は何を使って、一日の価値を受け取ればよいのかです。
会社員時代は、一日の価値を成果で測ります。
売上が上がった。
契約を取った。
仕事が予定どおり進んだ。
上司から評価された。
給料が増えた。
成果を求められる場所ですから、それ自体は不思議ではありません。
ただ、退職後まで同じ物差しを使うと、何も生産しなかった日は、価値のない一日になります。
今日は、一円も稼いでいない。
誰からも評価されていない。
大きな成果も残していない。
だから、今日は何もなかった。
しかし、本当にそうでしょうか。
ご飯がおいしかった。
散歩をしたら、風が気持ちよかった。
読んでいた本が面白かった。
家族との会話で笑った。
自分で作った料理が、思ったよりうまくできた。
ゲームで、なかなか勝てなかった相手を倒した。
こうした出来事も、その日を生きた十分な中身です。お金や社会的地位という物差しとは、違う物差しの世界なのですね。
ただ、収入イコール価値の世界では、その物差しの上に乗っからないので無視されます。
会社から見れば、散歩中に風が気持ちよかったことは、何の成果でもありません。
査定表に書いても、給料は上がりません。というか、知った事ではないわけです。
しかし、退職後の人生まで、会社の査定表に合わせる必要はありません。
老後は、数字にならない時間のほうが多くなります。というか、それがメインになります。
そこで小さな喜びを受け取れなければ、資産がいくらあっても、毎日を「何も生産しなかった時間」として処理することになります。
老後に必要なのは、過去の年収を語る能力ではありません。
今日、何が楽しかったかを話せる能力です。そういう物差しを複数持たないといけないわけです。
昔は部下が何十人いた。
大きな仕事を成功させた。
それも、その人の大切な人生です。
ただ、毎日の会話で相手が聞きたいのは、何十年前の決算報告とはかぎりません。というか、そんな話を毎回されても困るわけです。もうちょい身近な話にしたほうが、共感や親近感が持てます。
今日食べたものがおいしかった。
散歩をしていたら、変な形の犬がいた。
読んだ本が面白かった。
退職後にそういう話をできる人のほうが、一緒にいて楽しいのですね。
それに、大きな楽しみである必要はないのです。
小さなことに感謝する。
毎日、ちょっとした新しい発見をする。同じ道を歩いても、ちょっとした違いはありますしね。
その程度のぬるい話のほうが、変なマウントもありませんし、聞いているほうも気楽なわけです。
・まとめ
最後に、過去の最高年収よりも、老後に役立つ能力とは何か、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
収入は、その時点の社会と会社が、仕事へ付けた値段です。
無数にある物差しのうちの一つでしかなく、人間全体の価値ではありません。
ところが、長く会社で働いていると、毎月の給与明細が、自分自身の成績表に見えてきます。
その物差しを退職後まで持ち込めば、現在の自分を評価する数字がありません。ほかの物差しの存在を知らないのですね。
そこで、聞いてもいない過去の最高年収や役職、昔の武勇伝を持ち出します。
自分の価値を証明するために、誰も求めていない資料を提出し続けるのです。
Q太郎は、過去の武勇伝を語るな、と言いたいわけではありません。
面白い話なら、聞きたい人もいるでしょう。それはそれでいいと思います。
ただ問題は、過去の話しか、自分の価値を支えるものがないと思い込んでいることです。
昨日の自分には、役職があった。
今日の自分には、何もない。
そう思うから、昨日の自分を何度も連れてきます。
しかし、退職後に必要なのは、過去の最高年収を覚えていることではありません。
たくさんの物差しを持ち、今日の小さな喜びを受け取れることです。
ご飯がおいしかった。
風が気持ちよかった。
変な形の犬がいた。
そんな話は、一円にもなりません。
だからこそ、会社の評価から自由な話です。
給料は、仕事に付いた値札です。
あなたに付いた値札ではありません。
Q太郎は、50代から捨てるべきなのは、収入そのものではなく、その物差ししか存在しないという思い込みです。
収入を増やす努力はしてもよい。
ただ、それは物差しの一つです。その数字が下がったときに、自分まで一緒に値下がりさせない。ほかに物差しはたくさんあります。それに気づく能力が必要です。
過去にいくら稼いだかより、今日、何を楽しいと思えたか。
その話ができる能力のほうが、退職後の長い時間には役立つとQ太郎は思います。
皆さんは、収入や役職がなくても、自分に残るものは何だと思いますか。また今日一日で、数字にはならないけれど、少しよかったと思える出来事はあったでしょうか。よければコメントで教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。
