50代は挑戦より〇〇が大事!
新NISA一括投資→即毎月定率取り崩し運用中のQ太郎です。
今回は、いわゆる「50代から挑戦しろ」や「まだまだ成長できる」みたいなポジティブな言葉につかれた人についてです。
本記事をYouTube動画で観たい方はこちらのリンクから。
50代は挑戦より〇〇が大事!
こんなご質問をいただきました。
「いつも動画を拝見しています。現在40代後半の会社勤めです。FIREは目指していないのですが、老後や人生についての動画が参考になっています。
質問なのですが、よくある「50代からは挑戦しろ」とか「年齢関係なしに新しいことをどんどんやっていけばまだまだ成長できる」みたいな論調がありますが、正直なところ仕事でもはや疲れてしまって、これらの言葉を聞くのがつらいです。
20代や30代の若い頃ならそれでもいいのですが、さすがに50代にもなれば自分が今後どれだけ稼げるかは見えていますし、今更成長してもたかが知れています。努力の量にリターンが合ってないし、今のまま無難に退職まで勤められれば十分と思っています。
ただ世の中の風潮や、やる気のあるインフルエンサーは、年齢関係なしに成長することをやたらと押し付けてきます。
現実問題として、退職が60歳だとすれば、50代ではせいぜいあと後10年です。何か頑張ったとしても、給料が爆発的に増える訳ではありません。転職も難しいです。
副業を薦めたりもありますが、会社から十分なお給料も貰っていますし、お金に困っている訳でもありません。人生も折り返し地点ですし、時間が勿体無いと思います。
聞きたいことですが「50代からは挑戦しろ成長しろ」という言葉についてどう思いますでしょうか?Q太郎さんのお考えをお聞かせください」
とのことです。
まあ、「年齢関係なしに挑戦しろ」「50代でもまだまだ成長できる」みたいなのはよくありますね。やる気がある人だったらいいのですが、そうでない人にこの言葉は、うつ病の人に「頑張れ」というようなものなので、むしろ危険な気もします。
50代にもなれば、これまで十分頑張ってきた結果が今なので、その状態で今更さらに頑張れと言われても、苦しくなってしまうのは当たり前と言えば当たり前です。50代までしっかり会社勤めしていたのでしたら、もう十分頑張ってますしね。
50代以降に、さらに頑張ろうと思う人は、今現在仕事で重要なポストについているとか、現在進行形で何か巨大なプロジェクトにかかわっているとか、バリバリ仕事をしている人たちですね。そもそもそういう人達は、「年齢関係なしに挑戦しろ」などという言葉を聞くまでもなく、毎日挑戦しているわけです。言われるまでもなく行動に移している人たちですね。
そしてそういう人たちは少数派です。大多数の普通に働いている50代以降の人達に「挑戦しろ」は厳しい言葉に聞こえてしまうでしょう。
20代とかまだ現役の時間がたくさん残されている人たちでしたら挑戦はした方がいいとは思いますが、50代ぐらいだと今後いくら稼げるかとか、大体の数字が具体的に見えますしね。
特に十分な年金をもらえる身でしたら、今更何か新しいことに挑戦するよりも、自分の好きなことに時間を使った方が良いんじゃないかとも思えますしね。
50代からの挑戦と成功
それで50代からの挑戦や成長、成功ですが、そもそもこれらの言葉が経済活動と密接に関わりすぎているのが問題なのだと思います。
ようするに成功というのが、本質的な人生の成功というよりは、お金をいかに稼げるかという話なのですね。
お金を稼ぐこと自体は悪い事ではありませんが、世の中では成功=大金を稼げるみたいな感じになってしまっているので、「挑戦」や「成長」というのもいかにしてお金を稼ぐかみたいな話になってしまうわけです。
若い時はいいのですが、50代あたりになってくると、ご質問にもあるように「今さら大金稼いでも・・・」とか「今更成長しても・・・」みたいな微妙な感じになってくるとは思います。
年を取れば取るほど欲も少なくなって欲しい物もどんどん少なくなっていきますし、人生、お金や派手な生活よりも心の安寧を求め始めてくるわけです。よくも悪くも人間的に落ち着いてくるのですね。
お金がたくさんあっても、「うん、だから?」とか「いや、べつに大金使ってまで特にやりたいことないし」みたいなだるい感じになってくるとは思いますし、パーティとか開いて派手に騒ぐよりおとなしく家で過ごしたり、図書館で本読んでいるほうが全然幸せなわけです。若い時と人生に求めるものや幸せの基準が違ってくるのですね。
とにかくそういう成長とか成功みたいなエネルギーのいる世界から遠ざかりたくなるわけです。FIREをめざす人も、べつに別に大金稼いで派手な生活をしたいわけではなくて、派手な生活じゃなくていいから安心してゆるく生きていきたいわけです。べつに成長とか成功とかしたくないわけです。そういう段階じゃないわけです。
何度も言いますが、やる気がある人はやればいいんですが、こういう競争の世界につかれているというか、そもそも競争とか成長とかしたくないという人達はどうすればいいかといえば、50代以降は心の安寧を目指す方向に舵を切ればいいとは思います。
心の安寧は4つあって、健康・お金・人間関係・趣味ですね。
健康は説明する必要もありませんが、健康であれば毎日気分よく暮らすことができますし、自分のことを自分でできるというのはやはり安心感にもつながります。健康を気にしすぎるのも逆にストレスなので、適度に健康であればいいとは思います。
そしてお金ですが、世の名この部分だけが極端にクローズアップされてしまいますが、心の安寧を得るだけであれば、基本的には派手な生活をせずにそこそこ足りていればいいとは思います。このあたりは自分の最低生活費を明らかにして、バケツ戦略なり何なりでプランを立てておけばいいでしょう。年金を受け取れる年齢も近いですし、無理な投資をせず、無リスク資産と投資のバランスをうまくとってやりくりしていけばいいとは思います。ゆるく仕事をして稼ぐこともできますし、最悪日本は生活保護もありますしね。
人間関係ですが、これについてはあまり無理に人間関係をつくろうとするとすさまじいストレスになりますので、趣味が合う人とか、なにかおなじ目標がある人とゆるくつきあっていくのがいいとは思います。また新しい人間関係をつくるよりも、いまの人間関係を大切した方がやりやすいです。人間関係については、無くても気にならない人はいますので、そのあたりは自分の性格に合わせればいいとは思います。
趣味についてですが、これも予算の範囲内でほどほどに楽しめばいいとは思います。お金をかけない趣味が一番ですね。外部に依存する趣味だと、楽しいものが出てくるか来ないか人任せになってしまいますので、自分でいろんなものを創り出したりとか、楽器が好きなら演奏したりみたいな趣味があると、外部への依存が少ないぶん、自分でコントロールできている感があっていいとは思います。
ゲームが好きな人は、新しくて面白いゲームが出るのを待つという運ゲーをやるよりも、いま持っているゲームをいかに面白く遊べるかみたいな挑戦をしてみるといいとは思います。前回の動画でも言いましたが、物事に楽しみを見つけることのできる感受性を養うのがいいですね。これを育てるのは、幸せになるための成長と言えます。
そんな感じで、経済的な成長・成功みたいな競争社会につかれてしまった人は、仏教的な真の意味での心を育てる人間的な成長と成功を目指していったらいいんじゃないかとは思います。Q太郎もどっちかといえばこっちの方向です。
まとめ
そんなわけでまとめると、
・50代だとある程度先が見えてしまうし、若い時のようなギラギラしたエネルギーが無くなる。「挑戦」「成長」「成功」というワードがつらくなる。
・現在「挑戦」「成長」「成功」というと、金銭的な成功を意味する。
・50代ぐらいになると、若い時ほどお金に対する過度な信頼や執着はなくなり、欲しい物もどんどん減っていく。心の安寧の方が重要になる。
・50代以降は健康・お金・人間関係・趣味の4要素をゆるく取り入れ、人間としての成長と成功(心の安寧)を求めたほうがいいかと。
となります。
世の中には競争大好き・成長大好き・ひとかどの人物になりたいみたいなパワフルな人たちがいる一方で、競争あまり好きじゃなくてゆったりまったり目立たず平穏に暮らしたいという人たちもいます。Q太郎はどちらかと言えば後者です。ご隠居生活というやつですね。
そのため、ビジネス書とかに書いている「成長しろ」「挑戦しろ」が万人にとって正しいわけではないので、自分の性格をまず見定めて、それに沿うに生きていけばいいんじゃないかと思います。全員が前衛で戦っているウォーリアータイプじゃないですしね。
50代ぐらいになるとまとまったお金もできてきますし、「とくに日常に不満もないし、これ以上頑張って稼いでもなー」みたいな感覚になってくる人もいるとは思います。
やる気のある人はやればいいですが、そうじゃない人は自分の性格をよくよく見極めたうえでライフプランを考えていくのがいいとは思いますね。