「毎日がつまらない」理由と対策
新NISA一括投資→即毎月定率取り崩し運用中のQ太郎です。
今回は、FIRE後に毎日がつまらなくなり、幸せを感じにくくなったことについてです。
本記事をYouTube動画で観たい方はこちらのリンクから。
FIRE後、幸せを感じにくくなった
こんなご質問をいただきました。
「質問させて頂きます。FIREしましたが、以前と比べて毎日がつまらなくなり、幸せを感じにくくなりました。趣味の将棋やゲーム、映画、読書も楽しめなくなってきています。
Q太郎さんの以前の動画で、「一日にハレとケを設け、家事をしっかりやった方が良い」との事を述べていましたが、家事はやっていますし、一日中遊んでいるわけでもありません。
ハレとケは設けているつもりなのですが、ただ根本的に趣味に飽きてしまったようで、楽しいと思わなくなってしまいました。つまりハレの部分を喪失してしまったのでしょう。ケだけの状態というのが正しいかもしれません。
独り身なので旅行しても面白いと思わないですし、趣味にお金をかけたくないというのもあります。
モチベーション維持のためのアドバイスなどありましたらご教授ください。
またおすすめの趣味などありましたら教えてください。動画応援しています。」
とのことです。
まず「幸せ」や「面白さ」の定義なのですが、基本的には主観的なものですので、万人に当てはまるような幸せや面白さはないとは思います。
ただ「毎日がつまらなくなった」とのことですが、この「つまらない」については万人に当てはまるものがあって、それは感受性が弱くなってしまったことですね。
感受性が弱くなるというのはどういうことかというと、対象の中に自分なりの面白さを見つけるアンテナが弱ってしまっているという状況です。
この感受性は人それぞれで、ものによっては知識も必要になってきます。知識量は感受性の高さにもなるのですね。
例えばQ太郎は競馬がよくわかりません。大学時代、友人に競馬場に連れていってもらったことがあるのですが、正直あまり楽しめませんでした。
なんか馬が一斉にコースを走っていって、それで戻ってくるだけですし、馬もよくわかりませんのでどれが一等とかもどうでもよかったりするわけです。
ただ競馬が好きな人が見れば、競走馬の親が有名な馬とかなんとかみたいな知識があって楽しめるわけです。Q太郎は知識が無いので楽しめないわけで、「つまらない」という結論になってしまうのですね。
ただこれは誰が悪いかと言えば、競馬ではなくてQ太郎の知識量の問題なわけです。
ちなみに友人に「競馬わけわからん」と言ったら、スーファミの「ダービースタリオン」という競馬ゲームと、やたらとぶっとい攻略本を貸してくれました。これでちょっと勉強しましたが、やはり面白さがよくわかりませんでした。
それで何年か前に、いま競馬やったら理解できるかもと思って、コーエーテクモの『Winning Post』という競馬ゲームの当時最新のやつを買ってみましたが、やっぱり面白さが理解できませんでした。そもそも競馬に適性がないのだとは思います。また機会があったら、思い出したように挑戦してみようとは思います。挑戦自体は楽しいですしね。
そんな感じで、プレロスを楽しめる人はプロレスラーの技とか人間関係とかの知識があるから楽しめるのですし、野球を楽しめるのは野球の知識があるからです。
例えばオーストラリアの知人の家に泊めてもらったとき、クリケットの試合があってその家族たちがすごい熱中して観ていたのですが、Q太郎はルール自体がよくわからないので、そもそも見ていても意味がわからないのですね。アメフトとかもそうですね。
面白さを引っ張り出す能力
それでこのような知識が無くても、対象物から面白さを引き出すことのできる人がいます。こっちの能力の方が知識よりも重要ですね。
先ほど競馬の話をしましたが、競馬の知識が無くても、馬の体格とか走っている姿とか、競馬場にいる人間たちとかを見て面白さを感じるような感受性があれば楽しめるわけです。
散歩しているときも、まわりの景色を自分なりに楽しめるという能力ですね。この能力が高ければ高いほど、人生は幸せになっていくとは思います。
例えば子供がすごいのは、やつらは砂場で遊べるのですね。ただの「砂」ですよ。子供はそこから面白さを引き出せるわけです。こういうのが感受性強者というものです。
おとなになればなるほどこの感受性が弱くなっていくので、いわゆる情弱ならぬ感弱になっていくわけですね。
例えば「ゲームがつまらない」というのは、ゲームが悪い訳では無く、自分が悪いと考えるがいいでしょう。まあ、実際にゲームが悪い場合もありますが、そのクソゲーからいかに面白さをひっぱりだせるかがあなたの人間力にもなります。
例えばそのゲームがいかにつまらないかをブログに書いたり、動画投稿したりとかでみんなを楽しませることもできます。実際、タイトルに「クソゲー」と入ってる動画は案外アクセス数が多かったりしますので、他人を楽しませるためにそのゲームを使うというのも一つの方法ですね。
おっさん世代ならわかるとは思いますが、昔のファミコンゲームは今やっても面白くはないのですね。ただ子供のころはそんなゲームでも面白さを引き出して楽しめたわけです。今ではクソゲー扱いされている「たけしの挑戦状」も、初めて遊んだときは、ゲーム内に店があったりカラオケができたりと、「すげー」という感じでした。店とか入ったりするだけで面白かったのですね。
ゲームに対する知識が多くなっていくと目新しさとかがなくなってきますが、そんな状況でも面白さを自ら見つけ出して引き出すことができれば人生はかなり楽しくなるとは思います。この能力を鍛えたほうがいいですね。
外部と内部の楽しみ
それでどうして面白さを見つける能力が必要かと言えば、「楽しみを自分の外に依存しない」ということが重要なのですね。
例えば面白いゲームや面白い映画を期待すると、それがあたえられれば満足なのですが、そうじゃなければ不満足ということになります。つまり満足か不満足かは、すべて外部任せ、人任せになってしまうわけです。
外部に依存した受け身の幸せになるのですね。これだとコストが高すぎますし、運任せすぎますので、外部のものにたよって幸せになるのはなかなか難しい気がします。
一方で、自分から面白さを見つけ出す能動的な能力があれば、世の中は楽しみに満ち溢れているわけです。
散歩を楽しくないという人がいますが、そりゃ散歩は向こうからあなたに娯楽はあたえてくれません。自分から面白さを見つけにいかないといけないのですね。これは外部のものに依存して楽しみをあたえられるのでなく、自分から楽しみを見つけ出す能力が必要になります。
たとえば植物の知識があれば、森を歩くだけでめちゃくちゃ楽しめるわけです。
映画も、俳優とか監督とかのことを知っていたり、映画の作り方を知っているだけで、ただぼうっと観ているだけの人とは、観ているものが全然違ってくるわけです。
そんな感じで、あたえられたものがあなたを楽しませることを期待するよりも、自分の感受性を磨いて、自分から面白さを見つける能力を鍛えるのがいいでしょう。
お金も含めて外部になにかを依存するのではなく、自分で自分を楽しませるという事を意識的に鍛えたほうがいいですね。
自炊するのも自分で自分を楽しませる能力ですしね。
「毎日がつまらない」のは、面白いものが向こうからやってくるのを受け身で待っているようなものです。自分から見つけに行かないかぎり、世の中からあなたに面白いものをあたえてくれることはないでしょう。
まとめ
そんなわけでまとめると、
・「毎日がつまらない」理由は、感受性が弱くなっているから。
・物事に対する知識量で、楽しみの大きさも変わってくる。(野球も選手を知っているかどうかで面白さが違ってきますしね)
・知識が無くても、自分自身で物事から面白さを引っ張り出せる能力があれば人生は楽しくなる。(子供が砂場から面白さをひっぱりだすようなものですね)
・楽しみを自分の外部に依存しない。面白いゲームや面白い映画があたえられることを期待する受け身の幸せだと、それがあたえられないと不幸になってしまう。
・物事に対して自分から面白さを探し出す。自分で自分を楽しませる能力を鍛えることが重要。
となります。
そんなわけで「毎日がつまらない」というのは、面白いものが降ってくるのを受け身で待っている状態とも言えますので、そんな不確実なものに依存するのはどうかと思います。
外部からあたえられる面白いものに依存せず、自分からそのものの面白さを見つけ出せる力を身に着けていくのがよいでしょう。そうすれば幸せに生きられますし、人生勝ったも同然状態になるとは思います。