FIRE後・退職後、〇〇をやらないと精神を病む

人生・FIRE関連FIRE

seishin

新NISA一括投資→即毎月定率取り崩し運用中のQ太郎です。

今回は、FIRE後・退職後に、これをやらないと精神を病むというか不幸になるという話をしていきます。

本記事をYouTube動画で観たい方はこちらのリンクから。

FIRE後・退職後の不幸

さて、このようなご質問をいただきました。

いつも動画をありがとうございます。

現在早期退職して、ゲームを遊んだり本を読んだり国内旅行をしたりなど、ささやかではありますが毎日好きなことをして暮らしています。

お金の不安はないのですが、ただどこか「これでいいのだろうか」という心のひっかかりがあります。

Q太郎さんはFIRE後も仕事をしているそうですが、やはり仕事はしたほうがいいのでしょうか。しかし正直なところ、いまから仕事をする気力がありません。

かといって、遊んでいるだけというのも罪悪感を感じてしまい、どうにも中途半端な毎日を送っています。

FIRE後も仕事はしたほうがいい理由」など、論理的に納得できる形でのご助言をいただければ幸いです。言いたいことが伝わりにくいかもしれず、わかりづらい文章で申し訳ありません

とのことです。

この質問を投げかけてくれてありがとうございます。

まさにこれは、Q太郎も似たような状況に陥ったことがあるので、よくわかります。というか、このことに早く気付いたのはよかったと思います。

「毎日好きなことだけをして生きる」は不幸への第一歩だと思っています。好きなことをすること自体はよいのですが、やり方というか考え方を間違えると、高確率で精神を病みます。

我々は人間は、幸福になりたいと思いながら、一生懸命不幸になることをやりがちです。

その理由と解決方法について、Q太郎の体験談から話していきます。これを伝えて、今後不幸になる人を減らしていければと思います。

「毎日好きなことをして生きる」は不幸への第一歩

多くの人たちはFIRE後のイメージとして、「毎日好きなことだけをして暮らしていく」というのがあります。

実体験からの結論としては、「精神を病むからやめたほうがいい」です。これもちゃんと理由があるので最後まで聞いていただければ幸いです。

実際に2か月ほど「好きなことだけして暮らす」を試したことがありましたが、まじで精神病んでいくのがわかります。

料理は外食や宅配の食事、掃除などの家事は家事サービスなどを利用して日常の雑事をしないで、好きな本やゲームを読んだり、旅行に出かけたりなどしていましたが、これやっていると生きている感じがしないというか、だんだんとむなしくなってきます。

この「好きなことをやり続ける虚しさ」が襲ってくるのですね。

けっきょく人間のやっていることは、「自分を喜ばせるために刺激を与え続けているだけ」です。

目への刺激、耳への刺激、舌への刺激、そして最終的には心への刺激ですね。

それを悟ってしまうと、すべてのエンターテインメントがむなしくなるわけです。ディスっているわけではありませんが、ディズニーランドもディズニーシーもUSJもすべてがむなしい。水族館も動物園もむなしい。海外旅行で観光地行ってもむなしい。

刺激をあたえるだけならぶっちゃけなんでもいいわけなので、高いカネ払ってなにかする必要性も感じなくなるわけです。近所散歩するだけでもそれなりに刺激は得られるわけです。図書館で本を借りて読むだけでも刺激は得られるのです。

ゲームやら映画やらも刺激の強さ・形が変わっているだけで、けっきょくのところはやはり刺激なのです。

目や耳、舌、それらを統括する心はつねに刺激を求めたがっているのです。これは人間の本能です。

仮に目をふさぎ、音を完全に遮断した部屋に人間を入れるとどうなるかと言えば、幻聴が聞こえてきたり、脳の中でいろいろと妄想が出てきたります。

心はつねに刺激を求めますので、なにもない部屋に長時間いると、「刺激がないなら作ってやれ」と、幻聴や幻覚が出てくるのですね。それぐらい人は強烈に刺激を求めるのです。

話を戻しまして、「好きなことだけして生きていく」というのは、メタ的に見ればなにをしているのかといいますと、ひたすら強い刺激を与え続ける生き方をしていることになります。

そして人は刺激に慣れてくるものです。

マイホームを建てて最初のうちは喜んでいて、掃除も丁寧にやっていたのですが、数年もたつと慣れてしまい、当初の喜びもなくなり、掃除もなおざりになってしまってしまいます。「マイホームあるある」というやつですね

どんな豪邸に住んでも、すぐに慣れます。どんなおいしい料理を食べてもすぐに慣れます。人間はそういうものなのです。刺激に慣れてしまうのです。

慣れるとどうなるかと言えば、それ以上のものをさらに求めようとするのですね。この「もっと欲しい、もっと欲しい」が出てくるときりがなくなるわけです。

幸福感の正体

ここで幸福感の正体について話をします。

幸福感の大きさとは「現実ー期待値」の差であらわされます。

つまり、期待していたことよりも現実のほうが上回っていれば幸福感は大きくなりますし、期待していたことよりも現実が下回っていたら不幸を感じてしまいます。

ようするに期待よりも現実が上か下の問題ですね。この差が大きければ大きいほど幸福を感じたり不幸を感じたりします。

たとえばおいしいと評判のレストランに行って、高い金を払ったわりにはたいしたことがなかった場合、これは期待値を現実が下回ったので不幸を感じてしまいます。

逆にたいして期待せずに入ったお店で、思いのほかおいしい料理が出てきて、しかも安いとなったら、これは現実が期待を大きく上回ったので幸福感が大きくなります。

逆にいうと、この期待値をコントロールしてやれば、幸福を得られるわけです。

物事や他人にあまり期待しなければ、期待値は下がります。現実が期待を上回りやすい状況を作り出せます。

ただこれはいうほど簡単ではありません。

たとえば大学受験をした場合、我々の期待値は「合格」なわけです。つまり「合格」という結果以外は不幸を感じてしまいます。ここで「合格しなくてもいいや」というマインドでやっていれば、実際に不合格でも不幸感は減りますが、そう簡単なことではないでしょう。

小説の新人賞とかに応募する場合も、普通は「大賞をとる」とか期待値が高いわけです。そのつもりで小説を書いている人がほとんどでしょうしね。それで、これがかなわないと、期待値が高いぶん、大きな不幸を感じてしまいます。実際、この高すぎる期待値によって、落選して大きな不幸を感じ、妄想のすえに放火まで起こしたという痛ましい事件がありました。

そのように、人間は一生懸命がんばってきたことに対して、自然と期待値を上げてしまいます。そして不幸を感じてしまいます。

「好きを仕事にする」というのもなにがまずいのかといえば、「好きな仕事だからきっと楽しいのだろう」とむだに高い期待値を持ってしまうわけです。

しかし現実は人間関係もありますし、自分の思い通りにはいかないわけです。そのむだに高い期待値のせいで、「好きを仕事に」して現実を知り、その落差でむだに大きな不幸を感じてしまうわけです。

逆に仕事に思い入れがない人のほうが、なにかあっても「そんなものか」ぐらいで不幸を感じにくかったりします。自営業の親の仕事をそのまま引き継いでいるとか、このタイプが多い気がします。

実際、仕事に情熱をもって取り組んでいる人と、仕事は仕事と割り切っている人とでは、離職率は情熱を持っている人のほうが高いという研究結果がミシガン州立大学で出ています。情熱を持っている人は期待値が高すぎるのですね。

期待値は欲の大きさ

それでこの「期待値の大きさ」というのは何かといえば、人間の「欲の大きさ」とも言えます。

「ギャンブルで1億円作ったる」とか、欲が膨らむと期待値爆上がりなわけです。それで結果がだめだったら、その分大きな不幸を感じるわけです。それだけならまだしも、負けたという現実を受け入れられなくて、さらに資金を突っ込んでいくはめになる場合もあります。現実が期待値に追いつくまでひたすら賭け続けてしまうのです。

以前も言いましたが、仏教に「欲・怒り・無知」という体をむしばむ三毒というのがあります。

期待値というのは人の「欲」であり、この期待値が高いというのは欲が大きいということでもあります。

「欲」がかなわないと、この「欲」は「怒り」に変わります。これは怒りのメカニズムであり、発生自体は防げません。そのため、「自分は怒っているな」と早めに気付いて、それ以上の燃料をあたえないということは重要です。

怒りは火にたとえられ、「着火」→「燃料による増幅」の段階を経るので、着火の時点で気づけば怒りは燃え広がらなくてすみます。この話は以前の「欲望・怒りの手放し方」でも述べたので、こちらを参照していただければと思います。

「FIREしたら毎日好きなことをして生きていけるから幸せ」というのも、これは期待値高すぎの考え方です。

その高すぎる期待値と、現実とのギャップで、不幸を感じやすくなるのだと思います。

ここで「こんなはずじゃない」と思ってさらに期待値を上げていけば、さらに不幸は大きくなるでしょう。

人間のつくる料理やエンターテインメントなんてたかが知れています。3万円のおすしが1000円のおすしの30倍うまいかといえば、そんなわけはなくて、せいぜい1・5倍~2倍ていどでしょう。

すしはどこまでいってもしょせんすしですし、ラーメンはどこまでいってもラーメンなのです。有限なものなのです。味が完全に違ったら、それはもはやべつの食べ物です。

そんなわけで人間のつくりだした有限の味やエンタメに対して、期待値だけが一方的に上がり続ける。つまり欲望だけが「もっとすごいものが欲しい、もっとすごいものが欲しい」と上がり続けると、現実との差でどんどん不幸を感じやすくなってしまいます。無限の欲望に、有限の味やエンタメが追いつけるわけがありません。

期待値を下げる

じゃあどうすればいいかといえば、期待値を下げることです。

ただこれは、状況によっては簡単ではありません。受験するのに「受かることを期待するな」というような話になります。

表立って期待していないと言っても、潜在意識では期待してしまっているのです。「期待しない」と考えるだけでどうにかなる問題ではありません。

そこで期待値よりも欲望を減らす方向で考えていきます。そのため、いろいろ制限する必要があります。

たとえば「ゲーム大好きだけど、毎日何時間も遊んでいたらどのゲームもつまらなくなった」みたいな話を聞きますが、そりゃ毎日何時間もゲームをすればつまらなくなるでしょう。

しかもゲームをとっかえひっかえで、あきたらまた新しいゲームとやっていたら欲望にきりがなくなります。

小学生のころにゲームが楽しかったのも、「1日一時間」とか、勉強があること、そもそもゲームソフトの種類が少ないことなどによって、いろいろ制限されていました。強制的に欲望をおさえられた状態になっていたのですね。制限がある、楽しさも大きくなるわけです。

じゃあ、大人の我々がどうしたらいいのかといえば、「嫌でもやらないといけないこと」を日常に入れればいいわけです。

現在仕事をしている人にとっては、それが欲望を抑えるコントローラーにもなっています。仕事があるから休暇が楽しいのですね。幸福はギャップが生まれるのです。

しかし退職後とかFIRE後になるとその欲望をおさえるコントローラーがなくなってしまうため、欲望と期待値がうなぎ上りになって、現実との大きなギャップに苦しんで不幸や虚無感を感じていくわけです。

「働いていたころの方がゲームが楽しめた」「働いていたときのほうが生活が充実していた」というのもこれです。それでFIREしたあとになんか満たされなくて、また会社勤めを始めたという人もいます。

仕事の定義

ここで重要なのは、やはりFIRE後・退職後の生活に仕事を取り入れることなのですが、まずこの「仕事」の定義ですが、現代社会だと「仕事=お金を稼ぐこと」になってしまっているのが大問題とは思います。

そもそも人にとって仕事というのは、昔は自分や家族が生きていくためにおこなうものでした。娯楽のためにカネを稼ぐとかそういうものではなく、ガチで生きていくためです。

食料を確保し、自分や家族を生かしていく。そのために頭をつかって、いかに生存していくかを考える。

そのために農業をやったり、それ以外のことをやったりなど、副業をたくさんやって細かい仕事で稼いでいく形でした。百姓というのも、いろいろな仕事をやっているというところからきています。

職業が専業化し、お金を稼ぐためにおこなわれるようになったのは、人類の歴史からすればごくごく最近のことです。そもそも昔は職業選択の自由すらなく、生まれたときに身分でつける仕事が固定化されていましたしね。

我々は、人類の歴史からすれば特殊な時代に生きています。しかも仕事の内容が自分の生活に直結しないことも多く、さらに分業化が進んでいるため、自分のやったことの結果がどうなっているのかわかりづらいため、働いていてもふわふわしている感じになるのですね。「なにやってるんだろう」という感じです。

これは仕事だけでなく、遊びのほうにも言えます。

ゲームも、メタ的な視点で見れば、光の点を見て目や心に刺激を与えているだけです。座って、コントローラーを動かして、あるていどやると悟ってくるわけです、「なにやってるんだろう」と。

この「なにやってるんだろう」の原因ですが、いわゆる「ハレとケ」の、いわゆる日常とかけはなれた「ハレ」の部分だけをひたすらやっていて、日常の「ケ」の部分がなくてバランスがとれなくなっているのですね。

人生、ハレとケがあるから、ケからハレへの差によってハレが楽しめるわけです。先ほどもいったように、幸福感は「差」なのです。幸福な状態がつづいたら差がなくなってしまうので、幸福を感じなくなってしまうのです。

ケをとりもどす

ここで質問者様がしたほうがいいことですが、「ハレ」ばかりの生活になっているので、日常である「ケ」を入れる必要があります。

むしろ「ケ」を多くして「ハレ」を少なくしたほうが、ハレが楽しめますし、幸福度も上がるでしょう。

それでやってほしい「ケ」ですが、「家事」です。買い物、料理、掃除、洗濯などですね。とくに自炊はやったほうがいいでしょう。

これらは人間が生きていくために必要なものなので、ここから離れてしまうと生きている感じがしなくなってしまうのですね。

というか、ゲームやら旅行やら、自分の日常生活から離れたふわふわとした生活を送り続けると生きている感じがしなくなるのは当たり前です。質問者様が感じていることは、かつてQ太郎が感じていたことなのでよくわかります。

そのうえ、家事代行サービスとかルンバとか使い始めると日常からガンガン離れていくため、「なんのために生きているんだ」と感じやすくなってしまいます。

家事は仕事なのです。昔はこれが人にとって一番重要な仕事だったのです。お金に依存せず、自分が生きていく基盤を自分でつくるのはあたりまえです。

以前も言いましたが、とにかく料理スキルなど生活に必要なスキルを上げてください。掃除も外部サービスやルンバを使わずに自分でやってください。

生活に関して、外部サービスとか家族とかお金に依存していると自己肯定感も減ってしまって、どんどん精神が病んでいきます。自分の力でできればお金の心配は減りますし、それだけで人生がだいぶ変わります。

それで毎日家事をしっかりやって、それからゲームとか本を読んだりとかすれば、人生が楽しくなるでしょう。

現代の仕事も、多くは日常から離れたものが多いです。Q太郎はブログとかYoutubeとかをやっていますが、これも日常から離れているものなのです。

だからFIRE後に「ブログやYoutubeで稼いで、ゲームや旅行を楽しむ」みたいな感じでやっていると、これぜんぶ日常ではないので「なにやってるんだろう」と精神を病んでいくわけです。

本当にやるべきことは家事です。少なくとも自炊や掃除はやったほうがいいでしょう。適当にやるのではなくて、しっかりやる。

そうやって生活スキルを上げていくと楽しいです。最終的には野菜を育てたり、床張りや壁紙の張替えとか家の修理も自分でできるようになると、お金に依存しなくていいようになり、人生の自由度がかなり上がります。

 

まとめ

そんなわけで、本気で経済的独立を目指すのであれば、FIREした次の段階は「自分の生活スキルを上げて、お金に依存しない生活をする」ことです。

そのために基礎的な家事スキル・生活スキルを上げまくるといいでしょう。

あと物事の制限ですね。一日で自分の好きなことをするのは2~5時間ぐらいが適切で、それ以上は不幸を感じやすくなるみたいな研究もありますし、遊ぶ時間の制限もしたほうがいいかと思います。「ゲームは一日1時間」みたいなやつですね。その時間制限がゲームを楽しくします。

ちなみにQ太郎の現在の制限ですが、「今年一年、エンタメにいっさいお金を使わない」です。とくにゲームや本ですね。

ゲームはすでに多すぎるので過去のを遊べばいいですし、フリーゲームも多いですしね。Epicゲームズだと毎週無料でPCゲームをくれます。

本に関しては図書館を利用すれば無料です。Q太郎は海外へ行っても、行くところと言えば現地の図書館なので、図書館自体が好きというのもありますね。無料ですしね。ウィキペディアを読むというのもけっこう楽しめます。

あと親戚のアマゾンプライムを利用させてもらっているので、プライムリーディングで無料で電子書籍も読めます。あと親戚のNETFLIXも借りているので、映画にも困りません。親戚使いまくってすみません。ただこういうのもお金ではなく、人との関係であるソーシャルキャピタルを稼いできた結果とも言えます。

本当にお金よりもソーシャルキャピタルを稼いだ方が、お金の心配がなくなります。もちろん一方的に奪うだけではなく、こちらが助けられることはどんどん助けてあげるという相互協力の関係が前提です。家に泊まりにきたら泊めてあげるとかそんな感じですね。これからの時代は本当にソーシャルキャピタルを重視したほうがいいでしょう。

ちなみにQ太郎は台湾で部屋を借りていますが、これも自炊ができるからです。ちなみにいま台湾にいて、つい先日大きな地震があってめっちゃ揺れました。余震もかなり多かったですね。

とにかく家事をしっかりやって日常から離れない暮らしをし、生活スキルを上げつつ、その合間に自分の好きなことを2~5時間ぐらいするのが一番幸福度の上がりやすいです。ハレとケの差を一日の中で作るのですね。

そんなわけで「好きなこと」はいったん2~5時間以内に抑えて、家事をやったり生活スキルを上げる勉強をしたりに時間を使うと、自分を使ったリアル育成ゲームをやっている感じで楽しい人生が送れると思います。