FIRE後にやめたこと3選

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新NISA一括投資→即毎月定率取り崩し運用中のQ太郎です。

今回はFIRE後にやめたこと3選です。

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FIRE後にやめたこと3選

本チャンネルではFIRE、老後での資産管理や投資信託の取り崩しについてのリアルな情報を発信しています。

FIREというのは、経済的独立と早期退職ということですが、Q太郎的にはFIの「経済的独立」はいいとして、REの「早期退職」がどうにもしっくりこないというのがあります。

というのも、もとから個人事業主ですし、経済的独立をしても、「よっしゃ、明日から仕事辞めるぜ!」みたいにはならないのですね。というかこれまでの日常が、FIRE後もそのまま続いていくという感じです。

もともと好きでやっている仕事ですし、仕事量を減らすことはあっても、完全にやめて遊び惚けるということはメンタル的にも厳しいのですね。

前回もいいましたが、人間は現状維持を好みます。

FIREのために節約生活をしていた人が、FIRE後に急に金遣いが荒くなるわけもなく、けっきょくFIRE前とおなじような日常を繰り返すだけです。むしろFIRE前よりも財布のひもはかたくなります。

これまで陰キャだった人が、FIRE後すぐにパリピになってクラブではしゃぎまくってシャンパン開けまくって散財などということが、漫画でもない限りはありえないというのとおなじですね。本当に一日でこんなに豹変できる人はメンタルがチタンレベルに強靭なので、そもそもそんなやつは陰キャでもなんでもないとは思います。

FIREしようがしまいが、日常はそのまま死ぬまで続きます。そのため、いまの日常が楽しくないのであれば、FIREしようがしまいがいまの日常を変える必要があるでしょう。

未来などとというものは存在せず、「いま」がずっと連続していくだけです。そのため、FIREすることより、いまこの日常をどうするかを考えることのほうが重要とは思います。

遊び・仕事のメリハリをつけるのをやめる

そんなわけで、FIRE後にまずやめたことは「遊びと仕事のメリハリをつける」ことです。

たとえば世間一般ではよく「仕事と遊びのメリハリをつけろ」とか、「仕事は仕事、遊びは遊びできっちりわけて、精一杯やれ」みたいな、「できる社員」的な思考がもてはやされているとは思います。

会社とか勤務時間のある仕事でしたら、これは正しいとは思います。勤務時間中に、仕事の息抜きに会社のパソコンでゲームをやっていたら怒られますし、他の社員の士気にも影響しますしね。

ちなみに昔のパソコンゲームには、「ボスが来た」ボタンみたいなのがありましたね。ボスというのは上司のことで、ゲーム中にそのボタンを押すとゲーム画面が仕事画面に切り替わるというものです。

ただQ太郎のような個人事業主は、見張ってくれる上司も、勤務時間もないわけです。一見良さそうですが、人間の意思というのはそんなに強いものではないので、なにかのきっかけで果てしなくだらだらして、一方で心だけはひたすらあせってしまって、けっきょくなにもできないという状態になってしまいます。

Q太郎が個人事業主をはじめて最初のころは、ガッーと仕事をしたあと、ガーと何日か休んで、またガーっと仕事をしてみたいな、いわゆる「メリハリをつけた仕事」というのをしていました。

なんかそのころに読んだ本で「仕事と休みのメリハリは重要」という部分に影響を受けて、時間単位で仕事と休息を管理していたのですね。

しかしこれをやればやるほど、仕事のパフォーマンスは落ちていきました。けっきょくどういうことかと考えてみると、たとえばガーっと仕事をしている間中、なにを考えているかといえば、「これが終わったらガーっと休める」ということです。

そしてガーっと休んでいるときになにを考えているかといえば、「この休みが終わったら、またガーっと仕事をしないといけないんだな」ということです。日曜日が来ると、「明日は月曜日か」と憂鬱になるアレですね。

つまり、メリハリをつけたことによって、仕事をしているときは休みのことを考え、休んでいるときは仕事のことがチラチラしてちゃんと休めていないということです。自分の意識が「いま現在」にフォーカスしていないので、仕事のパフォーマンスも上がりませんし、休みもしっかりとれていなかったというわけです。メリハリの弊害ですね。

人によっては、しっかり「いま現在」にフォーカスして、仕事は仕事、休みは休みでがっつりメリハリをつけられる仏陀クラスの現在フォーカス力を持つ人がいるとは思いますが、Q太郎はまだ精進が足りないのでその域まで到達できません。

そんなわけでどうするかといえば、「つねに仕事しつつ、つねに休みつつ」みたいな感じでやるわけです。仕事をしながら、その合間に読書したり映画見たり別のことをやったりとかですね。

とくに時間の決まっていない仕事の場合、「3日だけがっつり働いて、それが終わったら3日休もう」みたいにやってしまうと、休んだあとにまた動き出すのがかなりしんどい。会社勤めのような外部からの強制力がなにもありませんので、「自分の意思力」という世の中で一番頼りにしてはいけないものに依存することになります。一度止まったものがまた動き出すのは大変なので、少しでもいいのでつねに働きつつ、その中で休んでいくということをしていく必要があります。

一日1分でもいいから働くという癖をつけておくのですね。一回でも完全に止まったら、本当に復帰が大変です。だらだらでもいいから、とにかく止まらない。このほうが物事を長く続けていけるとは思います。

ここでいう「働く」は、なにも金銭を生み出すことが重要ではありません。掃除をするでもいいし、なんだったら自分の家のまわりの道路もついでも掃除してもいいですし、人の手伝いをするでもいいですし、家庭菜園するでもいいですし、ソーシャルキャピタルのようなお金を介さない豊かさを稼いでいくということも重要になっていくとは思います。

依存をやめる

そんなわけで、次にやめたことは「依存」です。

お酒・たばことかギャンブルとかの依存症はわかりやすい「悪い依存」ですが、そういうのだけでなく、すべての物事に対してできるかぎり依存しない生き方をすることです。

以前「家電からのFIRE」という動画を出しました。

洗濯機・掃除機・冷蔵庫をつかわない暮らしというものですね。

「不便」とか「大した節約にならない」とかそういう表面的な問題だけではなくて、これらが壊れたときに大慌てして心を乱すような事態になるのが一番の問題なのです。

冷蔵庫があってもいいのですが、「冷蔵庫がないと生活ができない」となってしまうとこれは冷蔵庫に依存した状態になってしまっています。そのため日ごろからこのような便利アイテムがなくても生活できるように、自分自身を鍛えておくことは重要とは思います。

実際、これらがなくても生活ができるようになると引っ越しがめっちゃ楽ですし、物件は選びたい放題ですし、とくに海外の長期滞在が楽になります。

「物がなくてもどうにでもなる」という状態は、すごく快適なのですね。

「無い」ことに執着するのもまた執着なのでべつに無くさなくていいのですが、ただ「無いと生きていけない」みたいなことがないように普段から手洗いをしたり、箒や雑巾で掃除をしたりなど、持ち運び困難で電気が無ければ動かないでっかい家電製品への依存度を減らすような生き方を心がけています。

よく意識高い系の人たちが、「お金払って家事を代行してもらい、その時間を自分のために使う」という人がいます。

「時給計算すると家事をする時間でお金を稼いだほうがいい」という話なのですが、すべてをお金で換算してしまうというのは、これって完全にお金に依存した生き方なのですね。

家事をしないぶんお金はもうかるかもしれませんが、その一方でお金への依存度が高まり、お金がない状況で生きていけるスキルや能力をどんどん失っていることにもなります。

これの何が怖いかというと「お金が無くなったらどうしよう」みたいな悩みをつねにかかえつづけることになることです。

家事を放棄することで、生活力のない無能人間ができあがってしまうため、お金を稼ぎ続けないといけなくなるのですね。

料理をつくったり、掃除をしたりという家事能力は、自分の生活能力への貯金になります。

とくに料理の能力は日々の積み重ねなので、下手に外食とかウーバーイーツとかで代用してしまわないほうがいいでしょう。

ゲーム感覚で、自分の料理スキルのレベル上げをする感じで、料理に取り組んでいくと日々が楽しくなります。

「料理が楽しくない」という人もいますが、それはレベル上げをしていないからです。毎日おなじようなものを作っていればレベルは上がりませんし、ストーリーも進展しません。進歩がなければ面白いはずもありません。進歩がないというのは、アリアハンから一歩も出ずに、ストーリーも進めずに、レベル1以上上がらないレベルキャップをつけた状態でずっとスライムを倒し続けるのと同じレベルの苦行です。つまらないに決まっています。

掃除も洗濯もいろいろ自分で考えながら進展させると楽しくなります。

知識を仕入れたり、これまでやったことのない方法を試してみたりなど、レベルを上げてストーリーを進めていくと家事は楽しくなっていきます。掃除は極めると楽しいものだったりします。掃除の達人を取り上げたテレビ番組もあるぐらいですしね。

そんなわけで、便利なサービスへ依存することは、一生お金の不安に付きまとわれることになります。

自分でできることが増えると、そのぶん外部のサービスを利用する必要はなくなり、お金への依存度は減ります。

自分で家をリフォームする技術があれば、高いリフォーム代を払わずにすみます。

2~3キロ歩くのが苦にならなければ、タクシーやバスを待つのにイライラしなくて済みます。

家庭菜園をしているのであれば、スーパーへの依存度も減るでしょう。自給自足ができれば、そもそもお金を通してなにかを手に入れるということが少なくなります。

人間自体のスキルを上げることで、お金を含めたさまざまなものに対する依存を減らしていくことができ、それが生きていくうえでの安心感になります。

『シムズ4』というゲームで、料理をすると料理スキルが上がったり、修理をすると修理スキルが上がったりしますが、あの感覚で人間としてのスキル上げをしていくとお金やサービスへの依存度が減って生きやすくなるとは思います。

「いつか使うかも」をやめる

最後ですが、「いつか使うかも」をやめました。

もともとそんなに物を持つ方ではないのですが、「いつか使うかも」でとっておいたものが家にけっこうあったので、それらをガンガン処分していました。

本当に使うのだったらそのときにまた買いなおせばいいだけですし、多くのものはけっきょく買いなおす必要もないとは思います。

かなり以前、VRが急に流行った時期に、10万円以上するVRゴーグルを買ったのですが、体験してみてだいたいこんなものかとわかり、たぶんもう使わないので、欲しがっていた親戚にあげてしまいました。

ここでの問題は値段ではなくて、使うか使わないかです。使わないのに家に置いていても場所をとるだけですし、それだったら使いたい人にあげてしまったほうが、世の中にとってもよいこととは思います。

あとたまにやるのが「0円ショップ」です。いらない本とかCDとか電気製品とかを外に持っていって、適当に並べて0円で売ります。ようするに欲しい人がいたらあげてしまうのですね。こちらとしてはいらないものですし、ブックオフとか持って行っても二束三文にしかならないでしょう。人にあげれば喜ばれますし、物も有効に使ってもらえるとは思います。

いまは物を手に入れるのに、お金を経由させなければならないという固定観念がはびこっています。

しかし物と物を交換したり、物と労働を交換したり、労働と労働を交換すれば、お金を介さなくても欲しいものを手に入れたりできます。お金をつかわない経済というものを成り立たせることがこれからは重要になっていくのではないかと思います。

「でも0円ショップで、無料で物を配ったら何も得られないのではないか」と思うかもしれませんが、目に見えない形でいろいろ得られているのです。ソーシャルキャピタル、社会的な資産といったお金以外のものを稼いでいるのですね。

0円ショップを開いて、全員がいらないものを持ち寄って自由にやりとりしてもらう。

ルールとしては、飲食物や化粧品を売るのは禁止。人体に害がある場合もありますしね。そして売れなかったものは各自持ち帰る。

これなら中古ショップに売るより気楽に家のものが処分できますし、けっこう楽しかったりします。物を売るわけではないので許可もいりませんしね。

こういうお金を経由しない世界が広がっていけば、お金の不安や呪縛から逃れられるとは思います。

個人的には労働を含めた物々交換の場を広げていって、お金への依存を減らした社会というのを実験的につくっていきたいとは思います。まずは身のまわりからですね。

そんなわけで「いつか使うもの」はさっさと手放して、いますぐ使いたい人にわたしてしまったほうが、自分も物もよろこぶとは思います。

 

まとめ

そんなわけでまとめると、

・仕事・遊びのメリハリをつけるのをやめる。

・依存をやめる。

・「いつかつかうかも」をやめる。

となります。

物事がすべて、お金を介してしか実現できないという考えを早めにすてて、物への依存も捨てることができれば、本当の意味で人生の苦難からFIREできるとは思います。

この「お金に依存しない世界」を体験するには、一度0円ショップを開いてみるのもいいでしょう。町内会とかに入っているであれば、そこで提案して0円ショップをみんなで開催してみるのも面白いかもしれません。お金はもうかりませんが、人とのつながりが手に入ります。これは社会的な資産を増やしているとおなじです。

というか、世の中、お金を使って解決できることは多いですが、そのぶん人間としてどんどん無能になっていきますので、できるだけお金をつかわず、知恵とスキルと人間関係でスマートに解決することを癖にしておくといいでしょう。お金払って無能になるのは、Q太郎的には罰ゲームです。

そんなわけで、お金への依存から離れ、知恵やスキルやソーシャルキャピタルを手に入れることで、本当の意味での経済的自立を果たすことができます。この感覚が身に付けばお金の不安におびえなくてもよくなりますし、これが理解できないと何億円あってもお金の不安からは逃れられないでしょう。

そんなわけでFIREするしないにかかわらず、知恵やスキルを身に着けて、最終的にはさまざまなものへの依存からの独立を果たせるようになるとよいでしょう。

まあ、ガチでできればもはや悟りや解脱の領域、涅槃の領域ですね。もはや仏陀です。

Q太郎にはそこまではまだまだ無理すぎますし、あまりにも遠いガンダーラですが、少しずつ精進していきたいとは思います。