
こんなご質問をいただきました。
「自分へのご褒美は、私もあまり好きな言葉ではありません。
この言葉の持つ気持ち悪さは何なんでしょうね」
とのことです。ありがとうございます。
うちのチャンネルで何度か出てきている「自分へのご褒美」問題です。
これが終わったら、自分にご褒美をあげよう。
面倒な仕事を前にして、そんなふうに自分へ言い聞かせることがあります。
この案件が終わったら、少し高い食事をしよう。
今月を乗り切ったら、欲しかったものを買おう。
そうやって、少し先に楽しみを置き、自分を動かすわけです。
質問者さんと同様、Q太郎も以前から、この「自分へのご褒美」という言葉に、引っかかっていました。
自分のお金で好きなものを買っているのに、なぜ自分へ餌を与えるような言い方になるのだろうか。ここがなんか変な感じなのですね。
何度か動画で言っていますが、「ご褒美にしなくても、普通に買えばいいじゃん」という話なわけです。なぜ条件をつけるのかという問題です。
それで違和感を、結構うまく言語化できていると感じたのが、「にちゃんねる」のもと管理人で有名なひろゆきさんの著書「貧しい金持ち、豊かな貧乏人」です。
本書では、自分の目の前へ餌をぶら下げ、自分の機嫌を取りながら働いている状態へ疑問を投げかけています。自分自身に対して、餌で釣ってまでしないといけない仕事とはなんなのかという話ですね。
そして、「自分へのご褒美は、内なるSOS信号だ」と指摘しています。
確かにその通りでして、買うものが欲しいというより、餌で釣ってまでして自分をなだめなければ、仕事や生活を続けられなくなっている状態と言うのが危険なのかもしれません。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。
今回は「自分へのご褒美はSOS信号」を深掘りしていきます。
・三つの話
今日は大きく三つ話します。
一つ目、自分で自分に餌をぶら下げる働き方。
二つ目、ご褒美が苦しい生活を続けさせてしまうこと。
三つ目、その言葉から自分の状態を読み取ることです。
最後に、自分を大切にするとはどういうことか、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
・一つ目・自分が飼い主になっている
それでは一つ目、自分で自分に餌をぶら下げる働き方です。いわゆる競走馬の前にぶら下げられた人参ですね。
以前の動画では、ご褒美という名目で消費を繰り返すことや、そもそも好きなものを買うために頑張った証拠が必要なのか、という話をしました。
今回は、その手前にある、自分の動かし方を考えたいと思います。
本当はもうやりたくない。
疲れているし、休みたい。
しかし、その気持ちを聞く代わりに、終わったらおいしいものをあげるから、もう少し頑張ろうと言う。
自分の中に、働かせる側と、働かされる側がいるのですね。
会社から頑張れと言われるだけでも疲れるのに、なぜか自分まで会社側へ回ってしまっているわけです。
しかも、自分を動かすためのご褒美は、自分の給料から出ます。
自腹で餌を買って、自分の目の前へぶら下げ、自分を走らせているわけです。
なかなかよくできた労働システムだとは思いますが、冷静に考えると意味がわからないわけです。
本人は、自分の機嫌は自分で取っているつもりです。
たしかに、その場を乗り切る方法としては役に立つのでしょう。
ただ、いつも機嫌を取り直さないと働けないのであれば、そもそも機嫌を壊し続けているものは何なのか、という根本的な話になります。
仕事の量なのか。断れない人間関係なのか。自分で自分へ課している基準なのか。
そこを見ないまま、ご褒美だけを追加しても、自分の苦しさは残ります。というか、毎回ご褒美を用意していたらお金もなくなっていきます。そしてそのお金を稼ぐために、過酷な労働をするわけです。謎の負のスパイラルができあがるわけです。
ひろゆきさんは、こうした状態を、知らないうちに過酷な働き方へ追い込まれているのではないかと問いかけています。
「ご褒美で動かし続ける働き方は長続きしない」という警鐘ですね。お金もかかりますしね。
自分で自分を動かせることが、いつでもよいこととはかぎらないのです。
・二つ目・ご褒美で帰れるようになってしまう
それでは二つ目、ご褒美が苦しい生活を続けさせてしまうことです。
嫌なことがあり、買い物をして、少し気が晴れる。
これだけなら、買い物にちゃんと役目があります。
ところが、そのおかげで、翌日も同じ環境へ戻れてしまいます。
疲れる。買う。少し回復する。また疲れる場所へ戻る。
ご褒美が、そこから離れるための休息ではなく、そこへ戻るための補給になっているわけです。
こうなると、生活を変えるきっかけになるはずの「もう嫌だ」という感覚まで、毎回ご褒美で処理されてしまいます。
火災報知器が鳴ったので、音がうるさいから止める。
静かにはなりましたが、火が消えたかどうかは、まだ分かりません。
気分を直すことと、気分を悪くしている原因がなくなることは、別なのですね。やらないといけないのは、消火活動なわけです。
そして、買い物で使ったお金を取り戻すために、さらに働くこともあります。
頑張ったから買う。買ったから、また頑張らなければならない。
自分への優しさに見えたものが、自分を同じ場所へ縛る理由になってしまいます。
ここで「では、ご褒美を節約しましょう」と考えると、話がおかしくなります。
苦しい働き方はそのままで、最後に残った楽しみだけを削ることになるからです。
Q太郎は、ケーキを我慢する前に、そのケーキを買わないと乗り切れない一週間のほうを見たほうがいいと思います。
たまの楽しみを全部疑う必要はありません。
ただ、何を買うか考えているときだけ、ようやく気持ちが持ち直す。ご褒美がないと、次の一週間を耐えられない。
そうなっていたら、SOSサインとは思います。商品の値段より、自分が何に耐えているのかへ目を向けたいところです。
・三つ目・なぜ餌が必要なのか
それでは三つ目、その言葉から自分の状態を読み取ることです。
自分の好きなものを買う時も、たんに好きだから買うのか、それを買わないと仕事へ行けないのかでは、話が違うわけです。
だから、ご褒美が欲しくなったら、「今、自分は何をなだめようとしているのか」と、一度考えてみる。
Q太郎は、この問いを置くことに意味があると思います。
本当に欲しいものがあるなら、それはそれでいいでしょう。
一方で、ご褒美が必要な状態は、本当に欲しいのは商品ではなく、今日を何とか終えたという感覚なのかもしれません。
何も買わずに、仕事を一つ減らせたほうがうれしいのではないか。
高い食事へ行くより、明日の予定がなくなったほうが安心するのではないか。
そう考えると、自分が求めていたものの形が変わります。
もちろん、すぐに仕事を辞めたり、すべての負担をなくしたりできるとはかぎりません。
それでも、自分はこれを好きで続けているのか、それとも餌で何とか走らせているのかを区別することはできます。
自分で選んだご褒美なのだから、自主的に楽しんでいるはずだ。
そう決めつけず、その買い物の前にある一日を見てみることです。
これは仕事だけの話でもありません。
家事や介護、人付き合いなど、断りづらいことが積み重なり、自分を後回しにしている場合もあるでしょう。
そこで、ご褒美として自分へ何かを買ってあげることだけが、自分を大切にする方法ではありません。
これ以上は引き受けない、という選択が、自分にとって一番欲しかったものかもしれないのですね。そっちのほうがご褒美かもしれませんね。
・まとめ・Q太郎の見立て
最後に、自分を大切にするとはどういうことか、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
Q太郎が以前から感じていた、ご褒美という言葉への違和感は、自分をいたわっているようで、自分を無理やり働かせる仕組みにもなっているところです。たぶん質問者さんの感じている「気持ち悪さ」も、この部分なのだとは思います。
嫌がっている自分へ、ご褒美を渡して、もう一度同じ場所へ送り出す。
その繰り返しを、自分への優しさと呼んでいいのだろうかと思います。
前回は、本を読んで満足した、ゲームが楽しかった、それで自分へのリターンは返っているという話をしました。
好きなものを楽しむことに、労働への耐久力まで求める必要はありません。
おいしいものは、おいしいから食べればいい。
自分をもう一度走らせるための燃料にしなくてもいいのです。
ご褒美が欲しい自分を責める必要もないと思います。
その自分は、今まで何とか生活を続けようとしてきたのでしょう。
ただ、次の餌を探す前に、なぜ餌がなければ動けなくなっているのかを、一度聞いてあげてもいい。
自分の機嫌を取る前に、自分の機嫌を壊し続けている生活を疑う。
Q太郎は、そのほうが、自分を大切にすることへつながると思っています。
皆さんは、自分へのご褒美が欲しくなるのは、どんなときでしょうか。
楽しみが先にあるのか、それとも耐えていることが先にあるのか。
よろしければ、皆さんの経験をコメント欄で教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。
