こんなコメントをいただきました。
「所有についてですが、物を手に入れるという原動力が、生活に活力を与えている面もあります。ただやはり行き過ぎれば怖いですね。バランスが必要とは思います。」
とのことです。ありがとうございます。
確かに「次はあれを買おう」という目標が毎日の活力になっている、という感覚は、多くの方が経験しているのではないでしょうか。欲しいものがある人間は強い、という言葉もあるくらいです。
その一方で、行き過ぎれば怖い、バランスが必要、とも書いてくださっています。
では、そのバランスというのは、一体どこにあるのでしょうか。物を持てば持つほど幸せになれるのか、それともどこかで逆転が起きるのか。今回はそこを掘り下げていきます。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学チャンネルへ。賢く資産形成をしつつ、お金に悩まされないための生存戦略を日々発信しています。
今回は、人は所有で幸せになれるか、というテーマでお伝えします。
・所有物は自分の拡張
以前も言いましたが、心理学に、所有物による「自己拡張」という考え方があります。人間は所有物を通して、世の中に自分のアイデンティティを広げているというものです。
少し具体的に話すと、人が物を買うのは、その物の機能だけを手に入れたいからではない、ということです。高級時計を買う人は、「時間を確認したい」だけなら5000円のデジタル時計で十分なはずです。それでも高級時計を選ぶのは、高級時計を身につけることで、「自分はこういう人間だ」というシグナルを周囲に送りたいからです。心理学ではこれを「ステータスシグナル」と呼びます。
車もそうです。移動手段として考えれば、軽自動車でもポルシェでも目的地には着きます。しかし多くの人は、その車が自分というキャラクターをどう表現するかを、無意識のうちに考えながら選んでいます。
そして、自己拡張理論は高級品だけの話ではありません。古着屋で選んだ一枚のTシャツも、こだわって集めたキャンプ道具も、愛読している本の棚も、すべて「自分が何者か」を表明するための道具になっています。
つまり所有物は、自分というアイデンティティの延長線上にあるということです。人間は程度の差こそあれ、所有物によって自分を構築しているのです。
・所有物を失うとつらい理由
だから、所有物を失ったときの痛みは、単なる金銭的損失ではないのです。自分のアイデンティティの一部が失われたような感覚が伴います。お金持ちが、すぐに買いそろえられるものを盗まれたとしても、やはり気分的によくないのはこれが理由です。
この感覚が非常に極端な形であらわれたのが、以前の動画でもお話ししたゴミ屋敷の問題です。ゴミ屋敷に住む人の多くは、物を捨てることが「自分の一部を失うこと」のように感じてしまうために、どれだけ積み上がっても手放せなくなります。単なる怠惰や無精ではなく、所有と自己同一化が病的なレベルまで進んだ状態だとQ太郎は思っています。
・非合理な行動の正体
自分の所有物を「自分の一部」だと感じてしまうことは、人間に非合理な行動を取らせることがあります。
以前の動画でもお話ししましたが、目の前で自分の車が盗まれようとしているとき、ボンネットに飛び乗ってしまった人の話があります。走り出した車にしがみつくというのは、どう考えても命の危険があります。しかし「自分の一部」が奪われるという感覚が、瞬時に理性を上回ってしまうのです。
バイクのひったくり強盗相手に、バッグをつかんだまま離さず、そのままアスファルトの上を引きずられて大けがをした事件もあります。バッグの中身がどれほど大切なものだったとしても、大けがのリスクと比較すれば、手を離す方が合理的なはずです。それでも離せないのは、バッグが「自分の一部」だという感覚が、身体を動かしてしまうからです。
人間が非合理な行動を取ってしまうのは、意志が弱いからでも、頭が悪いからでもありません。所有物を自分の一部だと感じてしまうという、脳の根本的な仕組みによるものなのです。
・過大評価するのに慣れてしまうパラドックス
ここでひとつ、面白い矛盾が起こります。
人は自分の所有物を「自分の一部」として過大評価する一方で、すでに持っているものには慣れてしまいます。最初は大事にしていた物が、しばらくすると当たり前になって、次第に視界から消えていく。そしてまた新しいものを探し始めるのです。
以前の動画でもお話しした、ゲームの例がわかりやすいかと思います。積みゲーを遊ぶ時間より、新しくて面白そうなゲームがないか、セールで安くなっているゲームはないかを調べることに時間を費やしがちになる。すでに手元にあるゲームを遊べばよいはずなのに、新しい獲物を探すことにエネルギーが向かってしまうわけです。
ここからが、今回Q太郎が一番面白いと思ったところなんですけど、所有物を過大評価するなら、持っているもので十分満足できるはずなのです。
しかし人間はそうはならない。過大評価すること自体に「慣れて」しまう。
この二つの傾向が同時に働くのが、人間の所有欲の奇妙なところです。
・ドーパミンループと買い物中毒
以前も言いましたが、この矛盾の正体は、ドーパミンにあります。
人間が物を探しているとき、脳内ではドーパミンが分泌されています。ドーパミンというのは「報酬を得た瞬間」ではなく、「報酬を期待しているとき」に出るという性質があります。
つまり、物を探してワクワクしているときが一番気持ちいい状態で、実際に買ってしまうとドーパミンは収まってしまうのです。
そして脳は新たなドーパミンを求めて、また次の獲物を探しに行きます。物を手に入れた後に「なんか思ったより嬉しくなかった」という感覚は、このドーパミンの仕組みによるものです。これが買い物中毒のメカニズムです。
逆説的に聞こえるかもしれませんが、Q太郎が思うに、買い物中毒の方にとっての最適解は「買わない」ことかもしれません。
物を探しているときにドーパミンが出続けているわけですから、買わずに探し続けることで、ドーパミンが途切れることなく分泌され続けます。買った瞬間にドーパミンが切れて次の獲物を探す必要が出るよりも、ずっと気持ちいい状態をキープできるはずです。
もし買い物中毒でお悩みの方がいれば、ぜひ一度試してみてください。
・物質主義と幸福のパラドックス
さて、多くの人は、たくさんの物を所有すれば幸福になれると思い込んでいます。しかし実際には、パラドックスが起こります。
欲しいものをどんどんそろえてしまうと、ドーパミンを発生させる対象がどんどんなくなっていきます。物が多ければ多いほど、新しい驚きや期待が得にくくなる。結果として退屈という地獄に入ってしまうのです。
高所得者ほどこの罠に陥りやすいのは、欲しいものをすぐに買えてしまうからです。手に入れるまでのプロセス、つまりドーパミンが出る時間がきわめて短くなってしまうのですね。
所有すればするほど不幸になっていくのも、このパラドックスがあるからです。
・ブルース・フッドの研究
ここで、心理学者のブルース・フッドが著書「人はなぜ物を欲しがるのか」の中で紹介しているエセックス大学の研究をご紹介します。250以上の研究をメタ分析した結果、「物質主義を追及する態度と、実際の個人の幸福には、負の相関がある」という結論が出ています。つまり、物をより多く追い求めれば求めるほど、幸せからは遠ざかってしまうということです。
さらにこの分析の恐ろしい点は、負の相関がやわらぐケースはあっても、物質主義の追求が幸福と正の相関を示したケースは一つも見つからなかったという点です。例外なく、物質主義は幸福に結びついていなかった。
250以上の研究を分析して、ただの一件も正の相関が出なかったというのは、なかなか衝撃的な結果だとQ太郎は思います。所有が幸福につながらないことが、研究であきらかになっているのですね。
・狩猟時代のなごり
すでに十分な物を持っている人でも、所有の魔力にはなかなか抗えません。新たな獲物を求めようとして、ドーパミンが自動的に発生するからです。
自己拡張理論やドーパミンループは、現代に始まったことではなく、狩猟採集時代から続く人間の本能的な仕組みです。新しい獲物を求めて動き続けることが、かつては生存に直結していました。その仕組みが、狩猟を必要としない現代でも変わらず作動している。この仕組みに気づかないと、いつまでもドーパミンループからは抜け出せないのです。
・チクセントミハイの言葉
ハンガリーの心理学者、ミハイ・チクセントミハイはこんな言葉を残しています。
「私たちの社会では、立派な家、新しい車や家具、最新の家電を所有する人が、人としての承認テストに合格した者として、まわりから認められる」
というものです。
なかなかに皮肉な言葉だとQ太郎は思います。
現代に置き換えれば、立派なスマホ、SNSのフォロワー数、年収の数字といったものも、同じ「承認テスト」の道具になっているかもしれません。物の形が変わっても、所有によって自分の価値を証明しようとする人間の衝動は、変わっていないのです。
多くの所有は、心を豊かにするどころか圧迫し、ものが多すぎることで、かえってみじめな生涯を送る事にもなりかねません。
ブルース・フッド氏は、著書の最後に、「私たちはもっとシンプルで、ものにとりまかれず、他人と競い合わない人生を送るべきだ」と述べています。
・まとめ
そんなわけでまとめると、人間は所有物を通して、自分のアイデンティティを世界に広げています。だから所有物を失うと、単なる金銭的損失以上の痛みを感じます。自己拡張理論という言葉で表現されるこの感覚が、ときに非合理な行動を生み出します。
そして人は、持っているものを過大評価する一方で、持っているものに慣れてしまって、次の新しいものを求め続けることになります。物を探す行為がドーパミンを生み、手に入れた瞬間にドーパミンは消えていく。だから次の獲物を探しに行く。このループが止まらなくなります。つねにドーパミンを発生させなければならないのですね。買い物中毒は、これが原因で発生します。
Q太郎的に最適解は、買わないことだと思いますね。買わないかぎり、ドーパミンは発生し続けるのですから。
それで、250以上の研究が示しているのは、物質主義の追求と個人の幸福は負の相関にあるということです。物を増やしても幸福には近づけない。それどころか、遠ざかってしまう。どの研究でも、負の相関をやわらげることはあっても、正の相関はない。
大切なのは、自分が今何かを欲しがっているとき、それが本当に自分の生活を豊かにするものなのか、それともドーパミンを求めて脳が作り出した幻想なのかを、一度立ち止まって考えることだとQ太郎は思います。
皆さんは、物を手に入れた後の満足感がすぐに薄れて、またすぐ次の何かを探し始めてしまった経験はありますか。よかったらコメントで教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
