
こんなご質問をいただきました。
「宝くじは『愚者の税金』とも言われるものですが、一方で『買わないと当たらない』『夢を買うもの』とも言われます。私自身は買いませんが、一枚300円もするものをよく平気で買えるなとも思います。宝くじを買う人をどう思いますか?」
とのことです。ありがとうございます。
良い問いですね。これ、「買う人をどう思う?」という問いだけでなく、「なぜ人は確率的に不利なものを買うのか」という問いでもあります。ここには経済学の歴史と、人間の心理と、幸福論が全部絡んでいるので、少し丁寧にほぐしていきましょう。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学チャンネルへ。賢く資産形成をしつつ、お金に悩まされないための生存戦略を日々発信しています。
今回は、人はなぜ宝くじを買うのかについてです。
・買うこと自体は自由。ただ期待値は低い
まず最初に言っておくと、買うこと自体は自由ですので、いいんじゃないでしょうか。「愚者の税金」という表現はよくありますけど、実際に期待値で見ると、あまり良い投資とは言えない。少なくともQ太郎は買わないですね。
そもそも一枚300円って、普通に高いんですよ。飲み物が買える、お菓子が買える、そういう実態のある何かに変えられる。なんか実体のあるものに変えたいというのが、Q太郎の感覚です。300円は普通に払いたくない。
それに、これも宝くじの皮肉なところなんですが、たくさん買えば買うほど、本来の確率に近づいてしまう。一枚買って当たる確率はほぼゼロ、でも千枚買って当たる確率もほぼゼロです。そして千枚買うには30万円かかる。「当たりやすくするために多く買う」という発想自体が、確率論的にはほぼ無意味なわけです。
Q太郎がよく言う「一回目は経験、二回目以降は消費」という言葉があります。人生で一度だけ、どんなものかを知るために買ってみる。それは経験として許されると思います。でも当たらなかったら撤退。二度と買わない。それで十分だとは思います。
今日はそのあたりの理屈を、経済学と心理学の両側から見ていきましょう。
・古典経済学は「合理的な人間」を前提にしていた
少し話を遡ります。アダム・スミスやリカードといった古典経済学者たちは、人間は基本的に合理的に判断する、ということを前提に理論を構築していました。市場に任せておけば、需要と供給が自然にバランスするという「神の見えざる手」の考え方も、そこから来ています。合理的な消費者と合理的な生産者がいれば、市場は自然と均衡する、という発想ですね。
この前提が長い間、経済学の基礎でした。でも20世紀後半から21世紀にかけて、数々の実験や研究が積み重なった結果、「人間は思ったより全然合理的じゃない」ということが証明されていきます。
たとえばコンコルド問題。損失が明らかになっているのに、「ここまでつぎ込んだから」という理由だけで撤退できない。頭のいいはずの人たちが設計した超音速旅客機のプロジェクトでさえ、サンクコストに引きずられて合理的な判断ができなかったわけです。これは「コンコルドの誤謬」と呼ばれていますが、同じことは日常のあちこちで起きています。
・損失回避バイアスー人は利益より損を嫌う
行動経済学の研究で有名なのが、損失回避バイアスです。
コイントスの実験があります。表が出たら20ドル受け取れる、裏が出たら10ドル失う。この勝負、どちらが得か、期待値で計算すれば明らかにプラスです。でも実際の実験では、「裏が出たら10ドル失う」という状況で勝負を受ける人は少なかった。多くの人が「受けない」を選ぶためには、表が出たときの報酬が20ドルではなく、それ以上でないといけなかった。
これが何を意味するかというと、人間は「20ドル得る喜び」よりも「10ドル失う痛み」のほうを強く感じるということです。損失の痛みは、同額の利益の喜びの、およそ2倍の強さで感じられる。つまり、得することの2倍以上、人間は損することを嫌う生き物なのです。
以前の動画でも話しましたが、これは所有物が自分の一部になる感覚とも関係しています。自分の財布にある10ドルは、もはや「自分の一部」として感じられている。それが失われるということは、自分の一部が失われる感覚に近いわけです。大富豪でも、すぐ揃えられるものが入ったバッグを盗まれたら、やっぱり気分が良くない。金額の問題というよりも、「自分のもの」への執着が本能的に働くわけです。
・直感的思考と論理的思考
人間には大きく分けて、二つの思考モードがあります。素早く判断できる直感的思考と、じっくり考える論理的思考です。
直感的思考は速い代わりに、認知バイアスをそのまま反映してしまうことが多い。だから非合理な判断に直結しやすい。
自分の車が目の前で盗まれたとき、ボンネットに飛び乗って止めようとする人がいますが、あれは直感的思考の典型例です。車を守ることへの衝動が先に走って、「命を落とすリスク」を考える論理的思考が追いつかない。買い直すことも可能な車を守るために、命を張るリスクリターンは全く釣り合っていないわけです。でも人はそれをやってしまう。
論理的思考を使えば非合理な判断を避けられますが、それには時間もエネルギーもかかる。日常のあらゆる判断を論理的にやっていたら疲弊してしまうので、多くの場面で人は直感に頼ります。そしてそこに、さまざまな認知バイアスが忍び込んでくるのです。
・宝くじは「直感的思考」の罠
ここで宝くじの話に戻ります。先ほどのコイントスの例では、「10ドル失う可能性があれば、20ドル以上もらえないと勝負しない」という話をしました。でも逆の話もあります。利益が極端に大きければ、損失回避バイアスがひっくり返るんです。
払う金額に対してリターンが極端に大きい場合、人は直感的思考により、確率をほぼ考慮せずにその利益に飛びつく傾向があります。300円を払って数億円が当たるかもしれない、という状況がまさにそれです。「失う300円」は意識から消えて、「数億円を得る可能性」だけが脳に残る。これが宝くじの構造です。
同じことは、極端にハイレバレッジな投資詐欺でも起きています。少額の投資で莫大な利益が出るという話が来たとき、普通なら「そんな話はおかしい」と論理的に気づけるはずなのに、「大きな利益」への直感的な引力に負けてしまう。損失回避の本能が、「でも当たったら…」という思考に塗り替えられてしまうわけです。
ブルース・フッドの著書「人はなぜ物を欲しがるのか」では、これをこんな言葉で表しています。「億万長者になるという、まずありそうもない可能性が、毎週くじの購入費用がかかるという、ほぼ確実に起こる事態を帳消しにしてしまう」。なかなかに皮肉のこもった表現ですよね。さらにフッドは「私たちは経済的リスクについて、論理的に考えるのがあまり得意ではないらしい」とも述べています。人間の認知の限界を、研究者がはっきり認めているわけです。
・日本人の宝くじ購入額と当選確率
日本宝くじ協会が18歳以上を対象に行ったアンケートでは、年間の宝くじ購入額の平均が2万6,650円だったそうです。これ、Q太郎的にはかなり驚きでした。月換算で2,000円以上です。ちょっとした固定費ですよね。
ジャンボ宝くじの一等前後賞を合わせた当選確率は、おおよそ1,000万分の1と言われています。「1,000万分の1」と言われてもピンとこない人も多いと思うので、時間軸で考えてみましょう。
毎年1枚買うとすると、単純計算で1,000万年買い続ければいつかは当たるかもしれない、ということになります。類人猿が存在していた時代にまでさかのぼる話です。では毎年1,000枚買えばどうか。1万年まで短縮できます。ちょうど氷河期が終わって縄文時代が始まったあたりです。1万年間、毎年30万円を支払い続けて、ようやく期待値通りに当たるかもしれない、という話です。
こう考えると、基本的には「当たらないもの」として扱うほうが精神衛生上よい、という結論に自然とたどり着きます。
・当選者は幸せになったのか
では実際に当たった人はどうか。宝くじ当選者の幸福度を追跡した研究があります。その結果は、近所に住む一般の人たちの幸福度と大差なかった、というものでした。場合によっては隣人より幸福度が低いケースもある。
これは人間の直感に真っ向から反する結果なので、研究者たちも「本当にそうなのか」と追加調査をしました。結果、「経済的な不安が減ったことで生活満足度は上がった」という事実は確認できた。でも、幸福度そのものはまた別問題、ということが浮かび上がってきました。
満足度と幸福度は違う。これは重要な区別です。生活に不自由がなくなることと、日々の生活の中で幸福を感じることは、別のことなんですね。
人間には「苦痛と退屈」という二つの地獄がある、とショーペンハウアーは言いました。お金で苦痛は和らげられる。でも振り子が退屈のほうに振り切れると、それはそれで地獄になる。
ハレとケという言葉がありますが、ハレを毎日にしてしまうと、ハレとケの区別がなくなる。ハレがケになってしまえば、「じゃあ次のハレは何か」という問いが生まれる。当選後に次第に欲求のハードルが上がっていく感覚は、おそらくそういうことです。
幸福の反対が不幸なら、満足の反対は不足です。「お金が足りない」というのは不足ではあるけれど、不幸とは限らないわけです。その反対の「お金が足りる」は満足ではありますが、幸福とは限らないわけです。幸福と不幸、満足と不足は、別の物差しなわけですね。
・宝くじの上手な使い方
最後に、宝くじの面白い使い方を一つ紹介します。大原扁理さんの著書「年収90万円で東京ハッピーライフ」に出てくる話なんですが、宝くじを財布に入れておいて、引っ越しの手伝いとか、何かお世話になったときに人にあげる、という方法です。
引っ越しの手伝いをしてもらって現金300円を渡すと、なんというか生々しい。金額が少なすぎて「バカにしているのか」みたいにもなりかねない。でも宝くじを渡せば、笑いが生まれる。夢がある。「もしかしたら」という話題になる。渡した側も渡された側も、なんとなく楽しくなれる。
お金としての機能ではなく、コミュニケーションのツールとして使う。それが宝くじのもっとも合理的な使い方かもしれないですね。
・まとめ
今回の話をまとめると、古典経済学は「合理的な人間」を前提にしていましたが、人間は思ったよりずっと非合理です。損失を利益の2倍以上嫌う損失回避バイアスがあり、一方で利益が極端に大きければそのバイアスを上書きして直感的に飛びつく。宝くじは、そういう人間の認知の弱点をそのまま利用した構造になっています。
買うこと自体を否定するつもりはありません。でも、何に引きずられて手が伸びているかを知っておくことは大事だと思います。「夢を買っている」という自覚があるなら、それは個人の選択です。でも「なんとなく買っている」「もしかしたらと思って毎週買っている」という状態は、自分の財布を感情に握らせている状態かもしれません。直感的思考が全開なわけですね。
お金を使うとき、「自分が選んで使っているか」「何かに引きずられて使っているか」を意識するだけで、お金との関係はずいぶん変わると思います。
皆さんは、宝くじを買ったことはありますか。買う派、買わない派、それぞれどんな理由があるか、よかったらコメントで教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
