50代からは「お金」より「所有疲れ」|物を買うのに慎重になる理由

50代からは「お金」より「所有疲れ」|物を買うのに慎重になる理由
【毎日17時更新中!】たまに午前中にも追加投稿します。欲しい本やゲームはある。お金も払える。それでも購入ボタンの前で手が止まるのは、持ったあとの時間や手間が見えるからかもしれません。この動画では、・買った瞬間より長く続く「所有の手間」・電子...

こんなコメントをいただきました。

「50代になると、物を持つこと自体が面倒になってきますね。買い物も面倒になって、物欲もかなり減ってきました」

とのことです。ありがとうございます。

Q太郎も以前までなら「迷う時間がもったいないので、本当に好きな物だったら迷わず買う」でしたが、最近はゲームや本を買うとき、好きな物でもかなり考えるようになりました。

お金がもったいないとか、節約したいわけではないのですね。

面白そうだとも思っても、購入ボタンの前で止まる感じです。

この本を買ったら、いつ読むのか。今読んでいる本はどうするのか。読み終えたあと、もう一度読むのか。それとも、棚に置いたままになるのか。

ゲームなら、始める時間を作り、操作を覚え、話の続きを気にかけます。

以前から言っているように、特にRPGは、Q太郎には難しいのですね。

面白そうでも、だいたい最後まで遊びません。しかし最後まで遊ばないと、妙にモヤモヤします。

遊ぶために買ったのに、途中から「終わらせなければならない」という用事へ変わります。

だったら、最初から買わないほうが気楽なのです。出口まで考えが行ってしまうわけです。

昔なら、面白そうだ、欲しい、買おう、で終わっていたと思います。

今は、そのあとが見えてしまいます。

買った物が生活に入ってきたら、どんな手間が増えるのか。最後には、どう手放すのか。

そこまで考えると、買い物の入口が、ずいぶん重たくなるのですね。

そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。

今回は「50代からはお金より所有疲れ」を深掘りしていきます。

・三つの話

今日は大きく三つ話します。

一つ目、買った瞬間の喜びだけでは終わらないこと。

二つ目、ゲームや本が生活に作る、目に見えない用事。

三つ目、家のような大きな買い物ほど、出口まで考えるようになることです。

最後に、物を買うのに慎重になった自分について、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。

・一つ目・買ったあとも関係は続く

それでは一つ目、買った瞬間の喜びだけでは終わらないことです。

買い物には、分かりやすい山場があります。

欲しい物を見つける。調べる。迷う。お金を払う。そして家へ届く。

箱を開けるときが、いちばん楽しい場合もありますね。

ただ、物との関係は、そこから始まります。

置く場所を決める。使い方を覚える。手入れをする。壊れたら直すか買い替えるかを考える。使わなくなったら、残すか、売るか、捨てるかを決める。

値段は買うときに一度払います。

しかし、所有する手間は、持っているあいだ払い続けます。

だから安く買えたとしても、所有疲れは安くなりません。

無料でもらった物にも、置き場所が要ります。気に入らない物でも、捨てるかどうかの判断が要ります。

むしろ「せっかくもらったから」と思うと、自分で買った物より手放しにくいこともあります。

こういう話をすると、物を増やさなければよい、片づければよい、という結論になりがちです。

でもQ太郎が話したいのは、片づけ方ではありません。

買う前から、買ったあとの自分の生活が見えるようになった、という感覚です。出口が見えるのですね。

若いころのQ太郎は、手に入れたときの喜びを強く想像していたと思います。入り口だけが見えている状態ですね。その先は考えていない。

今は、それを持ったまま過ごす数年のほうを想像します。捨てるところまで考えます。

新しい物が一つ入ると、生活の中に、その物の席を一つ作ることになります。

置き場所だけではありません。気にかける場所も、少し使います。

たった一つなら小さなことです。しかし本も、ゲームも、家電も、服も、みんな少しずつ席を取ります。

自分の生活に、もうその席はあるだろうか。捨てるときはどうすればいいのか。

値札を見る前に、そんなことを考えるようになったのですね。

・二つ目・場所を取らなくても疲れる

二つ目、ゲームや本が生活に作る、目に見えない用事です。

本なら電子書籍にすれば、棚は圧迫しません。

ゲームならダウンロード版にすれば、箱もディスクも増えません。

それでも、Q太郎の買う手が止まることがあります。

物理的な場所だけが、所有の負担ではないからです。

買ったまま読んでいない本があると、ほかの本を読んでいても、頭の片隅に残ります。

あの本を先に読んだほうがよいのではないか。買ったときは、あんなに読む気だったのに。

ゲームも同じです。

前に買った作品を終えていない。セールで買った作品もある。そこへ新しい作品を買うと、楽しみが増えると同時に、まだ手をつけていない物も増えます。

もちろん、積んである本やゲームを見るだけで楽しい人もいるでしょう。それなら、何も問題はありません。

Q太郎の場合は、「せっかく買ったから、いつかやらなければ」が生まれます。

遊びたいから起動するのではなく、買ったから起動しなければならない。

この瞬間、趣味が、自分で自分へ出した宿題になります。

誰も提出を求めていないのに、勝手に締め切りを感じるのですね。

しかもRPGには、物語の終わりがあります。

最後まで遊ばないと、何かを途中で放り出した気分になる。一方で、最後まで遊ぶ時間を想像すると、買う前から少し疲れます。

「面白そう」と「今の自分がそれを迎え入れたい」は、別の話なのです。

ここは、以前話した「好きなことを続けなくていい」にも少しつながります。

好きなジャンルだからといって、新作が出るたびに受け取る義務はありません。

好きな本を買わない日があっても、本好きではなくなるわけではない。面白そうなゲームを見送っても、ゲームへの関心が消えるわけではない。

今の生活へ入れる余裕がないなら、買わずに眺めて終わってもよいと思います。

欲しいと思った物を、すべて持つ必要はないのですね。

・三つ目・家を買うときも出口が見える

三つ目、家のような大きな買い物ほど、出口まで考えるようになることです。

持ち家を考えるとき、若いころは、そこで暮らし始める場面を想像しやすいと思います。

新しいリビング。子どもの部屋。家族で食事をする風景。

それは、とても大切な想像です。

ただ、50代になったQ太郎には、その先も見えてきます。

子どもが独立したら、その部屋をどう使うのか。階段の上り下りが負担になったら、二階を使い続けられるのか。庭や設備の手入れを、いつまで自分でできるのか。

そして最後に、その家を誰が、どう扱うのか。

もちろん、二階建てが必ず暮らしにくくなるわけでも、持ち家を買うべきではないという話でもありません。

家族構成も体力も、住みたい場所も、人によって違いますし、ライフステージによっても違います。

ここで言いたいのは、同じ家を見ても、想像する時間の幅が変わるということです。

最初の十年間だけでなく、そのあとの十年間も考える。

住み始める日だけでなく、住み方が変わる日や、住まなくなる日まで考える。

そうすると、買うという行為は重くなります。

これは、経験を重ねたことで、所有というものの全体が、以前より見えるようになったとも言えます。

本にも、ゲームにも、家にも、入口と、持っている時間と、出口があります。

家は規模が大きいので、その時間の長さが分かりやすいだけです。

この先どうなるかを全部予測することはできません。

予測できるまで何も買わない、という話でもありません。

ただ、買った瞬間の喜びだけを切り取らず、持ったあとの暮らしまで考えるようになった。年をとったことで、目の前の楽しみだけでなく、長期で物を考えるようになった。

その変化自体は、悪いことではないと思います。

・まとめ・欲が消えたのではない

最後に、物を買うのに慎重になった自分について、Q太郎なりの見立てを置きます。

Q太郎は、物を買いたくなくなったのは、欲がなくなったからではないと思っています。

面白そうなゲームは、今でも面白そうです。読んでみたい本もあります。

ただ、欲しいと思うところから、買うところまでの間に、もう一つの問いが入るようになりました。

「これが自分の生活に入ってきたら、どうなるか」

年をとって経験が多くなったことで、その物を楽しむ時間だけでなく、気にかける時間、使わない時間、最後に手放すところまで見えてしまいます。

若いころは、買った瞬間を想像していた。入り口しか見えていなかった。

今は、その物と暮らす時間を想像している。

買い物に慎重になったのは、ケチになったからでも、楽しむ力がなくなったからでもありません。

所有の全体が見えるようになったのです。

Q太郎は、これを「所有疲れ」と呼びたいです。

お金は払える。置き場所も、どうにかなる。けれど、これ以上、自分の生活に新しい管理対象や、終わらせるべき用事を増やしたくない。

それで買わない。

これは我慢とは、少し違うと思います。

物を手に入れる喜びと、物を持ち続ける負担の両方を見たうえで、今は生活へ入れないと決める。

買わなかった本を、いつか読みたくなるかもしれません。そのとき買えばよいでしょう。買わなかったゲームが、あとで惜しくなることもあると思います。

でも、欲しいと思った瞬間にすべてを所有しなくても、人生からその楽しみが消えるわけではありません。

Q太郎は最近、買う前のワクワクだけでなく、買わずに身軽なままでいる心地よさも、買い物の判断に入れるようになりました。

皆さんにも、お金は払えるけれど、家や生活に物が増えることを考えて、買うのをやめた経験はありますか。よろしければコメント欄で教えてください。全部読ませていただいています。

数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。

ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。

タイトルとURLをコピーしました