
こんなコメントをいただきました。
「タイパで倍速視聴することですが、そもそも現在は作品も多いですし、それ以外にやることも多すぎるのですね。それをこなそうとすれば、どうしても倍速視聴せざるを得なくなります。テクノロジーが発展した結果、逆に時間が無くなっていく状態です」
とのことです。ありがとうございます。
確かにそうですね。テクノロジーが発達すれば、仕事や家事が早く終わり、自由な時間が増える。
普通に考えれば、そうなるはずです。
洗濯板を使っていた時代より、洗濯機のある現在のほうが、家事に必要な時間は短くなっています。
手紙よりメールのほうが早く届きますし、会社へ移動しなくても、オンラインで会議ができます。
昔より多くのことを、短時間で処理できるようになりました。時短できているはずなのです。
それなのに、なぜ我々は、いつも時間に追われているのでしょうか。
仕事が早く終われば、もう一つ仕事が入ります。
動画を倍速で観れば、空いた時間でもう一本観ます。
移動時間が短くなれば、そのぶん旅行先をもう一か所増やします。
効率化で生まれた時間は、休息にはなりません。
すぐに別の予定で埋められます。そしてその予定も、効率的に処理されるのですね。
その結果、テクノロジーが時間を節約するほど、同じ時間に詰め込まれるタスクが増えていきます。
このことについて、出口剛司さんの著書「なぜ私たちはいつも時間に追われるのか」では、現代社会の忙しさを、「加速」という言葉から読み解いています。
時間を作るための効率化が、むしろ時間を奪っていくのですね。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。
今回は「効率化するほど時間がなくなる理由」を深掘りしていきます。
・三つの話
今日は大きく三つ話します。
一つ目、効率化すると、なぜタスクが増えるのか。
二つ目、時間が線から点へ変わるとはどういうことか。
三つ目、時間を取り戻すには、なぜ速度ではなく点を減らす必要があるのかです。
最後に、人生の時間を誰のために使うのか、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
・一つ目・効率化するとタスクが増える
それでは一つ目、効率化すると、なぜタスクが増えるのかです。
多くの人が感じていることですが、あきらかに昔より忙しくなっています。
テクノロジーは、一つの作業に必要な時間を短くします。
問題は、短くなったぶんだけ休むのではなく、そこへ新しい作業を入れてしまうことです。
オンライン会議なら移動が必要ないので、会議と会議のあいだを短くできます。
その結果、午前と午後に一つずつだった会議が、朝から夕方まで連続して入るようになります。
便利になったことで自由時間が生まれたのではなく、予定表の収容能力が上がったのですね。やることが増えてしまうわけです。
これは仕事だけではありません。
娯楽も効率化され、大量に供給されるようになりました。
ゲーム、漫画、映画、アニメ、動画、音楽。
例えばファミコンで発売されたゲームの数は1,000本ちょいなわけです。あの長い歴史で1,000本ちょいなのですね。まだ情報的に追いつけるレベルなわけです。1本をゆっくり楽しむ余裕があったのですね。
ところが現在、年間でリリースされているゲームの数は、数万タイトル〜数十万タイトル以上になっています。たった一年間で、ファミコンが出した何十倍もゲームが出ているわけですね。生産の効率化が可能にしたわけです。
そんな感じで、毎日のように新しい作品が登場し、スマホがあれば、いつでもどこでも楽しめます。
しかし選択肢が多すぎると、すべてを普通の速度で楽しむことができません。ファミコン時代の、あののどかな感覚で楽しむ事ができないわけです。
配信が終了する前に観る。話題になっているうちに観る。新作が出る前に前作を終わらせる。期間限定イベントへ参加する。
本来は楽しむための娯楽に、小刻みな締め切りが生まれます。
そこで動画を倍速で観たり、ゲームの攻略情報を見て最短で進めたりします。
しかし一本を半分の時間で観たからといって、残り半分が自由時間になるとはかぎりません。
多くの場合、もう一本観ます。
効率化によって娯楽を楽しめるようになったのではなく、より多くの娯楽を処理できるようになっただけです。楽しんでいるわけでは無いのですね。なにが起こるかわからないワクワク感はそこにはなく、知識として吸収するだけになります。
そんな感じで、遊びまで仕事のように、こなす対象になっているわけです。この多すぎる娯楽を倍速視聴や攻略情報を利用して、「処理」しなければならないのですね。
・二つ目・時間が線から点へ変わる
それでは二つ目、時間が線から点へ変わるとはどういうことかです。
テレビのない時代なら、夕食の時間には、夕食を食べるという行為がありました。
テレビが登場すると、夕食を食べながらテレビを見るようになります。タスクが二つになります。
さらにスマホが登場すると、夕食を食べながらテレビを見て、同時にスマホも確認します。タスクが三つになります。
夕食の時間が長くなったわけではありません。
同じ時間の中へ、三つの行為が詰め込まれています。
一つの行為の流れに身を置くのではなく、複数のタスクを同時に処理するようになりました。
時間を一本の線として生きるのではなく、予定や締め切りによって区切られた、無数の点として扱うようになったのです。
18時に夕食。18時30分に動画。19時にメールへ返信。19時15分にゲームへログイン。20時から配信番組。
一つの点が終われば、すぐに次の点へ移ります。
スマホによって、その点は数分、数十秒まで小さくなりました。
電車を待つ数分にニュースを読む。信号待ちに通知を見る。料理が温まるまで短い動画を見る。
以前なら何もできなかった隙間へも、タスクを差し込めます。
旅行も同じです。
せっかく遠くまで来たのだから、近くにある観光地も回らなければもったいない。
空いた時間があれば、もう一か所を追加する。ネズミーランドが近くにあればそこへ行く。
旅行先で景色を見ているのに、頭の中では次の電車や次の観光地を考えています。
経験は増えますが、現在の時間からは離れていきます。
時間を点で捉えると、その時間をどう過ごしたかより、「締め切り」までにどれだけタスクを達成したかが重要になります。
観光地を何か所回った。動画を何本観た。ゲームを何本終わらせた。
人生が、消化した項目の数で評価されるようになるのですね。
さらに時間が点になると、現在と未来を結ぶ線も弱くなります。
テクノロジーの変化が速いほど、仕事や技術の賞味期限は短くなります。
少し前には、AIへ特殊な命令文を書くプロンプトエンジニアが、将来有望な独立した職業として注目されました。文系が期待される職業みたいに言われてましたね。
しかしAIが自然な指示を理解するようになると、特殊な命令文を書く独立職としての期待は急速にしぼみました。
そんな感じで、現在の努力が将来まで同じ価値を持つとはかぎりません。しかもテクノロジーの発展で、この陳腐化までの時間がどんどん短くなっている。
いま頑張っても、身につけたころには陳腐化しているかもしれない。
これでは未来のために努力しようという気持ちも弱くなります。
この問題は長くなりますので、また別の動画で深掘りしたいと思います。
・三つ目・点を減らさなければ時間は戻らない
それでは三つ目、時間を取り戻すには、なぜ速度ではなく点を減らす必要があるのかです。
時間が足りないと感じたとき、多くの人は、さらに効率を上げようとします。
動画を速く観る。メールを速く返す。料理をしながら情報を集める。移動しながら仕事をする。
しかし処理速度を上げれば、空いた場所へ新しい点を置けるようになります。
これでは、どれだけ速くなっても終わりません。タスクが増えるだけです。
必要なのは、同じ数のタスクを速く処理することではなく、そもそも処理するタスクを減らすことです。
観たい動画を全部倍速で観るのではなく、観ない動画を決める。
旅行先を効率よく回るのではなく、行く場所を減らしてまったり旅行にする。
夕食をしながら何かをするのではなく、夕食だけを食べる。仏教は、食事だけに集中する訓練をしたりしますね。ひたすら時間をかけて食べるとかです。
効率化には、「もっと入れられる」という誘いがあります。人間はできるだけ損したくない生き物なので、どうしても入れてしまうのですね。
点を減らすには、「できるけれど、やらない」という判断が必要です。損することを受け入れなければなりません。
何もせず、ぼうっとする。窓の外を見る。食べた物の味を感じる。
このような時間は、成果として残りません。
しかし点と点のあいだに何もない時間があるからこそ、人生はバラバラな予定の点の集合ではなく、連続した線として感じられるわけです。
そして点の時間は記憶に残りにくいですが、線の時間は記憶に残ります。旅行であっちこっち行っても、結局家に戻った時に、どこへ行ったのかよくわからなくなるのと同じですね。一か所にとどまって、まったり過ごしたほうが記憶に残りやすいわけです。
・Q太郎の見立て・時間を増やすより、用途を取り戻す
ここからは、Q太郎なりの見立てです。
Q太郎は、効率化が悪いとは思いません。
面倒な仕事が早く終わることや、家事を機械へ任せられることは、ありがたいことです。
問題は、その時短によって生み出された時間の使い方を、自分で決められているかどうかです。
仕事が早く終わったから、別の仕事をプラスする。
ちょっとした隙間時間ができたから、ショート動画を観て時間を埋める。
ひたすら絶え間なく、点の時間を生産し続けるわけです。ひたすら締め切りに追われている感じですね。
時間も、速く終わらせて浮いたぶんを別のタスクへ使えば、余裕は増えません。
効率化によって時間を生み出すだけでは不十分で、生み出した時間を、何にも使わない自由まで守る必要があります。
時間を取り戻すとは、1日に25時間を作ることではありません。
自分の時間へ、何を入れ、何を入れないかを、自分で決められることです。
限られた人生で、できるだけ多くを経験したいという気持ちは分かります。これは人間の損したくない心がそうさせてしまうわけです。
しかし経験数を増やすほど、人生を多く生きたことになるとはかぎりません。
夕食を食べながら、テレビとスマホを見るより、夕食だけを食べた時間のほうが、記憶に残りやすいですし、旅行先を10か所回るより、同じ時間で一か所に滞在したほうが、長く記憶に残りやすいです。
時間がない人に必要なのは、時間をうまく使う技術だけではありません。
点になる時間を減らす技術です。
そうすることで、点に切り刻まれた時間が、もう一度、自分の人生という線へ戻っていくのではないでしょうか。
皆さんは、効率化した結果、かえってやることが増えた経験がありますか。
また、あえて何もしないためにやめたことがあれば、コメント欄から教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。
