
こんなご質問をいただきました。
「仕事に対してやる気のない若者が増えるのは、情報が多くなったことで、努力しても無駄になる未来が見えてしまうのにあるのではないでしょうか?」
とのことです。ありがとうございます。
よく言われることですが、最近の若者は、将来のために我慢することができない。
長期的な努力を嫌がり、すぐに結果を欲しがる。
そんな話を聞くことがあります。
しかし現代は、忍耐力だけで説明をつけるのが難しい状況にあります。
少し前まで、将来有望だと言われていた仕事が、数年後には存在感を失う。
時間をかけて覚えた技術が、ソフトウェアやAIの更新によって、すぐに陳腐化する。AIの登場でプログラマーやイラストレーター、作家も厳しいことになってますしね。
頑張って資格を取っても、社会へ出るころには、その資格の価値が下がっているかもしれない。
このような社会で、現在の努力が10年後に報われると信じろと言われても、難しいものがあります。長期的な努力がしにくいのですね。
前回の動画では、出口剛司さんの著書「なぜ私たちはいつも時間に追われるのか」をもとに、時間が線ではなく、点として扱われるようになったという話をしました。
現代人は、小刻みな予定と締め切りの点から、次の点へ移動し続けています。
そして点になったのは、今日一日の時間だけではありません。
現在と未来の関係も、一本の線としてつながりにくくなっています。
今日の努力が、未来のどこへ届くのか分からない。
だから遠い未来より、目の前の結果を選ぶ。目の前の締め切りをこなす。
これは単なる若者のわがままではなく、変化の速い社会への合理的な反応かもしれません。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。
今回は「なぜ若者は未来を信じられないのか」を深掘りしていきます。
・三つの話
今日は大きく三つ話します。
一つ目、努力にも賞味期限ができたこと。
二つ目、未来を信じないことには合理性があること。
三つ目、変化の速い時代に、どのような努力を選べばよいのかです。
最後に、未来のために現在を犠牲にすることについて、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
・一つ目・努力にも賞味期限がある
それでは一つ目、努力にも賞味期限ができたことです。
以前は、現在と未来を一本の線で結びやすい社会でした。
若いうちに勉強する。会社へ入り、仕事を覚える。経験を積めば給料が上がる。定年まで勤め、退職金と年金で老後を暮らす。
年功序列と終身雇用の世界ですね。
いまでこそ生産性が低いと言われますが、当時からすればこれは生産性を上げるために必要なものだったのです。生産性を追い求めた結果が年功序列と終身雇用なのですね。
そのため、同じ会社、同じ職種、同じ技術が、ある程度長く続くことを前提に、将来を考えることができました。
ところが、時代とともにゲームチェンジが起こってきます。個人でも起業しやすくなったことから、小回りの利く新しい会社が登場し、生産性を高くするための年功序列や終身雇用が、逆に小回りの利かない生産性の低い制度と見なされてしまったのですね。
現在は、社会やテクノロジーの変化がどんどん速くなっています。
新しいサービスや職業が登場したと思えば、すぐに別の技術へ置き換えられます。スマホが普及したのはわずか十年前、そして今はAIが普及しています。
商品だけでなく、知識や技能にも賞味期限ができました。
例えば少し前には、生成AIへ特殊な命令文を書くプロンプトエンジニアが、将来有望な仕事として大きく注目されました。
文系の人材が活躍できる。高い文章力が新しい専門技術になる。高収入の仕事になる。
そんな期待もありました。
ところがAIが自然な言葉や曖昧な指示を理解できるようになると、特殊な呪文を書く独立職としての期待は急速にしぼみました。AI自体がプロンプトを考えてしまうのですね。
もちろん、複雑な業務でAIを安定して動かすなら、指示、資料、出力形式、評価方法などを設計しなければなりません。
しかしそれすらも、AIとの対話でなんとかなったりしますので、「プロンプトエンジニア」という一つの職業だけを目指して、将来を預けられるかというと、当初の期待とはかなり違ってきています。
問題は、その仕事が完全に消えたかどうかではありません。
「これからはこれだ」と言われたものを信じて勉強を始めても、身につけたころには、社会の評価が変わっている可能性があることです。
世界経済フォーラムの「Future of Jobs Report 2025」では、企業が仕事で必要とする中核的な技能のうち、2030年までに約4割が変化すると予測しています。
予測は必ず当たるわけではありませんが、雇う側も、数年後に必要な能力を確定できていないのです。
この環境では、長期的な努力は、将来への投資であると同時に、陳腐化するかもしれない賭けになります。
そのため、長期的に努力するのが無駄になる場合もあるので、努力しづらいというのもありますね。
・二つ目・未来を信じない合理性
それでは二つ目、未来を信じないことには合理性があることです。
大人は若者に、「いま遊ばずに勉強すれば、将来楽になる」と言います。
しかし、その大人が成功した時代と、若者がこれから生きる時代は、同じルールではありません。
長く会社へ勤めても、給料が上がるとはかぎらない。資格を取っても、仕事そのものが自動化されるかもしれない。家を買っても、その地域の人口が減るかもしれない。
とくに今は、ルールチェンジの間隔がどんどん短くなっています。
遠い未来の利益が不確実なら、現在確実に得られる楽しみを選ぶのは、ある意味では合理的です。
いましかできない経験へお金を使う。長期のローンを避ける。会社へ人生を預けない。仕事より自分の時間を優先する。
これらを、我慢のできない消費や、責任感の欠如だけで説明することはできません。
将来を信じるためには、現在の我慢と未来の報酬が、一本の線で結ばれている必要があります。
しかし変化が速い社会では、その線が途中で切れる可能性が高くなります。前回も言ったように、いまはひたすら締め切り時間に追われる、点の時間の集合体になってしまっているのですね。
努力が嫌なのではありません。
ゲームチェンジが速くて、努力の回収先が見えないのです。
個人だけでなく企業もそんな感じで、手っ取り早く利益を上げるために、コストカットを優先して、将来への投資は控えます。
ただし、未来が不確実だから、何も準備しなくてよいという話でもありません。
すべてを現在の消費へ回せば、選択肢は狭くなります。それもそれでどうかと思います。
将来を信じすぎて現在を犠牲にすることにも、未来を信じなさすぎて備えを捨てることにも、危険があります。
必要なのは、昔と同じ未来を信じることではありません。
未来が変わることを前提に、備え方を変えることです。
コンサルの仕事に人気が集まるのも、いろいろな経験ができて潰しが利くという点が大きいというのはありますね。
・三つ目・未来で陳腐化しにくい努力
それでは三つ目、変化の速い時代に、どのような努力を選べばよいのかです。
未来に必要な仕事を正確に予測し、その仕事にだけ役立つ能力を身につける。
変化が遅い社会なら、この方法は有効でした。
しかし変化が速い社会では、予測を当てることより、予測が外れても動ける状態を作るほうが重要になります。
一つ目は、特定の商品や会社だけで通用する技術に、人生のすべてを賭けないことです。
読む、書く、数を扱う、人へ説明する、知らないことを調べる、他人と協力する。
こうした基礎的な能力は、使う道具が変わっても、別の場所へ持っていきやすいものです。人間としての、ガチの基礎能力ですね。
とくに営業能力や対人能力が高い人は、どこへ行っても通用する感じはありますね。
二つ目は、大きな賭けを一度にしないことです。
大谷翔平選手みたいにとびぬけた才能があるとか、親が石油王とかなら話は変わりますが、そうでなければ、将来有望だと言われた分野へ、いきなり高額な資金と時間を投入するのはリスクが高くなります。
合わなければ戻り、役立ちそうなら少しずつ深める。
未来を一本の予測へ固定せず、方向転換できる余白を残します。
そう考えると、大学に通うというのは、日本の場合は卒業しても何の能力も身につかないという批判はありますが、少なくも大卒の資格を取ることができるので、汎用性は高いとは思いますね。海外で働く場合も、大卒かどうかでビザ取得の条件が変わりますしね。
三つ目は、将来役立たなくても、現在に価値があることを選ぶことです。
読書をした結果、それが仕事で使えなくても、読んで考えた時間に意味がある。
音楽を練習して職業にできなくても、演奏している時間が楽しい。
人と話す能力を学び、それが昇進につながらなくても、身近な人との関係に役立つ。
未来で回収できなければ全部損だと考えるから、努力の陳腐化が怖くなります。
現在にも価値がある行為なら、未来のルールが変わっても、すべてが無駄にはなりません。
資産形成も同じです。
30年後の世界を正確に当てることはできません。
だから一つの国、一つの会社、一つの予測へすべてを賭けず、分散し、途中で生活が変わっても続けられる範囲にする。
未来を完璧に当てるのではなく、外れても生きられる形を作るのですね。
ちなみに話題についていくために頑張って映画を観るのは、Q太郎的にはコスパもタイパも悪いですね。どうせ話題なんてどんどん変わっていきますし、陳腐化の速度が速すぎるで、自分が楽しめるものだけ観ればいいとは思います。ゲームもそうですね。レトロゲームとかを遊ぶのもいいかもしれませんね。Q太郎もたまにSteamの「マッピー」とか「ゼビウス」とか遊んでますね。昔のゲームなので数分で飽きますけどね。
・Q太郎の見立て・未来へ奉仕しすぎない
ここからは、Q太郎なりの見立てです。
Q太郎は、若者に「未来を信じろ」と言うだけでは、あまり意味がないと思っています。
努力できないのは、根性がないからだけではありません。
社会の変化が速くなり、現在の努力と未来の報酬を結ぶ線が、実際に切れやすくなっているからです。時間が締め切りをともなった「点」になってしまっているのですね。
自分が若かったころに有効だった努力を示し、「自分はこれで成功したのだから、あなたも同じようにしなさい」と言う。
しかし、それはすでに終了したゲームの攻略法を渡しているだけかもしれません。終身雇用や年功序列もそうですね。昔はそれが生産性を上げていたのですね。
一方で、未来は分からないから、現在だけ楽しめばよいという考えも極端なわけです。
未来の自分も、現在の自分と同じように、生活しなければならない人間です。
重要なのは、現在を未来の奴隷にしないことと、未来を現在のツケ払い先にしないことです。
将来のためだけに、いま嫌なことを我慢し続けない。
しかし将来の自分が困らない程度には、お金と選択肢を残しておく。
未来を一点に決めつけず、複数の方向へ動けるようにしておく。
努力するなら、未来で成功したときだけ意味が生まれるものではなく、現在にも何かが残るものを選ぶ。
未来を信じるとは、30年後の社会が思いどおりになると信じることではありません。
何が起きても、そのときの自分が少しは動ける余白を残すことです。分散投資の考え方と同じですね。
社会が加速し、仕事や技術の賞味期限が短くなっても、人生のすべてを社会の流行へ同期させる必要はありません。
陳腐化しない未来を探すのではなく、陳腐化しても、また選び直せる自分でいる。
そのほうが、変化の速い時代に持てる、現実的な希望ではないでしょうか。
しかしやはり忙しい世の中にはなったと思います。若い人たちは本当に大変だと思いますね。
皆さんは、身につけたころには価値が変わっていた知識や技術がありますか。
また、将来役立たなくても、やってよかったと思えることがあれば、コメント欄から教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。
