50歳からのお金の使い方。ケチと贅沢を両立できる人が強い理由

keti zeitaku ryouritu

Q太郎のお金の哲学です。

今回は、ケチと贅沢の両立についてです。

YouTube動画で観たい方はこちらのリンクから。

50歳からのお金の使い方。ケチと贅沢を両立できる人が強い理由
50代からはケチと贅沢を両立できるのが強いことについての動画です。録音できない環境なのでゆっくり実況形式(セルフボイス)でお送りします...
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50歳からのお金の使い方

ちょっと想像してみてください。

日本では、立ち食いそばや牛丼で十分。服もそこまで気にしない。外食もほとんどしない。ところが一方で、海外では、自分の理想の住まいに大きくお金を使っている。かなり贅沢な住環境を作っている。

実際に、こういう趣旨のコメントを視聴者様からいただいたのですが、これを聞いたとき、皆さんはどう思うでしょうか。

「ケチなのか、贅沢なのか、どっちなんだ?」

そう思うかもしれません。一見すると、かなり矛盾しているように見えますよね。

でもQ太郎は、これをただの極端なライフスタイルの話だとは思いませんでした。ここに、50歳からのお金の使い方における、かなり重要なヒントがあると思ったんですね。

つまり、お金を使わない人が強いのではありません。何にでもお金を使う人が強いのでもありません。お金を使う場所と、使わない場所を、自分で決められる人が強いんです。

これは以前の動画で話した「スペンドシフト」の考えにも通じています。自分にとって価値の低い支出を減らし、価値の高い支出へお金を移していく、という考え方ですね。 

50歳、60歳と人生の後半戦に入ってくると、お金についての悩みも少し変わってきます。若い頃は、「どうやって増やすか」が大きなテーマになります。収入を増やす。支出を減らす。新NISAで積み立てる。投資信託を買う。生活防衛資金を作る。これはこれで、とても大事です。

でも、ある程度資産ができてくると、次に出てくる問題があります。それは、「結局、お金をどう使えばいいのか」という問題です。増やすことはできた。守ることもできた。では、そのお金をどこに使い、どこには使わないのか。ここが決まっていないと、資産はあるのに、なぜかずっと不安だったり、ずっと他人の目に振り回されたりするんですね。

そんなわけで、ようこそQ太郎のお金の哲学チャンネルへ。賢く資産形成をしつつ、お金に悩まされない生存戦略を発信しています。今回は、「50歳からのお金の使い方。ケチと贅沢を両立できる人が強い理由」について、独自の視点で深掘りしていきます。 

ケチと贅沢は矛盾しない

普通は、ケチと贅沢って反対のものに見えますよね。ケチな人はお金を使わない。贅沢な人はお金を使う。そんなイメージがあります。でも、実際にはそう単純ではありません。

本当にお金の使い方が上手い人は、全部にお金を使うわけではないんです。むしろ、どうでもいいものにはかなり厳しい。自分にとって価値がないものには、1円でも使いたくない。でも、自分にとって本当に価値があるものには、思い切って使う。ここがかなり大事なんですね。

たとえば、食事について考えてみます。お腹を満たすだけなら、立ち食いそばで十分な人もいます。牛丼で十分な人もいます。スーパーの弁当で十分な人もいます。別に毎回ホテルのレストランに行く必要はありません。そこで大事なのは、「世間的に高級だから食べる」のではなく、「自分はこれで十分満足できる」とわかっていることです。

まさに、「足るを知る者は富む」ですね。トムさんが足るを知っているわけではありません(笑)

本当に豊かな人というのは、何でも高級なものを選ぶ人ではなく、自分にとって「これで十分だ」とわかっている人だと思うんです。 

服も同じです。寒くない。清潔である。動きやすい。それで十分なら、ユニクロでもいいわけです。Q太郎も服にお金をかけたいタイプではありません。むしろ服を選ぶ時間の方が面倒くさいです(笑)

自分に合う物を選ぶ

もちろん、「ユニクロはすでにブランドでは?」というコメントも以前いただきました。たしかに、ミニマリスト界隈だとそんな感じもありますね(笑)ユニクロを着ていること自体が、「私はシンプルに暮らしています」という一つのシグナルになっている面もあると思います。

ただ、ここで大事なのは、ユニクロか高級ブランドかという話ではありません。自分がその服に何を求めているのか、ということです。寒くない。清潔である。動きやすい。それで十分なら、それ以上の見栄を乗せなくてもいい。逆に、高級ブランドが好きで、自分で納得して着ているなら、それはそれでいいと思います。

問題なのは、高級ブランドを着ないと自分の価値が下がると思ってしまうことです。それはかなりしんどい生き方だと思うんですね。

移動もそうです。歩ける距離なら歩けばいい。電車で十分なら電車でいい。車が必要ないなら、持たなくてもいい。Q太郎は運転の才能がなさすぎて、「これはいつか絶対に事故るな」と思って車を手放しています。高級車どころか、普通の車でも厳しいです(笑)

普通に道路を逆走しかけたり、「日本って右側通行だったっけ?」みたいな状態になったこともありますしね。実際、一度事故りそうになったこともありました。これはもう、本気でヤバいレベルです(笑)

なのでQ太郎の場合、車を持たないのは我慢ではなく、かなり合理的な判断なんです。見栄で車を持つより、自分の能力と生活に合った移動手段を選ぶ方が、よほど安全で平和だと思うんですね。

食事も、服も、移動も同じです。大事なのは、安いものを選ぶことではありません。自分にとって本当に必要な機能は何かを見極めて、そこに余計な見栄を乗せないことです。

こういう話をすると、「ただのケチじゃないか」と思う人もいるかもしれません。でも違うんです。これは、全部を我慢しているわけではありません。自分にとって価値が薄いものに、お金を流さないということです。言い換えれば、人生の水漏れを止めているんですね。

必要な機能には安くて十分なことが多い

日常の中には、機能を満たせばそれで十分なものがたくさんあります。お腹を満たす。体を冷やさない。移動する。連絡を取る。寝る。こういうものは、もちろん最低限の質は必要です。でも、そこに見栄や世間体を乗せ始めると、急にお金がかかります。

たとえば、昼ご飯を食べるという行為があります。目的は、お腹を満たして、午後も動けるようにすることです。この目的だけなら、立ち食いそばでも牛丼でも十分です。ところがそこに、「人からどう見られるか」「成功者っぽく見えるか」「SNSに上げられるか」という要素が入ってくると、急に高くなります。

同じように、服も本来は体を守るためのものです。寒さを防ぐ。暑さを調整する。清潔に見える。動きやすい。それで十分な場面は多いです。

でもそこに、「このブランドを着ている自分を見せたい」「安い服だと思われたくない」「成功者っぽく見られたい」が乗ると、服はどんどん高くなります。

もちろん、高い食事や高い服が全部悪いという話ではありません。好きならいいんです。本人が本当に好きで、そこに価値を感じているなら、それは立派な使い道です。

でも、他人の目を満たすためだけに払っているなら、それはかなり重い税金です。見栄税です。払っても払っても終わらない税金ですね。

50歳からのお金の使い方で大事なのは、この見栄税をどこまで減らせるかだと思います。「これは安いもので十分です」と自分で言えること。「ここは別に見せ場ではありません」と割り切れること。これができると、支出はかなり軽くなります。そして支出が軽くなると、資産5000万円の持つ意味も変わってきます。

同じ5000万円でも、見栄のために毎月大きく流れていく人と、必要なところにだけお金を使う人では、安心感がまったく違います。資産額だけではなく、支出の質が人生を決めるんですね。

本当に好きなものには大きく使っていい

一方で、何でもかんでも安く済ませればいいのかというと、そうではありません。ここが今回かなり大事なところです。

自分が本当に価値を感じるものには、大きく使っていいと思うんです。むしろ、そこに使えないと、何のために資産形成してきたのかわからなくなります。削るところを削るのは、使うべきところに使うためです。全部を削って、ただ口座の数字を眺めるためではありません。

たとえば、住まいが本当に好きな人なら、住まいに使う。庭が好きな人なら、庭に使う。旅が好きな人なら、旅に使う。本が好きな人なら、本に使う。ゲームが好きな人なら、ゲームに使う。家族との時間が大事なら、家族との時間に使う。健康が大事なら、健康に使う。

他人から見ると、「なんでそこにそんなに使うの?」と思われるかもしれません。でも本人にとって、それが人生を支えるものなら、そこは使っていい場所なんですね。

むしろ、他人から理解されないくらいでちょうどいいのかもしれません。なぜなら、それは他人のための消費ではなく、自分のための消費だからです。

今回いただいたコメントのように、日本では立ち食いそばや牛丼で十分。でも海外では、自分の理想とする生活環境には大きく使う。これは表面的には矛盾しているように見えます。でも、見方を変えるとかなり一貫しています。

つまり、「他人に見せるための消費」にはお金を使わない。でも「自分が本当にやりたいこと」には使う。ここに一本の軸があるわけです。これが自分軸です。

Q太郎はこれ、かなり強いと思うんですね。なぜなら、世間の基準でお金を使っていないからです。周りが高級レストランに行くから自分も行く。周りがブランド品を持つから自分も持つ。周りが車を持つから自分も持つ。周りが「ドラゴンなんちゃら」や「なんちゃらファンタジー」の最新作を買うから自分も買う。

そういう使い方ではありません。自分に必要なものは何か。自分の人生を豊かにするものは何か。それを自分で決めているんです。

お金を使わない場所を決めることは、人生を決めること

お金の使い方というと、「何に使うか」ばかり注目されがちです。でも実は、「何に使わないか」も同じくらい大事です。

何に使わないかを決めるということは、何に人生を奪われないかを決めることでもあります。見栄に使わない。世間体に使わない。興味のない付き合いに使わない。自分に合わない流行に使わない。SNSで見ただけの欲望に使わない。こうやって使わない場所を決めると、自分の人生の輪郭がはっきりしてきます。

逆に、何にでもお金を使ってしまうと、自分の輪郭がぼやけます。誰かに誘われたから行く。流行っているから買う。SNSで見たから欲しくなる。みんなが持っているから自分も持つ。これだと、自分のお金なのに、他人の欲望をなぞっているだけになります。

以前から何度も言っていますが、お金は道具です。道具は使う人の目的によって意味が変わります。同じ10万円でも、興味のないブランド品に使えばただの見栄になります。

でも、自分がずっと行きたかった場所への旅に使えば、一生残る記憶になるかもしれません。親のために使えば、家族の安心になるかもしれません。健康のために使えば、これからの人生の土台になるかもしれません。

金額そのものより、そのお金が自分の人生のどこに効いているかが大事なんです。ここが見えてくると、「高い」「安い」だけでお金を判断しなくなります。

たとえば1000円のランチでも、自分にとってどうでもいいなら高いです。逆に10万円の旅行でも、自分にとって本当に必要なら安いかもしれません。値段ではなく、価値で見る。ここが50歳からのお金の使い方ではかなり重要になってくると思います。

【50歳】増やす力から、選んで使う力へ

若い頃は、まず増やす力が大事です。収入を増やす。支出を整える。生活防衛資金を作る。新NISAで積み立てる。インデックスファンドを買う。これはかなり大事です。20代、30代のうちは、時間もありますし、複利を味方につけることもできます。

でも50歳を過ぎてくると、少しずつ景色が変わってきます。もちろん、まだ働く人も多いですし、投資を続ける人も多いです。すぐに取り崩す必要があるわけでもありません。ただ、人生の残り時間を考えると、「増やす力」だけでは足りなくなってくるんですね。

ここから必要になるのは、「選んで使う力」です。全部に使わない。全部を我慢しない。自分にとって必要なところを選び、そこには使う。自分にとって不要なところは削る。これができる人はかなり強いです。

なぜなら、50歳以降は、時間の価値が上がってくるからです。若い頃は、「そのうちやればいい」と思えたことも、50代、60代になると、だんだんそうも言っていられなくなります。体力も変わりますし、家族の事情も変わります。親の介護が出てくる人もいますし、自分の健康問題が出てくる人もいます。

だからこそ、全部を未来に先送りするのではなく、「これは今使った方がいい」「これは今やった方がいい」と判断する力が必要になります。お金を増やすことだけに集中していると、この判断ができなくなることがあります。資産額は増えているのに、人生の経験は増えていない。これは、かなりもったいないことだとQ太郎は思うんですね。

50歳からのお金の使い方で大事なのは、豪遊することではありません。自分の生活にとって、本当に意味のある場所にお金を流すことです。流すべき場所に流す。止めるべき場所では止める。これができると、お金はかなり頼もしい道具になります。

以前の動画でも話したように、お金の本質は「流動性」です。つまり、お金はただ積み上げて眺めるものではなく、必要な場所へ動かして初めて力を発揮するものなんですね。水道と同じで、必要な場所には流す。でも穴が空いているところから漏れているなら止める。この感覚が、50歳からのお金の使い方ではかなり大事だと思います。

全部を自分のものにしなくてもいい

さらに人生後半になると、「所有」への考え方も変わってくると思います。若い頃は、自分のものを増やすことが安心につながりやすいです。自分の家、自分の車、自分の資産、自分の持ち物。所有することで、自分の足場を固める感覚があります。

でも50代、60代になってくると、全部を自分の名前で抱え込むことが、本当に幸せなのかを考える場面も出てきます。家族のために使う。配偶者に任せる。子どもに残す。社会のために使う。寄付する。誰かの役に立つ形で使う。こういう視点も出てきます。

以前コメントで、「子どもに残しすぎると、自立心を奪うことになる」という意見をいただいたこともあります。これも一つの大事な視点だと思うんですね。お金を残すことが、必ずしも相手の幸せになるとは限らない。助けるつもりが、逆にその人の力を奪ってしまうこともあるかもしれない。

だから、ただ多く残せばいいという話ではなく、どこまで残すのか、どこから先は自分で生きてもらうのか。ここも、人生後半のお金の使い方として考える必要があると思います。

自分軸で考える

もちろん、これは人によって考え方が違います。相続も家族関係も、かなり個別事情があります。だから、これが正解ですとは言いません。ただ、お金を全部「自分の価値の証明」として抱え込んでしまうと、やはりしんどくなります。

お金は持っているだけではなく、流すこともできます。自分の生活を整えるために流す。家族の安心のために流す。自分の好きなもののために流す。社会のために流す。こう考えると、お金はただの所有物ではなくなります。

ただし、ここでも大事なのは自分軸です。

Q太郎は以前の動画で、寄付をすると「お金を手放す感覚」が身につく、という話をしました。つまり、お金を神様のように拝むのではなく、必要な場所へ流す道具として見られるようになる、ということですね。

ただし、だからといって、世間が寄付しろと言うから寄付する。子どもに残せと言われたから残す。みんなが家を買うから家を買う。そういう話ではありません。

自分は何を大事にしたいのか。誰に何を残したいのか。何には残しすぎない方がいいのか。ここも自分で考える必要があります。

お金に振り回されない人は、使い方が決まっている

結局、お金に振り回されない人は、自分の中である程度ルールが決まっているんだと思います。何に使わないか。何には使うか。どこまでなら使うか。どこから先は使わないか。これが決まっていると、他人の生活を見てもあまり揺れません。

たとえば、SNSで誰かが高級ホテルに泊まっているのを見る。自分の軸がないと、「自分もああいう生活をしないといけないのかな」と思ってしまいます。

でも自分の軸がある人は、「自分はそこには価値を感じないな」と思える。あるいは逆に、「自分は旅が好きだから、そこには使う」と決められる。どちらでもいいんです。大事なのは、自分で決めていることです。

立ち食いそばを食べる人が強いのではありません。豪邸に住む人が強いのでもありません。立ち食いそばでいい場所と、豪邸でもいい場所を、自分で決められる人が強いんです。

これができると、ケチと贅沢は矛盾しなくなります。むしろ、ケチであることが贅沢を支えます。どうでもいいものに使わないから、本当に大事なものに使える。見栄に使わないから、自分の好きなものに使える。世間体に使わないから、自分の生活を守れる。

Q太郎は、これがかなり重要な出口戦略だと思います。出口戦略というと、普通は資産をどう取り崩すか、何%で取り崩すか、現金をどれくらい持つか、という話になりがちです。もちろんそれも大事です。

でも、それ以前に、自分は何にお金を使いたいのか。何には使いたくないのか。ここが決まっていないと、取り崩しの数字だけ決めても、心は安定しないと思うんですね。

ケチと贅沢の両立は、自分の人生を取り戻すこと

そんなわけでまとめると、ケチと贅沢は矛盾しません。むしろ、自分軸がある人ほど、ケチと贅沢を両立できます。どうでもいいものには使わない。本当に大事なものには使う。この判断ができる人は、50歳以降かなり強いとQ太郎は思います。

お金の使い方は、その人の価値観そのものです。立ち食いそばで十分な人もいれば、食事にはお金をかけたい人もいます。服はユニクロで十分な人もいれば、服が好きでそこに使いたい人もいます。住まいに使いたい人もいれば、旅に使いたい人もいます。本に使う人、ゲームに使う人、家族に使う人、健康に使う人。どれが正解という話ではありません。

大事なのは、他人の基準で使わないことです。世間体で使わない。見栄で使わない。SNSで煽られて使わない。自分の人生にとって必要なところに使う。そうやってお金の流れを自分で決められるようになると、少しずつお金に振り回されなくなっていきます。

50歳からのお金の使い方は、単なる節約術ではありません。自分の人生の手綱を、世間から自分に取り戻す作業だと思います。何に使わないかを決めることは、何に人生を奪われないかを決めることです。何に使うかを決めることは、何に人生を注ぎたいかを決めることです。

皆さんは、何にはお金を使いたくなくて、何には大きく使いたいですか。よかったらコメントで教えてください。全部読ませていただいています。

数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。

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