50代で資産5000万円。取り崩しを開始してわかった『お金の神様』という幻想

50 okane dougu kami

Q太郎のお金の哲学です。

今回は、取り崩し投資をすることで、お金を神様から道具へ戻すマインドが得られる話についてです。

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取り崩しを開始してわかった『お金の神様』という幻想

こんなご質問をいただきました。

「50代で資産5000万円ほどです。Q太郎さんの「お金は道具や商品券でしかない」という話をすると、登録者が減るとおっしゃっていましたが、私には刺さりました。「お金はあくまで道具で、人間が道具に振り回されてはいけない。振り回す側でなくてはならない」というのは確かにその通りです。現在まだ仕事をしていますが、取り崩し投資を始めていて、お金は必要に応じて使うことにしています。取り崩しをすると、お金が神様という考えはかなり薄れて、道具という意識は強くなってきますね(笑)お金の苦しみは、お金を神様だと思う事から始まるのではないでしょうか?」

とのことです。ありがとうございます。

お金は道具や商品券

これ、かなり重要なコメントだと思いました。Q太郎はいつも、「お金は道具です」とか、「商品券です」とか、「あなたの主人ではありません」とか言っていますが、正直この話をすると登録者が減るんですね(笑)

お金を増やす話をしているチャンネルなのに、「お金は大したものではありません」と言い始めるので、たぶん一部の人にはかなり違和感があるんだと思います。

ただ、これは別に「お金を粗末に扱え」という話ではありません。むしろ逆です。お金を変に神格化せず、適切なポジションに戻して、適切に使った方がいいという話なんですね。

最近は「お金は感謝の量です」みたいな、少しスピリチュアルな言い方もありますが、Q太郎としては、お金はやっぱり道具だと思っています。

例えるなら、工具箱の中にあったドライバーが、いつの間にか神棚に置かれて、拝まれているようなものです。

でもドライバーは、拝むものではありません。ネジを締めるための道具です。だから神棚から下ろして、ちゃんと工具箱に戻す。そして、必要なときにネジを締める。

お金も同じで、拝むものではなく、人生を整えるために、適切な場面で適切に使う道具なんだと思うんです。ありがたがって眺めるものではなく、使うべき場面で使うものなんですね。

でも、実際に取り崩しを始めている方から、「取り崩しをすると、お金が神様という考えは薄れて、道具という意識が強くなる」と言っていただけたのは、かなり大きいと思います。これは単なる精神論ではなく、実際にお金を使う段階に入った人の体感なんですね。貯めているときと、使っているときでは、お金の見え方が変わる。ここは、今回かなり深掘りする価値があると思いました。

そんなわけで、ようこそQ太郎のお金の哲学チャンネルへ。賢く資産形成をしつつ、お金に悩まされない生存戦略を発信しています。今回は、50代で資産5000万円、そして取り崩しを始めて見えてくる「お金の神様」という幻想について、Q太郎的に深掘りしていきます。ラジオみたいな感じで、気楽に聞いていただければと思います。

資産5000万円あっても、なぜお金が怖いのか

それで普通に考えると、50代で資産5000万円あれば、かなり強い状態です。もちろん家族構成や住んでいる場所、持ち家か賃貸か、年金の見込み、生活費によって全然違いますので、全員が安心ですとは言えません。ただ、一般的な感覚としては、50代で資産5000万円というのは、かなりしっかり資産形成してきた人だと思います。

それでも、お金を取り崩すとなると怖いんですよね。資産が5000万円ある。シミュレーション上は大丈夫そうに見える。毎月いくら使っても、何歳くらいまでは持ちそうだと計算できる。

それでも、実際に口座の数字が減ると、胸のあたりがザワッとする。昨日まで5000万円あったものが、4999万円になる。数字で見れば、たった1万円の差です。でも感情としては、「減った」という事実がやたら大きく見えてしまうんです。

しかも、ここでさらにやっかいなのが、「資産5000万円」というラインなんですよね。

野村総合研究所の分類では、資産5000万円以上は「準富裕層」と呼ばれます。でも5000万円を下回ると、その下の「アッパーマス層」になります。

つまり、昨日まで「準富裕層」だったのに、1万円使っただけで、自分の中では「アッパーマス層に落ちた」ような気分になるわけです。

冷静に考えれば、生活は何も変わっていません。5000万円でも4999万円でも、昨日と今日で急に人生が変わるわけではありません。

でも人間って、こういうラベルに弱いんですよね。以前も「所有物はその人のアイデンティティになる」という話をしましたが、資産額も同じで、いつの間にか自分のアイデンティティになってしまう。

だから資産が少し減ると、単にお金が減っただけではなく、「自分の価値」や「自分の立場」まで減ったように感じてしまうんです。

お金は本来使う物

これ、かなり不思議な話です。だってお金って、本来は使うためにあるはずなんですよ。食べ物を買うため、家に住むため、病院に行くため、好きな本を読むため、家族を助けるため、嫌な仕事から距離を取るため。つまり人生を支えるために使う「道具」や「商品券」であるはずなんです。

でも、いざ使う段階になると、今度は「減らしてはいけないもの」に見えてくる。便利な道具だったはずのお金が、いつの間にか絶対に減らしてはいけない神聖なものになってしまうわけです。ドライバーが工具箱を飛び出して、なぜか神棚に置かれ、誰も使わなくなる。そんな状態です。

ここに、お金の怖さがあると思うんですね。お金がないときは、お金が欲しい。お金が増えると、今度は減るのが怖い。お金を増やすために頑張っていたはずなのに、増えたあとも苦しい。むしろ増えたからこそ、減ることが怖くなる。これ、かなり皮肉な話だと思うんです。

お金を神様にしてしまう人たち

今回いただいた質問の中で、特に印象的だったのが、「お金の苦しみは、お金を神様だと思う事から始まるのではないでしょうか?」という部分です。これはかなり本質を突いていると思います。

もちろん、実際にお金を神棚に置いて拝んでいるという話ではありません。そういう人もいるかもしれませんが(笑)、ここで言う「神様」というのは、もっと心の中の話です。

お金を絶対的なものだと思ってしまう。お金さえあれば安心できる。お金さえ増えれば自由になれる。お金さえあれば人から認められる。お金が減ると、自分の価値まで減ったように感じる。そういう状態ですね。

でも本来、お金はただの道具です。交換を便利にするための仕組みです。Q太郎はよく、お金は商品券みたいなものだと言っています。もちろん普通の商品券より圧倒的に便利です。世界中で使えるし、投資すれば増える可能性もあるし、保存もできる。かなり優秀な商品券です。でも、商品券は商品券なんですよ。

例えば、デパートの商品券を100万円分持っていたとします。それを1枚使うたびに、「うわ、商品券が減った」「人生が終わる」「これは使ってはいけない」と苦しんでいたら、ちょっと変ですよね。何のための商品券なのかという話になります。商品券は使ってこそ意味があります。もちろん無駄遣いする必要はありません。でも、必要なものと交換するためにあるわけです。交換しないとただの紙切れです。

お金も同じです。お金は、生活や自由や安心や時間と交換するための道具です。それなのに、道具を使うこと自体に罪悪感を覚える。数字が減ることに怯える。すると、人間が道具を使っているのではなく、道具に人間が支配されている状態になります。これが、お金を神様にしてしまうということだと思うんですね。

なぜ人は通帳の数字に祈ってしまうのか

ここで少し考えてみたいのですが、ハンマーに祈る人はあまりいませんよね。ドライバーに祈る人もあまりいません。包丁に人生を支配される人も、普通はあまりいません。もちろん、職人さんにとって大事な道具はあると思います。道具を大切にすること自体は、すごく大事です。

でも、それでも道具は道具です。使って初めて意味があります。仕事道具を神棚に飾って、まったく使わない職人さんはいません。ハンマーは釘を打つためにあるし、包丁は食材を切るためにあります。ドライバーは、ネジを締めるためにあるわけです。

ところが、お金だけはなぜか違うんですね。通帳の数字を見る。証券口座の評価額を見る。総資産が増えると安心する。減ると不安になる。まるで数字そのものが自分を守ってくれるように感じる。

もちろん、お金が安心につながるのは事実です。お金がなければ選択肢は減りますし、生活の不安も増えます。だから資産形成は大事です。ここは誤解しないでください。

ただ、問題はその先なんです。お金は安心を作るための道具なのに、いつの間にか「お金が減らないこと」が目的になってしまう。安心して暮らすために貯めていたはずなのに、貯めたお金を使うと不安になる。自由になるために貯めていたはずなのに、そのお金を減らさないために不自由になる。ここで完全に主従が逆転しているんですね。

例えば、寒い日に薪をたくさん集めたとします。目的は暖を取ることです。でも薪を集めすぎた人が、「薪が減るのが怖い」と言って火をつけなかったらどうでしょうか。寒いままです。薪はたくさんある。でも燃やせない。すると、その人は薪持ちではありますが、暖かくはありません。お金も似ています。資産はある。でも使えない。すると、お金持ちではあるかもしれませんが、自由ではないんですね。

幸せになるための道具が、増やすこと自体の目的になる

資産形成をしていると、どうしても数字が気になります。これは仕方ありません。毎月の積立額、証券口座の評価額、含み益、配当、取り崩し率、年率リターン。こういう数字を見るのは大事です。数字を無視して資産形成するのは危険ですからね。

Q太郎も数字を見るのは好きです。証券口座を見て、「お、増えてる」と思うこともありますし、逆に相場が悪いと、「けっこう減ってるなあ」と思うこともあります(笑)数字は感情より正直です。だから、数字を見ること自体は悪いことではありません。

ただですね。数字を見ることと、数字に支配されることは違います。

ただ、数字を見ることと、数字に支配されることは違います。最初は、生活を楽にするためにお金を増やしていたはずです。嫌な仕事から距離を取るため。老後の不安を減らすため。自分の時間を取り戻すため。家族を守るため。そういう目的があったはずです。

でも、気づくと目的が変わっていることがあります。生活を良くするためにお金を増やしていたのに、いつの間にか「お金を増やすこと」そのものが目的になる。5000万円になったら安心できると思っていたのに、5000万円になったら今度は6000万円が欲しくなる。6000万円になったら7000万円。7000万円になったら1億円。どこまで行っても終わらない。

これって、ゲームのスコアみたいなものなんですよね。最初はクリアするためにスコアを伸ばしていたのに、気づいたらスコアを伸ばすこと自体が目的になる。もちろんゲームならそれでもいいかもしれません。でも人生でそれをやると、かなり危ないです。なぜなら人生には時間制限があるからです。スコアを増やしているうちに、使える時間の方が減っていくんですね。

ここが、50代以降の資産形成でかなり重要なところだと思います。20代や30代なら、まだ「増やす時期」と考えてもいいでしょう。たとえば20代で毎月3万円を積み立てる。30代で新NISAを使って、インデックスファンドをコツコツ買う。これはかなり合理的です。まだ働ける時間も長いですし、複利を味方につける時間もあります。多少相場が下がっても、給料から積み立てを続けて、時間をかけて回復を待つこともできます。

それに若い頃は、まだ「使う」よりも「土台を作る」時期でもあります。生活防衛資金を作る。投資の習慣を作る。無駄な固定費を削る。お金の流れを整える。こういうことをやっておくと、あとでかなり楽になります。

それと同時に、無駄遣いを減らして、自分にとって本当に必要なところへお金を集中させる習慣も、この時期に作っておくといいと思います。ただケチになるのではなく、「これはいらない」「これは必要」と、自分の基準でお金を振り分ける練習ですね。これができるようになると、将来かなり楽になります。 

でも50代になると、少しずつ景色が変わってきます。もちろんまだ働く人も多いですし、すぐに取り崩す必要があるわけではありません。ただ、人生の残り時間を考えると、いつまでも数字だけを積み上げるゲームを続けるわけにはいかないんですね。

【50代】残り時間が見えてくる分岐点

50代というのは、かなり大きな分岐点だと思います。まだ元気です。仕事もできる。投資も続けられる。旅行にも行けるし、趣味もできる。

でも一方で、若い頃と同じではありません。体力も少しずつ変わってきます。親の介護が見えてくる人もいます。自分の健康にも少しずつ気をつけるようになります。人生の残り時間を、なんとなく意識し始める年代でもあります。

この段階で、「お金をどう増やすか」だけを考えていると、かなり危ないと思うんです。もちろん増やすことは大事です。インフレもありますし、医療費もありますし、長生きリスクもあります。だから資産を適切に守り、運用することは必要です。ただ、それと同時に、「何のために持っているのか」を考えないといけないとは思います。

5000万円の資産がある。これはかなり大きな力です。でもそれを死ぬまで一円も減らさないことが目的なら、少し話が変わってきます。もちろん相続したいとか、家族に残したいとか、明確な目的があるなら別です。でも、ただ怖いから使えない。減るのが嫌だから使えない。数字が減ると、自分の安全が崩れるようで怖い。そういう状態なら、お金を持っているというより、お金に持たれているのかもしれません。

以前も話しましたが、人間は商品券を使う側です。商品券に使われる側ではありません。50代からは特に、この感覚が大事になってくると思います。いつまでも引換券を握りしめて、「いつか使う」と言いながら、その「いつか」が来ない。これはかなりもったいないことです。

【取り崩し】お金を神から道具に戻す儀式

今回のコメントで面白いのは、「取り崩しをすると、お金が神様という考えは薄れて、道具という意識は強くなる」という部分です。これ、かなり実感のある言葉だと思うんですね。

お金は、貯めているだけだと神様になりやすいです。通帳の数字、証券口座の評価額、資産総額。これらは見ているだけなら減りません。もちろん相場で上下はしますが、自分で使わなければ「使って減った」という感覚はありません。すると、お金はどんどん神聖なものになっていきます。触れてはいけないもの、減らしてはいけないもの、拝むものになっていく。

でも取り崩しを始めると、少し変わります。お金を実際に使う。生活費にする。食べ物を買う。家賃や光熱費を払う。病院に行く。少し良いものを買う。旅行に行く。すると、お金はただの数字ではなくなります。生活を支える道具として動き始めるんですね。

これは、かなり重要な変化だと思います。取り崩しは、単に資産を減らす行為ではありません。お金を神の座から引きずり下ろして、自分の人生のための道具に戻す行為でもあります。ちょっと大げさに言えば、取り崩しは「お金を道具に戻す儀式」なんです。

もちろん、適当に使えばいいという話ではありません。無計画に取り崩したら危険です。生活費、年金、税金、相場の暴落、医療費、介護費、家族の事情。いろいろ考える必要があります。ただ、計画的に使うことまで恐れてしまうと、それはもうお金に支配されている状態です。お金は守るものでもありますが、使うものでもあります。どちらか片方だけでは、うまくいかないんですね。

【使う力】増やす力だけでは自由になれない

資産形成では、「増やす力」が重視されます。これは当然です。収入を増やす。支出を抑える。投資する。複利で増やす。新NISAを使う。iDeCoを使う。インデックスファンドを積み立てる。こういう話は大事ですし、Q太郎も否定しません。むしろ、やった方がいいと思っています。

ただ、ある程度資産ができてくると、今度は「使う力」が必要になります。これは意外と難しいです。節約が上手な人ほど、お金を使うのが苦手だったりします。長年、支出を削ることで資産を作ってきた人ほど、使うことに罪悪感を覚える。スーパーで少し高い果物を買うだけでも、「いや、これは無駄遣いではないか」と考えてしまう。旅行に行こうとしても、「この分を投資に回せば将来いくらになるか」と考えてしまう。

もちろん、無駄遣いを避けるのは大事です。でも、全部を未来のために先送りしていたら、今の人生がどんどん薄くなります。未来の安心のために、現在を少し犠牲にする。それ自体は合理的です。若い頃なら、ある程度は必要なことだと思います。

でも、それをずっとやり続けると、いつまでも安心できません。なぜなら未来は、どこまで行っても未来だからです。「もう少し増えたら安心できる」「あと1000万円増えたら使える」「1億円になったら自由になれる」と思っていても、その地点に着いたら、また次の未来が出てくるんですね。

それに、投資には時間が必要です。20代や30代なら、長期投資の時間を味方につけることができます。でも50代以降になると、自分の残り時間も考えないといけません。人生の残り時間を見ずに、何でもかんでも投資に回してしまうのは、少しバランスが悪い気がするんです。

50代からは、増やす力に加えて、使う力も育てる必要があると思います。これは豪遊しろという話ではありません。高級車を買えとか、高級ホテルに泊まれとか、そういう話でもありません。必要なものにちゃんと使う。自分の生活を少し良くすることに使う。健康を守ることに使う。時間を取り戻すことに使う。家族や友人との穏やかな時間に使う。そういう使い方ですね。

お金を使うことで、お金は道具に戻ります。逆に、お金を一切使えないと、お金は神様のままです。だから、適切な取り崩しや適切な消費は、お金との主従関係を正すためにも必要なのかもしれません。

お金にひれ伏さない生活

真の自由って、ただお金がたくさんあることではないと思うんです。もちろん、お金は大事です。お金がなければ選択肢は減りますし、嫌な仕事から逃げられないこともあります。だから資産形成は大事です。ここは何度も言いますが、お金を軽視してはいけません。

でも、お金がたくさんあっても、お金にひれ伏していたら自由ではありません。資産5000万円あっても、1万円減るたびに苦しい。外食するたびに罪悪感がある。必要な医療費までケチってしまう。時間を買える場面で買えない。そうなると、お金はあるのに自由ではないんですね。

以前、カウンターシグナリングの話をしました。超富裕層ほど地味な服を着ることがある、という話です。あれも見方を変えると、「お金にひれ伏していない」ということなのかもしれません。

1億円あってもユニクロを着る。高級ブランドで自分を証明しなくてもいい。豪華な生活を見せびらかさなくてもいい。これは、お金を持っていることよりも、お金に支配されていないことの方が重要だという話にもつながります。

Q太郎自身も、そんなに派手な生活をしたいとは思っていません。広い家は掃除が面倒くさそうですし、高級車は駐車しにくそうですし、豪華な料理は胃もたれしそうです(笑)それよりも、自分の生活がちゃんと回っていること。散歩できること。本が読めること。お湯を飲んで落ち着けること。そういう地味なものの方が、人生を支えてくれる気がします。

お金の神様を消して、自分の人生を取り戻す

そんなわけでまとめると、今回いただいたコメントはかなり本質的だと思いました。取り崩しを始めると、お金が神様という考えが薄れて、道具という意識が強くなる。これは、実際にお金を使う段階に入った人だからこそ出てくる感覚だと思います。

お金は大事です。でも神様ではありません。お金は人生を守る道具です。商品券です。交換券です。生活を支え、自由を作り、不安を減らすためのものです。でも、それ自体を拝み始めると、今度はお金のために人生を差し出すことになります。

50代で資産5000万円。これはかなり大きな力です。ただ、その力をただ眺めて拝むだけでは、人生はあまり変わりません。必要なときに使う。計画的に取り崩す。自分の生活を守る。健康を守る。時間を取り戻す。そうやって初めて、お金は神様ではなく、道具になります。

皆さんはお金を使うときに、必要以上に罪悪感を覚えることはありますか。あるいは、取り崩しを始めてから、お金の見え方が変わった方はいらっしゃいますか。よかったらコメントで教えてください。全部読ませていただいています。

数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。

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