「頑張らない生き方」は本当に幸せ?落とし穴は?【FIRE/老後】
新NISA一括投資→即毎月定率取り崩し運用中のQ太郎です。
今回は、「頑張らない生き方」は本当に幸せなのかどうかについてです。
本記事をYouTube動画で観たい方はこちらのリンクから。
「頑張らない生き方」は本当に幸せ?
こんなご質問をいただきました。
「「頑張らない生き方」が流行っているように思います。
これまで日本人は頑張りすぎていたので、その反動で頑張らない生き方を模索するようになったのではないかと思います。
Q太郎さんの動画で、「良くも悪くも若い人の仕事のやる気がない」と言っていましたが、今後人口が減少し、年金が減ることが確定しますので、頑張る気力もそがれてしまいます。
政府は増税しつつ、そのお金を選挙対策として、選挙前のバラマキを行っています。すべての世帯に一律2万円、非課税世帯に4万円の現金給付とのことですが、非課税世帯の7割は高齢者で、労働世帯よりも貯金を持っていますし、そんな世帯に配ってどうするのかとも思います。
Q太郎さんの言ったように、配当金で何億円貰おうと、源泉徴収有りの場合は確定申告しなくていいので、非課税世帯にすることができます。
真面目に働いている人達からは、いったんお金を集めて、それをまた配るというようなことをしています。働くのも馬鹿らしくなるのも当然です。子供をつくる余裕なども無いので、これから少子化はどんどん加速していくしかないとは思いますし、現役世代の稼ぎに頼っている年金もどんどん減るしかありません。
日本が悪くなることは確実だと思っていますが、その一方で無気力に生き続けることが幸せなのかという疑念もあります。
このまま日本人がコスパやタイパを求めて「頑張らない生き方」を続けていくのは、政府に対する反抗というのはありますが、一方で自分の人生にとってそれはどうなのかとも思います。
最低限の仕事をして、無味乾燥な毎日を送るだけの人生になってしまわないでしょうか?
Q太郎さんはFIRE後も仕事をしているとのことですが、この辺りをどう考えていますか?「頑張らない生き方」に何か落とし穴はあると思いますか?」
とのことです。
「頑張らない生き方」というは、確かに流行っている感じはありますね。Q太郎自身もそこまで頑張っているわけでもありませんしね。けっこう適当な感じでやっています。
昭和的な日本の考え方としては、努力は美徳みたいなのがありました。努力さえすればなんとかなるみたいな考えですね。
学校のテストとか受験勉強とか出題範囲も決まっていますし、覚えるだけみたいなのも多いので、努力で何とかなるレベルですが、社会に出るとそういうわけにもいかないわけです。努力すれば報われるという世界では無いのですね。
起業なんかもそうでして、いろいろ苦労して、お金も借りたりして、自分で会社を立ち上げたとしても、必ずしも成功するとはかぎりませんし、統計的には失敗のほうが多いです。
起業後1年以内に廃業する企業が約3割、5年以内の廃業が約5割、10年以内の廃業が約7割と、10年後まで残っているのは3割程度ですし、生き残っているとしてもかならずしも黒字を出しているわけではありません。低金利でお金を借りて自転車操業みたいな状況になっているところも数多くあります。
スポーツ選手とか芸能界とか漫画家とか作家とかユーチューバーとかはさらに厳しいとは思いますね。Youtubeのばあい、収益化に成功しているチャンネルは全体の3~5%、さらにその中で月収1万円以上稼げているのが1%、10万円以上が0.1%未満という世界なので、統計だけで見ればほぼ大半が食っていけないわけです。
まあ、これらのことは趣味みたいなものなので、べつに趣味でやってて、ほかに仕事があるからどうでもいいという人もいますね。サラリーマンやりながら漫画家やっている人もいますしね。
たとえばこのチャンネルですが、毎日更新した場合でも、現在は一か月で2万円ちょっとぐらいの収入ですね。時給換算すると200円以下になるとは思いますので、お金と時間、つまりコスパとタイパを考えるとやらないほうがいいわけです。ちなみに台湾だとコスパのことをCPという言い方をしますね。まあ、どうでもいいですが、そんな感じでコスパとタイパだけで物事を考えてしまうと、あんまり楽しくなくなるわけです。
それで現在流行っている「頑張らない生き方」の問題点というか落とし穴としては、コスパ・タイパを重視した「頑張らない生き方」になっている感じはあります。
つまりお金がもらえないからやらないとか、時間がもったいないからやらないとかそんな感じですね。効率性が優先になっているわけです。
ある意味、お金や時間が基準になっているというか、それに支配されたような生き方になってしまっています。ある意味、お金至上主義、時間至上主義、効率至上主義みたいな考え方ですね。
例えば、ゲームが好きなのにゲームをやらない理由として、「ゲームをやってもお金にならないし、時間も無駄なので、その時間をつかって働いていたほうがいい」というのがあります。仮にゲームをやるとしても、ゲーム実況などをしてマネタライズする形でやるということですね。
ゲームを遊ぶことが無駄時間になったり、ゲームを遊ぶという労働力を無駄にしないようにする考え方です。コスパ・タイパを重視する考え方ですが、生き方としては「頑張らない生き方」どころか、むしろどんなものでもアウトプットやマネタイズしようとしているので、かなり疲れそうだなとは思います。
そういうことが好きならやればいいのですが、そういう生き方が当たり前という感じで他人にすすめてくるのもどうかなとは思います。ゲームぐらいコスパもタイパも気にせずに遊ばせてくれという感じもします。
そもそも人間はいつか死にますし、そう考えるとやってきたことはすべて無駄になるわけです。「自分が死んでもあとの世代のためになる仕事をしている」という人がいるかもしれませんが、そもそも人類もいつか滅びるわけですし、地球もいつか滅びるわけですし、太陽もいつか滅びる訳です。
太陽があと約50億年ぐらいで赤色巨星になって膨張するので、地球が飲み込まれることになります。
けっきょく我々のやっていることは、滅びる以上、コスパ・タイパで言えば完全に無駄なわけで、どんな偉業を達成しようが結局最後は無に帰ります。
そういう50億年後の視点まで持っておくと、いちいちゲームを遊ぶ時にタイパとかマネタライズなんて考えていることが馬鹿らしくなるので、コスパやタイパを気にしてもいいですが、最終的には無意味ということも合わせて考えておけば少しは気楽になるのではないかとは思います。
本気でコスパ重視とかいっているのであれば、いずれ100%死ぬのですから、毎日ご飯を食べるのはコスパを考えれば無駄な出費になりますし、タイパを考えても食事の時間が無駄です。飯を食うなという話に行きついてしまうことになります。
そんな感じで、いまの「頑張らない生き方」は、コスパ・タイパを重視して、「金にならないからやらない」「時間の無駄だからやらない」という「コスパ・タイパが悪ければ頑張らない生き方」になってしまっており、本当の意味でも頑張らない生き方にはなっていないんじゃないかとは思います。質問者様が懸念しているのもこういう点じゃないでしょうか。
結局のところ、コスパ・タイパのために頑張っているようなものですしね。ゲームするにしてもマネタライズまで考えているので、つねに気が休まらないわけです。ずっとコスパはどうか、タイパはどうかみたいなことばかり考え続けているのですね。
そういうのが好きならいいのですが、ゲーム遊びたいのに我慢して、マネタイズ環境が整うまで遊ばないみたいなのはどうかなという気もします。なんかお金や世間の需要に振り回されている感じがします。
本当の意味での頑張らない生き方は、そういうお金のこととか時間のこととか気にしないで、やりたいことをやっていくみたいな生き方のほうが、本当の意味での頑張らない生き方とは思います。
「好きな事でもコスパ・タイパが悪ければ頑張らない生き方」ではなく、「好きなことならコスパ・タイパを頑張らない生き方」のほうがのんびり生きていけるんじゃないかとは思います。どっちにしろ50億年後には地球は物理的に滅びますので、人類の偉業なんてまとめて吹き飛びますしね。コスパ・タイパを考えれば無駄なことをしてきただけとも言えます。
まとめ
そんなわけでまとめると、
・努力さえすればなんとかなるという昭和的な反動から「頑張らない生き方」がクローズアップされてきた。
・テストや受験勉強は範囲が決まっているので努力で何とかなる部分もあるが、社会に出るとそうではなくなる。
・起業しても1年以内に廃業する企業が約3割、5年以内の廃業が約5割、10年以内の廃業が約7割と、10年後まで残っているのは3割程度。
・今の「頑張らない生き方」は、コスパ・タイパを重視する意味での頑張らない生き方(コスパ・タイパが悪ければ頑張らない、無駄なことはしないという効率主義的な考え方ですね。ゲームを遊ぶだけでもマネタライズまで考える、マネタライズできないなら遊ばないという感じです)。
・ただ人間は必ず死ぬ。ご飯を食べること自体もコスパ・タイパの無駄ということにもなる。
・太陽があと約50億年ぐらいで赤色巨星になって膨張して地球は飲み込まれる。人類の偉業もコスパ・タイパで考えれば無駄ということになる。
・何をやっても基本的にコスパ・タイパの無駄。「好きな事でもコスパ・タイパが悪ければ頑張らない生き方」ではなく、「好きなことならコスパ・タイパを頑張らない生き方」のほうがのんびり生きていけるのではないか。
となります。
そんなわけで、質問者様が懸念する「頑張らない生き方」というのは、「好きな事でもコスパ・タイパが悪ければ頑張らない生き方」をしている人が多くなっていることへの懸念なのではないでしょうか。
どちらにしろ生きている以上、コスパ・タイパが悪い事をしているので、コスパ・タイパはほどほどに、「好きなことならコスパ・タイパを頑張らない生き方」のほうがのんびりやっていけるんじゃないかとは思います。
コスパ・タイパ気にしたら、このYoutubeチャンネルもやってませんし、もっと大多数の需要を考えた内容にしていますしね。投資終わったあとの取り崩しを気にしている人なんて相当少数派ですしね。