
かなり以前に、こういう質問をいただいたことがあります。
「Q太郎さんは、資産公開しないのですか?」
とのことです。
これについては、結論から言うと、Q太郎は資産全体の公開はしないことにしています。
取り崩し投資実験の結果報告はしています。これはあくまで実験として、投資額や取り崩し額を切り出しているものですね。
ただ、個人としての総資産や、私生活全体まで見せることはしていません。
理由はいくつかあります。
まず単純に、私生活まで切り売りしたくないという個人的な理由があります。
どこまでがコンテンツで、どこからが自分の人生なのか。この線引きをなくしてしまうと、チャンネルのために自分の生活を燃やすことになります。これはQ太郎的には、あまりやりたくありません。
ただ、理由はそれだけではありません。むしろこちらの理由の方がメインかもしれません。
Q太郎は、資産公開というものは、社会的にもあまり良い影響がないと思っています。
単に「Q太郎が嫌だからやらない」という話ではありません。
他人の財産が見える社会は、人間の協力を壊し、嫉妬を生み、格差をさらに広げる可能性があります。
これは、感覚だけの話ではありません。
イェール大学の研究でも、「財産が見える社会」が人間の協力関係に悪影響を与えることが示されています。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学チャンネルへ。賢く資産形成をしつつ、お金に悩まされないための生存戦略を日々発信しています。
今回は、なぜQ太郎が資産公開をしないのか。そして、なぜ他人の財産が見える社会は危険なのかについて、イェール大学の心理学実験を交えて、独自の視点で深掘りしていきます。
資産公開は透明性なのか
YouTubeやSNSでは、自分の資産を公開している人がいます。
資産5000万円、資産1億円。配当金が毎月いくらか、不動産収入がいくらか。投資信託がいくらか。
こういう数字を出すと、たしかにわかりやすいです。
視聴者としても、実際にどれくらいの資産を持っている人なのかが見えるので、説得力を感じやすいかもしれません。
「この人は本当に資産を作っているんだな」
「この人の言うことには実績があるんだな」
こう思う人もいるでしょう。
だから、資産公開には、ある程度の透明性があります。
ただし、透明性には副作用があります。
人間は、数字が見えると比較します。
隣の人がいくら持っているのか。自分より多いのか、少ないのか。同じ年齢でどれくらい違うのか。同じ投資歴でなぜ差がついたのか。
こういう比較が始まります。
そして、お金の比較はかなり強いです。お金は生活全体に関わります。
家、車、食事、旅行、教育、人間関係、老後不安。
ほとんどすべてに関わってきます。
だから、他人の資産が見えると、人間はかなり強く反応してしまう。
資産公開は、透明性であると同時に、比較の燃料でもあるわけです。
イェール大学の実験
ここで、ブルース・フッドの著書『人はなぜ物を欲しがるのか』にある、イェール大学の研究について紹介していきます。
この研究は、心理学者のニコラス・クリスタキス氏たちのチームによるものです。 オンライン上に仮想国を2つ用意し、被験者たちをランダムに、その国の国民に割り当てます。さらにランダムに、富裕層と貧困層に分けます。
各国には、ジニ係数の異なる3つの文化があります。ジニ係数は、国の所得格差を測るときの係数として有名ですね。0だとまったく格差のない平等な社会、1だと格差有りすぎの不平等な社会です。つまり格差の異なる3つの文化が、それぞれの国にあるのですね。
ちなみにジニ係数が0.4を超えると、一般的には警戒ラインと言われています。国際比較用のジニ係数だと、日本が0.32、アメリカが0.42ぐらいになっていて、アメリカは日本に比べて格差が大きいことがわかります。北欧諸国は0.2が多いと言われています。
それで話を戻しまして、イェール大学の実験では、2つの国の、それぞれの3つの文化に、ジニ係数0、0.2、0.4を割り当てました。完全平等の0から、警戒ラインの0.4までですね。
なぜ2つの国に分けたかと言えば、片方の国は国民同士、お互いの財産が「見える」状態なのに対して、もう片方は財産が「見えない」という設定があるからです。
被験者たちには心理学的な「協力ゲーム」を行ってもらいます。この協力ゲームでは、国民は公共の財産の保護に貢献するか、それとも乱用するかの選択ができるようになっています。
結果を先に言うと、公共の財産を乱用するかどうかは、ジニ係数の問題、つまり格差の問題ではなく、「相手の財産が見えるかどうかの問題」という結果が出ました。
お互いの財産が見えない国では、見える国に比べて、どの格差の文化でも平等になり、最終的にはジニ係数0.16というかなり低い数値になりました。
一方でお互いの財産が見える国では、国民の友好度、協力度、豊かさは、どの格差の文化でも50%も悪化しています。つまり半減してしまっているのですね。有意差とかいうレベルを超越しまくって、明らかに財産が見えることが原因になっています。これって結構すごい結果だと思います。
さらにいうと、財産が見える国では、富裕層が貧困層を搾取するという結果も出ています。完全に修羅の国ですが、実際、SNSの発達や、インフルエンサーの微妙な資産公開などによって、この修羅の国が再現されかけているのが現代社会とは思います。
見えるお金は人を変える
なぜ財産を見える状態にしてしまうと、社会レベルで国民の友好度、協力度、豊かさが半減してしまうのか。これには嫉妬が関係してきます。
嫉妬は自分に近いレベルの人に対して生じる感情です。
たとえば政治家などでも、国民から尊敬されていない人が上に立つと、「なぜこの人が」という感情が生まれやすくなります。
そのため、これら「尊敬できない人達」が上に立つと、国民側としては引きずりおろしたくなるか、こんなやつらの治めている国はどうなってもいいという破壊衝動に駆られたりするわけです。協力ではなく、足の引っ張り合いですね。
嫉妬にもよい嫉妬があり、それは羨望といった方が良いかもしれません。ノーベル賞を取った学者とか、オリンピック選手とか、「自分もああなりたい」と羨望し、自分を高める力にもなります。
自分を上に引き上げる方向に働く感情です。
つまり嫌なやつ相手の嫉妬は「引きずりおろして自分と同じレベルにする方向」、尊敬できる人に対する嫉妬、つまり羨望は「自分を相手のレベルまで高める方向」に働くわけです。
私たちは他人を妬みますが、その妬みが実現可能に見えるものであれば、さらに妬みは強くなります。財産の見える国では、自分に近い人達の財産も見えるので、「なんでこんなやつが」みたいな感じで、足の引っ張り合いが起こります。多くの人がそういうことを始めてしまうので、国全体の友好度、協力度、豊かさがガンガン下がってしまうわけです。
SNSは財産が見える社会を作った
インフルエンサーの資産公開がなぜまずいのかと言えば、金額が中途半端だというのもあります。せいぜい億単位か、よくても数十億単位なので、「ぎりぎりなんかいけそう」的な感じもあって、嫉妬による足の引っ張り合いが始まります。
たとえば、世界的大富豪の資産が何兆円と言われても、普通の人はあまり本気で嫉妬しません。遠すぎるからです。もはや自分には関係の無い、異世界の話です。
ドラゴンボールで言えば、戦闘力が違いすぎて、比較する気にもならない。なんか最近、亀仙人でも、戦闘技術だけで上位の相手と闘えるようになって、もはや戦闘力の意味がなくなったみたいな話もありますけど、それはとりあえず置いといて、資産数億円とか数十億円あたりは、なんかギリギリいけそうな感じがするわけです。
投資や副業や節約を頑張れば、株や仮想通貨で一発あてれば、何兆とかは無理だけど、数億円ぐらいはなんかいけそう。このギリギリ感が、嫉妬を刺激します。
本人は「参考になるように公開しています」と思っているかもしれません。でも、見る側では、焦り、嫉妬、劣等感、攻撃性が生まれることがあります。これは、公開している本人の意図とは別の問題です。
どこの誰かわからないという完全匿名ならいいのですが、インフルエンサーなど、ある程度知られている人がやってしまうと、悪影響も大きくなるのですね。
闇バイトの問題
最近多発している闇バイトによる犯罪も、この「可視化された財産」が原因になっている感じもあります。SNSで可視化された他人の資産、なんで自分はお金がないんだ、こんな世の中どうなってもいいという、嫉妬と破壊衝動が入り混じった感じになっているとは思います。引きずりおろしの嫉妬ですね。
闇バイトで殺人事件が起こったりとかありますが、「こういうことをする人達は頭が悪い」で片づけてしまうと、本質に気づかなかったりします。心理学の「最後通牒ゲーム」という実験が示すように、「自分が利益を受け取れないのであれば、まわりもまとめてダメにしてしまえ」という根源的な破壊衝動が人間にはあります。もちろん、犯罪は絶対に許されません。そこは大前提です。 ただ、人間の根源的な部分も同時に理解して、社会的に対策する必要があるのです。
アメリカでトランプ氏に投票した人の中にも、トランプ氏を積極的に支持したいというより、「自分が利益を受けられない社会なら、いっそ壊れてしまえ」という感情を持っていた人もいるとは思います。
これはトランプ氏を支持する、しないの話ではありません。
社会から利益を受けられていないと感じる人が、協力ではなく破壊の方向に向かうことがある、という話です。
それを単純に「頭が悪い」で片づけてしまうと、問題の本質を見落としてしまうと思います。
本来は、こういう社会から利益を受けづらい人たちに、政治や制度がちゃんと向き合わなければならないのですが、どうもそうはなっていません。問題点を理解していないのだとは思います。
本人にもリスクがある
資産公開は、社会に悪影響があるだけではありません。
公開する本人にもリスクがあります。
まず、単純に危ないです。
資産額を出せば、「この人はお金を持っている」と知られます。
身近な人から、お金を貸してと言われるかもしれませんし、投資話を持ち込まれるかもしれません。詐欺や勧誘のターゲットになったり、嫉妬や嫌がらせを受けるかもしれません。
ネット上で資産を公開しているだけなら大丈夫と思うかもしれませんが、今は情報がつながりやすい時代です。
住んでいる地域や生活パターン、家族構成、使っているサービス、旅行先など。
こういう断片的な情報から、本人が思っている以上に生活が見えてしまうことがあります。
それに、資産公開は一度始めると、やめにくくなります。
視聴者は続きを見たがります。
今月はいくら増えたのか。暴落でいくら減ったのか。配当はいくら入ったのか。総資産はいくらになったのか。
こういう数字を求められるようになります。
すると、チャンネルのために、どんどん私生活を切り売りすることになります。
最初は投資の話だったはずが、いつの間にか自分の人生そのものがコンテンツになる。
これは危険な状況だと、Q太郎は思います。
お金は、自分の生活を守るための道具です。
でも、資産公開をすると、お金が他人の視線を集めるための道具になってしまう。全然生活を守ってくれていない。これは本末転倒だと思います。
Q太郎は、実験室での投資実験の結果は共有しますが、自宅まで共有するのはどうかと思います。それに、社会への悪影響にも加担したくないというのもありますしね。こちらの方が理由としては大きいです。これはQ太郎一人の問題だけではないので、今後も変わらないと思います。
まとめ
そんなわけで、今回の話をまとめます。
資産公開は、一見すると透明性があります。
実際に資産を作っている人の数字を見れば、参考になる部分もあります。
ただし、他人の財産が見えることには、大きな副作用があります。
イェール大学の研究でも、財産が見える社会では、3つのどの格差社会においても、友好度や豊かさが激減し、国全体の豊かさに悪影響が出ることが示されています。逆に相手の財産が見えない場合は協力的になり、むしろジニ係数が下がるという結果になりました。格差が減ったのですね。
つまり、問題は格差ではなく、「相手の財産が見えるかどうか」の方が重要なわけです。
他人の財産が見えることで、比較や嫉妬が生まれること。ここがかなり大きいのです。
SNS時代は、他人の生活や資産が見えすぎます。
家、車、旅行、ブランド品、投資成績、資産額。
こういうものが毎日流れてくると、人間はどうしても比較してしまいます。
まったく知らない匿名の人だったらまだ無視できますが、知っている人とか有名人とかインフルエンサーとかだと、なかなか無視できない。そしてその比較は、焦りや嫉妬や劣等感を生んだりもします。
そして足の引っ張り合いを生み、実験で行われたような「修羅の国」を現実世界でも再現してしまうことになりかねないのですね。
そんな感じで、匿名ならまだいいのですが、そうでない場合の資産公開は、もはや個人の問題ではなかったりします。その小さな積み重ねが、社会全体にじわじわと悪影響を与えていきます。
そんな感じでQ太郎は、取り崩し投資実験のような実験部分は共有しますが、資産全体の公開はしないことにしています。まあ、社会全体の話をしなくても、単純に、知り合いに資産公開すると、「お金貸して」みたいな話にもなりますしね。
皆さんは、資産公開についてどう思いますか。知り合いや家族、親戚に自分の資産の話をすることはあるでしょうか。
よかったらコメントで教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。

