どんな仕事でも一生懸命は正しい?【闇バイト/特殊詐欺/悪徳業者】ーヒルティ『幸福論』補足

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yamibaito

新NISA一括投資→即毎月定率取り崩し運用中のQ太郎です。

今回は、世界三大幸福論の一人であるヒルティの、「仕事を主体的に一生懸命することが幸福につながる」ということについて、「じゃあ闇バイトとか悪徳業者の仕事でも一生懸命やらないといけないの?」という疑問についてです。

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ソーシャルキャピタルを稼ぐ

こんなご質問をいただきました。

ヒルティの『仕事は幸福の第一条件』という動画を観させてもらいました。

主体的に物事を行うこと、自分自身のコントロール感が幸福につながるというのは同意できました。

仕事に取り掛かるときも、何も考えずに着手するというのもいまの仕事で実践しています。仕事を始める前に考えすぎることで、余計やる気が無くなってしまう。それを防ぐためにも、何でもいいので取り掛かれることから取り掛かるのが重要とは思いました。

ただ主体的に仕事を行ったとしても、そもそもの仕事が闇バイトや悪徳業者、特殊詐欺などの場合はどうなるのでしょうか。そのような仕事についてしまった場合でも、まじめに働くことで幸福が得られるのでしょうか。

ヒルティは「仕事の内容は重要ではない」と言っている以上、ここがどうしても理解できません。

また、闇バイトまでいかなくても、例えばビッグモーターのように、会社ぐるみで不正を働いていた会社でも、上の命令を聞いてまじめに働く必要があるのでしょうか。

ヒルティの時代に闇バイトや特殊詐欺は無かったと言われればそれまでなのですが、しかし哲学には時代に左右されない普遍性が必要とは思います。この辺りについてどうお考えなのかお聞かせ願えれば幸いです。

とのことです。ヒルティの「仕事は幸福の第一条件」については、これ以外にも質問がいくつか寄せられていたので順次取り上げていこうと思います。

まずそもそもの話ですが、闇バイトや特殊詐欺などは「仕事」ではなく、普通に「犯罪」のカテゴリーになります。そもそも「仕事」ではなく「犯罪」なので、それを手伝うことは「犯罪に加担していること」になります。「仕事」をしているわけではないのです。犯罪をして人に迷惑をかけていれば、それは幸福な状態とはあまり言わないでしょう。

じゃあ「仕事」とは何かと言えば、これもヒルティの動画で述べたことですが「他者や世の中の役に立つこと」です。

現代社会だと、「お金を稼ぐ=仕事」と思われがちですが、他者や世の中の役に立てば、何でも仕事なのですね。家の前を掃除したり、他人を手伝ってあげたり、ボランティアをしたりなど、世の中の役に立っているので全部仕事です。電車で席をゆずってあげるのも「仕事」になります。

貨幣経済は最近のこと

そもそも貨幣が存在しない時代において、狩りをすることや穀物を育てることも仕事でした。その時代は物々交換とかでしたが、やがてその手間を減らすために貨幣が登場しました。

そのため「お金を稼ぐ=仕事」の考え方の方が、何百万年という人類の歴史からすれば「ごくごく最近のこと」になります。

ぶっちゃけ我々の欲しいものは紙切れではなく、モノやサービスのほうです。お金払わなくてもモノやサービスがもらえたらそれでいいわけです。

たとえば実家で暮らしているニートの人がいたとして、その人が家事や料理、掃除をして両親をがっつり助けているのであれば、それこそ親が一切家事をしなくてすむレベルまで助けていれば、それはそれで立派な「仕事」になります。貨幣経済をはさんでいないだけで、「仕事」はしているのですね。

むしろここですぐにお金の話が出てきてしまう人は、現代の拝金主義に毒されていると考えた方がいいでしょう。「お金が神様」という宗教ですね。

かといって、このニートが何も稼いでいないかといえば、目に見えない社会的資本「ソーシャルキャピタル」を稼いでいます。両親には感謝されているので、家賃や食費が免除されているのですね。お金を通さない形でのギブ&テイクがおこなわれているのです。

たとえば農家の手伝いをして、そのお返しにコメとか食べ物をもらったら、お金を払わなくてもコメや食べ物を手に入れたことになります。

ゲーム記事を書く会社に入れば、わざわざお金を払わなくても、記事を書くために無料でゲームがもらえたりします。友達から借りてもタダですしね。

「借りられる」ということは、人間関係において「それができるだけのソーシャルキャピタルを稼いでいる」ということにもなります。こちらも相手を手伝ったりなど、一方的に搾取する関係ではないのですね。一方的に搾取するだけの人であれば、当然そんな人にモノなんかあげたり貸したりしたくないわけですし、近づきたくないわけです。

仮に先程のニートが一日中家に引きこもってゲームばっかりやっていて、家事も掃除も手伝わないという話であれば、何のソーシャルキャピタルも稼いでいないわけですから、両親とはギブ&テイクの関係にはなっていないのです。ニートが一方的に両親から搾取しているだけです。そうなれば親の方も腹が立って「出ていけ」という話になってしまうわけです。

このニートは「仕事」の定義である「他者・世の中への貢献」を果たしていないわけですね。これが本当の意味で「仕事」をしていないということになります。「お金を稼いでいない」ことよりも、こちらの方がよっぽど問題が大きいわけです。

「仕事」とは?

闇バイトや特殊詐欺はわかりやすい犯罪ですが、それならビッグモーターなどのような企業につとめている場合はどうなのかということについてです。

この場合も仕事が「他者のため・世の中のため」であるかどうかを考えればいいでしょう。ようするに「世の中のため」にすることすべてが「仕事」なので、世の中のためにならなければそれは仕事にはなりません。

世の中というものがあって、その下に会社や個人がいるというイメージです。

そのため、会社は世の中のために仕事をしなければなりません。そして会社で働いている人も、「会社を通して」世の中のために仕事をしなければならないわけです。会社のために働くのではないのです。あくまで世の中のためです。

会社のためによくても、世の中のためにならないことをしていれば「仕事」にはならないというわけです。会社のためではなく、あくまで世の中のためですね。

ビッグモーターの場合は、「会社のためによいこと」をやっていただけで、「世の中のためによいこと」をやっていたわけではないというかむしろ世の中に害があったので、ヒルティに言わせれば「仕事とは言えない」ということになります。

さらに言えば、あくまで仕事は「世の中のため」なので、その視点で考えていくと、「個人のやりたいこと」などはすべて意味がないということになります。

つまり「個人」が「自分のために」お金を稼ぐことを目的とした場合、これも「仕事」にはならないのですね。

あくまで仕事は「世の中のため」であって、「自分のため」や「家族のため」「会社のため」ではないのです。世の中の役に立ったお返しに会社や個人がお金がもらえるというだけの話であって、「お金をもらえること」自体は「仕事の本質」にはなりません。

「自分のため、会社のため、家族のためにお金を稼ぎたい」ので犯罪に手を染めるというのは、「仕事」の本質からすると本末転倒になります。

ヒルティのいう「仕事は何でもかまわない」というのも、「社会にとって役立つことであればなんでもかまわない」という話です。「自分や会社、家族のためにお金を稼ぐ」というのは、仕事の本質からすると方向性が違うのです。「世の中のためでなく自分や会社・家族のため」が認められると、どんな悪いことをしてでもお金を稼いだ方がいいという話になってしまいます。あくまで仕事は世の中の利益と一致する必要があります。

そもそも世の中のために仕事をしないと、見返りとしてのお金はもらえません。自分のやりたいことだけやっても、そこに社会の需要がなければお金にはならないのです。

仮にあなたがアイドルになりたいと望んでいたとしても、世の中が「アイドルのあなた」に対してまったく需要がなければ、「世の中のためにはなっていない」ので、仕事として成り立たないわけです。「お金」という見返りももらえません。

逆に自分の個性や意見を殺し、裏方に徹してでも世の中の役に立つことをすれば、それは立派な仕事になります。多くの人の仕事がこれだとは思います。

そんなわけで、働いているときには、「自分や会社・家族のためではなく、世の中のために仕事をしている」という意識でやると、メンタル的にも良いとは思います。「自分や会社・家族のために働いている」という思いで仕事をしていると、いずれメンタル的にもきつくなってくるでしょう。

イソップ寓話の有名な話として、「3人のレンガ職人の話」があります。

働いているレンガ職人に旅人が、「なにをしているのですか」と尋ねたところ、

1人目は「親方の命令でレンガを積んでいるんだ」と言いました。

2人目は「金を稼ぐために、レンガで壁をつくってるんだ」と言いました。

3人目は「後世に残る大聖堂を造っているんだ。光栄な仕事だよ」と言いました。

やっていることは3人ともおなじですが、視点やモチベーションが違うことがわかるかと思います。1人目は「親方、つまり会社のため」、2人目は「金を稼ぐため」と、このようなマインドで働いてると、当然自分のやっていることに価値が感じられず、つらいと思ってしまうわけです。

3人目はお金や会社ではなく、世の中のために「後世に残る大聖堂を作る」という使命のもとで働いています。他の2人とはモチベーションやメンタルの強靭さが全然違うわけです。

ヒルティのいう「正しい仕事の仕方」というのもこのマインドになります。「幸せに働く」とは、自分のやっていることが世の中にどう役に立っているかを意識することですね。

「世の中を意識する」というのは、会社が何をやっているかを俯瞰的に見ることにもなります。会社でやっている仕事が世の中のためになっていないことだと、お金がたくさんもらえても自己評価も下がって不幸になりますしね。そもそも犯罪の片棒を担いでいる可能性もありますので、その場合はさっさと転職を考えた方がいいでしょう。

あと趣味と仕事の違いですが、趣味は「自分が楽しめること」なので、好きなことをやればいいとは思います。

 

まとめ

そんなわけでまとめると、

・「仕事」とは「他者や世の中の役に立つこと」。

・会社も「世の中のため」に働く。会社勤めの人は「会社を通して」世の中のために働く。「会社のために」働くのではない。

・世の中の害になることは「仕事」ではない。(闇バイトや特殊詐欺、悪徳業者は世の中の害になっているので仕事ではありません)。

・我々が必要としているのはモノやサービス。お金そのものではない。

・モノやサービスは、交換やソーシャルキャピタルによって手に入れることができる。かならずしもお金が必要ではない。

・そもそも貨幣経済は人類の歴史からするとごく最近のこと。

・ソーシャルキャピタルを稼ぐことにより、お金を通さずにモノやサービスを手に入れることもできる。

・人から一方的に搾取するのはNG。つりあったソーシャルキャピタルを提供することが良い人間関係をつくる。

・「仕事」は「世の中のために」おこなうものであり、「自分や会社・家族のため」ではない。

・「自分や会社・家族のため」に、世の中に害をなせば、それは「仕事」ではなくなる。

・お金は「世の中」の需要を満たしたときに、見返りとしてもらえるもの。

・自分がやりたいことでも、世の中に需要がなければ、世の中の役に立っていないため「仕事」にならない。

「幸せに働く」とは、イソップ寓話の「3人のレンガ職人」の話のように、「世の中」に対して自分の仕事がどう役立っているかを俯瞰する視点を持つこと。

・趣味は「自分が楽しめること」なので、好きなことをやればいい。

となります。

そのため、闇バイトとか特殊詐欺は世の中の役に立っていないので、仕事ではありません。それ以前に犯罪ですしね。

幸せに働くためには、「自分や会社、家族のため」という考えをいったん捨てて、自分のやっていることが世の中にどう作用しているのか、どう役に立っているのかを意識するといいでしょう。「世の中の役に立つ」という感覚があると、仕事は案外楽しくなってくるとは思います。そしてこの感覚を身に着ければ、お金が稼ぎやすくなります。

「自分の仕事は世の中の役に立っていない」と思うのであれば、それは会社のやっていることに問題がある可能性が高いので、面倒なことに巻き込まれる前に転職も視野に入れたほうがいいかもしれません。