【FIRE/老後】仕事よりゲームの方が人生に大事?
新NISA一括投資→即毎月定率取り崩し運用中のQ太郎です。
今回は、仕事よりゲームを遊ぶ方が人生にとって価値があるかどうかについてです。
本記事をYouTube動画で観たい方はこちらのリンクから。
仕事よりゲームの方が人生にとって重要?
こんなご質問をいただきました。
「Q太郎さんはゲームの話題を取り上げてくれているので質問します。
私は現代社会の仕事の多くがいわゆる「必要の無い物を売りつける」というブルシットジョブだと思っています。
つまり現代社会で働くというのは、必要のないものを生み出し、それを売りつけるという作業の片棒を担がされる事にあるため、モチベーションも上がりづらくなります。
実際アンケートを取ると、日本人で仕事にやりがいを見出している人は5%程度しかおらず、他の先進国と比べてもかなり仕事の満足度が低い状態になっています。
若い人たちは、仕事はあくまでお金のためで、お金を貯めたらさっさとやめてFIREしたいという人も多いとは思います。
私の場合、仕事よりもゲームを遊ぶことに意義を見出しています。死ぬまでに多くのゲームをクリアしたいと思っています。
FIREするなど働かなくて十分お金ができた場合、ゲームを遊ぶことに人生の意義を見出し、それに時間を使うというのは正しいことなのでしょうか。
この辺りについてのQ太郎さんの見解をお聞かせください。」
とのことです。
現代社会の多くの仕事が「必要のないものを売りつける」仕事という面は確かにありますし、それに意義を感じない人もいるとは思います。そのため働くモチベーションも上がらず、お金のためと割り切ってしまっている人も多いとは思います。
ただその商品が必要あるかどうかは人によりますので、これについては主観的な面が多いです。例えばゲームも、ゲームを遊ばない人にとっては「必要のないもの」ですし、漫画や映画もおなじように必要の無い人に対しては必要のないものです。
Q太郎はゲームを遊びますが、PCで遊んでいるため、ニンテンドースイッチとかべつに欲しいと思ったことがありません。そうなると、Q太郎にとってニンテンドースイッチとかニンテンドースイッチ2とかは「必要のないもの」になってしまうわけです。
そんなわけで必要かどうかは人によってそれぞれなので、自分のニーズと仕事内容が重なっていればその仕事はやりがいがあるかもしれませんし、そうでなければブルシットジョブになってしまう可能性はあります。そして多くの場合は重ならないことがほとんどとは思います。
その場合はお金目当てで割り切るか、逆に突き詰めてその仕事を好きになるかの二択だとは思います。
もともと仕事というのは、人がやりたがらないことをやるからお金がもらえるわけで、多くの人がやりたいことだったら応募が多いぶん給料は安くなりますし、場合によっては逆にこちらがお金を払わなくてはなりません。
ゲームを遊ぶというのもこちらがやりたいことなので、こちらがお金が払わないといけないのですね。
スマホにある基本無料ゲームも、やりたいかどうかがわからない段階は企業が無料で遊ばせて、企業がそのお金を負担する形にはなりますが、ユーザーが本格的にやりたくなったら、ユーザー側がお金を払わなくてはならなくなるわけです。
クリエイターとかユーチューバーとかなんかキラキラした人気のある仕事はやりたい人が多いので、そのぶんもらえるお金は少なくなります。
トップの0.1%未満の人以外は、だいたい安い給料でつかわれます。アニメイターとかもそうですね。
このチャンネルも、毎日更新しても月2万円いくかいかないかぐらいですしね。時給で言うと200円とかそれ以下みたいなレベルです。完全に趣味の世界なわけです。
逆に給料が高い仕事というのは、やる人が少ない仕事です。
資格などが必要で誰でもできるわけではない仕事や、資格が必要ない場合は人がやりたがらない仕事ですね。人が少ないぶん、給料が高くなります。
コンビニバイトも夜間のほうが給料が高いですし、マグロ漁船とかも若い人の平均年収と比べればけっこうもらえます。そのぶんしんどいですけどね。
それとよく聞く死体洗いの仕事が給料が高いとかですが、実際は医学生がやるバイトみたいで、一般求人とはしてませんね。でもそんな感じで、やる人が少ない仕事ほど給料がいいです。
介護の仕事は介護保険制度で価格が決まっているので、こればかしはどうにもなりませんが、資格が必要とかきついとかでやる人が少ない仕事は基本的に給料が高くなる傾向にあります。労働者人口の問題ですね。
それで、若い頃にマグロ漁船みたいなので一気に稼いで、お金が貯まったら楽な仕事に変えて悠々と生活するみたいなサイドFIREやバリスタFIRE的な生き方をめざす若者も増えてきているようです。なんかマグロ漁船の応募が増えているようなニュースもありましたしね。
なんにしろ仕事はあくまで人のやりたくないことを代わりにやってお金をもらっているというのが基本なので、一時期流行っていた「仕事を生きがいにする」とか「好きなことで生きていく」みたいなキャッチフレーズももう若い人たちには刺さらなくなっているんじゃないかとは思います。今の若い人たちは案外現実的ですしね。
それで質問者様が何歳なのかはわかりませんが、そういう現実的な事情がある以上、「仕事よりもゲームを遊ぶことに意義を見出している」ということもべつにおかしいことでもなんでもありません。
仕事はあくまで「客のためにやるもの」なので、やらされている感はあるわけですね。
トップユーチューバーでも視聴者のニーズを分析して、アクセス数が多くなるように動画を考えていますので、一見自分のやりたいことをやっているように見えても、基本的には客のニーズで動かされていることになります。
以前もいいましたが、人気ゲーム実況者はマイナーなゲームはやらないのですね。やっても単発でやるぐらいです。
そんなわけでこういうユーチューバーは一見自由に見えても、客のニーズによって動かされているわけです。仕事というのは多かれ少なかれ、お金を得るためにニーズによって動かされているので、やらされ感はあります。
一方、ゲームは自分の意思でやっていますので、むしろこっちがお金を払う方なのですね。やらされ感が強い「仕事」より、自分からすすんでやっているゲームの方が有意義に感じられるのも、人間的には当たり前といえば当たり前です。いわゆる「自己決定感」です。
仕事だと上司とか顧客とかのいうことを聞かなければなりませんし、どんな仕事であろうと、やっぱりどうしてもやらされている感はあります。
ゲームを好きだった人が、ゲーム会社に勤めて、毎日ゲームをやらされてゲームが嫌いになったみたいな話がありますが、これも自分からすすんでゲームをやっているのか、人にやらされているのかの違いです。これまで自分からすすんでゲームをしていたのが、会社に入るとゲームを義務的にやらされることになるのですね。
人は自己決定感の少ない環境にいると嫌になってくるわけです。そこで新しいアイディアをバンバン出したり、これまで会社がやらなかったことを提案したりで、少しでも多くの自主性を発揮して仕事の質を深めて自己決定感を上げるか、お金のためと割り切って適度に働き、自己決定感は趣味の分野で発揮して、最終的には静かな退職やコーストFIREコースになるかになってくるとは思います。自己決定感が得られなくて転職する人もいるでしょう。それだけ自己決定感は人生において重要だとは思います。
あと仕事の意義ですね。
小さなお店とかは客の喜ぶ顔が見えたりするのでやりがいがあるかもしれませんが、大きな会社とか工場だと自分が仕事が世の中にどう貢献しているのかわからないといったことにもなりがりです。
一方ゲームは、自分の決定でゲームを進めていけますし、その結果がすぐに出ますので、意義を感じやすいというのがありますね。敵を倒したとか世界を救ったとか、目的と達成した結果がわかりやすいわけです。
そんな感じで現代の仕事は意義を感じにくく、ゲームに意義を感じやすいというのも、当たり前といえば当たり前でしょう。
それで仕事や金儲けに意味を感じづらくなり、「収入が減っても自分の時間を取り戻したい人たち」というのがどんどん増えているという感じにはなってきています。月10万円ぐらいで生活するミニマリストとか、「お金稼いでモノ買って」みたいな資本主義ループから抜け出そうとしている人たちですね。
質問者様も、自分の人生の時間をやらされ感の強い仕事では無く、自己決定感のあるゲームに使いたいということだと思います。自分の人生ですし、できるだけ多くのゲームをクリアしたいという目的があるのなら、それを目指せばいいとは思います。
ゲームブログとかゲーム実況とかで記録を残しておけば、アウトプットもできていいとは思いますね。ただここで下手にお金稼ぎを目的にしてしまうと、自分の楽しみではなく視聴者のニーズに合わせることになってしまうため、自己決定感がどんどん低くなってゲームが嫌いになる可能性もあるため、そこは注意しておいたほうがいいでしょう。
なんにしろ人生は人それぞれなので、人様に迷惑をかけない範囲であれば、世間の常識よりも自分にとって自己決定感のあるよい人生を送ったほうが有意義とは思います。
そんな感じで、やはり必要なのはどういう人生を送るかの哲学で、ここがブレていると人の意見であっちにひっぱられたり、こっちにひっぱられたりすることになります。
時間があるのでしたら仏教書とか、古代のストア哲学とか、ローマ皇帝のマルクス・アウレリウスの「自省録」とか、セリカの「人生の短さについて」とか、エピクテトスの「語録」「提要」とか、いかに生きるかの実践的な哲学書を読んで生き方を考えてみるのもいいとは思います。
時間とか存在みたいな現代的な哲学書はあまり人生には役には立たないので、そういうのじゃなくて古典的なものがいいですね。
まとめ
そんなわけでまとめると、
・現代社会の多くの仕事が「必要のないものを売りつける仕事」という面は確かにある。
・ただ必要かどうかは主観的な問題。
・自分のニーズと仕事内容が重なっていればその仕事はやりがいがあるかもしれないし、そうでなければブルシットジョブになってしまう可能性はある。
・仕事はあくまで人のやりたくない・できないことを代わりにやってお金をもらっているというのが基本。
・人気の仕事ほど給料は安く、やる人が少ない仕事ほど給料が高くなる傾向。
・仕事というのは多かれ少なかれ、お金を得るためにニーズによって動かされているので、やらされ感がある。(好きなことを仕事にしているトップユーチューバーでもアクセス解析をしているわけです)。
・ゲームは自分で選んでプレイしているので、自己決定感があるため意義を感じやすい。
・ただしゲームを仕事でやらされると、自己決定感がどんどん低くなってゲームを嫌いになる可能性もある。
・仕事や金儲けに意義を感じづらくなり、「収入が減っても自分の時間を取り戻したい人たち」が増加している現状。(ミニマリストとかFIREですね)。
・自分の人生の時間をやらされ感の強い仕事では無く、自己決定感のあるゲームに使いたいというのもべつにおかしな話ではないかと。
・ゲームブログとかゲーム実況とかでアウトプットするのもいいかと。ただ下手にお金稼ぎを目的にしてしまうと、(自分の楽しみではなく視聴者のニーズに合わせることになってしまうため、)自己決定感がどんどん低くなってゲームが嫌いになる可能性もあるため、そこは注意。
・人生は人それぞれなので、人様に迷惑をかけない範囲であれば、世間の常識よりも自分にとって自己決定感のあるよい人生を送ったほうが有意義とは思う。
・自分の人生哲学を確立しておいたほうが、他人の意見にひっぱられづらくなる。(時間があれば仏教書とか、セネカとかマルクス・アウレリウスとかエピクテトスとか古代ストア派の哲学書とか読んでみるといいでしょう。現代哲学は時間とか存在とか言葉遊びになってきているので、古典的なもので、直接生き方について説いているもののほうがいいです。)
となります。
そんなわけで、やはり必要なのはどういう人生を送るかの哲学とは思います。ここがブレていると人の意見にひっぱられやすくなり、死ぬ前までに自分が本当にやりたいことができないということになりかねませんしね。
そんなわけで質問者様が少しでも多くのゲームをクリアしたいのであれば、人様に迷惑をかけない範囲で、それに向かって進めばいいとは思います。まあ、人の考えはころころ変わるので、何年後かにゲームに飽きている可能性もありますけど、そのときはそのときでまた考えればいいとは思います。