お金より時間が大切?それでも人がお金を選んでしまう本当の理由

okane is zikan

Q太郎のお金の哲学です。

今回は、お金より時間が大切なのかについてです。

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お金より時間が大切?

よく、「お金より時間が大切です」と言われますよね。

たしかに、これはかなり正しいと思います。お金は失っても、また稼げる可能性があります。でも時間は戻ってきません。今日という日は、もう二度と戻ってこない。50歳になれば、20歳の時間は戻ってこない。60歳になれば、50歳の時間も戻ってこない。そう考えると、お金より時間の方が大切だ、という話はかなり自然です。

でも、ここでちょっと面白いというか、ややこしい話があります。

多くの人は、頭では「お金より時間が大切」とわかっています。でも実際の行動を見ると、かなりの人が「時間よりお金」を選んでいるんですね。毎日つらい通勤をする。長時間働く。嫌な仕事でも続ける。休みたいと思いながら、もう少し収入が増えれば幸せになれると考える。

つまり、口では「時間が大切」と言いながら、実際には時間を差し出して、お金を取りに行っているわけです。

もちろん、それが全部悪いという話ではありません。生活するにはお金が必要ですし、家族を守るにも、老後に備えるにも、病気に備えるにもお金は必要です。お金を軽く見てはいけません。Q太郎も、お金は大事だと思っています。

ただ、ここで問題になるのは、「お金を増やせば、どこかで幸福になれるはずだ」と思って、時間を差し出し続けてしまうことです。そして実際には、お金が増えても、なぜかまた新しい欲望が出てくる。もっといい家。もっといい車。もっといい服。もっといい旅行。もっといい生活。そうやって、いつまでも満足できない。

では、なぜ人間は時間の大切さを知っていながら、それでもお金を選んでしまうのでしょうか。

そんなわけで、ようこそQ太郎のお金の哲学チャンネルへ。賢く資産形成をしつつ、お金に悩まされない生存戦略を発信しています。今回は、「お金より時間が大切?それでも人がお金を選んでしまう本当の理由」について、独自の視点で深掘りしていきます。

時間よりお金を選ぶ人たち

ブルース・フッドの著書『人はなぜ物を欲しがるのか』では、時間とお金に関する興味深い話が紹介されています。

一般的には、「お金より時間が大切」という価値観が、かなり広まっているように見えます。特に資産形成やFIREに興味がある人なら、時間の大切さはよくわかっていると思います。お金のために人生をすべて差し出すのはおかしい。自由な時間を増やすために資産形成をしている。そう考えている人も多いでしょう。

ところが、ブルース・フッドの本で紹介されている、成人4,500人を対象にしたアンケートでは、「お金より時間を大切にする」と答えた人よりも、「時間よりお金を大切にする」と答えた人の方が多かったとされています。

これ、少し意外ですよね。

表向きには、多くの人が「時間が大事」と言います。通勤中の人に聞けば、「お金より時間がほしい」と答える人も多いと思います。満員電車に揺られながら、朝から職場に向かっている人に、「お金と時間、どちらが大切ですか」と聞けば、「そりゃ時間でしょう」と言うかもしれません。

でも、実際にはその人は、時間を差し出して仕事へ向かっています。仕事はつらい。でもその分、給料がもらえる。給料が増えれば、もっと良い生活ができる。もっと幸せになれる。そう信じて、今日も時間をお金に交換しているわけです。

ここが、人間のややこしいところです。

頭では時間が大事だとわかっている。でも本音では、お金があれば、未来の自分をもっと幸せにできると信じている。だから、今の時間をお金に変えてしまう。これはかなり身に覚えのある話ではないでしょうか。

ブルース・フッドは、「収入が多ければ「贅沢品」が買えると多くの人は考えるが、本当に価値を置くべきは「時間という贅沢」である」という趣旨のことを述べています。これはかなり刺さる話だと思います。

贅沢というと、高級ホテル、高級レストラン、ブランド品、海外旅行、広い家、そういうものを想像しがちです。でも本当の贅沢は、何もしなくていい時間かもしれません。急がなくていい朝かもしれません。図書館で本を読む時間かもしれません。散歩する時間かもしれません。誰にも急かされず、自分のペースで過ごす時間かもしれません。

ただ、私たちはなかなかそれを贅沢だと思えません。なぜなら、「時間は見せびらかしにくい」からです。高級時計は見せられます。ブランドバッグも見せられます。高級ホテルもSNSに上げられます。でも、ゆっくり散歩している時間や、家でお茶を飲んでいる時間は、社会的なシグナルとしては弱いんですね。

ここに、お金を選んでしまう理由の一つがあると思います。

「お金で幸せになれる」という予測

さらに、ブルース・フッドの本では、大学生を対象にした調査も紹介されています。

1970年に、大学一年生約一万三千人を対象に、「なぜ大学に通うのか」と尋ねたところ、もっとも多かった回答が「お金を儲けるため」だったそうです。

これも、かなり正直な回答ですよね。

もちろん、大学に行く理由は人によって違います。学問を深めたい。専門知識を得たい。友人を作りたい。人生経験を広げたい。いろいろあります。でも、多くの学生にとって、大学は「将来、より多く稼ぐための投資」でもあるわけです。

そして、この調査には追跡調査もあったとされています。自分自身を物質主義的だと評価した学生は、20年後に人生への不満を感じやすく、精神的な問題を抱える割合も高かった、という話です。

ただし、ここは少し注意が必要です。これは相関研究です。つまり、「物質主義だから必ず不幸になる」と断定できるわけではありません。もともと不安が強い人が、物質的な成功を求めやすかった可能性もありますし、家庭環境や性格など、別の要因が関係している可能性もあります。

それに、もっとも裕福になった学生が、もっとも不幸になったという話でもありません。お金そのものが悪いわけではないんです。

ただ、それでも一つ言えそうなのは、「経済的に成功すれば、きっと幸福になれるだろう」と予測しても、人間はなかなかその通りにはならない、ということです。

これ、かなり重要だと思います。

私たちはよく、未来の自分を予測します。年収が上がれば幸せになる。資産が増えれば老後も安心できる。もっと良い家に住めば満足する。もっと良い服を着れば自信が持てる。もっと自由な生活になれば、心が穏やかになる。 

でも実際には、そこに到達しても、また次の不満が出てきます。

年収500万円なら、700万円ほしい。700万円なら1,000万円ほしい。資産1,000万円なら3,000万円ほしい。3,000万円なら5,000万円ほしい。5,000万円なら1億円が気になる。これはQ太郎も、かなり人間らしい話だと思います。

つまり、人間は絶対値で満足しているようで、実はそうではない。では、何で判断しているのか。ここから今回の本題に入ります。

人間は比較で世界を見ている

人間の意思決定を考える上で、かなり大事なのが「相対性」です。

人間は、物事を絶対値ではなく、比較で判断しています。高い、低い。長い、短い。多い、少ない。甘い、辛い。広い、狭い。こういう感覚は、単独では存在しません。必ず比較対象があります。

たとえば、月収30万円という数字があります。これだけを見ると、多いのか少ないのかわかりません。周りの人が月収20万円なら、自分はかなりもらっているように感じるかもしれません。逆に、周りの人が月収60万円なら、自分は少ないと感じるかもしれません。

同じ30万円なのに、満足度が変わるわけです。

家も同じです。自分の家が十分広くても、隣にもっと大きな家が建つと、急に自分の家が小さく見えることがあります。車も同じです。自分の車に満足していても、友人が高級車に乗ってくると、急に自分の車がみすぼらしく見えることがある。

これが「相対性」です。

経済学者のロバート・フランクは、「人間の経済行動において、相対的な位置づけが非常に大きな意味を持つ」という趣旨のことを述べています。人間は、自分がどれだけ持っているかだけでなく、「周りと比べてどこにいるか」を強く気にします。

年収が平均以下でも、周りの人より少し高ければ満足することがあります。逆に、かなり高い年収でも、周りがもっと高ければ不満を感じることがあります。

大きな池にいる小さな魚になるより、小さな池にいる大きな魚になりたい。これは、かなり人間らしい感覚です。

そしてここが厄介なんですが、人間の幸せは案外安上がりでもあります。絶対的に大金持ちでなくても、周りより少し上にいるだけで満足することがある。逆に、十分豊かでも、周りより少し下にいるだけで苦しくなることがある。

つまり、幸せは資産額そのものではなく、比較の中で揺れているんです。

【脳】なぜ新しいものが欲しくなるのか

相対性と並んで、もう一つ大事なのが「新奇性」です。新しいものへの反応ですね。

脳の中では、新しい情報や刺激に対して、ニューロンが強く反応します。ざっくり言えば、「おっ、これは新しいぞ」と脳が反応するわけです。これを発火と呼ぶことがあります。

ただし、人間の脳は同じ刺激に慣れます。最初は楽しい。最初はおいしい。最初は嬉しい。でも、同じものが繰り返されると、だんだん反応が鈍くなっていきます。すると、もっと強い刺激、もっと新しい刺激が欲しくなります。

これが「退屈」です。Q太郎がよく例に出す、ショーペンハウアーが説いた人間の「苦痛と退屈」の話にもつながります。

人間は、欲しいものが手に入らないと苦痛を感じる。でも、欲しいものが手に入って刺激に慣れてしまうと、今度は退屈がやってくる。つまり、満たされなければ苦しい。満たされても退屈する。その振り子の間で生きなければならない、かなり厄介な生き物なんですね。

たとえば、新しいスマホを買ったときは嬉しいですよね。箱を開ける。画面がきれい。動きが早い。カメラも良い。最初はテンションが上がります。でも数か月すると、それが普通になります。最初の感動は消えます。そして次のモデルが発表されると、また気になる。

服も同じです。新しい服を買ったときは嬉しい。でも何度か着ると慣れます。ゲームも同じです。最初は新鮮でも、しばらくすると別のゲームが気になる。旅行も同じです。最初の海外旅行はすごく刺激的だったのに、何度も行くと、もっと珍しい場所、もっと高級なホテル、もっと特別な体験を求めるようになる。

これは、その人の根性が足りないからではありません。脳の仕組みとして、同じ刺激には慣れてしまうんです。

この現象は、「快楽順応」とも呼ばれます。どんなに良い体験でも、やがてそれが日常になる。日常になると、刺激が弱くなる。そしてまた新しいものが欲しくなる。

ここに、消費が止まらない理由があります。

広告で「新しい体験」「今までにない」「限定」「最新モデル」「まだ誰も知らない」といった言葉がよく使われるのは、偶然ではないと思います。人間の脳が新しいものに反応するからです。

新商品、新しいアクティビティ、珍しい食べ物、新しい旅行先、新しいブランド、新しい動画、新しい情報。何でもいいんです。新奇性があれば、脳は反応します。

そしてその反応を、資本主義のマーケティングはかなりうまく利用しています。

満足は長続きしない

ここで少し考えたいのは、「なぜお金を稼いでも、また次のお金が必要になるのか」ということです。

お金があれば、たくさんの新しい体験を買えます。新しい服、新しい家電、新しい旅行、新しい食事、新しい車、新しい趣味。最初は楽しいです。たしかに楽しい。Q太郎も新しいものを完全に否定したいわけではありません。

でも、どんな刺激にも慣れが来ます。

高級レストランも、毎日行けば普通になります。高級ホテルも、何度も泊まれば新鮮さは薄れます。新しい車も、しばらく乗れば日常になります。ブランド品も、買った瞬間は嬉しくても、やがてクローゼットの一部になります。

すると、人はまた次の刺激を求めます。

これが消費の厄介なところです。満足を買っているつもりが、実際には「次の欲望」を育てていることがあるんです。

たとえば、最初は3000円の外食で十分満足していた人が、だんだん5000円、1万円、2万円の食事に慣れていく。最初は近場の旅行で満足していた人が、だんだん海外旅行、高級ホテル、特別な体験を求めるようになる。最初は普通の服で満足していた人が、だんだんブランド品が欲しくなる。

もちろん、そういう体験が悪いわけではありません。人生を豊かにする消費もあります。大事なのは、自分がその体験を味わっているのか、それとも快楽順応に追いかけられているのかです。

ここを見失うと、お金はいくらあっても足りません。

収入が増える。生活水準が上がる。刺激に慣れる。さらに高い刺激が欲しくなる。そのためにもっと稼ぐ。もっと働く。すると時間がなくなる。時間がなくなるから、お金で便利や刺激を買う。こうして、お金と時間の交換が止まらなくなるわけです。

つまり、人が時間よりお金を選んでしまう背景には、「お金があれば、もっと新しい刺激を買える」という期待があるのかもしれません。でもその刺激は、やがて普通になります。だから、いつまでも終わらないんですね。

【クーリッジ効果】新しさは人間を動かす

新奇性の話で、少し有名なのが「クーリッジ効果」です。

これは、ざっくり言うと、生物は同じ刺激よりも、新しい刺激に強く反応しやすいという話です。特に性的な文脈で語られることが多く、新しい相手が現れると、関心や行動が再び活性化するという現象です。

一時期話題になった『インターネットポルノ中毒』という本でも、このクーリッジ効果が紹介されています。インターネットポルノは、次々と新しい相手や新しい刺激を提示します。すると、脳は新奇性に反応し続けます。同じものには飽きても、次の刺激が出てくる。これが延々と続くわけです。

この話は、消費全般を考える上でも、かなり示唆的だと思います。

つまり、人間は同じものに慣れ、新しいものに反応する。これは性的な刺激に限りません。動画でも、商品でも、ニュースでも、ゲームでも、SNSでも同じです。

次の動画。次の商品。次のセール。次の旅行。次のガジェット。次の情報。次の刺激。人間は、次々と新しいものを見せられると、なかなか止まれません。

以前、「FANZAで散財した方」のご質問に答える動画を出したことがあります。そして作ったあと、Q太郎自身も「いったい何でこの動画を作ったんだろう」とかなり謎状態でした(笑)

その質問者様は、コスパを重視しているので、BEST版や総集編など、時間の長い動画を中心に集めている、という趣旨のことをおっしゃっていました。

当時もかなり考えさせられましたが、今振り返ると、これも新奇性の問題として見られると思います。BEST版や総集編というのは、たくさんの刺激が詰め込まれています。つまり、次々と新しい対象が出てくる。長い時間楽しめるように見えるけれど、実際には脳が次の刺激を求め続ける構造になっているのかもしれません。

もちろん、これはその人を責める話ではありません。むしろ、人間の脳がそういう刺激に弱いという話です。

ここを理解しておかないと、「自分は意思が弱いからダメなんだ」と思ってしまいます。でも実際には、私たちの脳は、新奇性にかなり強く引っ張られるようにできている。そこを企業やプラットフォームが利用しているわけです。ここが厄介なんですね。 

クーリッジ効果の名前の由来

ちなみに、クーリッジ効果という名前の由来は、アメリカのクーリッジ大統領にまつわるエピソードだと言われています。

クーリッジ大統領とその夫人が農場を訪れたとき、案内人が夫人に「このオンドリは一日に何十回も交尾をします」と説明したそうです。それを聞いた夫人は、「主人が来たら、その話をしてやってください」と言いました。

その後、大統領がやってきて、その話を聞きます。すると大統領は、案内人にこう尋ねます。

「そのオンドリの相手は、いつも同じなのかい?」

案内人は答えます。

「いいえ、毎回違う相手です」

すると大統領は、こう言ったそうです。

「その話を妻にしてやってくれ」

このエピソードから、クーリッジ効果という名前がついたと言われています。ちょっと笑ってしまう話ですが、人間や動物が新しい刺激に反応することを示す、かなり象徴的なエピソードです。

もちろん、この話をそのまま人間の消費行動すべてに当てはめるのは乱暴です。ただ、新しい刺激に反応してしまうという点では、現代の消費社会ともかなりつながっています。

新しい商品。新しい動画。新しい服。新しい体験。新しい旅行先。新しい投資テーマ。新しい副業。新しい成功者。新しい欲望。

私たちは、いつも新しいものを見せられています。そしてそれに反応するように、脳はできているんですね。

【地位財】お金は比較の道具になる

ここまで、新奇性と快楽順応の話をしてきました。次に、もう一つ大事なのが「地位財」です。

地位財というのは、簡単に言えば、周りと比べることで価値が生まれるものです。高級住宅、高級車、ブランド品、高級時計、学歴、肩書き、年収、フォロワー数。こういうものは、絶対的な機能だけでなく、「社会の中で自分がどの位置にいるか」を示す意味を持ちます。

たとえば、時計として時間を見るだけなら、スマホで十分です。でも高級時計には、「自分はこのくらいの位置にいる」というシグナルが乗ります。バッグも同じです。物を入れるだけなら安いバッグで十分ですが、ブランドバッグには社会的な意味が乗ります。

以前のシグナリング理論の動画でも話しましたが、高級品やブランド品は、その人が社会のどの位置にいるかを相対的に示すシグナルになります。だから人は、高級品を求めるわけです。

ここで大事なのは、地位財は「相対的」だということです。

自分がかなり良い家に住んでいても、周りがもっと大きな家ばかりなら、自分の家が小さく見えます。自分の年収が高くても、周りがもっと稼いでいれば、自分が負けているように感じます。自分の資産が十分でも、SNSで億単位の資産を見せられると、自分がまだまだ足りないように思えてくる。

これが、比較の罠です。

そして人間の脳が比較で動いている以上、「比べるな」と言われても、なかなか無理です。比べること自体は、かなり根本的な認知の仕組みだからです。

問題は、比べていることに気づかず、その比較に引っ張られて消費してしまうことです。

自分が本当に欲しいから買うのではなく、誰かに負けたくないから買う。自分の生活に必要だから買うのではなく、周りより下に見られたくないから買う。そうなると、お金はいくらあっても足りません。

時間よりお金を選んでしまう理由も、ここにつながります。お金があれば、比較の中で上に行ける。お金があれば、地位財を買える。お金があれば、劣等感から逃げられる。そう感じるから、人は時間を差し出してでもお金を取りに行くのかもしれません。

【仏教】すべては関係性の中にある

ここで少しだけ、仏教の話にも触れてみます。

仏教には「くう(空)」という考え方があります。これを厳密に説明しようとするとかなり難しいので、ここではざっくりした話にしますが、物事には固定された実体があるのではなく、関係性や条件の中で成り立っている、という見方です。

自分、他人、お金、成功、幸福、不幸。こういうものも、絶対的にそこにあるというより、関係性の中で意味が生まれている。そう考えると、今回の「相対性」の話とも少しつながります。

たとえば、「自分は不幸だ」と感じるとき、その不幸は単独で存在しているわけではありません。誰かと比べている。過去の自分と比べている。理想の自分と比べている。SNSで見た誰かの生活と比べている。その比較の中で、不幸という感覚が生まれていることがあります。

「幸せ」も同じです。絶対的に幸せというものがあるというより、何かとの関係の中で、自分は満たされている、自分は十分だ、と感じているのかもしれません。

もちろん、これで苦しみが全部消えるわけではありません。現実にはお金が足りない苦しみもありますし、病気もありますし、人間関係の問題もあります。比較だけで人生の苦しみを説明するのは乱暴です。

ただ、人間がかなりの部分を相対的に判断している、ということに気づくと、少し距離が取れます。

自分は本当にこれが欲しいのか。それとも、誰かと比べて欲しくなっているのか。自分は本当に不幸なのか。それとも、SNSで見た誰かと比べて、急に不幸な気がしているのか。自分は本当にもっとお金が必要なのか。それとも、周りより下に見られたくないだけなのか。

この問いを持つだけでも、かなり変わると思うんですね。

【社会的促進】比較には良い面もある

ただし、比較が全部悪いわけではありません。

周りに優秀な人がいると、自分の力が引き上げられることがあります。スポーツでも、勉強でも、仕事でも、周りのレベルが高いと、自分もそれに引っ張られることがある。これを「社会的促進」と呼ぶことがあります。

たとえば、一人で走るより、速い人たちと一緒に走った方がタイムが伸びることがあります。勉強でも、周りが真剣に勉強している環境にいると、自分も自然と勉強するようになることがあります。仕事でも、優秀な人に囲まれると、自分の基準が上がることがあります。

つまり、比較は人間を苦しめるだけではなく、引き上げることもあるんです。

ここがまたややこしいところです。

「比べるな」と言っても、人間は比べます。そして比べることには良い面もあります。自分より少し上の人を見ることで、努力する力が湧くこともある。良いライバルがいることで、能力が伸びることもある。

問題は、比較が自分を育てる方向に働いているのか、それとも自分を消耗させる方向に働いているのかです。

たとえば、周りの優秀な人を見て、「自分も少し頑張ってみよう」と思えるなら、それは良い比較かもしれません。でも、「自分はダメだ」「もっと稼がないと価値がない」「もっと買わないと見劣りする」と感じて、無理な消費や無理な労働に向かうなら、それはかなり危ない比較です。

比較そのものを消すことはできません。でも、比較の使い方は変えられると思います。

お金を選ぶ理由に気づく

そんなわけでまとめると、多くの人は「お金より時間が大切」と言います。でも実際には、時間よりお金を選んでしまう人が多い。

その理由は、単純に「お金が好きだから」だけではないと思います。

お金があれば、新しい刺激を買える。お金があれば、地位財を買える。お金があれば、周りとの比較で上に行ける。お金があれば、未来の自分が幸せになる気がする。そういう期待があるから、人は時間を差し出してお金を選ぶのだと思います。

でも、人間の脳は快楽順応します。新しいものにも慣れます。高い刺激にも慣れます。さらに、人間は相対的に世界を見ています。周りと比べて、自分の位置を確認します。だから、お金で買える幸福は、思ったほど安定しません。

新しいものを買っても、いずれ慣れる。周りより上に行っても、さらに上が見える。資産が増えても、もっと持っている人が見える。こうして、いつまでも終わらないゲームに入ってしまう。

だから大事なのは、「お金より時間が大事です」ときれいに言うことではなく、「自分がなぜお金を選んでいるのか」に気づくことだと思います。

本当に生活のために必要なのか。家族を守るために必要なのか。将来の安心のために必要なのか。それなら、お金を選ぶことには意味があります。

でも、誰かと比べて負けたくないからなのか。新しい刺激が欲しいだけなのか。SNSで見た生活に引っ張られているだけなのか。地位財で自分の位置を示したいだけなのか。そうなら、少し立ち止まった方がいいかもしれません。

比べるな、というのは無理です。人間の脳は比較します。新しいものを欲しがるな、というのも無理です。人間の脳は新奇性に反応します。

でも、「いま自分は比べているな」「いま自分は新しい刺激に引っ張られているな」と気づくことはできます。この気づきがあるだけで、過剰な消費や、過剰な労働から少し距離を取れると思うんですね。

皆さんは、お金と時間、どちらを優先していると感じますか。あるいは、「これは比較に引っ張られていたな」と気づいた買い物はありますか。よかったらコメントで教えてください。全部読ませていただいています。

数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。

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