ジンバブエのハイパーインフレをわかりやすく解説

経済の世界史投資お役立ち情報

zinbabue

新NISA一括投資→即毎月定率取り崩し運用中のQ太郎です。

お金の世界史の第二回目は、ジンバブエのハイパーインフレについてです。

本記事をYouTube動画で観たい方はこちらのリンクから。

ジンバブエのハイパーインフレ

さて、前回は第一次世界大戦後のドイツのハイパーインフレの話でしたが、今回はジンバブエのハイパーインフレです。いまだとドイツよりジンバブエの方が有名ですね。

ジンバブエは第一次世界大戦後に、イギリスの植民地となっていました。それ以前から、南アフリカ貿易を担っていたイギリス南アフリカ会社が管理統合していたことで、その会社の設立者であるセシル・ローズの名前から、当時は「南ローデシア」と呼ばれていました。

南ローデシアは白人の支配する国家でしたが、第二次世界大戦後に黒人による独立運動が激化します。

これに対して宗主国のイギリスは、黒人の参政権を保証する形でローデシアの独立を認めようとしましたが、当時の植民地政府の首相だったイアン・スミスがこれに反対。1965年に、白人中心の「ローデシア共和国」の独立を勝手に宣言します。イギリスから勝手に独立したのですね。

人種差別であるアパルトヘイト政策をとっていた政権なので、当然黒人側はこれに抵抗し、反政府組織をつくって対抗します。さらにソ連や中国が反政府組織の支援を始めたことで、ローデシア紛争と呼ばれる紛争に発展しました。

紛争は10年以上にも長期化し、1979年には一人一票の総選挙をおこなうことが決められ、これによって黒人政権が第一党を取ることができました。このときに国名を「ジンバブエ・ローデシア」としましたが、実際は白人が権力を持ったままだったことから紛争はその後も続きます。最終的にイギリスが出てきて、100議席中20議席を白人の固定枠にすることで双方を納得させ、紛争を収めました。

翌年の1980年には総選挙で、黒人政権によるジンバブエ共和国が成立します。100議席中20議席が白人固定という不利な選挙でしたが、残りの80議席中57議席を取ったことで過半数を握ることができたのですね。

このときの選挙で選ばれた首相が、のちに世界最悪の独裁者とも言われるロバート・ムガベです。ここからムガベの長期政権が始まります。ヒトラーもそうですが、独裁者も最初は民衆の支持を得て権力の座についているのですね。

ジンバブエの政体は、最初は議院内閣制だったので、首相以外に大統領もいたのですが、その後、大統領制に移行したことで、ムガベは二代目の大統領に就任します。ちなみにバリバリのマルクス主義者で、毛沢東思想にも染まっている人物です。反政府運動をやっていたときも、ソ連や中国から支援を受けていましたしね。

そしてムガベは1980年の首相就任から、93歳になる2017年まで、ずっと権力の座に居座っていました。ただ最初から暴君だったというわけではなくて、イアン・スミスをはじめとした政府側だった白人議員に対しても寛容な融和政策をとっていました。

こうして白人の協力も得てジンバブエの改革をおこない、教育や医療を充実させ、アフリカ一の識字率の乳児死亡率の低さを達成したことから「ジンバブエの奇跡」とまで言われました。最初は名君主といった感じで良かったのですね。

ところが1990年代後半から、コンゴの内戦を収めるために、親交のあったコンゴ政府に協力する形で派兵をはじめました。この派兵で国内の政治がおろそかになってしまい、ジンバブエの経済などがどんどん悪化していきます。

コンゴ派兵は、ムガベがコンゴに私有のダイヤモンド鉱山を所有していたこともあって、それを守るための私的な派兵とも言われています。

この派兵によってムガベへの風当たりが強くなってきたことから、批判をそらすためか、白人地主の持っている大規模農園を奪って、それを黒人農民に分配するという共産主義的な政策が行われ始めました。「悪い地主から土地を奪って、虐げられている善良な農民たちに配る」という共産主義的なストーリーですね。

これで地主に虐げられていた人民大喜び・・・とはならないのが現実です。大規模農園運営の技術を持っていた白人を追い出し、運営とかよくわからない黒人農民に配ったらどうなるかは火を見るよりもあきらかで、農作物の生産力がどんどん落ちていきました。

特に主要な輸出品であったタバコ農園とか、いきなりそんなものを渡されても、農民側からすればどう運営すりゃいいのかわかったものではないわけです。

そもそもジンバブエの経済は、白人の経営する大規模農園の農作物の輸出に依存しているような状態なので、そこが崩壊してしまったら経済も崩壊してしまいます。

こうして農作物の輸出が激減したことから、これまで得ていた外貨が大幅に減少します。外貨不足は輸入品の高騰を招き、インフレを加速させていきました。

ここから「輸入品を買うための外貨が足りないから、外貨を買うためにどんどん紙幣を発行しよう」という、第一次世界大戦後のドイツと似たようなパターンに入っていきます。

当然バンバン発行しまったら、どんどん自国の紙幣の価値が落ちていきます。すると通貨安で輸入品の価格もどんどん上がっていくわけです。インフレがどんどん進んでいくのですね。

さらに土地強奪や白人差別によって海外から経済制裁も受けることとなり、経済はさらにガタガタになっていきます。

それでジンバブエ政府は何をしたかと言えば、さらに紙幣を発行してこれに対応しました。どんどん悪循環になっていき、ハイパーインフレ化していくわけです。朝買ったパンが、夕方には数十倍の値段になっているというのが当たり前に世界です。

失業率は80%を超え、医療も崩壊してコレラやエイズが広まり、犯罪率も上がっていくというひどい状況になっていきます。土地強奪の件で経済制裁も受けていましたので、経済はガタガタです。

それで国民の700万人が飢餓状態みたいな状況においても、ムガベは私生活で豪遊をしており、何億円もかかる豪華な誕生会を開いたりとかもしていました。海外にも不動産やら鉱山やらを所有しており、がっつり蓄財しているわけです。

そんな生活を送りつつ、国内では言論統制をおこない、批判するものは全部弾圧していくという、絵に描いたような独裁者として君臨していました。

この状況の中で、やはりドイツのときと同じように国内の株価は爆上がりしていきます。というか、通貨の価値が落ちるので、ヘッジのために株式投資をする人が増えたのですね。

2000年から2007年までに物価は650万倍にも達しました。10円のうまい棒が7年で6500万円になる感じです。

インフレしすぎて100兆ジンバブエドルが発行されたことは有名ですね。ヤフオクを見てみたら1500円ぐらいで売ってました。

2009年には公務員の給与を米ドルで払うことになり、ジンバブエドルは流通停止となりました。国内はドルなどの外貨が公式で流通したことで、インフレはいちおうの終息を迎えます。

2017年には国防軍がクーデターを起こしたことから、ムガベは93歳で政権を追われることとなりました。そして2019年、シンガポールで亡くなります。

 

まとめ

ジンバブエのケースは、ドイツとの違いは、独裁者によるコンゴ紛争支援の批判そらしで白人の農園を取り上げたというのがあり、毛沢東の大躍進のような人災とも言えます。

地主から土地を取り上げ、それを農民に配れば感謝されるだろうという短絡的な考えが働いていたのですが、当然運営知識のない人たちに配ったところでどうしようもないわけです。

毛沢東が生産力を上げるために、「スズメは害鳥だから殺せ」といって実際にやったところ、害虫が増えてよけい生産量が落ちて大飢饉になってしまったというアレみたいな感じですね。

ポルポトといい、マルクス主義者の妄想に付き合わされる人民はたまったものではないわけです。

スターリンの5か年計画も、世界史の教科書では、これによってソ連が世界恐慌の影響を受けず済んだみたいな書かれ方をされていますが、実際のところやっていたことは、農民から農作物を安く買い上げて、それを輸出に回していたという、いわゆる国内の飢餓を無視しての飢餓輸出だったことから、穀倉地帯であるウクライナでは数百万人の餓死者が出ていたとされています。

これを題材にした映画「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」がアマゾンのプライムビデオにありますので、興味がある方はご覧ください。

世界恐慌を受けずにすんだというのもソ連のプロパガンダの部分が大きいですね。それをそのまま世界史の教科書に乗っけるのもどうかという気もします。

独裁政治が必ずしも悪いわけではないのですが、経済オンチがトップにいると国民が苦しい目にあうリスクが高いので、何かあったときに取り替えのきく民主主義の方がまだましかなとは思います。