全力で働いてはいけない理由|三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』

全力で働いてはいけない理由|三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』
【毎日17時更新中!】たまに午前中にも追加投稿します。仕事で疲れ、時間がないから本を読めない――本当にそれだけでしょうか。仕事に役立つ情報だけを求め、人生のすべてを利益へ変える「トータル・ワーク」。そこから距離を取り、仕事の外側に自分を残す...

こんなコメントをいただきました。

「三宅香帆の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読みましたか? Q太郎さんのお金の考え方に近いものがあります」

とのことです。ありがとうございます。

Q太郎もこの本は読みました。

読む前に、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』というタイトルを見たとき、Q太郎は、だいたい内容を想像できた気になっていましたね。

仕事で疲れている。時間もない。

そもそも帰宅したら、何かやる気力が残っていない。

だから読書ができなくなる。

タイトルからして、そういう単純な話だと思っていたんですね。

でも、この本が扱っていたのは、もっと根の深い問題でした。

働いていると、本を読む時間や気力がなくなる、というわけではないのですね。そのわりに、スマホを見たり、スマホゲームを遊んだりする時間や余裕はある。

本は読めないけど、スマホやゲームをする時間や気力は、なぜかあるわけです。いったいこれは何なのか、という話です。

結論から言えば、これは仕事が人生に入り込みすぎていることによって、仕事に関係のないものを受け入れる余裕が無くなっているということですね。

本を開いても、結論はどこにあるのかがまず知りたくなる。

明日から何に使えるのか。

この話を読めば、収入はいくら増えるのか。

そんなことばかり考えるようになる。直接的な利益しか考えられなくなっているのですね。

仕事に役立つ「情報」なら読める。

でも、自分の目的とは関係のない話や、他人の価値観が混ざってくると、それは「ノイズ」となり、時間の無駄に感じます。

読書は「知りたいこと」に加えて「ノイズ」があります。つまり時間や気力の問題ではなく、読書の中にある「ノイズ」を受け入れる余裕を失っているんですね。

そして、この状態を作るのは、会社だけではありません。

余った時間で副業をする。

市場価値を上げるために、新しいスキルを身につける。

趣味も発信し、収益化する。

休日には投資を勉強し、お金にも働いてもらう。

誰かに命令されなくても、自分から人生の全部を仕事へ変えていきます。自分自身をブラック企業にしてしまうわけです。

そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。

今回は「全力で働いてはいけない理由」を深掘りしていきます。

・三つの内容

今日は大きく三つ話します。

一つ目、本が読めなくなるのは、本当に時間がないからなのか。

二つ目、自分自身をブラック企業にしてしまう、「トータル・ワーク」という状態。

三つ目、全身全霊をやめ、半身で働くという考え方です。

最後に、仕事もお金も「しょせん」と言える距離を持つことが、なぜ人生には必要なのか、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。

・一つ目・読めないのは時間のせいではない

それでは一つ目、本が読めなくなるのは、本当に時間がないからなのかです。

三宅さんは本書で、「情報」と「知識」を分けています。

情報は、「知りたいこと」です。

知識は、知りたいことに「ノイズ」が加わったものです。

例えば、仕事で新しい会計制度について調べるとします。

必要なのは、制度の何が変わり、自分は何をすればよいのかです。

検索して、要点を読み、必要な部分だけを取り出す。

これは「情報」です。

目的が先にあり、その目的に合う答えを探します。

一方、本を読むと、知りたかった答え以外のものが入ってきます。

著者の育った時代。

自分とは違う価値観。

本題から外れた例え話。

すぐには役に立たない歴史。

ときには、何を言いたいのか分からない一章もあります。

目的だけを考えれば、これらの文脈や歴史は「ノイズ」です。

でも、そのノイズがあるから、自分が最初から持っていた問いを疑うことができます。

お金をどう増やせばよいのか、という答えを探していた人が、「そもそもなぜ増やしたいのか」と本質的なことを考え始める。

仕事で成功する方法を探していた人が、「なぜ成功しなければならないと思っていたのか」と立ち止まる。

Q太郎的にはお金を儲けることよりも、こっちのほうが人生にとって重要なのですが、仕事やお金儲けに関係のある短絡的な情報ばかり追っていると、そこまで頭をまわす余裕がなくなるわけです。

情報は、自分が知りたいことを教えてくれます。逆に言えば、それだけです。

ところが、知識による「ノイズ」は、自分の人生や価値観まで変えてしまうこともあります。予測できない方向に向かうことがあるのですね。

しかし仕事が人生の中心になると、このノイズが邪魔になります。

映画を通常の速度で観るのは遅い。

動画は結論まで飛ばす。

本は要約だけ読む。

自分の興味と関係のない章は捨てる。

タイムパフォーマンスを上げ、最短距離で必要なものだけを回収します。

時間を節約しているように見えます。

しかし同時に、ノイズを排除していることにより、自分とは違う価値観や文脈へ迷い込む機会も捨てています。

本を読む時間がないのではありません。

自分の目的に直接つながらないものへ、時間を渡す余裕が無くなっているのです。

・二つ目・自分というブラック企業

二つ目、自分自身をブラック企業にしてしまう、「トータル・ワーク」という状態です。

トータル・ワークとは、生活のあらゆる部分が仕事へ変わっていく状態です。

本書では、ドイツの哲学者ヨゼフ・ピーパーの議論を手がかりに、この言葉が紹介されています。

昔の長時間労働なら、「会社にいる時間が長い」という、分かりやすい問題がありました。

もちろん、現在も無理な働かせ方をする会社はあります。

ただ、現代の厄介なところは、会社を出ても仕事が終わらないことです。

通勤中に音声で勉強する。

昼休みに資格の動画を見る。

帰宅後は副業をする。

休日にはリスキリングをする。

読んだ本はSNSで発信し、フォロワーを増やす材料にする。

好きだった趣味も、収益化できないか考える。

一つ一つは、自分で選んでいます。

誰かに強制されたようには見えません。

しかも、副業やスキルアップは、前向きで立派なこととして語られます。

厚生労働省も、副業や兼業による多様なキャリア形成を促進しています。

学び直しや市場価値の向上も、これからの時代には必要だと言われます。

もちろん、副業や学び直しそのものが悪いわけではありません。

問題は、休みまで含めた人生のすべてに、将来の利益を要求し始めることです。

何もしない時間は、成長していない時間。

収益にならない趣味は、無駄な時間。

仕事に使えない読書は、遠回り。

こうして、自分が自分を監督し、自分に休むことを許さなくなります。

会社から「働け」と言われるより、さらに逃げにくいかもしれません。

監督者が、自分の頭の中にいるからです。自分が自分を働かせているのですね。

Q太郎のチャンネルでも、直接お金につながる投資情報のほうが、再生数が多くなる傾向があります。

どの投資商品を買えばよいのか。

制度がどう変わるのか。

相場はこれからどうなるのか。

こういう「情報」は、利益とのつながりが見えやすい。

一方、お金とは何か。

なぜ人は増やし続けるのか。

自分の人生で、何を豊かさと呼ぶのか。

こういう哲学は、明日の利益へ直結しません。

むしろ、投資へ向かっていた足を止めるノイズになります。

投資情報は、お金をどう増やすかを教えてくれます。

一方の哲学は、そもそもなぜ増やしたいのかを邪魔してきます。「なんでそんな必死にお金増やしているの?」という根本的な問いですね。ところがこれは、お金を増やしたい人にとっては「ノイズ」になります。

余裕がないとき、多くの人が前者を選ぶのは自然なことです。

しかし、役に立つ情報だけを集め続けると、仕事や投資には詳しくなっても、自分が何のために働き、何のために増やしているのかは、分からなくなります。いったい何のために生きているのかということですね。

・三つ目・半身で働く

三つ目、全身全霊をやめ、半身で働くという考え方です。

三宅さんは、本書の最後で「全身全霊」をやめ、半身で働くことを提案します。

半身で働くというと、手を抜く、無責任に働く、努力をしないという意味に聞こえるかもしれません。

でも、そうではありません。

仕事に必要な責任は果たす。

ただし、自分の時間、関心、人格のすべてを、仕事へ差し出さない。

仕事とは関係のない自分を、半分残しておくということです。

その半分で、本を読む。

利益にならない趣味を楽しむ。

自分とは違う人の話を聞く。

何の役に立つか分からないことへ、寄り道する。

そこから直接お金が生まれなくても、すぐに回収しようとしない。

この余白があるから、自分とは違う価値観が入ってきます。

教養とは、知識の量を競うことではありません。

自分の目的とは関係のない他者の文脈を、一度受け入れてみることです。

全力で仕事をしていると、その入り口が閉じます。

仕事に必要な自分だけが残り、それ以外の自分が少しずつ消えていきます。

Q太郎は、この「半身」という考え方に共感しました。

Q太郎は、お金はしょせん商品券だと思っています。

食事や住居、安心、時間、経験などと交換するための道具です。

「お金は感謝の量です」などと言って、特別な精神性を持たせるのは間違っていると思っています。こんなこと言い出したら、特殊詐欺はどんだけ感謝されているんだという話です。

お金はしょせん、ドライバーやニッパーと同じ、道具にすぎません。お金を交換したその先に特別なものがあるかもしれませんが、お金自体には何も特別な価値はないのです。

お金は役に立ちますが、しょせんは道具です。神聖なものにしてはいけないのです。

仕事も同じです。

生活を支えたり、誰かの役に立ったり、自分の能力を使ったりするための大切なものです。

でも、しょせんは仕事です。

仕事を神聖なものにすると、人生のすべてを差し出すことが美談になります。

お金を神聖なものにすると、お金を増やすために人生を使い始めます。

だから、ときどき「しょせん」と言って距離を取る。

全力で抱きしめず、半身だけを預ける。

残った半身で「ノイズ」を取り入れ、仕事とは関係のない世界に触れることが、その人の知識となり、教養となるのです。

・まとめ

最後に、仕事もお金も「しょせん」と言える距離を持つことが、なぜ人生には必要なのか。Q太郎なりの見立てを置いて終わります。

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』というタイトルを見て、Q太郎は、忙しくて本を読む時間がないという話だと思っていました。

でも、本当に失われていたのは、時間ではありませんでした。

仕事に役立たないものを受け入れる、心の余白です。

トータル・ワークの状態では、日常のすべてが仕事の材料になります。

本は要点を回収するもの。

映画は話題についていくもの。

趣味は収益化するもの。

休息は、次の仕事で成果を出すための準備になります。

休むことまで仕事の一部になったら、人生のどこにも仕事の外側がありません。

だからQ太郎は、全力で働いてはいけないと思っています。

全力で働いて失うのは、読書の時間だけではありません。

仕事とは関係のない価値観を受け入れ、自分の人生を考え直す余白です。

仕事に役立つ情報だけを集めていると、仕事には詳しくなります。

しかし、自分が何のために働いているのかは、分からなくなります。他の価値観が受け入れられなくなる。ノイズが受け入れられなくなる。

半身で働くことは、怠けることではありません。

仕事の外側に、自分を半分避難させておくことです。

しょせんは仕事。

しょせんは趣味。

しょせんはお金。

そう言える距離があるから、仕事にも趣味にもお金にも飲み込まれず、道具のままでいてくれます。

人生を変えるものは、最短距離で集めた情報だけではありません。

いまの自分には関係ないと思った話。

理解できなかった価値観。

何の役に立つか分からない寄り道。

そういうノイズが、現在の自分では思いつかなかった問いを、持ち込んでくれます。

皆さんの生活には、仕事やお金に直接つながらない時間が残っていますか。最近、何の役に立つか分からないまま楽しんだ本や映画、趣味はあるでしょうか。よければコメントで教えてください。全部読ませていただいています。

数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。

ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。

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