「夢の国」で列を金で買うのは「腐敗」か?USJとの決定的な違いとサンデル教授による正義の境界線|それをお金で買いますか

「夢の国」で列を買うのは「腐敗」か?USJとの決定的な違いとサンデル教授による正義の境界線|それをお金で買いますか
「テーマパークの列をお金で買っていいのか」のアンケート結果についての動画です。アンケートのご協力ありがとうございました。録音できない環境なのでゆっくり実況形式(セルフボイス)でお送りします。チャンネル紹介ゆっくり実況形式(セルフボイス)につ...

前回の動画「お金を持っている人が勝つ世界で、どう生きるか」で、コミュニティ投稿でアンケートを取らせてもらったんですが、この結果がちょっと面白かったんですね。

夢の国やUSJで、待ち時間を短縮できるチケットを売ることについて聞いたところ、79パーセントが賛成でした。時間を買えるのは合理的だという考えかたです。反対は7パーセントで、並ぶ苦労は平等であるべきという意見。条件付きで賛成が9パーセントで、子供連れなどはOKという考え。そして、USJは許されるが夢の国は許されない、テーマの違いだという回答が5パーセントありました。

うちのチャンネルは投資家のかたが多いので、市場原理に任せるという結論が、思ったより多く出たなというのが正直な感想です。真夏の炎天下で2時間、3時間と並んだ経験があるかたなら、お金で解決できるならそうしたい、という気持ちもよくわかります。ただ、この79パーセントという数字、掘り下げていくと、けっこう奥の深い問題を含んでいるんですね。

そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に振り回されないための生存戦略を日々発信しています。

今回は、このアンケート結果をもとに、「市場経済をどこまで社会に反映していいのか」を深掘りしていきます。

・「市場経済」と「市場社会」の違い

以前の動画でも少し触れたんですが、マイケル・サンデル教授の著書「それをお金で買いますか」には、大事な区別が出てきます。「市場経済」と「市場社会」という区別です。

市場経済というのは、モノやサービスを効率よく生産して分配するための、道具としての仕組みです。これ自体は、便利で有用な道具です。

一方、市場社会というのは、お金があるかないかで、人生のあらゆる場面の優先順位が決まってしまう社会のことなんですね。市場経済は道具にすぎないんですが、それが行きすぎると、社会そのものが市場になってしまう。

たとえば、医療や教育のように、お金がある人ほど優先的に受けられてしまうと困る分野が、社会にはいくつかあります。命に関わる治療の順番や、子供が学ぶ機会そのものまで、お金の多寡で決まってしまったら、多くの人が「それはおかしい」と感じるはずです。

逆に、洋服やレストランの席のように、お金で優先順位が決まっても、それほど問題視されない分野もあります。この二つを分けて考えることが、今回のテーマの土台になります。

・「腐敗」の正体

ここで、サンデル教授が使う「腐敗」という言葉についても触れておきたいんですね。

サンデル教授は、腐敗を「売り出されるべきではない何かを売買するときに生じるもの」と、かなり広い意味で定義しています。

わかりやすい例を二つ挙げてみます。

一つは、裁判官が判決をお金で売るケースです。お金を積んだほうが裁判に勝てるとしたら、それは誰が見ても明らかな腐敗ですよね。判決というのは、そもそも売りに出されるべきものではないからです。

もう一つは、赤ちゃんを売る目的で出産することです。子供を売り買いの対象にすることは、多くの社会で認められていませんし、これも典型的な「売り出されるべきではないものを売買してしまう」腐敗の例として扱われます。

判決も、子供も、そもそも市場に乗せていい対象ではない。お金でそれを買っていいかどうかは、社会システムや文化、道徳、正義といったものに基づいて決まる話であって、単純に「効率がいいから」で押し切っていい話ではなかったりするわけです。

サンデル教授はさらに、こんなふうにも述べています。「ある善なる行動、社会習慣が腐敗するのは、我々がそれを扱うにふさわしい方法よりも、低俗な方法を使おうとするときだ」。腐敗というと、政治家の汚職のような、限られた話に聞こえるかもしれませんが、実はもっと広い範囲に当てはまる考えかたなんですね。

ここからが、今回Q太郎が一番言いたいところなんですけど。

・テーマパークの列という「正義」の問題

この枠組みで、テーマパークの列に戻ってみたいと思います。

お金を出せば列に割り込めるという仕組みは、お金がある家庭の子供が優先されるという問題を生みます。それだけでなく、いい年をした大人が、並んで待っている子供たちを押しのけて、お金の力で先に進むという、けっこう道徳的にモヤッとする光景も生まれるわけです。

裁判の判決や赤ちゃんの売買ほど極端ではないんですが、構造としては同じ線の上にある問題だと思います。「並んで待つ」という、本来は誰にとっても平等な時間の使いかたに、お金という要素が割り込んでくることで、その場の公平さが崩れてしまうわけですね。

アンケートで反対と答えた7パーセントのかたは、おそらく「テーマパークは、みんなが平等に並ぶべき公平な場所だ」という感覚を持っているんだと思います。条件付き賛成の9パーセントは、この道徳的な正義を、子供連れなら仕方ないという形で、条件つきで受け入れているわけですね。まったくの市場原理でもなく、まったくの平等主義でもなく、その中間に落としどころを見つけようとしている回答だと思います。

・「夢の国」と「USJ」の違い

ここで面白いのが、USJは許されるが夢の国は許されない、という5パーセントの回答です。

道徳の問題というのは、実はそのテーマパークが掲げている「テーマ」によっても変わってくるんですね。夢の国は、まさに「夢の国」を名乗っている以上、そこにお金で優先順位が決まる仕組みが入り込むこと自体が、テーマそのものに反することになります。

誰もが平等に夢を見られる場所のはずなのに、お金のあるなしで扱いが変わってしまうと、その世界観自体が壊れてしまうわけです。

一方でUSJには、そういう「夢の平等」を掲げるテーマがそもそもないので、お金で列に割り込むことも、それほど問題視されない。同じ「テーマパークで列に割り込む」という行為でも、その場所が何を約束しているかによって、腐敗になるかどうかが変わってくるんですね。

これ、結婚式場に置き換えるとわかりやすいかもしれません。「一生に一度の特別な日」を掲げている式場で、お金を払った順にいい席や記念撮影の時間が割り当てられるとしたら、なんとなく興ざめしますよね。

一方、ただの立食パーティー会場であれば、多少お金で融通が利いても、誰も気にしないと思います。掲げているテーマが、何を「神聖なもの」として扱っているかによって、お金が入り込んでいい余地は変わってくるわけです。

・お金は「一番低俗な入手手段」

最後に、もう少し根本的な話をしたいと思います。

以前の動画でも話したんですが、物を手に入れる方法には、犯罪的な手段を抜かせば、「買う」「もらう」「つくる」「借りる」の四つがあります。この中で一番簡単なのが「買う」なんですね。なぜなら、お金さえ出せばいいだけだからです。

「もらう」には人間関係や信頼が必要ですし、「つくる」には技術や時間がかかります。「借りる」にも、返す約束を守れるという信用が前提になります。それに比べて「買う」は、お金さえ払えば、関係性も技術も信用もいらない。お金を使うこと自体は、極端な話、サルにも覚えさせられるという実験があるくらいで、知恵や関係性を必要としない、いちばん原始的な入手方法だとも言えます。お金を使うことはサルでもチンパンジーでもできる。

つまり、お金を使うというのは、物を手に入れるための、いちばん低俗な方法とも言えるわけです。「ある善なる行動、社会習慣が腐敗するのは、我々がそれを扱うにふさわしい方法よりも、低俗な方法を使おうとするときだ」というサンデル教授の言葉の通り、お金というイージーで低俗な方法で買っていいものと、買ってはいけないものがある。テーマパークの列も、裁判の判決も、この線引きの延長線上にある問題なんですね。

しょせんお金は商品券です。何にでも交換できる便利な道具ではあるんですが、その商品券で買っていい場面と、買ってはいけない場面がある、ということが、夢の国ではどうなのかという一般認識をアンケートしたのですが、夢の国でも案外許されるという結果が出たとも考えられます。

・トロッコ問題

サンデル教授の代表的な正義の問題に、「トロッコ問題」があります。レバーを引かなければ5人がトロッコにぶつかって死ぬ、レバーを引けば1人がトロッコにぶつかって死ぬ、という、あの有名な思考実験です。

これ、実はテーマパークの列にも、縮小版として当てはめられるんじゃないかと思うんですね。優先チケットを買った1人を先に進ませるということは、その分、後ろに並んでいるかたたちの待ち時間が、わずかずつ延びるということでもあります。1人の命と5人の命ほど極端な話ではないんですが、1人のお金持ちを優先させるために、大勢の小さな不利益を積み上げていいのか、という構造そのものは、トロッコ問題とかなり近いところにあると思います。

レバーを引くかどうかという極限状況ではなく、日常の些細な場面にも、こういう「一人を得させるために、大勢にわずかな負担を配る」という判断が、実はあちこちに埋め込まれているんですね。

医者がお金持ちの患者に限定して診察するというのも、医者はそのほうが楽ですし儲かりますが、そのぶんのしわ寄せが他の人達にくるわけです。

あとお金持ちやビジネスマンのために飛行機を全席ファーストクラスやビジネスクラスにしたり、新幹線で一車両に8人ぐらいしか乗れないようにした場合も、会社としてはそのほうが儲かりますし楽なのですが、そのしわ寄せが多くの人にくるという話ですね。お金のない人は移動すらできなくなるわけです。

こういう市場経済をどこまで侵入させていいのかの線引きは、難しいところがあります。

・まとめ

そんなわけでまとめると、市場経済は便利な道具ですが、それが社会のあらゆる優先順位を決める「市場社会」にまで広がってしまうと、話は別になります。

裁判の判決や、赤ちゃんの売買のような極端な例から、テーマパークの列という身近な話まで、突き詰めれば、お金で買っていいものと悪いものの境界線、つまりサンデル教授の言う「腐敗」の問題につながっています。そしてその境界線は、そのテーマパークが何を掲げているか、その社会が何を大事にしているかによっても変わってくる。

お金は結局、しょせん商品券にすぎませんが、その商品券をどこまで使っていいかを考えることこそが、お金に振り回されないための、大事な視点なんじゃないかと思います。

今回、夢の国で列を買うことは、8割のかたにはあまり問題視されていないかったという結果になりました。ただ、そうではないとの考えも2割あり、夢の国で列を買うことが自動的に「正しい」わけではない、ということも、あわせて覚えておきたいところです。このあたりは、文化とか、個人的な思想とか、いろいろな要素が混ざり合いますしね。

みなさんは、お金で買っていい場面と、買ってはいけない場面の境界線を、どこに引きますか。よかったらコメントで教えてください。全部読ませていただいています。

数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。

ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。

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