人から無料でもらったものを、あとで売る。
皆さんは、これをどう思うでしょうか。
「一度もらったのだから、そのあと何に使おうが本人の自由でしょう」
そう考える人もいると思います。
自分で使ってもいい。誰かへあげてもいい。いらなくなったら捨ててもいい。それなら、売ってお金に換えてもいいはずだ。
普通の所有権の話として考えれば、それほどおかしな理屈ではありません。
その前に、今回のテーマとなる「ギフトエコノミー」とは何かを、簡単に説明しておきます。
物をお金で売り買いするのではなく、自分のところで余っているものを、必要としている人へ見返りなしで渡していく仕組みです。
受け取った相手から、同じ価値のものを返してもらう必要もありません。
誰かの余りが必要な人へ渡り、また別の場所で生まれた余りが、別の必要な人へ流れていく。その循環全体で成り立つ経済です。お金を使わない流動性の世界ですね。資本主義が行き詰ってきている昨今、お金をつかわないこのギフトエコノミーが注目されてきています。
でも、『ギフトエコノミー―買わない暮らしのつくり方』という本では、受け取ったものをお金に換えることを、仕組みに対する重大な裏切りとして扱っています。
なぜ、そこまで厳しく考えるのでしょうか。
渡した瞬間に相手のものになったのなら、売ろうが捨てようが自由ではないのか。
ここで大切なのは、ギフトエコノミーが、無料で商品を手に入れる仕組みではないということです。
余ったものを、必要としている次の人へ流していく仕組みです。
これは前回紹介した稲垣えみ子さんの著書『買わない暮らし』でも指摘していましたが、物を受け取った人は、流れの終点ではありません。
必要なあいだだけ、その物を預かる中継地点なんですね。
だから、必要がなくなったら、また次へ流す。
ところが、それを売ってお金に換えた瞬間、物の流れはそこで止まります。
誰かの善意が、自分だけの利益へ変わってしまいます。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。
今回は「ギフトエコノミーを壊す人。もらった物を売ってはいけない理由」を深掘りしていきます。
今日は大きく三つ話します。
一つ目、ギフトエコノミーは、なぜ無料のフリーマーケットではないのか。
二つ目、もらった物を売ると、なぜ仕組み全体が壊れるのか。
三つ目、ギフトを受け取るために、なぜ無欲であることが必要なのかです。
最後に、ギフトとは誰のものなのか、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
・一つ目・無料の商品を手に入れる場所ではない
それでは一つ目、ギフトエコノミーは、なぜ無料のフリーマーケットではないのかです。
ギフトエコノミーでは、自分にとって余っているものを、それを必要としている人へ渡します。
着なくなった服。
読み終えた本。
使わなくなった家具。
庭で採れすぎた野菜。
自分のところでは余っていても、別の人には必要かもしれません。
そこで値段をつけず、欲しい人へ渡します。
お金を払わずに物を受け取るので、外から見ると「無料でもらえる場所」に見えます。
でも、無料であることは、中心ではありません。
中心にあるのは、余ったものを止めずに流すことです。
市場では、物とお金を交換します。
売った人はお金を受け取り、買った人は物を受け取る。その場で取引は終わります。
売った人と買った人は、それ以上つながっていなくてもかまいません。
一方、ギフトエコノミーでは、お金を使いません。
その代わりに、「自分に必要がなくなったら、また誰かへ流してくれるだろう」という信頼があります。
今日、Q太郎が誰かへ本を渡したからといって、その人から明日、別の物を返してもらう必要はありません。
一対一で返すのではないんですね。
その人が読み終えたあと、別の誰かへ渡す。
そして、いつかQ太郎が何か必要になったときには、まったく別の人のところで余ったものが流れてくる。この流動性が高い人のところへ、モノがどんどん流れてくると稲垣さんは言います。他の不足している場所へ流してくれるとわかっているから、みんな安心してその人に渡せるからです。
物はぐるぐる回ります。
誰が誰へ返したかは分からない。
でも、流れが続いているかぎり、全体として足りない人のところへ物が届きます。
これは、ただで物をもらう仕組みではありません。
余りを独占しないという、暗黙の約束で成り立つ仕組みです。
・二つ目・善意が仕入れに変わる
二つ目、もらった物を売ると、なぜ仕組み全体が壊れるのかです。
たとえば、誰かが使わなくなった家具を、必要な人へ無料で譲ったとします。
受け取った人が、その家具を実際に使う。
そして必要がなくなったら、また別の人へ譲る。
これなら、家具は流れ続けます。
ところが、受け取った人が、すぐにフリマサイトへ出して売ったらどうでしょうか。
家具を渡した人は、お金が欲しくて渡したのではありません。
必要な人に使ってほしいと思ったから、値段をつけなかったのです。
それを売るということは、渡した人が手放した利益を、受け取った人が自分のものにするということです。
誰かの善意を、無料の仕入れ先に変えてしまうんですね。
本人は、こう言うかもしれません。
「もらった物なのだから、どう使おうが自由です」
でも、その考え方が広がったら、渡す側はどうなるでしょうか。
せっかく無料で譲っても、誰かが転売してもうけるかもしれない。しかもお金は貯めることができるので、そこで流動性が止まってしまうわけです。
本当に必要な人ではなく、転売のうまい人が先に持っていくかもしれない。
そう思えば、状態のよい物を気軽に渡せなくなります。
相手を疑うようになります。
本当に必要なのか。転売しないか。過去に何を受け取ったのか。
確認と監視とルールが増えていきます。
そして最後には、「面倒だから捨てよう」「少しでもお金になるなら売ろう」となります。
ギフトエコノミーを壊すのは、一個の物が売られたことではありません。
「渡しても大丈夫だ」という信頼が失われることです。
流動性があるから、人は安心して渡せます。
自分のところで不要になっても、次の必要な人へ回っていく。
その約束があるから、所有を手放せるんですね。
ところが、途中で誰かが流れをせき止め、現金へ換えて自分のところへ貯め込む。
そうなると、贈り物は再び商品へ戻ります。
そしてギフトエコノミーは、無料で仕入れて売る人だけが得をする市場になってしまいます。資本主義から外れるためのシステムなのに、またお金中心の資本主義へと組み込まれてしまうのですね。
基本的にこの手のシステムは、相手の顔の見えないネットでは成り立ちにくいものがありますね。顔が見えて知り合いだから、安心して物を渡すことができます。誰だかよくわからない人に物を渡しても、どう使われるかもわからないですし、危険もありますしね。また、その場かぎりの取り引きで終わってしまうので、ギフトエコノミーを築くのは難しいとは思います。
・三つ目・無欲だから受け取れる
三つ目、ギフトを受け取るために、なぜ無欲であることが必要なのかです。
ここで言う無欲は、何も欲しがってはいけないという意味ではありません。
必要なものは受け取ればいいんです。
食べるものが必要なら、食べ物を受け取る。
家具が必要なら、家具を受け取る。
本を読みたいなら、本を受け取る。
ただし、自分に必要な分だけです。
必要以上に集め、いつか使うかもしれないと抱え込み、価値がありそうだからお金へ換える。
そういう欲が先に立つと、ギフトは助け合いではなく、利益を得る機会になります。
食べ物は、食べきれないほど持っていても腐ってしまいます。
だから、自分では食べきれないと思えば、誰かへ渡しやすい。稲垣さんは冷蔵庫を持っていないので、そもそも食べ物を貯め込めないため、どんどん流さないといけないと言います。
次の人も食べきれなければ、さらに別の人へ渡します。
必要な場所へ動き続けます。
でも、お金は腐りません。
今日使わなくても、来年まで置いておけます。
一千万円持っていても、二千万円欲しくなる。二千万円持っていても、老後のために三千万円必要だと思う。
いくらでも貯め込めます。いつまで経っても腐ることはありません。
物をお金に換えると、流れていたものが、保存できる自分の利益へ変わります。
だからギフトエコノミーでは、物を受け取る側にも、「自分の分はこれで十分です」と言える感覚が必要になります。
前回、欲の器が小さい人ほど、すぐに満たされるという話をしました。
器がすでに満たされている人は、入ってきたものが余れば、次へ渡せます。そしてそういう人のところにこそ、物がどんどん集まってきます。つまり無欲な人ほど、物をたくさんもらえるというバグが発生するのです。
反対に、器がどこまでも大きくなる人は、何を受け取っても足りません。
余ったものまで、自分のところで止めようとします。だから逆に、そういう人のところには物が集まりません。そういう人に渡したくないからです。
無欲だから受け取れる。
もう少し正確に言えば、無欲だから、受け取ったものを自分のところで止めずにいられるのです。そしてそういう人は信用されるから、どんどん物が集まるのです。
・まとめ
最後に、ギフトとは誰のものなのか。Q太郎の見立てを置いて終わります。
法律の話だけをすれば、一度もらった物は、受け取った人のものです。
でも、ギフトエコノミーの中では、それだけではありません。
その物には、「必要がなくなったら、また次へ流してほしい」という信頼も一緒についてきます。そして不足している人のところまで、自然に物が流れていくことで、システム全体として満たされるというわけです。
受け取った人は、完全な終点ではありません。
流れの中で、その物を必要なあいだ預かる人です。
Q太郎は、ギフトエコノミーとは、所有しない仕組みというより、所有を固定しない仕組みなのだと思います。
今は自分が使う。
必要がなくなったら、次の人が使う。
誰かが余らせたものを受け取り、自分が余らせたものをまた渡す。そして、不足している人のところまで行き届いていく。
その流れが止まらないから、人は安心して手放せます。
受け取る権利は、貯め込む権利ではありません。
もらった物を売ってはいけないのは、売る行為そのものが法律に反するからではありません。
贈り物を商品へ戻し、善意を仕入れに変え、次の人へ続くはずだった流れを止めるからです。
ギフトエコノミーを支えているのは、物の量ではありません。
「この人へ渡しても、流れは止まらない」という信頼と流動性です。
そして、この話を考えていくと、別の問いが出てきます。
私たちは、なぜこれほどお金を貯め込まなければ安心できないのでしょうか。
稲垣えみ子さんは、老後不安は、お金に頼ることから起こると述べています。
Q太郎もそう思っているので、この話は、次回あらためて考えてみたいと思います。
皆さんは、もらった物を売ることをどう思いますか。一度受け取れば自由だと思うでしょうか。それとも、食べきれないぶん、使い切れないぶんを次の必要な人へ渡すところまでが贈り物だと思うでしょうか。よければコメントで教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。
