【Fire/退職】50代からモノを減らす
新NISA一括投資→即毎月定率取り崩し運用中のQ太郎です。
今回は、最近のムーブメントなのかはわかりませんが、50代から物を減らしていくことについてです。
本記事をYouTube動画で観たい方はこちらのリンクから。
減らしていく
さて、このようなご質問をいただきました。
「初めまして。いつも動画をありがとうございます。
最近は退職に向けて、50代から物を減らしていくという生き方が脚光を浴びています。
年をとっていくとできることがどんどん少なくなっていくので、早いうちに身の回りを整理整頓しておこうということだとは思います。
また生活をシンプルにすることで、老後の負担を減らしたり、相続のときに子供たちに負担をかけないという意味でも重要とは思います。
Q太郎さんは以前の動画で、「FIRE後は物をたくさん捨てた」との話をしていました(動画名がないのでどれかわかりませんが、たぶんこの動画だと思います。違ったらすみません)。
私ももうすぐ50代になり、早期退職はしませんが、退職に向けていろいろ生活の見直しをはじめています。
以前の動画では捨てることについての具体的な話がなかったので、どういうものを捨てたらいいのか、捨てるときはどういうマインドで捨てるものを選んだらいいのかについて解説してください。
とくに卒業証書とかアルバムとか、思い出の品はどうしているのかについても知りたいです。
どうぞよろしくお願いいたします」
とのことです。
「以前の動画」が具体的にどれかわかりませんが、ここでの質問の要点は、
・FIRE/退職後に向けて、どういう考え方で物を減らしていくのか。
・つまるところ、どうやって生活をダウンサイジングしていくのか。
ということだと思います。
あと卒業アルバムとか卒業証書とか、捨てていいかどうか問題ですね(笑)
50代からのダウンサイジング
生命保険文化センターの2013年の調べだと、7割以上の企業が60歳で一律定年を設定しています。ただ65歳を定年とする企業も2割ぐらいはあって、現在はもっと増えているんじゃないかと思います。
(企業の一律定年制)
60歳:72.3%
61~64歳:2.6%
65歳:21.1%
66歳以上:3.5%
それと企業としては一定の雇用を確保するため、定年後は再雇用制度や勤務延長制度を設けて再雇用する形になります。そのため、定年後も働き続けるという人も多くなるでしょう。
そうはいっても、日本人の平均寿命は80歳そこらで、健康寿命に関しては70歳そこらなので、60歳からだとせいぜいあと10年ちょっとぐらいしかないことになります。人間は自分が永遠に生きられると思いがちですが、人生の時間は案外短いのですね。
そのため、ご質問にあったように、体力のある50代のうちからあるていど生活のダウンサイジングに動くのも悪くはないかなとは思います。
時間は有限ですし、人間はいつか死ぬものと早めに悟って、有意義な人生を送ることはいいこととは思います。
なぜ物を減らすのか
それでまず、物を減らす前に、なぜ物を減らさなければならないのかを考えていきます。
そもそもその理由がちゃんとしていないと、単にモノを減らしても意味がないのですね。
「捨ててよかったのだろうか」みたいに、あとで捨てたものに対する執着が生まれていきます。
よくあるのが「断捨離しまくったのに、あとでやっぱり捨てなけりゃよかったと思った。断捨離なんか間違ってる」みたいに、そもそもなんのために断捨離したのかも考えずに捨てまくって後悔するケースですね。
ちなみにQ太郎的には、使わないものはどんどん手放したほうがいいとは思うのですが、そうは思わない人も世の中にはたくさんいます。
というか、うちの父がまさにこれでして、なんでも貯め込んでしまうのですね。チラシやらカップラーメンの容器やらどうでもいいものまで、「いつか使うかもしれない」といって貯め込んでいました。そのため、家はいらないものであふれていました。
これは年代の問題もあり、物の少なかった時代に生きていた人たちは、いざというときに困らないように物を貯め込む習慣ができてしまっているのですね。
ミニマリストというのも、「なんでも物が手に入る時代」においてやりやすくなった生き方という部分もあり、若い人には生まれたときからものがたくさんある環境に育ってきたのでミニマリストがやりやすいのですが、年配の方たちは生まれた環境がそもそも違うので、ミニマリズムの思想になじめないというのがあるとは思います。
どっちが正しいというものはなくて、自分にとって心地よい生き方をすればいいとは思います。べつに捨てたくなければ無理に捨てなくてもいいとは思います。
物が少ない方がQ太郎にとっては心地よいというだけで、そうでない人にものを捨てさせようとすれば、逆にストレスをためて不幸になりかねないですしね。
自分がどういう状態で心地よさを感じるのかは見極めておいたほうがいいでしょう。
家族のものを勝手に捨てない
そんなわけで、断捨離をやるにしても、家族の持ち物を許可なく捨てるのはNGといえます。みんな考え方が違いますし、ストレスを感じる場所も違います。散らかっていたほうが心地よいという人もいますので、下手に整理整頓してしまうと、自分にとっては心地よくても、家族にとっては心地よくなかったりします。
ちなみに父は、テレビを見ながらノートパソコンも使いつつ、さらに音楽を流すという、つねに刺激を受け続けていないと気が済まないみたいな感じなので、ごちゃごちゃしていたほうが心地よいのかもしれません。何もないと視覚への刺激が減りますしね。
逆にQ太郎は強い刺激が苦手なので、まわりは片付いていたほうがいいですし、静かなほうがいいです。人それぞれかと思います。
そんなわけで、物を捨てる前に、まず自分の領域と家族の領域ははっきりさせて、自分のもの以外は捨てないようにしたほうがいいとは思います。
そうでないと、あとで本人が無くしたにもかかわらず、「捨てただろう」と勝手にこっちのせいにされてしまいます。物を無くしたときに、つねに犯人状態になるのですね。
コレクターの人とかも、まわりにコレクションがたくさん置いてあったほうが落ち着くでしょうし、そのコレクションを勝手に捨てたら激怒するのも当たり前ですしね。他人からはゴミにしか見えなくても、本人としては愛着のある重要なものだったりします。
「そうはいっても、リビングとか共有スペースが散らかってしまう場合はどうすればいいの」と思う方もいるかもしれませんが、その場合は話し合いで「散らかしていい領域とそうでない領域」を決めるしかありませんね。
お互い考えが違うので、「そのあたりは散らかしていいから、ここはきれいにする」とか、どこかで落としどころを決めるしかありません。
小さいお子様がいる場合も、散らかるのが当たり前、お片づけしないのが当たり前の世界なので、「ここまでは散らかしていい」みたいにプレイスペースをもうけたほうがおたがいにストレスがたまらず、合理的とは思います。
とくに欧米とか、子供にすごい量のおもちゃをあたえる親が多い感じで、知人の家も家じゅうおもちゃだらけで散らかっていて、すごいことになってたりしますね。おもちゃは近所のガレージセールとか他人からもらったりとかで、ほぼタダでいくらでも手に入るような状況なので、子供部屋は本当にすごいことになっています。足の踏み場もないみたいな感じです。これらのおもちゃも将来、また別の人の手に渡るのでしょう。
ただ台所とか食卓とか、おもちゃを置いてはいけないスペースは決めています。料理を運んでいるときに踏んだりしたら危ないという理由もありますね。
そんなわけで、「散らかす人は散らかす。そもそも考え方が違う」とあきらめてください。ライオンに「野菜健康にいいよ。野菜食べよう」といっても無駄なのとおなじです。そもそもの根本が違うのです。
あとは散らかす領域をどこまで取るかの話し合いするしかないとは思います。言うほど簡単ではないと思いますが、一緒に生活している以上、どこかで妥協点をさがす必要があるでしょう。
無理なら無理でそのあたりは執着せず、自分の持ち物や自分の部屋の整理をおこないましょう。
モノを減らす段階
そんなわけで、他人のものには触れない・勝手に捨てないというルールを徹底したうえで、物を減らす作業に入ります。
基本的には長年使ってないものはどんどん捨てていけばいいでしょう。「いつかつかう」は高確率でいつまでたっても使わないですし、使うときになってまた買えばいいとは思います。
何年も着ていない服も、どうせ今後も着ないでしょうし、捨ててしまっていいとは思います。
このあたりは断捨離の本でもよく書かれていることなので難しくはないのですが、問題は本とか思い入れのあるものをどうするかという部分ですね。
ちなみに本についてですが、資料として必要なものは電子書籍にしてくれる業者にまとめておくってPDFファイルにしてもらいました。残りはぜんぶブックオフとか専門書の宅配買取に送って処分しました。「いくらになるか」とか考えないで、処分最優先でやったほうがいいでしょう。
それで、空になった2つの本棚は分解して粗大ごみの日に出しました。これでかなり空間をつくることができました。
ご質問にあった卒業証書ですが、Q太郎はスマホで写真をとったあとにシュレッダーにかけて処分しました。あと卒業証書の筒は普通に燃えるごみの日に出しました。持っていてもあまり意味ないですしね。もったいないと思うのでしたら写真にとってから処分すればいいとは思います。
それと高校や大学の卒業証書ですが、就職でつかうのは卒業証明書や成績証明書なので、卒業証書自体は処分してしまっても問題ありません。実用性はないので、あとは自分がどうしたいかだけですね。
アルバム類は画像ファイル化してくれる業者があるので、そこに送り付けてやってもらえばいいでしょう。
こういう思い出のものは、自分にとっては大切なのですが、他人から見ればゴミでしかなかったりします。そのため、自分が死んだあとに思い出のものを残されても、遺族は困るのですね。
以前、祖父が亡くなったあとに、一族で家の片づけをしたことがあるのですが、ものだらけでかなり大変でした。とくに賞状やら勲章やら写真やら絵画やら旅行の記念品やらがたくさんあって、Q太郎的にはどう処分したものかと思っていたのですが、親戚というか祖父の子供たちは「置いててもしかたない」と容赦なく捨てていましたね。
あれを見て、諸行無常というか、たいせつな思い出の品も、他人から見れば迷惑なゴミでしかないのだなとは思いました。むしろものをたくさん残すと、遺族が本当に大変です。死後に怒りすら買いかねません。
そんなわけで遺族のことを気にするのであれば、ダウンサイジングはしておいたほうがいいでしょう。
ただ「やっぱり思い出のものがないとさびしい」と思う方は、無理に捨てなくていいとは思います。
このあたりは先ほどもいったように、人それぞれ性格が違いますから、ちょっとずつ捨てる作業をしながら、「やっぱり自分は捨てるのに向いてないな」と思ったら断捨離はあきらめてしまってもいいとは思います。遺族には迷惑かもしれませんが、捨てること自体に執着する必要もないでしょう。
ついでに欲も減らす
こういう「捨てる」という面倒なことをしておくと、物を買いたい・物をもらいたいという欲求がかなり減りますね。
物を買うときに「これを捨てるときはどうすればいいのか」というように、捨てるときのことも一緒に考えるので、買い物もかなり慎重になります。
とくに大きなプラスティック類のものとかゴム製品とか機械類など、処分に困るものには手が出なくなります。
買い物が多い人は、近い未来の買ったときの楽しさは考えるのですが、遠い未来の処分の面倒さは考えないのですね。
そのため、物の処分をして持ち物をすっきりさせることで処分の面倒くささを経験すれば、買い物もかなり慎重になり、欲望も自然と減ります。
まとめ
そんなわけでまとめると、
・人それぞれ性質があるので、物を捨てることに向いているかどうかの見極めがまず必要。
・捨てることを決めたのであれば、長年使っていないものはガンガン捨てる。
・本や思い出のものは画像化してから処分。
・あなたにとって大切な思い出の品も、遺族から見ればゴミである可能性大。
・捨てる作業をすることで、買い物のときに捨てるときのことまで考えるようになり、物欲が減る。
・捨てる作業で、「自分は捨てるのに向いてないと思ったら、ひらきなおって捨てるのをあきらめる。断捨離に執着しない。
となります。
遺族のために物を処分するというのも悪くはない考えなのですが、基本的には自分のためにやったほうがいいでしょう。
お金も時間もかぎりあるものなので、定年後・FIRE後は、自分にとって必要なものに時間やお金のリソースを割くようにするために、「必要なものといらないもの」の区別をするためにも、捨ててダウンサイジングするという作業は必要です。
ただQ太郎の祖父や父のように、「物ためこみまくり」みたいな生き方もその人の自由なので、捨てる作業でもし自分がそのタイプだと気づいたら断捨離に執着する必要もないでしょう。
遺族は困るかもしれませんし、Q太郎は確実に困るとは思いますが、「そんなの知ったことか」と我が道を行くのも一つの生き方とは思います。迷惑といえば迷惑ですけど、自分と合わないことをやってストレスがたまって、健康を害するのもどうかと思いますしね。
そんなわけで、まずはそもそも自分の性格が断捨離に合っているのかどうか、物を捨てながらゆっくり見極めていったほうがいいとは思います。物が適度にあったほうが心地よい人もいますしね。