パックご飯の容器すら「自分の一部」?脳がモノを捨てさせない仕組み

こんなご質問をいただきました。

「ゴミ屋敷は、所有による自己拡張の例とも言えますでしょうか。うちの祖父母も、ゴミ屋敷ほど極端ではありませんが、捨てられない性格です。あきらかに使わないものも貯め込んでしまいます。」

とのことです。ありがとうございます。

ゴミ屋敷という言葉を聞いて、まず浮かぶのはたいていテレビの映像ですよね。床が見えないほど積み上がったダンボール、通路もないほどの新聞の山、足の踏み場もない部屋で暮らしている人。

ああいう映像を見ると、多くの人は「変わった人がいるものだ」「片づけが苦手な人なんだろう」という感想を持ちやすいんですが、実は「貯め込み症」というのは独立した精神障害として認定されていて、意志や性格の問題ではないんですね。アメリカ精神医学会の診断基準に、2013年から独立した疾患として掲載されています。

今日はその貯め込み症の話から始めて、人間の「失う恐怖」がどこまで広がり得るか、という少し重い話をしていきたいと思います。というか、Q太郎の父も貯め込み症なので、いろいろと苦労しています。

そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学チャンネルへ。賢く資産形成をしつつ、お金に悩まされないための生存戦略を日々発信しています。

今回は「貯め込み」と「所有欲」、そして「失う恐怖」という話です。

・貯め込み症とは

貯め込み症の特徴として、一般のイメージとちょっと違う点があって。特定のものを集めるのではなく、見境なしに何でも貯め込む、というところが一つの大きな特徴なんですね。

コレクターの場合は、切手なら切手、フィギュアならフィギュアと対象が決まっています。価値があるものを選んで集めているわけです。

ところが貯め込み症の場合は、食品の空き袋、古い新聞、壊れた電化製品、使い終わった容器、近所で拾ってきた木の枝、とにかく何でも「捨てられない」んです。

Q太郎の父も、レンジでチンするパックご飯のパックを取っておくわけです。すぐに使うわけでもないのに、捨てようとすると鬼のように怒り出すのですね。基本的に使わないので、山積みになっているわけです。

外から見れば明らかに不要なものでも、本人にとっては捨てることができない。そして部屋が物で埋まっていっても、問題だという認識が薄いことが多い。むしろ、周囲が「片づけよう」と言い出すと激しく抵抗する。Q太郎の父がまさにこれですね。

そして貯め込みは加齢とともに悪化する傾向があります。若い頃は「少し片づけが苦手」程度だったものが、50代60代になる頃には床が見えなくなり、台所も風呂も機能しなくなっているケースも出てくる。本人はその環境に慣れてしまっているので、異常だと感じにくい。

その結果として深刻なのが火災リスクです。50代以上の住宅火災で「逃げられたはずなのに」と思われるケースのうち、4分の1は貯め込みが原因だとされています。物が多いと出口がふさがれていたり、煙が充満しやすかったり、通路がなくて移動できなかったりする。本人が気づいたときにはすでに逃げ道がない、という状況が起きやすいんですね。火事で命を落とすリスクと貯め込みが、直接つながっているわけです。

アメリカだと、州によっては、この手の「貯め込み」をやっている家というのはマークされるそうです。火災リスクの高い家ですしね。

・なぜ捨てられないのか

貯め込み症に共通しているのは「失う恐怖」です。

捨てようとすると気分が悪くなる。手放すことを考えただけで不安が出てくる。実際に物を手に持って、ゴミ箱に入れようとした瞬間に、体が動かなくなる人もいます。それは意地でも捨てないという頑固さではなくて、もっと深いところから来る恐怖に近い感覚なんですね。

本人はたいてい、手放せない理由を「再利用できる」「まだ価値がある」「いつか使う」「自分にとって大切な思い出がある」と説明します。

捨てることへの恐怖を、合理的な理由で包んでいるわけです。Q太郎の父もまさにこれで、「いつか使う」とか言い出すわけです。「もう何十個もあるやん」とか言っても、聞かないどころか怒り出すわけです。

ただその「いつか」はほぼ来ないですし、本人もどこかでそれはわかっているはずなんですが、それでも手放せない。

これは、捨てたあとの空虚感や喪失感を避けるための防衛反応として機能しているんですね。物がある状態が「安全」で、物を手放すことが「危険」というように、脳が判断してしまっている。

また、貯め込み症には遺伝的な要素があることもわかっていて、家族内で同じ傾向が現れることが多い。親が貯め込む人だった場合、子どもにも同じ傾向が出やすい。習慣や生活環境だけの問題ではなく、脳の構造的な気質として引き継がれる部分があるようです。

実際、Q太郎の父の実家も、モノにあふれているわけです。食卓の下が多数の鍋で埋まっていて、どれも使っていない。台所がとにかくひどい状態で、物が多すぎてドアをフルオープンにすることもできないわけです。完全に遺伝だとは思います。

ただ遺伝だとしても、本を読んでミニマリストの考えを学んだり、生活習慣の改善とかでなんとかなりますが、面倒くさがりや学ばない人だと、なかなか改善はされないのかもしれません。

・自己拡張という概念

ここで少し視点を広げてみます。

心理学に「自己拡張」という概念があります。人間は自分の「自己」を、自分の体の範囲に限定していないんですね。持ち物、家、家族、仕事、地位、コミュニティ、こういったものを「自分の延長」として無意識に認識している。

身近な例で言うと、スマートフォンを落として画面が割れたとき、まるで自分が傷ついたような感覚になる人は多いと思います。自分の車に見知らぬ人が傷をつけると、財産の損害である以上に、何か侵害された感覚が出てくる。自分の家を「狭いですね」と言われると、家の客観的な評価ではなく、自分自身を批判された気持ちになる。

これは「自分」という概念が、皮膚の外側にまで広がっているから起きることです。自己拡張の範囲にあるものを傷つけられると、自分が傷つけられたように感じる。

そして貯め込み症は、この自己拡張が極端な形で現れているケースとも言えます。あらゆる所有物が「自分の一部」として記憶されている。だから捨てることは、自分自身を失うことと同義になってしまう。パックご飯の容器を捨てることが、なぜあれほど苦痛なのかというと、容器が「自分の一部」になってしまっているからなんですね。物を失う恐怖が、自分を失う恐怖と重なっているのです。

・自己拡張が「人」に向かうとき

ここまでは物の話ですが、この「失う恐怖」と「自己拡張」が人間関係に向かうとどうなるか、という話をしたいと思います。

私たちは自然に、家族やパートナーを「自分の延長」として感じています。子どもが成功すると自分のことのように嬉しい、パートナーが落ち込んでいると自分も沈む、という感覚です。これ自体は愛情や絆の基盤になる、人間として自然な反応です。

ただ、この「自己拡張」が「所有」の感覚と結びつくと、話が変わってきます。

男性は女性と比べて、この傾向が強く出やすいと言われています。パートナーや家族を「自分の所有物」のように扱ってしまうケースです。行動を管理したい、どこにいるか常に把握したい、誰と会っているか確認したい、という形で現れる。本人は「心配しているだけ」「家族のために管理している」と感じているかもしれないんですが、実態は「失いたくないから支配している」に近かったりします。

物を捨てられない人が「価値がある」「必要だ」と正当化するのと、構造が似ているんですね。支配を「愛情」と言い換えることで、自分の行動を正当化するわけです。

・失う恐怖が破壊へ向かうとき

もちろんこれは絶対に許されないことが前提ですが、なぜ起きるのかという構造を理解することは、防止につながると思うので話します。

支配がうまくいかなくなったとき、つまり別れを切り出されたり、相手が自立しようとしたりしたとき、「失う恐怖」が一気に出てきます。物を捨てさせられるときと同じ感覚が、はるかに強い形で、はるかに速く出てくる。

世界全体で見ると、親密なパートナーによる女性の殺害は、女性が被害者になる殺人全体のうち最大38%を占めるとされています。逆に女性が男性のパートナーを殺害するケースは6%程度で、男女差がかなり大きい。この非対称性の背景に、「失う恐怖」の強さの差があると言われています。男性のほうが、この失う恐怖が大きいわけです。

一家心中も、同じ構造から理解できます。「手に入れられないなら、すべてなくしてしまおう」という思考です。ゲーム理論の最後通牒ゲームのように、取り分がゼロになるくらいなら相手にも何も渡さないという判断が、最も歪んだ形で現れている。自分が失うくらいなら、相手も失わせてしまおうというやつです。

その発想の根っこには「家族は自分の所有物だ」という歪んだ自己意識があります。貯め込み症の人が「このパックご飯の容器は自分のものだ」と感じるのと、同じ心理的な構造が、人間関係の上で極端に現れているのです。

・まとめ

私たちは誰でも、家族や大切な人を「自分の延長」として感じています。これは人間として自然な感覚で、そこから愛着が生まれます。

ただ、その感覚が「所有」になってしまったとき、問題が起きます。どんなに親しい相手であっても、自分の所有物のように扱う権利はないし、失いたくないからといって相手を傷つける権利もない。

貯め込み症はゴミ屋敷の話に見えて、実はその人が「失うこと」をどれほど恐れているかという話です。そしてその恐怖は、物への執着から人への支配へと、形を変えながら同じ根っこを持っている。

Q太郎がこの話で一番興味深いと思うのは、貯め込み症も、支配的な人間関係も、一家心中も、根っこにあるのは「失う恐怖」という、誰もが持っている感覚の延長線上にある、ということです。程度の差はあっても、まったく別の話ではない。

自分の手の中にある大切なものを失うことが怖い、という感覚は誰にでもあります。でもその恐怖をどこに向けるかで、生き方はずいぶん変わってくるんじゃないかと思います。

皆さんは「捨てられないもの」はありますか。物でも、人間関係でも、習慣でも。よかったらコメントで教えてください。全部読ませていただいています。

数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。

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