【節約】家族の「無駄遣い」を正してはいけない|節約が支配に変わるとき

家族の無駄遣いを正してはいけない|節約が支配へ変わるとき
【毎日17時更新中!】たまに午前中にも追加投稿します。自分の三千円の本は自己投資なのに、家族の三千円のゲームは無駄遣いに見える。家族の支出が気になるとき、見ているのは金額でしょうか。それとも、自分には理解できない価値でしょうか。今回は、家族...

こんなコメントをいただきました。

「自分が節約していても、家族が無駄遣いすることについて、Q太郎さんはどう考えていますでしょうか」

とのことです。ありがとうございます。

家族は財布が一緒なので、結構難しい問題ですね。

それで家族が何かを買ってきたとき、つい、こんなことを言ってしまったりします。

「そんな物、何に使うの」

「似たような物を持っているでしょう」

「また無駄遣いして」

確実に正論の場合が多いですし、Q太郎も言いがちな言葉ですね。以前の動画「物を捨てない人ほど、また買ってしまう」でも述べたように、Q太郎の父は似たようものを何度も買ったりします。

たしかに、家計には限界があります。

使えるお金は有限ですし、家族の誰かが際限なく使えば、ほかの人の生活にも影響します。

ですから、家族のお金の使い方について話し合うこと自体は必要でしょう。

ただ、ここで少し気になることがあります。

その買い物は、本当に無駄なのか、それとも自分の価値観に合わないだけなのかということです。

たとえば、自分が三千円の本を買えば、勉強や自己投資です。

しかし家族が三千円のゲームを買えば、遊びや無駄遣いに感じたりします。

自分が友人との飲み会へ行けば、人付き合いです。

家族が一人で少し高いランチを食べれば、贅沢になります。

自分の趣味には理由があり、他人の趣味には理由がない。

そんな奇妙な家計簿を、我々は頭の中につけているのかもしれません。

そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。

今回は「家族の無駄遣いを正してはいけない」を深掘りしていきます。

・三つの話

今日は大きく三つ話します。

一つ目、なぜ家族の買い物だけが無駄に見えるのか。

二つ目、節約という正義が支配へ変わる瞬間。

三つ目、共有するお金と個人のお金をどう分けるかです。最後に、家族のお金を管理することについて、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。

・一つ目・分からない価値を無駄と呼ぶ

それでは一つ目、なぜ家族の買い物だけが無駄に見えるのかです。

無駄遣いという言葉は、客観的な数字のように見えます。

必要な支出と、無駄な支出。二つに分ければ、家計を合理的に管理できそうです。

しかし実際には、何が無駄かは、その人が何を大切にしているかによって変わります。

ゲームをしない人にとって、新しいゲームを買う事は無駄に見えます。RPGなんて全部おんなじじゃんみたいな感じですね。ファイナルファンタジーがあったら、ドラクエ買わなくていいじゃんみたいな感じですね。

化粧をしない人にとって、似た色の化粧品を何本も買う意味は分かりません。

車に興味がない人には、高い車も、安い車も、目的地へ着けば同じです。

音響に興味がなければ、スピーカーを何台も買うのは、完全に意味不明でしょう。ちなみにQ太郎の父はやたらとスピーカーを買いますし、Q太郎は意味不明だと思っています。実家はスピーカーだらけです。

しかし、意味が分からないことと、価値がないことは同じではありません。

その物を見てうれしい。使う時間が楽しい。集めること自体が生活の張りになる。

本人にとっては、そこに価値があります。家族にとってはすごい迷惑ですが、本人にとっては価値があるわけです。

一方で、自分の支出については、その背景を全部知っています。

この本は仕事に役立つ。このパソコンは作業効率が上がる。この外食は情報交換だ。この旅行は人生経験だ。

自分の欲望には、立派な説明をつけられます。

他人の欲望には、その説明が見えません。

それで、自分の支出は必要経費、家族の支出は無駄遣いになります。

これ、金額を比べているようで、実際には物語の量を比べているのですね。

最近のマーケティングは、その製品ができあがるまでの物語を利用したものが多いですが、そんな感じで自分の買い物には、長い物語があります。

家族の買い物には、値札しか見えません。

だから値札だけを見て、「高い」「いらない」「無駄だ」と判断します。

無駄遣いという言葉を使う前に、「Q太郎には、この価値がまだ分からない」と言い換えてみる。正直、スピーカーだらけはさすがに無駄遣いとしか言いようがないのですが、そこを我慢して「自分には価値がわからない」と言い換えてみる。

それだけで、相手の買い物を見る角度は、かなり変わるとは思います。ただ、それを許容できるかどうかはまた別の問題です。

・二つ目・節約は反論しにくい正義

二つ目、節約という正義が支配へ変わる瞬間です。

家族を支配したいと思っている人は、たぶん、それほど多くありません。

本人は家計を守りたいと思っています。

老後に困らないようにしたい。子どもの教育費を用意したい。住宅ローンを早く返したい。

目的はまじめです。

だからこそ、節約は強いのですね。

「家計のため」と言われると、反論しにくくなります。

ゲームが欲しいと言えば、「老後よりゲームが大事なのか」と返される。

少しよい服を買いたいと言えば、「家族の将来を考えていない」と言われる。

たった一回の買い物の話だったはずが、いつの間にか、家族への愛情や人間性の試験になります。

節約する側は、正しいことを言っているつもりです。

しかし言われる側は、自分の楽しみを毎回、家族会議で弁護しなければなりません。

なぜ欲しいのか。何回使うのか。もっと安い物ではだめなのか。本当に必要なのか。

裁判みたいですね。

しかも裁判官は、自分の欲しい物については審理しません。

ここで節約は、家計を整える方法から、家族が何に喜んでよいかを決める権力へ変わります。

使う金額だけではありません。

ゲームで喜ぶのは幼稚だ。化粧品にお金をかけるのは見栄だ。車が好きなのは無駄だ。推し活は企業に踊らされている。

相手の支出を否定しているようで、その人の楽しみ方や生き方まで採点しています。

それで貯金が増えたとしても、家の中で好きな物を好きだと言えなくなったら、その家計は成功したのでしょうか。

数字の上では黒字でも、家族関係のほうでは大赤字かもしれません。

もちろん、借金を隠す、生活費を使い込む、ギャンブルなどで家計を壊すという話は別です。

共有する生活を維持できなくなる支出なら、止める必要があります。

ただ、そこまでの問題ではない買い物にも、「家計のため」という言葉を持ち出していないか。

本当は家計が壊れるからではなく、自分が気に入らないから止めたいだけなのかもしれません。

この二つを混ぜると、節約は簡単に支配へ変わります。

・三つ目・共有するお金だけを共有する

三つ目、共有するお金と個人のお金をどう分けるかです。

家族だからといって、すべてのお金を一つの価値観で使う必要はありません。

住居費、食費、光熱費、教育費、将来のための貯蓄。

こうした家族全体に関係するお金は、収入と目標を見ながら話し合う必要があります。

しかし、共有部分を払ったあとのお金まで、すべて相手の許可制にすると、家族は生活共同体ではなく、経理部になります。

領収書を提出し、購入理由を書き、承認印をもらう。

家へ帰ってまで会社をやらなくていいとは思います。

Q太郎なら、何を買ってよいかを一件ずつ決めるより、先に共有部分の数字だけを決めます。

毎月いくら生活費へ入れるのか。いくら貯めるのか。借金をしない。共有口座から勝手に使わない。

そこを守ったあとの個人のお金は、本人の価値観へ返す。

家族には理解できない物を買う自由も残します。

これは、無制限に好きなだけ使ってよいという話ではありません。

使ってよい範囲を先に決め、その中では用途を審査しないという話です。いわゆる「お小遣い」ですね。

相手がゲームへ使っても、服へ使っても、一人で高いランチを食べても、その人の選択です。「お小遣い」の範囲内なら、なにをやっても自由。

逆に言えば、その範囲を使い切ったら、追加で共有のお金を求めない。

自由と責任を一緒に渡すのですね。

この方法なら、節約したい人や、大きなものを買いたい人は、自分の分をさらに貯めてもよいでしょう。そこは自由にしてください。

家族にも同じ我慢を強制して、「みんなで苦しんだから正しい節約だ」と確認する必要はありません。

家族の支出を見ると気になる人は、金額の問題なのか、用途の問題なのかを分けて考えるとよいと思います。

同じ金額を自分の好きな物へ使ったなら、気にならない。それなら問題は家計ではありません。

相手が、自分には理解できない物を好きだということが気に入らないのです。

お金の問題に見えて、価値観の問題なのですね。

・まとめ・喜びまで管理しない

最後に、Q太郎なりの見立てを置きます。

家族の無駄遣いを減らそうとする人は、あるところから、家計ではなく、家族が何に喜んでよいかを管理し始めます。

自分が理解できる喜びには、支出を認める。

自分が理解できない喜びには、無駄遣いという札を貼る。

しかし、家族は自分の分身ではありません。

同じ家で暮らしていても、好きな物も、お金を使いたい場所も違います。

自分にとっての無駄が、家族にとっては、明日も働くための楽しみかもしれません。

反対に、自分が将来のために貯金を増やすことも、家族から見れば、使われない数字を集める趣味に見えるかもしれません。

節約も、一つの価値観です。

唯一の正解ではありません。

共有する生活を守るための金額は、家族で決める。しかし、その範囲を超えて、相手の喜びの中身まで決めない。

Q太郎は、それがお金の管理と、人間の支配を分ける境界線だと思っています。

家族の買い物を見て、「そんな物は無駄だ」と言いたくなったら、一度だけ言葉を変えてみてください。

「自分には、その価値が分からない」

価値がないのではありません。

自分には分からないだけです。

その余白を残せる家庭のほうが、貯金額だけは多いけれど、何を買うにも顔色をうかがう家庭より、Q太郎は豊かだと思います。

皆さんは、家族から無駄遣いだと言われたけれど、自分にとっては大切だった買い物がありますか。反対に、家族の買い物を理解できず、口を出してしまった経験はありますか。よろしければコメント欄で教えてください。全部読ませていただいています。

数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。

ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。

タイトルとURLをコピーしました