人は幸福になれない?|なぜ資産が増えても満足できないのか

人は幸福になることができない?|なぜ資産が増えても満足できないのか
【毎日17時更新中!】たまに午前中にも追加投稿します。資産1000万円を達成すると2000万円が欲しくなり、3000万円になれば5000万円を目指したくなる。資産は増えているのに、安心が遠ざかるのはなぜでしょうか。今回は、ショーペンハウアー...

こんなコメントをいただきました。

「欲求をクリアしても、次の欲求が出てきてしまうだけなので、いくらお金を貯めてもキリが無いのは仕方がないかもしれませんね。ただどこで止めるかも難しいところです」

とのことです。ありがとうございます。

資産が1000万円になれば安心できる。

そう思って資産形成を始めたのに、1000万円を達成すると、今度は2000万円が欲しくなる。

2000万円になると、老後を考えれば3000万円は必要だと思い始める。

そして3000万円になると、どうせなら5000万円まで増やしたくなる。

資産は確実に増えているのに、なぜか安心は遠ざかっていく。

これは目標金額の問題というよりも、人間の欲望そのものが、このような構造になっているわけです。

この動画の常連である哲学者のショーペンハウアーは、人間の人生を、苦痛と退屈の二大地獄のあいだを往復する振り子のようなものだと考えました。

何かが欲しくて手に入らないあいだは、それが「苦痛」になります。

しかし手に入れてしばらくすれば、今度はその状態に慣れて「退屈」になる。

そして退屈から逃げるために、また新しい欲望を探し、それを手に入れるまで、また「苦痛」の状態になるわけです。これをひたすら繰り返しているのですね。

これでは構造的に、幸福へたどり着くことができません。

幸福がつねに、目標という名の「苦痛」から解放された先へ置かれてしまうからです。それで達成したら、「退屈」という次の地獄が来るので、また次の目標という「苦痛」を探しに行くわけです。

難波優輝さんの著書「物語化批判の哲学」では、この欲望の構造を、人生をゲームのように物語化する現代社会の問題へつなげています。

我々は、与えられた課題をどうクリアするかばかり考えます。

しかし、その課題は、本当にクリアする必要があるのでしょうか。

そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。

今回は「人は幸福になることができないのか」を深掘りしていきます。

・三つの話

今日は大きく三つ話します。

一つ目、欲望を満たすと、なぜ退屈が訪れるのか。

二つ目、人生をゲームにすると、なぜ終わりがなくなるのか。

三つ目、クリアする必要のない課題をどう見分けるのかです。

最後に、資産形成と幸福について、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。

・一つ目・欲望を満たすと退屈が訪れる

それでは一つ目、欲望を満たすと、なぜ退屈が訪れるのかです。

ショーペンハウアーといえば、このチャンネルには何度も登場しています。

何度も言っているように、彼によれば、人間は苦痛と退屈という二大地獄のあいだを、振り子のように行き来しています。

何かが欲しい。

しかし、まだ持っていない。

この不足が苦痛を生みます。

新しいゲームが欲しい。家が欲しい。仕事で評価されたい。資産を増やしたい。

欲望が発生すると、現在の自分は不完全なものになります。

目標を達成するまで、人生が未完成に見えてしまうのですね。

「物語化批判の哲学」の整理を借りれば、これが一階部分の欲求です。

欲しい物を手に入れれば、一階部分の苦痛は取り除かれます。

目標を達成して、二階へ上がる。

仕事も似ています。

よく「仕事は、しばらく続けていれば楽しくなる」と言います。

最初は何も分からず、できないことばかりで苦しい。

しかし技術を覚え、課題を処理できるようになると、苦痛が減って楽になります。

ところが二階には、ずっと住めません。

手に入れた物にも慣れますし、できるようになった仕事も日常になります。

すると退屈が訪れます。

今度は、特定の物が欲しいのではなく、「何かを欲しがっている自分でいたい」「また新しい目標へ向かってワクワクしたい」という欲求が生まれます。

「欲求を欲しがる欲求」という、メタ的な欲求ですね。

資産1000万円を達成した瞬間はうれしい。手に入らなかった苦痛から解放されたからです。

しかし数日もすれば、証券口座に表示される、いつもの数字になります。退屈が訪れるわけですね。

そこで2000万円という次の目標を設定する。そしてまた次の、手に入らない苦痛がやってくる。2000万円に達成したら、苦痛から解放されて嬉しい。しかしまた退屈がやってくるので、また次の目標を作る。そしてまた苦痛がやってくる。

以上のことを延々と繰り返します。

資産が足りないから増やしているつもりでも、実際には、退屈しないために次の課題を無意識で作っているわけです。そして次の苦痛がやってくるわけです。苦痛から解放されたいので、目的達成を目指すわけです。買い物でも、仕事でもおなじですね。

宇宙人やAIからすれば「人間ってバカなの?学習能力ないの?」と思われるかもしれませんが、まあ、実際にバカなのかもしれません。

・二つ目・人生をゲームにすると終わらない

それでは二つ目、人生をゲームにすると、なぜ終わりがなくなるのかです。

「人生はゲーム」という人がいますが、これは地獄への入り口だと思ったほうがいいです。

ゲームの世界では、目的が最初から用意されています。

敵を倒す。経験値を増やす。装備を集める。ステージをクリアする。

目的が決まっているため、プレイヤーは、その目的が正しいかを考える必要がありません。

魔王を倒せと言われたら、どうすれば効率よく倒せるかを考えます。

なぜ魔王を倒す必要があるのか。そもそも魔王と話し合えないのか。

そんなことを毎回考えていたら、ゲームが進みません。そもそも話し合えるようなプログラムは組まれていません。

ゲームのルールは、ゲームの中でしか楽しめませんし、ゲーム内で楽しめばよいわけです。

目的を達成し、数字を増やし、課題をクリアする。

ルールと範囲が決まった狭い世界だから、それが遊びとして成立します。

ところが、このルールを人生全体へ持ち出すと、おかしなことになります。

人生には、共通の勝利条件も、クリア画面もありません。

資産はいくらあれば勝ちなのか。どの会社で、どの役職まで上がれば人生をクリアしたことになるのか。

答えはありません。

それでも我々は、年収、資産額、肩書、資格、フォロワー数などをスコアにして、人生をゲームのように攻略しようとします。

以前動画で話した、映画の早送り視聴も似ています。

どうすれば短時間で映画を観終わることができるか。

どうすれば話題作を効率よく消化できるか。

しかし、その前に考えることがあります。

そもそも、その映画を観る必要があるのかという問題です。

タイパのために倍速視聴するより、観ないことが一番タイパがいいわけです。「そもそもその課題はクリアする必要があるのか」という話ですね。

「友達と話を合わせるため」という人がいますが、「観てないので、なにが面白いのか教えて」と言ったほうが、友達は早口でめっちゃしゃべってくれると思います。

それと、人生をゲームとして考えるというのは、資本主義社会にとって、都合がよい面が多いです。

企業にも経済にも、絶え間のない成長が求められます。

人々が「もう十分です」と満足して、買うことも、働くことも、増やすこともやめてしまえば、成長は止まります。

だから現状維持は停滞と呼ばれ、満足は向上心の欠如として扱われます。

もっと稼ぐ。もっと増やす。もっと経験する。もっと成長する。

一つクリアしても、すぐに次の課題が表示されます。

人生をゲームにすれば、死ぬまでレベル上げを続けることになるのですね。

ゲームのクエストのように、課題のクリアを目標にすると、「そもそも課題をクリアする必要ある?」とか、「この課題をクリアしたら、世の中にとって悪影響じゃない?」という、当たり前の疑問が出てこなくなってしまうのですね。

・三つ目・その課題をクリアする必要はあるのか

それでは三つ目、クリアする必要のない課題をどう見分けるのかです。

ニーチェは、人間が抵抗を乗り越え、自分を克服していく力を重視し、「力の意志」と呼びました。

難しい課題へ挑み、昨日までできなかったことができるようになる。

そこには確かに、大きな喜びがあります。課題を次々に克服する、つまりクリアしていくことこそが、幸福だという考えなのですね。

何も目指さず、何の抵抗もない状態が続けば、ショーペンハウアーのいう退屈へ落ちてしまいます。

その意味では、課題を設定して攻略すること自体が悪いわけではありません。

問題は、課題の達成が善になり、そもそも何を目指しているのかという問いが消えることです。

上司や組織や社会から課題を与えられたとき、我々はすぐ攻略法を考えます。

どうすれば効率よく達成できるか。どうすれば数字を伸ばせるか。どうすれば競争相手に勝てるか。どうすればハックできるか。

しかし、効率よく達成できることと、達成する目的が正しいことは別です。

歴史を見ても、目的の正当性を問わず、与えられた役割を効率よく遂行することが、悲惨な結果へつながった例があります。ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺も、命令を受けた人達は「与えられた課題を頑張ってクリア」していたわけです。

ここで考えたいのは、目的を疑わず、攻略だけへ集中する態度の危険性です。

資産形成でも、1億円を作る方法を考える前に、自分には本当に1億円が必要なのかを考える。

資格の勉強を始める前に、その資格を使って何をしたいのかを考える。

映画を倍速で消化する前に、そもそもその映画を観たいのかを考える。友達との話題にしたいのなら、そもそもまったく見ずに、友達に面白かったところを聞くのが一番タイパよくないかとか。

仕事においても、自分のやっていることが世の中に悪影響をあたえているのではないかなど。

課題をクリアできるかではなく、そもそもクリアする必要があるのかを問うことが必要とは思いますね。

・Q太郎の見立て・幸福はゲームから降りる自由にある

ここからは、Q太郎なりの見立てです。

Q太郎は、幸福とは二階へ上がることではなく、上る必要のない階段を見分けられることだと思っています。

もちろん欲しい物を手に入れたり、資産を増やしたり、できなかったことを克服したりするのは楽しいです。正確に言えば、達成すると苦痛から解放されるから楽しいのですね。

資産形成も、一つのゲームとして遊ぶなら面白いでしょう。

しかしゲームはあくまで狭い範囲における、ローカルルールでのみ機能するものです。サッカーでは、キーパー以外は手を使ってはいけませんが、あくまでサッカーという狭い世界の中での話です。

多様性のある人生全体の幸福や自分の価値まで、一つのルールブックで決めようとすると、妙なことになってくるわけです。

資産額が増えれば勝ち、減れば負け。

働いていれば現役で、何もしなければ価値がない。

冷静に考えれば、生物が生きていること自体にそんなルールもゴールも無いわけで、それらは我々が作り出した物語なのですね。

人生には、必ずクリアしなければならない課題も、全員に共通するゴールもありません。

だから、ゲームを遊ぶこともできますし、途中で降りることもできます。つまりドラクエを買ったとしても、最後までクリアしなくてもいいわけです。

「日本では、ドラクエをクリアしないと死刑になる」とかだったら頑張ってクリアするかもしれませんが、それも結局は狭い世界でのルールなのですね。人生全般のルールではないわけです。

資産3000万円を5000万円に増やすゲームが楽しいなら、遊べばよいと思います。

しかし苦痛しかないのに、「ここまで来たから」「増やすことが正しいから」と続ける必要はありません。

人は幸福になることができない。

ショーペンハウアーの言葉をそのまま受け取れば、かなり暗い話です。

しかし、幸福を永遠に続く到達地点だと思わなければ、少し見え方が変わります。

欲望が満たされた瞬間に喜び、やがて退屈する。

また何かを始めてもよいし、何も始めずに退屈していてもよい。だらだら生きてもいい。

人生で必要なのは、課題をクリアすることではありません。クリアしてもいいけど、クリアしなくてもいいわけです。

それよりも、いま自分が何のゲームをしているのか。そもそもクリアする必要があるのか、ということに疑問を持っておくことです。

人生をゲーム化することではなく、そもそもやる必要があるのか、正しい事をしているのかという根本的なことの見直しですね。場合によっては、2階に上がらなくてもいいわけです。

皆さんは、達成したあと、すぐに次の目標を作ってしまった経験がありますか。

また、途中で降りてよかったゲームがあれば、コメント欄から教えてください。全部読ませていただいています。

数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。

ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。

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