
こんなコメントをいただきました。
「好きなことでも、お金が絡むと急にやる気をなくすというのがありますね。好きな事でお金が稼げるようになると、お金を稼ぐ方がメインになってしまうのだと思います」
とのことです。ありがとうございます。
これは本来の目的が置き換わってしまうという問題がありますね。
例えば、漫画を描くのが好きな人がいます。
物語を考え、人物を描き、この場面はどう見せようかと工夫する。
描いている時間そのものが好きで、気がつくと続けているわけです。
やがて、その漫画で収入が得られるようになりました。
好きなことが仕事になった。とてもよいことのように見えます。
ところが、そこから描くことが、だんだんつまらなくなる場合があります。
描きたい場面より、売れる展開を考える。試してみたい表現より、効率よく完成させる方法を考える。
以前なら楽しかった作業が、効率を求めて、さっさと終わらせてしまいたいものへ変わっていきます。
何が起きたのでしょうか。
Q太郎は、目的と手段が入れ替わったことが、一つの理由ではないかと思っています。
描くこと自体が目的だったのに、お金が稼げるようになると、お金のほうが目的になり、描くことは、そのための手段へ格下げされてしまったのですね。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。
今回は「好きだったことが手段に変わるとき」を深掘りしていきます。
・三つの話
今日は大きく三つ話します。
一つ目、結果のために好きなことを削り始めること。
二つ目、ゲームでも起こる目的と手段の逆転。
三つ目、自分は何を楽しんでいたのかを思い出すことです。
最後に、好きなこととの付き合い方について、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
・一つ目・好きなことまで省略したくなる
それでは一つ目、結果のために好きなことを削り始めることです。
目的を達成するための手段なら、効率化したくなります。あくまで重要なのは目的の達成であって、そのためでしたら、手段はそこまで重要な話では無いのですね。
目的を達成できるのなら、手段は短時間で済むほうがよい。やらなくて済む作業は、省いてしまえばよい。なんだったら、自分でやらずに、他人にやらせてもいい。
仕事では、普通に考えることです。仕事の目的達成のために、その手段をいかに効率化するかですね。そして無駄な作業は極力省いていく。仕事としては正しいと思います。
ただ、もともと好きだった行為が、その作業の中へ入ってしまう場合があります。
漫画を描くことが好きだったのに、収入だけを目的にすると、描くことはお金を稼ぐための手段になるので、いかに手段を手短に済ませられるかを考えるわけです。
極論をいえば、自分で描かなくても同じだけ稼げるなら、描く必要すらなくなるわけです。だって、あくまで描くことは、お金を稼ぐための手段ですしね。それは省略しちゃってもいいわけです。
これは、何を得れば満足なのか、その目的がお金だけへ移ったとき、本来の目的であった漫画を描くことの位置づけが変わるわけです。
YouTubeも、似たところがあります。
最初は、自分が面白いと思った話を届けたくて動画を作る。
ところが収益化できるようになると、収益を意識するようになり、再生数が判断の中心になってしまいます。話したいネタでも、伸びないからやめておこう、再生数の取れるネタをやろうと考えるわけですね。
仕事でやるならそれは間違っていないのですが、趣味で楽しんでいたのなら、話が変わってくるわけです。
再生数のよい話ばかりを選んでいるうちに、自分が話したかったことが、どんどん減っていく。
動画を作る理由はできても、楽しむ理由がなくなっていくのですね。
再生されないから、自分が話したい中身まで全部捨てるとなれば、何のために動画を作っているのかが変わってしまいます。数字を取るために話す内容を決めるという、本来の目的からはそれてしまうわけです。
Q太郎もこのあたりは気を付けていて、再生数がとれないテーマでも出していくことにしています。出すとバンされる危険性があるとか、そういうのはちょっと考える必要がありますが、そうじゃなくて自分の好きなテーマなら、再生数を気にせずに出すことにしていますね。再生数が目的になってしまうと、それに合わせる内容になってしまいますし、そもそも趣味でやっているのに楽しくなくなってしまいますしね。
・二つ目・クリアが目的になると道中が邪魔になる
それでは二つ目、ゲームでも起こる目的と手段の逆転です。
Q太郎が最近、RPGをあまり楽しめないのにも、この要素があるのではないかと思っています。
人にもよりますが、Q太郎の場合は、RPGを買うと、クリアすることが目的になってしまうのですね。
そうなると、敵を倒すことも、村人と話すことも、世界を歩くことも、全部クリアするための手段になります。つまりゲームを遊ぶことは、クリアという目的のための手段なわけです。あくまで目的はクリアなわけです。
そうなると、次にどこへ行くか迷う時間は、クリアを遅らせる時間です。
仕掛けが解けずに試す時間も、攻略情報を見れば省略できる時間です。
だから、攻略サイトで正解を調べ、効率よく先へ進みたくなります。
しかし、それで道中をどんどん短縮したら、何を楽しむためにゲームを買ったのかという話にもなってきます。「そんなに短縮したかったら、そもそもプレイしないで、Youtubeのプレイ動画でも見ればよくない?」という話になってきますね。
ゲームってたぶん、自分で試行錯誤したりするのが本来の楽しさであるとは思うのですが、最近のゲームはクリアしやすいせいか、クリアのほうを目指してしまうのですね。ファミコン時代のゲームなんて、そもそもクリアとかなかったゲームが多かったですしね。クリアさせる気もないみたいな、高難易度のゲームも多かったと思います。「東海道五十三次」とかクソ難しかったです。最近、Steamにある復刻版を遊んでみたのですが、まともにやってクリアできる気がまったくしない。セーブ機能を使いまくって、なんとか最後までたどり着けました。
それと以前、映画の倍速視聴についても話しました。
映画を観ることより、話題についていくことや、内容を知っている状態になることが目的なら、鑑賞は手段になります。
早送りでも、あらすじを読むだけでも、「内容を知る」という目的を満たせるわけです。つまり映画を楽しむこと自体は必要ないのですね。そもそもネタバレがわかれば、映画を観る必要もないわけです。
同じように、ゲームでも、遊ぶことよりクリアした状態が欲しくなると、遊ぶ過程を省略し始めるのです。
対戦ゲームで、仮に自動操作のボットへプレイを任せ、勝った結果だけを受け取るとしたら、さらに分かりやすいでしょう。
勝つことだけが目的なら、自分で操作する必要もなくなります。プレイすること自体は手段ですしね。
自分で考え、相手を読み、うまくいかないことを試す時間まで、結果のために取り除けてしまうわけです。AIにプレイさせようが何だろうが、「勝てばよかろうなのだ」の世界です。
好きだったことが手段になると、最後には、それを自分でやる必要までなくなってしまいます。勝ちが増えても、自分自身にはなんのスキルも増えていませんし、楽しくはないとは思いますね。
・三つ目・試行錯誤している今が面白い
それでは三つ目、自分は何を楽しんでいたのかを思い出すことです。
Q太郎は、シミュレーションゲームやボードゲームが好きです。
勝ち負けもありますが、それ以上に、試行錯誤が面白いのですね。
こうしたらどうなるだろうか。前は失敗したので、今度は違う手を試してみよう。
勝った場合も、おなじことばかりせずに、次は別の勝ちかたをしてみようとかですね。
そんな感じで、自分で考えたことが予想外の結果になり、また考え直す。
その時間自体が面白いので、勝っても負けても、またワイワイと遊べます。
結果が出る前から、すでに欲しかったものを受け取っているのです。勝ち負けはあくまで結果で、試行錯誤が楽しいわけです。
ちなみに最近は「街コロ」というボードゲームのデジタル版がSteamにあるので、そればっかり遊んでいますね。いろいろ勝ち筋があるので、「次はこの勝ち方でやってみよう」とか試せるわけです。
RPGでも、その世界へつかり、攻略法を見ずに、自分で試して発見することへ気持ちを戻せれば、道中の意味が変わると思います。
たとえば、ドラクエの新作を買って、20時間で効率的に高速クリアした人がいたとします。サブクエストもやらずに、クリアだけにフォーカスしているわけですね。Q太郎もどちらかというと、このタイプですね。あまりよろしくないですね。だから楽しめないのですね。
一方で、攻略法を見ずに、2,000時間も試行錯誤しているけれど、まだクリアしていない人がいたとします。ただその人自身は、いろいろ思考錯誤して楽しんでいるので、目的を果たしているわけです。ゲームを楽しむことが目的で、クリアはあくまで結果なのですね。
ゲームを遊ぶこと自体が目的なら、クリアまでに時間がかかるとかかからないとか、どうでもいいわけです。
ラスボスの前まで来て、そのゲームをやめてしまう人というのがいますが、その人はこっちのタイプだとは思いますね。クリアより、ゲームを楽しむことをメインにしている人たちです。だからクリア自体はどうでもいいので、ラスボス直前でもやめてしまうことができるわけです。
そんな感じで、ゲームの楽しさを取り戻したいなら、攻略情報で効率よくクリアするより、自分で試行錯誤して、クリアしなくてもいいという覚悟が必要とは思います。
攻略を見ることが悪いわけではありません。理不尽な謎解きをさせられるゲームもあるので、そこだけ助けてもらって、また楽しく遊べる場合もあります。
ただ、攻略サイトを開きながら、何もかも省略して先へ進みたいとき、自分は遊びたいのか、たんにクリアしたいだけなのかを考えてみる。
これは、漫画を描くことや、動画を作ることも同じです。本来の目的と手段が入れ替わっていないかという話ですね。
・まとめ・Q太郎の見立て
最後に、好きなこととの付き合い方について、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
Q太郎は、好きなことを仕事にする難しさの一つは、好きだったことを、お金や数字稼ぎという目的のための手段へ変えてしまうところにあると思います。
描くことが好きだった。話すことが好きだった。試して遊ぶことが好きだった。
そこへお金や数字が入り、いつの間にか、その目的を達成するために、好きだった行為を捻じ曲げたり省略したくなる。
好きなことを仕事にしたはずなのに、好きだった部分から先に削ってしまうのですね。
もちろん、仕事には締め切りもありますし、生活のために収入も必要です。
だからこそ、自分が何を好きだったかまで、成果の物差しへ全部預けないことが大切なのだと思います。
数字を参考にすることはできます。
しかし、何を楽しんでよいかまで、数字に決めてもらう必要はありません。
ゲームなら、クリアするために、プレイする時間を早く終えたいのか。
その時間の中に、いたいのか。
Q太郎は、好きだったことがつまらなくなったとき、そこを一度確かめてみたいと思っています。Q太郎自身、RPGとの付き合い方は、ちょっと考え直したほうがいいとは思っていますね。
皆さんにも、結果を意識するようになって、以前の楽しさが変わった経験がありますか。
仕事でも趣味でも、よろしければコメント欄で教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。
