ゲームは最後までプレイしたほうがいい?
新NISA一括投資→即毎月定率取り崩し運用中のQ太郎です。
今回はエンタメ回として、ゲームは最後までプレイした方がいいかどうかについてです。
本記事をYouTube動画で観たい方はこちらのリンクから。
ゲームはクリアするまでプレイしたほうがいい?
こんなご質問をいただきました。
「いつも動画を楽しみにしています。私はゲームをよく遊ぶので、偶にあるゲーム関係の動画も見ています。「おっさんになるとゲームが楽しめなくなる5つの理由」には共感できました(こちらですね。まあ、おっさんになるといろいろきつくなります)。
それでゲームについての質問ですが、ゲームを最後までクリアしたほうがいいのかどうかについてという疑問が、昔から私の中にあります。
私は、昔まではゲームを最後までプレイしていたのですが、最近はやはりおっさんになったのか集中力が持たず、途中で飽きてしまうこともしばしばです。「このまま続けても時間がもったいないな」と思うこともあります。
ただゲームを最後までクリアしないと、物事を最後までやり遂げる意志や粘り強さなども失われてしまうのではないかという恐れもあります。
実際、若いころと比べて物事に対する集中力や、最後までやり遂げようとする意志もなくなってきました。
ゲームもプレイして、途中で投げ出してしまうことも多くなっています。
例えば『オクトパストラベラー』というゲームがあります。評判も良く、スーファミ世代には面白いという触れ込みだったので遊んでみました。
最初は面白かったのですが、途中からレベル上げや情報収集、ダンジョン探索などが面倒になって、続けるかどうか悩んでいます。つまらないわけではないのですが、作業が耐えられないですし、時間がもったいないとどうしても思ってしまうのです。
このように、「途中でやめてしまうゲーム」というのが積み重なってしまい、何事も成し遂げることができないという負い目から、自己肯定感も低くなってしまいます。
毎回ゲームを遊びながらいろいろ考えてしまうので、ゲームにも集中できません。
個人的には、ゲームはクリアした方が精神面でもいいような気はするのですが、Q太郎さんはゲームをクリアするまで遊ぶでしょうか。長くなってしまいましたが、ご回答のほどよろしくお願いいたします。」
とのことです。
ほとんどの人は最後までクリアしない
これはゲームにかぎらず、映画や本、漫画などもそうですね。「本を読み始めたら最後まで読むかどうか」とか「映画を観始めたら最後まで見るかどうか」とかですね。これも人によっていろいろ考え方があるとは思います。
ただゲームに対して、ここまで真摯に向き合える方というのもめずらしいとは思います。ふつうはそこまで考えず、飽きたらやめるみたいな人がほとんどとは思います。
超ヒット作の人気ゲームも、最後までクリアした人は3割もいないといいます。たとえば『ドラゴンクエスト11』の場合、最後までクリアした人は約24.5%です。『FF15』は約28.4%で、ドラクエよりちょっと高いでスがやはり3割以下です。
本はさらにひどくて、本を買ってからいっさい開かなかったという人が約70%、最後まで読んだという人は5%もいないという衝撃の事実があったります。とくに今の時代はゲームや動画など映像による刺激物が多いので、字だけの本を読むのは大変な時代になったとは思います。
そのため、ゲームを最後までクリアする、かっこいい言い方をすれば「最後まで初志を貫きとおす」というのは、全体で見れば3割以下なので少数派になるでしょう。
かといって、最後まで遊ぶ必要があるのかどうかについてはまた別問題なので、ここではゲームにかぎらず映画や本など全部ひっくるめて、途中でやめるメリット・デメリットを軽く見ていきましょう。
メリット・デメリット
「つまらない・つらくなったらさっさとやめる」のメリットですが、時間が浮くことですね。
ゲームクリアまで20時間かかるとして、10時間あたりでギブアップした場合、残り10時間をべつのことに使えるということにもなります。時間の節約ですね。
あとストレスがかからないというのもありますね。苦しい思いをしてゲームをやると、やはり大きなストレスとなります。
デメリットはやはり、質問者様が書いているように「物事を最後までやり遂げる意志や粘り強さなども失われてしまう」ということはあるとは思います。
というか、世の中、物事を最後までやり遂げる意志や粘り強さを持っていない人の方が大多数ですから、やはりそういう人たちは仕事とかでも成功しやすいのですね。人気ゲームですら最後までプレイしている人は全体の3割以下です。
そのため、ゲームをクリアするとか本を最後まで読むというのは、あたえられた課題を最後まで成し遂げるという精神を磨くのにはいいんじゃないかと思います。
ゲームや本の面白い・つまらないはもうどうでもよくて、精神修行のためにやるという修行僧の境地ですね。
ゲームをしすぎて、時間がぜんぶゲームにとられて、社会活動や日常生活に支障をきたしていまっているというのはまずいですが、精神修行のためにあえて初志を完遂するというのは悪いことではないと思います。家族や人に迷惑をかけないかぎりですが。
そのため、「つまらないからやめる」ではなくて、「つまらないけど精神修行のために最後までクリアする」という修行者的なノリがあってもいいんじゃないかとは思います。
そもそも人間の心というのは、つねになまけたがっています。隙あらばなまけようとします。「心はなまけたがっている」のです。
とくに年を取ればとるほど、このなまけ心は強くなります。若いころは部活とか一文の得にもならないことを一生懸命やっていますし、仕事も一生懸命頑張りますので、なまけ心は弱いです。
しかし年をとるにつれて、どんどんなまけ心が強くなっていきます。
このつねになまけたがる心を鍛えなおすのが、精神修行です。修行者が滝に打たれたり、険しい山を登ったり、はた目から見るとやる意味あるのかみたいなものも多いですが、やる意味とかはどうでもよかったりします。
目的はなまけたがる心を鍛えなおすことなので、できるかぎり無意味で非効率でなまけてやめたくなるような苦しいことをやらせたほうが、日常のちょっとしたこと程度ではなまけなくなるということです。
クソゲーをがんばって40時間かけてクリアしたら、「クソゲーを40時間かけてクリアしても1円ももらえないかったのに、バイト8時間がんばるだけでお金もらえるならお得じゃん」みたいになるかもしれません。
もちろんそのまえに、クソゲーを40時間遊ぶことでストレスがやばいことになり、精神がぶっ壊れてしまう可能性も否めませんので、自分の限界を見極める必要があるとは思います。
ちなみにお釈迦様は6年間の苦行をしたことで有名ですが、得られた結論は「苦行意味ねえ!」という悟りでした。まあ、6年もなまけず苦行が続けられた時点でメンタル相当強いとは思いますし、がっつり鍛えられている気はします。心の筋トレを6年間がっつりやったようなものですね。ムッキムキになっているとは思います。たいていのことは全部苦じゃなくなりますね。
そんなわけで、精神修行のためにクソゲーをクリアするというのもまた一興かもしれませんし、お釈迦様のようになんかの悟りが開けるかもしれませんが、まったく意味がなかったという可能性もあるので、というかその可能性のほうが高い気もしますので、そのあたりは自己責任でお願いいたします。
状況を正しく見る
それでQ太郎の場合ですが、ゲームを最後までクリアするかどうかですが、「状況による」としかいいようがありません。
質問であげられた『オクトパストラベラー』というゲームですが、実はQ太郎も遊んだことがあります。親戚から「XBOX GAME PASS」というゲーム遊び放題のサブスクサービスのアカウントを借りているのですが、その中にあるので無料で遊ぶことができます。
なんで遊んだかというと、親戚が「すごい面白い」とやたらとすすめてきたので遊んでみたという次第です。
結果どうなったかといえば、最初は面白かったのですが、質問者様とおなじようにだんだんとレベル稼ぎとかいろいろな作業が面倒になってきて、しかもその時期いろいろ仕事もあったので、自然にやめてしまったというところですね。
ちなみに、すすめてきた親戚にクリアしたのかどうか聞いてみたところ、「クリアしてない。途中で飽きた」とのことです。「じゃあすすめんなよ」と思いましたが、まあ、世の中そんな感じです。
ちなみにこの親戚のすすめるものはだいたい途中でやめています。『モンスターハンターライズ』もすすめられましたが、以前も言ったようにアクションゲーム自体が苦手なので、チュートリアルでつまづいてもう無理でした。ちなみに『モンスターハンターライズ』も親戚はクリアしていません。まあ、世の中そんなものです。
それでQ太郎が最後までクリアするかどうかの条件ですが、自分でお金を払って買ったかどうかです。人からのすすめではなく、自分で選んだかどうかですね。
自分で選んで買ったものであれば、責任をとって最後まで遊ぶことにしています。買うからにはクリアしなければならないので、これをすることによって、「適当にゲームを買わない」という習慣がついて、お金の節約にもなります。
ただ最近はEpic gameストアやアマゾンプライムゲームとかで無料でPCゲームを配っていますし、親戚からSteamアカウントとか「XBOX GAME PASS」アカウントとか借りているので、ゲームにお金を使うことはほぼなくなりました。
これからこういうサブスクは増えていく気はしますが、その場合は「自分がどうしても遊びたいと思って遊びはじめたゲームは最後までクリアする」など条件を付ければよいでしょう。
親戚のすすめるものは多分クリアしない可能性が高いです。
まとめ
そんなわけでまとめると、
・ほとんどの人は最後までクリアしない。人気作でも3割以下。
・途中でやめることによって、時間を別に使えるというメリットがある。
・一方で、物事を最後までやり遂げる意志や粘り強さなどが失われる可能性も。
・心はつねになまけたがる。これを鍛えなおすために最後までクリアするというのも一興。
・できるだけ意味のない、やめたくなるようなことすることで、なまけ心を鍛えなおせる。
・「苦行は意味がない」と言ったお釈迦さまも、6年間の苦行でメンタルムッキムキ状態にはなっている(と思う。本人に聞いたわけではないので知りませんが)。
・クソゲーをクリアという苦行をすることで、ブッダのように何か悟りが開けるかもしれない。
・ただしその前にストレスを抱えたり、精神崩壊する可能性の方が高いかもしれない。自分の限界を見極めよう。
・Q太郎の場合、自分で選んで買ったゲームはクリアする。そのためゲーム選びは慎重になる。結果、お金の節約にもなる。
・サブスクの場合は、「自分がどうしても遊びたいと思ってはじめたゲームはかならずクリアする」など条件を付ける。
・親戚のすすめたゲームは途中でやめる可能性大。
となります。
そんなわけで超人気作でも7割以上の人はゲームを最後まで遊ばないので、物事を最後までやり遂げる意志や粘り強さを鍛えるという意味では、クソゲーだろうと遊び始めたら最後までクリアするというのもありといえばありです。そういうメンタルをやしなうことで、仕事や趣味で抜きんでることができるかもしれません。
とりあえず自分ルールをつくるのがいいでしょう。たとえば「買ったゲームはかならずクリアする。クリアする気がなければ買うな」とかですね。なんとなくでモノを買わなくなるので、お金も貯まりやすくなるとは思います。