おっさんになるとゲームが楽しめなくなる5つの理由【エンタメ回】
QYLD全力太郎ことQ太郎です。
以前、おっさんゲーマー向け動画として「レトロゲームがメンタルに良い3つの理由」という動画をアップしました。
今回は「おっさんになるとゲームが楽しめなくなる理由」についてです。
子供のころにファミコンとかでゲームを楽しんでいたのに、年をとるごとにゲームがつまらなくなる、楽しめなくなるという人は少なくないかと思います。
ゲーム自体はやりたいと思っているのですが、いざ買ってみると、そのあとで面倒になって、そのまま積んでしまう。
もしくはプレイしてみてすぐに飽きてしまうというものですね。クリアまでたどり着けないというやつです。
昔はファミコンやスーファミをバリバリやっていたのに、なぜ年をとるとゲームが楽しめなくなるのか、今回はその理由と解決方法についてです。
本記事をYouTube動画で観たい方はこちらのリンクから。
ゲームが楽しめなくなる理由
さて、年を取るとゲームが楽しめなくなる理由です。
タイパが悪い
その1は、やはりタイパ(タイムパフォーマンス)の悪さですね。
RPGとか、クリアまで数十時間とかかるものがあります。
年を取れば取るほど、体感的な時間の進み方が速くなりますので、人生の時間を1秒でも無駄にしたくないという気持ちが強くなるとは思います。
科学が発展して人類の仕事が楽になるかと思えば、まったくそんなことはなくて、むしろ昔より忙しくなっているんじゃないかというような状況ですね。
そんな状況で、何十時間もかかるゲームをプレイすることは、タイパからするとかなり悪いです。
たとえばクリアするまで20時間かかるゲームでしたら、その20時間で2時間の映画が10本観れてしまうわけです。
映画を10本観た方が入る知識の量は多いので、タイパで考えれば映画を観たほうがお得ということになります。
ゲームを遊びながらそういう計算をしだすと、
「このままゲームに時間を使っていいのかな」
とどんどん不安になっていくわけです。
Q太郎も昔PSPで『モンスターハンター』が流行っていたときに遊んでいたのですが、恐竜の卵を運ぶミッションをやっているときに、そのミッションがあまりに退屈過ぎたというのもありますが、
「なんで人生の時間を、こんな卵運びにつかっているんだろう。これ運んだところで人生になにかプラスになるのかな」
みたいなことを考えてしまい、結局ゲームをやめてしまいました。
ゲームが楽しかったのならそれはそれで得られるものがあったのですが、そうでない場合は時間の無駄と感じてしまうわけです。
とくに年を重ねると、現実でいろいろと楽しいことを経験していきますので、そういうものと比較して、ゲームで得られる喜びが相対的に小さくなってしまいます。
経験・知識が増えてしまった
人は経験が増えるにつれ、比較材料も増えていきます。
子供のころ、ファミコンに熱中できていたのも、比較できる楽しい経験が少ないからですね。
幼稚園児が積み木を遊んで面白く感じる理由もそこで、比較材料がないので、それが現時点で一番面白いエンターテインメントとなってしまうわけです。
子供にとって子供アニメが面白いのも、知っているアニメの量が少ないからです。
子供のころに『ドラクエ』を遊んで面白かったのは、それがはじめてのRPG経験だったからです。
道具屋で「ひのきのぼう」を買ったり、モンスターと戦ったり、町の人と話したりなど、当時からすればすべて新鮮な体験だったわけです。
しかし年をとっていくと、漫画やアニメ、映画、ゲームも、年齢を重ねるごとに観ている量・遊んでいる量はどんどん増えていきます。
そのため、ゲームシステムもだいたいわかってきますし、ストーリー展開もあるていど読めるようになってきます。
とくに学生時代にゲームをがっつり遊んでいた人ほど、「このゲームはあのゲームに似ているな」とかわかってしまうわけです。
そうなると、似たようなゲームを何度もプレイしたくはないですし、展開の読めるゲームをどんどん進めていくモチベーションも湧きにくいので、途中で飽きたりやめたりしてしまうわけです。
ようするに、幸か不幸かあなたが賢くなってしまったのですね。
現実での楽しいことが増えた
さらに言えば、おとなになると人付き合いや仕事、趣味、旅行などでいろいろと楽しい経験をしていくわけです。
現実で楽しいことがあると、それにゲームで得られる満足感が追い付かないということがあります。
個人的に最近遊べなくなってきたゲームとして、『牧場物語』みたいな農場経営シミュレーションゲームがあります。
土地を耕して、種を植えて、水をやって、農作物を回収するというものですね。
Steamでいうと『Stardew Valley』というゲームですね。評価が「圧倒的に好評」だったので遊んでみたのですが、種を植えて水をやりながら、
「こんなことをしても実際に農作物を得られるわけではないしなあ。この時間を使って家庭菜園やったほうが楽しいし、タイパ的にも経済的にもいいような気が。野菜も高くなったしな」
といらぬことを考えてしまって、ゲームを楽しめなくなるわけです。
人によってはドライブゲームも「実際に車運転したほうがよくね?」とか、釣りのゲームも「実際に釣りをしたほうがよくね?」とか、そんな話になってしまうわけです。
こういう行動ができるのもおとなになったからなのですね。
目的にフォーカスしすぎる
年を取ると、やはり賢くなりますので、「目的にどうやって最短でたどり着けるか」ということを考えてしまうのですね。
つまり「行動には目的(ゴール)がある」という考え方です。
たとえば小学生のころに『ドラクエ』を遊んでいたときは、町の人たちに話し掛けたりしていました。そうやって世界観を楽しんでいたのですね。
しかしおっさんになると、ゲームを遊ぶ目的が「ゲームのクリア」になっていたりします。
町の人たちとの会話は最小限にとどめ、ストーリー解説もボタン連打でどんどん飛ばしていき、ただただ「ゲームクリアの達成感を味わうためにゲームをプレイしている」という目的重視の状態になっています。
目的にフォーカスすることは、ビジネス的には間違った考え方ではないのですが、ゲームはあくまで娯楽です。
散歩をするのに「いつゴールにたどりつくか」など考えないように、娯楽はあくまでその過程を楽しむものです。
プラモデルが好きな人は、プラモデルをつくるのが楽しいのであって、「箱空けたらいきなり完成品が入っていた」だと面白くもなんともないわけです。
楽しいのはあくまで「つくる過程」です。
ゲームもあくまで「プレイする過程」が面白いはずなのですが、年を取っていくと「目的」にフォーカスしてしまい、「金払ってでもパワーアップしてクリアする」など、根本的な部分でなんか違うことになっているわけです。
基本無料のゲームに課金しまくっている人も、目的重視の心理になってしまっているのですね。
本来楽しむべき過程を楽しめなくなってしまっているわけです。「とにかく目的地へ、ゴールへ」と生き急ぐ形になってしまっています。
クリアのみがゲームをプレイする理由になってしまうと、楽しめないのは当然とは思います。
そもそも疲れすぎている
年を取るとどうしても気力・体力も減っていきます。
日々の仕事や雑事に疲れてしまって、小学生のころのように、難しいゲームを何時間もつかって攻略する気力がないのですね。
「魔王を倒すために3つの武器を集めてこい」と言われると、「うわーめんどくさい」と思ってやめてしまう。
さらにいえば、新しいことをやりたくないというのがあります。
これまでの自分の経験・知識にないような斬新で面白いゲームが発売されたとしても、長いチュートリアルをこなしてそのルールを覚えるのが面倒くさい。
そんなわけでそもそもゲームを遊ぶための気力や体力が減ってしまっているのですね。
まとめ
そんなわけでまとめると、
・タイパが悪い
・経験・知識が増えてしまった
・現実での楽しいことが増えた
・目的にフォーカスしすぎる(生き急いでいる)
・そもそも疲れすぎている
となります。
おっさんになると、ゲームは未知の世界ではなくなりました。似たようなゲームも多いですしね。昔のように何十時間もかけてゲームをするのが難しくなってきています。
こういうことを感じ始めた人は、「目的より過程を楽しむ」というマインドの切り替えをおこなうか、「いったんゲームから離れて違う趣味を持つ」といいかもしれません。
あとは「十分な休憩・睡眠時間をとる」ことですね。
ゲームをするには体力・気力は必要なので、体はしっかり休めておいたほうがいいでしょう。
とくに年を重ねるほど、自分の体をいたわる必要があります。昔の感覚で無理をするとろくなことになりませんしね。