長生きは「リスク」?老後資金が寿命を負債に変える

長生きはリスクなのか|老後資金が寿命を負債に変える
【毎日17時更新中!】たまに午前中にも追加投稿します。長生きするほど老後資金の計算が悪化し、寿命そのものが負債のように見えてしまう――。今回は、資産残高だけに頼る設計の弱さと、公的年金、支出の調整力、生活能力を含めて老後を考える視点を解説し...

こんなコメントをいただきました。

「長生きは良いことのように語られていますが、今の時代、長生きがリスクになりますね。お金や認知症の問題もありますし、医療の発達で、長生きがあまりよくないことのようになっている気がします」

とのことです。ありがとうございます。

昔は長生きがめでたいことでしたが、今は「長生きリスク」みたいな言葉が出てきてしまっていますね。

現在の資産はいくらあるのか。

年金はいくら受け取れるのか。

毎月の生活費はいくらなのか。

そして、何歳まで生きるのか。

八十歳までなら、お金は足りる。

九十歳までなら、少し厳しい。

百歳まで生きたら、途中で資産がなくなる。

計算を続けていると、長く生きるほど数字が悪くなります。リスクを感じるわけですね。

八十歳で亡くなれば成功。

百歳まで生きれば失敗。

自分が長く生きることが、家計にとっての悪い出来事になったりします。

「長生きリスク」という言葉は結構よく使われていますが、考えてみれば、妙な言葉です。

病気になるリスク。

事故に遭うリスク。

失業するリスク。

そこへ、長生きするリスクが並びます。

本来なら喜ばしいはずの長寿が、お金の面から見ると、避けたい事故になるのですね。

長生きそのものが悪いわけではないのですが、毎日、資産残高だけを見て老後を考えていると、言葉だけの問題ではなくなります。

「あと何年、生きるのだろう」

ではなく、

「あと何年分、お金を払わなければならないのだろう」

と考えるようになります。人生が金融的な考え方になってしまうのですね。

そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。

今回は「長生きはリスクなのか。老後資金が寿命を負債に変える」を深掘りしていきます。

・三つの話

今日は大きく三つ話します。

一つ目、なぜ老後資金の計算では、長生きするほど不利になるのか。

二つ目、なぜ自分の資産だけで、死ぬまでの生活を全部支えようとしてしまうのか。

三つ目、寿命を当てるのではなく、長く生きても調整できる生活を作ることです。

最後に、長生きがリスクなのか、それともお金だけで老後を支える設計がリスクなのか。Q太郎なりの見立てを置いて終わります。

・一つ目・寿命が支出期間になる

それでは一つ目、なぜ老後資金の計算では、長生きするほど不利になるのかです。

老後資金の計算では、人生を収入と支出へ分けます。

退職すれば、当たり前ですが給与収入が無くなります。

一方、生活費は続きます。

食費がかかる。

光熱費がかかる。

家の修繕費がかかる。

医療や介護の費用も考えます。

受け取る年金より支出が多ければ、その差を資産から取り崩すしかなくなります。

この計算では、退職後の一年が増えるたび、必要なお金も増えていきます。

そのため寿命は、そのまま支出期間になります。

何歳まで生きるかを決めなければ、最後の残高を計算できません。

しかし、これも当たり前ですが、自分が何歳で亡くなるかは分かりません。ここが一番の問題なのですね。

そこで九十歳、九十五歳、百歳など、長めの寿命を置きます。

足りなければ、さらに資産を増やそうとします。

資産を増やしても、「百五歳まで生きたら」と考えれば、また不足します。

どれだけ貯めても、寿命の上限を先へ動かせば、不足する未来を作れます。

以前、老後の心配には終了条件が必要だという話をしました。

寿命を無限に延ばして計算する方法には、終了条件がありません。キリがないわけです。

しかも長生きだけでなく、将来の物価、運用利回り、医療費、介護費まで、厳しい数字へ変えられます。

不安を探そうと思えば、いくらでも見つかります。

そして計算の数字を改善するには、現在の自分が対応します。

もっと働く。

もっと節約する。

旅行を減らす。

欲しい物を我慢する。

百歳の自分が困らないように、五十代の自分が人生を使わない。未来の自分に、お金を送り続ける。

長生きへの備えが、現在を生きない理由になります。

これは、長寿を喜んで待っている状態ではありません。

将来発生する、長い支払い期間として警戒している状態です。

老後資金の計算は必要です。

しかし数字だけを長く見つめていると、人生は、生きる時間ではなく、お金が減る時間に見えてきます。

・二つ目・自分の資産だけで死ぬまで支えない

二つ目、なぜ自分の資産だけで、死ぬまでの生活を全部支えようとしてしまうのかです。

証券口座や預金口座の残高は、目に見えます。

現在いくらあり、毎月いくら減ったかを確認できます。

そのため老後の安心も、口座の中だけで作ろうとします。

三千万円あれば何年持つ。

五千万円あれば何年持つ。

資産寿命が、自分の寿命より先に尽きないように計算します。

しかし老後の生活を支えるものは、自分の金融資産だけではありません。

日本の公的年金は、受給要件を満たせば、老齢年金を生涯にわたって受け取る仕組みです。

預金のように、自分が積み上げた残高を一円ずつ取り出し、ゼロになれば終わる物ではありません。

もちろん、年金だけで希望する生活費を全部賄えるとは限りません。

受給額には個人差があります。たとえばQ太郎は個人事業主なので、月7万円ぐらいの国民年金しかないわけです。これだけだと結構きびしいです。

将来の制度や給付水準にも、不確実性はあります。

それでも、長く生きたら支給回数が増える収入があることは、資産を定額で取り崩すだけの計算とは違います。

生活費も、毎年まったく同じではありません。

元気な時期は、旅行や趣味へ多く使う。

外出が減れば、レジャー費が減ることがあります。

お金が足りなければ、住居や固定費を見直すこともできます。

逆に医療や介護など、増える費用もあります。老後はとくにこのあたりがやっかいですね。

支出は一本の直線ではなく、その時点の体調や環境に合わせて変わります。

そんな感じで、不安ファクターはいくらでもありますので、完璧を求めるほど、長生きは大きな負債に見えてきます。

・三つ目・寿命ではなく生活を調整する

三つ目、寿命を当てるのではなく、長く生きても調整できる生活を作ることです。

何歳まで生きるかを正確に予測することはできません。

八十歳までの完璧な計画を作っても、九十歳まで生きるかもしれません。

百歳までの計画を作っても、予定より早く亡くなるかもしれません。

それなら、寿命を一点で当てるより、状況に合わせて生活を変えられるほうが役に立ちます。

Q太郎は、老後のお金を考えるとき、生活の底と、その上の楽しみを分けて見るのがよいと思います。

住む。

食べる。

眠る。

必要な医療を受ける。

この生活の底を、公的年金や安全性の高い資産などで、どこまで支えられるかを見ます。

その上に、旅行、趣味、外食、贈り物などがあります。

元気で楽しめる時期には、こちらへお金を使います。

資産が減ったり、体力が変わったりすれば、上の部分を調整します。

生活の楽しみを全部削り、百歳まで同じ資産額を守るのではありません。

反対に、最初から将来を考えず、生活の底まで使い切るのでもありません。

長生きした場合に、どこを変えられるかを残します。

毎月の固定費が大きすぎない。

使っていない物や契約を手放せる。

資産が減ったとき、支出を少し下げられる。

制度や人へ助けを求められる。

こうした調整する力も、老後資産の一部だと思います。

数字として口座には表示されません。

しかし一千万円の資産しかなくても、月の支出を調整できる人と、五千万円あっても生活費をうまく回せない人とでは、長生きへの強さが違います。

資産額だけを増やすのではなく、状況に応じて生活を組み替えられる余白を持つ。

それなら長生きは、決められた資産を削るだけの時間ではなくなります。

未来の自分が、その時点の条件で次の手を選べます。

・まとめ

最後に、長生きがリスクなのか、それともお金だけで老後を支える設計がリスクなのか。Q太郎なりの見立てを置いて終わります。

金融の計算では、長く生きるほど生活費を払う期間が延びます。

その意味で、資産より寿命のほうが長くなる可能性を考えることは必要です。

「長生きリスク」という言葉は、その問題を短く表しています。

しかし、その言葉を自分の人生観にまで入れる必要はありません。

百歳まで生きたら、いくら足りない。

さらに物価が上がったら、いくら足りない。

介護費が増えたら、いくら足りない。

不足する未来をいくらでも作り、そのすべてを現在の資産だけで解決しようとすれば、必要額に終わりはありません。

そして現在の楽しみを削り、まだ存在しない百歳の自分へ、お金を送り続けます。

人生を守るためのお金が、現在の人生を使わせない道具になります。

Q太郎は、長生きそのものがリスクなのではないと思っています。

お金だけで長生きを支えようとする設計が、長生きをリスクへ変えます。

老後を支えるのは、自分の資産だけではありません。

生活費を調整する力や人間関係、それに生活能力の高さですね。外食ばっかりしていれば、そりゃお金が無くなります。

まあ、最後には生活保護もありますので、そんなに心配しなくてもいい気もします。

これらを全部無視して、資産残高だけで人生の安全性を採点すると、結構厳しいことになってしまうわけです。それで、今を無視して、未来へお金を送り続けるわけです。

もちろん、お金はあったほうがよいです。

選べる住まい、食事、医療、介護の範囲が広がります。

嫌なことを断れる余裕にもなります。

ただし目指すのは、どれだけ長生きしても一円も困らない完璧な金額ではありません。

何かが変わったとき、その時点で次の選択ができる状態です。

生活の底は守る。

元気な現在には、現在の楽しみも渡す。未来の、あと出しで文句を言ってくるクソ野郎の自分に全部を渡さない。

長く生きれば、そのときの自分が支出や暮らし方を調整する。

寿命を一つの数字へ固定し、人生の費用を全部前払いしようとしない。

長生きは、資産形成の失敗ではありません。

予定より多く人生を受け取ったということです。

それを負債に見せるのは、命ではなく、資産残高しか見ない物差しです。

Q太郎は、人生の長さをお金に合わせるのではなく、お金の使い方を人生の長さへ合わせていけばよいと思っています。そのためには、生活能力を高くすることが手っ取り早いですね。

皆さんは、老後資金を計算していて、長く生きるほど不安になったことがありますか。また、資産額以外に、長い老後を支えてくれるものは何だと思うでしょうか。よければコメントで教えてください。全部読ませていただいています。

数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。

ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。

 

 

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