日本人はなぜブランド品が好きなのか?謙虚な国民性の裏に隠された「垂直社会」の正体

日本人はなぜブランド品が好きなのか?謙虚な国民性の裏に隠された「垂直社会」の正体
「日本人は謙虚なのになぜブランド品を好むのか」というご質問に対する動画です。録音できない環境なのでゆっくり実況形式(セルフボイス)でお送りします。チャンネル紹介ゆっくり実況形式(セルフボイス)について

こんなご質問をいただきました。

「世界的にも日本人はブランド好きといわれますが、なぜでしょうか?日本人は謙虚と言われているわりに、ブランドを好みますよね」

とのことです。ありがとうございます。

良い問いで、これ、実は単純な話じゃないんですよね。「日本人は謙虚なのに、なぜブランド品が好きなのか」というのは、表面上は矛盾に見えます。でもこの矛盾の中に、人間の消費行動の本質が詰まっているような気がして、Q太郎はこの問いが好きです。

ただこれを解くには、少し遠回りをする必要があります。まず「モノを所有する」という行為の心理から入って、それを社会の構造の話につなげていく、という順番でいきましょう。

そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学チャンネルへ。賢く資産形成をしつつ、お金に悩まされないための生存戦略を日々発信しています。

・所有の観念と自己参照効果

まず最初に、「人がモノを分けたがらない」という心理について考えてみます。

友人にモノを分けるのをためらう人がいると、「冷たい人だな」「自己中だな」と思いがちですよね。でも研究を見ると、分けたがらない理由は、他人への無関心じゃないことが多い。むしろ、自分の持ち物への愛着が強すぎるから、手放せないだけだということです。

ブルース・フッドの著書「人はなぜ物を欲しがるのか」に、スーパーマーケットを舞台にした実験が紹介されています。被験者の前にカゴを2つ置いて、片方を「あなたのカゴ」と最初に説明する。あとは指示通りに、2つのカゴへ商品を入れていくだけです。

ところが後から「カゴの中に何が入っていたか」を聞くと、「自分のカゴ」と言われたほうの中身はよく覚えているのに、そうでないほうのカゴの中身は曖昧になっている。子どもから大人まで、結果は同じだったそうです。「自分のもの」という言葉一つで、記憶の質がはっきり変わるんですね。

これは「自己参照効果」と呼ばれています。自分と関連付けて覚えたものは、他者と関連付けて覚えたものよりも長く、鮮明に記憶に残る。言われてみれば、友人が昨日何を持っていたか、結構覚えていないですよね。でも自分が買ったもの、自分が所有しているものは妙によく覚えている。「自分のもの」というタグが貼られると、脳がそれを特別扱いするわけです。

そしてこの効果は、記憶だけの話ではありません。経済学では「保有効果」と呼ばれる現象があって、自分が持っているというだけで、同じモノが客観的な市場価格より高く感じられます。だから手放すことへの抵抗感が生まれる。フリマに出品したものの、なかなか値段を下げられない、というのはまさにこれです。買った値段より高い値段をつけてしまう人も多いですね。

これが「所有の観念」の根本で、人はモノを持つことで、そのモノが自分の一部になる感覚を持ちます。そのモノをどう扱われるか、誰に見られるかが、自分自身のことのように感じられてくるわけです。

・欧米人とアジア人の脳の違い

それで欧米人は個人主義、アジア人は集団主義とはよく言われますが、面白いのは、自分の所有物について考えているときに、欧米人の脳はアジア人よりも強く活性化されるという研究があることです。「自分のもの」に対する脳の反応が、欧米人のほうが強い。一方でアジア人は、人間関係について考えているときに脳が活性化されやすい傾向があるといいます。

これをそのまま解釈すると、欧米人のほうがモノ自体に重きを置いて、アジア人は人間関係を社会的ステータスとして捉えやすい、ということになります。中国などは特にその傾向が強く、「関係の社会」とも呼ばれます。誰と知り合いか、どんな人脈を持つかが、地位や信用に直結する社会ですね。日本でも「コネ」という言葉があるように、人間関係が社会的な資本になるという感覚は、かなり根強いと思います。

ここで、先ほどの質問に戻ってみましょう。

もしアジア人がモノより人間関係を重視するなら、アジア圏ではブランド品にそこまでお金を使わないはず。欧米人のほうがモノへのこだわりが強いはず。そういう結論になりますよね。

ところが、実際は逆なんです。

・ここがひっくり返る

ここ、今回一番面白いところなんです。

高級品やブランド品がよく売れているのは、欧米圏よりも、むしろアジア圏なんですね。日本、中国、韓国。世界のブランド消費を引っ張っているのはアジアです。これは何かがおかしい。アジア人がモノにそこまでこだわらないなら、なぜブランド品市場がアジアで伸びているのか。

「個人主義か集団主義か」という軸で見ている限り、この矛盾は解けない。でも別の軸で見ると、スッと筋が通るんです。マーケティングの専門家シャロン・シャヴィットが提唱した「垂直的か、水平的か」という軸です。

・垂直社会と水平社会

社会には大きく分けて2つの構造があります。「垂直社会」と「水平社会」です。

垂直社会というのは、上下の序列がはっきりしている社会のこと。個人主義の文化でも、集団主義の文化でも、垂直的な構造がある社会では、人は消費によって社会的な順位を上げようとする傾向があります。いわゆる「見栄の消費」ですね。高級車に乗る、ブランドバッグを持つ、豪邸に住む。これは単なる贅沢というより、「自分はこのレベルにいる」と周囲に示すためのシグナルとして機能しているわけです。

アメリカも、日本も、中国も、韓国も。個人主義か集団主義かはそれぞれ違いますが、みんな垂直的な構造を持つ社会です。だからブランド品が売れる。

日本で言えば、お中元やお歳暮の文化もわかりやすい例です。どこのデパートの、何の商品を贈るか、金額帯はいくらにするか。これが相手との関係の序列を示すシグナルになっています。高すぎると相手に気を遣わせてしまうし、安すぎると失礼になる。この「ちょうどよいシグナル」を探すことに、かなりのエネルギーが費やされています。ブランド品もこれと同じ構造で、「何を持つか」が「自分がどの位置にいるか」を周囲に伝える手段になっているわけです。

一方、水平社会というのは、平等を重んじる社会です。スウェーデンやデンマークなど北欧がイメージしやすいかもしれません。ただ水平社会は北欧だけではなくて、ブラジルなど南米の国々やアフリカにも多い。こういう社会では、見せびらかしをむしろ嫌います。成功者を批判したり、出る杭を打つような空気が出やすい。デンマークには「ヤンテの法則」といって、「自分が他人より優れていると思うな」という不文律まであるくらいです。ヤンテの法則は10か条あって、「あなたは特別だと思うな」「あなたは私たちより賢いと思うな」というような項目が並んでいます。

ここで先ほどの話に戻ると、「アジア人がモノより人間関係を重視する」のは事実であっても、垂直社会では人間関係の中の序列を示すためにモノが使われる、ということなんですね。「このブランド品を持っている自分は、どの層にいるか」を、人間関係のシグナルとして使っている。だからアジアでブランド品が売れるのは矛盾ではなく、「人間関係の中の自分の位置」をモノで表現しているわけです。

・水平社会の具体例

面白い逸話があります。タイトルを忘れてしまったのですが、Q太郎がかつて読んだ本に、アフリカに住んでいる日本人が財布を盗まれたという話があります。仕方なく気晴らしに酒場へ行ったら、盗んだ本人がそのお金でみんなに酒をおごっていた。日本人は呆れつつも「まあ、いいか」と取り返すのをやめてしまった、とのことです。

盗んだお金でさえ、自分だけには使わない。水平社会では、手に入ったものはシェアするのが当たり前という空気があるわけです。財産を独り占めすることが、むしろ社会的に許されない雰囲気がある。

これはマーケティングの手法に直接影響します。垂直社会では「このバッグを持てば、あなたのステータスが上がります」という広告が刺さりやすい。ブランドのロゴが大きく目立つデザインが売れるのも、そういう理屈です。ロゴはシグナルですから、見えなければ意味がない。

でも水平社会では、これが逆効果になりやすい。代わりに効くのが「あなたらしさを表現する」「自分の価値観に合ったものを選ぶ」という、個人のアイデンティティに訴えるアプローチです。同じ商品でも、社会の構造が違えば売り方を根本から変える必要があるわけです。グローバル展開している企業が国ごとに広告を変えているのは、こういった理由があるわけですね。

・Q太郎の視点

Q太郎が面白いと思うのは、この「垂直社会か水平社会か」という見方が、消費行動以外のことも説明してくれることです。

たとえば、日本で左翼的な思想がなかなか根付かない、むしろ嫌われる傾向にあります。あるいは、中国やソ連で共産主義が長続きしなかった理由もそうですね。これも、もともとの社会が垂直的な構造を持っているからじゃないかと、Q太郎は思っています。上下関係と権威主義が染み込んだ社会では、「みんな平等」「分かち合え」という思想は、どこか実感が伴わない。建前としては受け入れられても、実際の行動原理にはなりにくい。

日本はどうかというと、正直かなり垂直的な社会だと思います。露骨な見せびらかしは嫌われますが、それは「見栄を張ること」そのものを否定しているわけではなくて、「やりすぎ」が嫌われているだけです。空気を読んだ適度な見栄の張り方は、むしろ社会的に期待されている面もある。身だしなみを整える、場にふさわしい服を着る、相手にふさわしい手土産を持っていく。これも広い意味ではシグナルとしての消費です。日本の「謙虚」は、見栄を張らないことではなく、見栄の張り方が上手なだけかもしれません。

お金の使い方を考えるとき、「この消費は誰かに見せるためか、それとも本当に自分が好きだからか」という問いは、かなり本質的な問いだと思います。以前の動画でも話しましたが、「他人の視線に財布を握らせない」ことが、お金の使い方の自由への第一歩とは思います。そのための基準として、「自分が今、垂直社会のルールに乗っかって消費していないか」を問い直すことは、ひとつの整理になると思います。

見栄のために買う。それが悪いとは言いません。社会の中で生きる以上、シグナルとしての消費を完全に切り捨てることはできないし、そこにお金を使うことで得られる満足感も確かにあります。ただ、そのことに無自覚なまま、気づいたら財布を他人の視線に握られていた、という状態は避けたいわけです。買うなら意識して買う。それだけで、消費との関係はずいぶん変わると思います。

必要なら買う。不要なら買わない。それを自分で決められる人が、一番強いと思っています。

・まとめ

そんなわけでまとめると、人はモノを所有すると、そのモノを自分の一部として考えてしまいます。だから手放したくなくなるし、誰かに見られることを意識します。これが所有の観念の根っこです。

そして欧米人はモノそのものに脳が強く反応し、アジア人は人間関係に脳が反応しやすい。だとすればアジア人はブランド品にこだわらないはず、と思いきや、実際はアジアのほうがブランド消費が盛んです。この矛盾を解くのが「垂直社会か水平社会か」という軸です。

垂直社会では、モノが人間関係の中の序列を示すシグナルにもなります。だからアジアでブランド品が売れるのは矛盾ではなく、「人間関係の中での自分の位置をモノで表現している」だけなんですね。

最終的にQ太郎が言いたいのは一つで、自分の消費が「誰かに見せるためのものか」「本当に自分が好きだからか」を区別できている人は強い、ということです。垂直社会のルールに乗っかることが悪いわけではありません。ただ、乗っかっていることに気づいていない状態で財布を開くのと、わかったうえで開くのとでは、長い目で見てお金の使い方が変わってくると思います。

皆さんは、自分の消費の中に「見栄の消費」がどのくらいあると思いますか。あるいは、見栄の消費は悪いことだと思いますか。よかったらコメントで教えてください。全部読ませていただいています。

数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。

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