こんなご質問をいただきました。
「所有物の過大評価と同じように、人は他人からの評価も過大評価します。SNSが猛威を振るっているのも、他人からの評価が昔以上に重要になっているとは思います。SNSについてのQ太郎さんのご意見をお聞かせください」
とのことです。ありがとうございます。
まあ、他人にどう見られているかを気にすること自体は、人間として自然な感覚です。客観的な視点というものは、やはり必要になります。
ただ、多くの人は、気づかないうちに、他人からの評価に必要以上のエネルギーを注ぎ込んでいます。限度を超えて、評価を追い求めるようになるのですね。とくにSNSは、フォロワー数とかが数字にあらわれているので、これが可視化されて顕著になってしまっています。
気づかないうちに、数字を増やすというラットレースに巻き込まれてしまうのですね。それで見栄の消費を繰り返し、エネルギーもお金もつぎ込んでしまうということになりがちです。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学チャンネルへ。賢く資産形成をしつつ、お金に悩まされないための生存戦略を日々発信しています。
今回は、他人の評価というものの正体と、承認欲求の罠についてお話しします。
・他人からの評価を過大評価する
人間には、他人からどう見られているかを過大評価してしまうという傾向があります。
たとえば、髪を切った翌日、自分では「絶対みんな気づくだろう」と思って出勤したのに、誰も何も言わなかった、という経験はありませんか。
または、会社のプレゼンでうまくしゃべれなかったとき、自分では「終わった」と思ったのに、終わってみたら誰も気にしていなかった、ということもあります。そもそも、誰も集中して聞いていなかったみたいな。
人は自分のことを中心に世界を見ています。だから「みんなが自分を見ている」と感じやすい。しかし実際には、他人はあなたにそれほど注目していないのが普通です。
・他人はあなたにそれほど興味がない
そして、他人の評価というものは、非常に不正確です。
なぜかというと、他人はあなたにそれほど興味がないからです。そして、あなたも、他人にそれほど興味がないはずです。
自分自身のことを振り返ってみればわかると思いますが、電車の中ですれ違った人のことを、家に帰ってから考える人はあまりいないでしょう。
昨日の会議で、同僚の発言を一言一句覚えている人もいません。「なに言ってたっけ?」というレベルで、ほとんど覚えていないと思います。
人間はみな、基本的には自分のことで頭がいっぱいなのです。
他人の意見というのは、しばしば表面的で、偏見にとらわれ、間違いが多いものです。他人の意見のもとになっている情報も、実はほとんどが印象や思い込みがほとんどです。
ぱっと見た外見や、うわさ話。深く知りもしない相手のことを、ちらっと見ただけで判断している場合がほとんどです。そのような情報をもとにした評価を、人生の指針にしてしまうのは、かなりもったいないことだとQ太郎は思います。
・ショーペンハウワーの警告
うちのチャンネルの常連になっている、ドイツの哲学者ショーペンハウワーは、こんな言葉を残しています。
「他人の意見をありがたがる人はみな、他人に敬意を払い過ぎている」と。
ショーペンハウワーは著書の中で、他人の頭の中の映像のために、自分の幸福を犠牲にすることの愚かさについても述べています。他人の意見は曖昧で不安定で、間違いに満ちており、あなたの本当の姿とはほとんど無関係です。その評価に自分の行動を合わせようとすることは、砂の上に家を建てるようなものだということです。
ショーペンハウワーが生きていたのは、SNSどころかテレビすら存在しない時代です。それでもこの警告を発していたということは、他人の評価を気にしすぎるという人間の傾向は、現代に始まったことではない、ということです。
程度の差はあれ、人は他人の意見を完全に無視することはできません。しかし現代においては、ショーペンハウワーの時代とは比べ物にならないほど、SNSによって他人の評価が数字として可視化されています。
・SNS社会と比較の罠
SNS社会においては、比較対象が常に目の前にあふれ、すぐに反応が数字として返ってきます。
「いいね」の数、フォロワー数、再生回数。こうした数字が目に入るたびに、自分と他人を比較してしまいます。そして他人からの「いいね」をやたらと気にするようになる。承認が数字で可視化されているため、「自分はどのくらい評価されているか」が一目でわかってしまうのです。知り合いよりもフォロワーが少ないと落ち込むわけです。
問題は、この比較に終わりがないことです。フォロワーが増えて100人になったときは、1000人の人と比べる。1000人になれば、1万人の人と比べる。どこまで行っても、上には上がいる。そしてそのたびに、自分は足りないという感覚が生まれます。
以前の動画でもお話ししましたが、可視化された比較社会では、友好度も協力度も半減してしまうという研究結果があります。格差の大きさに関係なく、他人の状況が見えるだけで、社会全体での不幸が増えていく。足の引っ張り合いが起こりやすくなるのです。
SNSは便利なツールである一方で、比較装置でもあるので、人間の幸福度を下げる構造を内包しています。
・ゴア・ヴィダルの言葉
アメリカの作家ゴア・ヴィダルは、こんな言葉を残しています。「友人が成功するたびに、私は少し死ぬ」と。
なかなかに正直な言葉だとQ太郎は思います。他者の成功は、とくに身近な人間が成功した場合、嫉妬によってメンタル的によくない影響を与えます。
学生時代の友人が先に結婚した、同期が先に昇進した、同じ時期に始めたSNSのフォロワーが自分より多い。こういったことでモヤモヤした気分になるのは、ほぼ全員が経験していることではないでしょうか。
逆に自分が成功して、それを周囲に言いふらすことは、人の恨みや妬みを買うことになり、だいたいろくなことにはなりません。
以前の動画でもお話ししましたが、資産公開をしてはいけないのもこれが理由です。自分の資産額を公開することは、透明性という名のもとに、比較の燃料を周囲に投下することになります。成功を過度に見せびらかすことは、友人関係や人間関係を壊すリスクがあるのです。
表向き、「すごいですね」と言われることはありますが、裏で何言われているかわかったものではないわけです。他人の成功、とくに身近な人の成功を喜べるような、悟りを開いた聖人は、あなたが思う以上にこの世には少ないです。
むしろそんなものだと思って、口にチャックをしていたほうが、ましな人生を送れるとは思います。
・身近な人はあなたの成功を喜ばない
ここが、今回Q太郎が一番言いたいことなんですけど、というか何度も言いますけど、他人はまず、とくに身近な人はまず、あなたの成功を喜ぶことはありません。
超重要な現実なので、毎日朝起きたら10回ぐらい唱えたほうがいいとQ太郎は思っています。
自分に直接的な利益があるのなら話は変わってきますが、そうでなければ、まず喜ばれないと思ったほうがいいでしょう。
なぜかというと、人間の脳は「身近な人に認められたい」という欲求と、「身近な人より上にいたい」という欲求を同時に持っているからです。
この2つは矛盾しています。あなたが成功すれば、身近な人の中には、純粋に喜ぶどころか、自分との比較を無意識にしてしまう人が出てきます。それが嫉妬の正体です。
嫉妬は身近でしか起こりません。イーロン・マスクと資産を比べて落ち込む人はいないのです。あくまで比較の対象は身近な人なのです。
人は、世の中の平均より給料がはるかに高くても、自分の妹の旦那より1万円給料が少なかったら落ち込む生き物なのです。
職場で急に昇進した人が、なぜか周囲に疎まれる。起業して成功した友人と、なんとなく疎遠になっていく。ダイエットに成功して見た目が変わったら、友人から皮肉を言われるようになった。こういった話は、珍しいことではありません。
身近な人に成功を理解してもらおうとするより、少し距離のある人、あるいは自分より先を走っているかたに囲まれる方が、精神的には健全であることが多いのです。本当にこの現実は理解しておいたほうが、精神衛生上いいとは思います。
・承認欲求とドーパミンループ
そもそも、他人からの評価をいくら増やしても、心が満たされることはありません。
SNS社会では、フォロワーを増やすことで自尊心を守ろうとするかたが多くいます。しかし以前の動画でもお話しした買い物中毒と、まったく同じ原理が働いています。あることで賞賛されると、承認に対するドーパミンはいったん収まります。しかしすぐに、また新たなことで賞賛されようとするドーパミンが動き始める。キリがないのです。
フォロワーが100人増えた瞬間は嬉しい。しかしその喜びはすぐ薄れ、また次の100人を求め始めます。投稿がバズった瞬間は高揚感があります。しかしそのインプレッションが落ちていくにつれて、また次のバズを求めて動き始めます。
欲しいものを買っても次の物が欲しくなるのと同じで、承認されても次の承認を求め続けることになります。承認欲求は、満たすことで解決するものではなく、満たすほどに要求が大きくなっていくものなのです。
・平等な賞賛社会のパラドックス
誰もが平等に賞賛される社会には、一見よいことのように見えて、厄介なパラドックスがあります。
誰でもトップに昇り詰めるチャンスがある、という希望は、一方で誰でも勝者になれるという非現実的な期待も生み出します。
そして成功者は現在の地位を守ろうと必死になり、その下にいる人は成功者に取って代わろうと必死になる。本来必要性のない競争と足の引っ張り合いが発生し、絶え間ないラットレースが続くことになります。
私たちは成功者をたたえ、自分もその地位につこうと思い、成功したら良い思いをするのが当然だと考えます。しかし一度立ち止まって考えてみると、そのレースに参加し続けることが、本当に自分の人生にとって必要なことなのかどうか、という疑問が生まれてきます。
・まとめ
そんなわけでまとめると、他人はあなたにそれほど興味がなく、他人の評価は表面的で不正確です。それはあなたが他人に対してする評価でもおなじことが起こります。
人は他人の評価を過大評価してしまう傾向があり、SNS社会においてはその傾向がさらに強まり、社会全体での不幸が増していきます。
身近な人はあなたの成功を喜ばない。これは現実として受け入れておく方が精神的に楽になります。成功を周囲に見せびらかすことは、ほとんどの場合、ろくなことにはなりません。
承認欲求は、満たせば解決するものではなく、ドーパミンループによって増幅し続けます。フォロワーがいくら増えても、心が満たされることはない。
自分が快適に暮らせるだけのものやお金があれば、それ以上増やし続けても幸福度は上がらないことは、さまざまな研究があきらかにしています。他人からの評価を増やし続けることにも、あまり意味はないでしょう。最低限、他人を不愉快にさせない格好をしておくだけで十分です。
大切なのは、他人のラットレースに巻き込まれずに、自分の人生にとって本当に必要なこと、本当に楽しいことに、まとを絞ることだとQ太郎は思います。
皆さんは、他人の評価を気にしすぎて消耗したと感じた経験はありますか。よかったらコメントで教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
