50代で会社を辞めて「後悔する人」と「自由になる人」の決定的な違い

50代で会社を辞めて「後悔する人」と「自由になる人」の決定的な違い
早期退職で後悔する人としない人についてのご質問に対する動画です。録音できない環境なのでゆっくり実況形式(セルフボイス)でお送りします。チャンネル紹介ゆっくり実況形式(セルフボイス)について

こんなコメントをいただきました。

「50代で早期退職しました。でも、思っていたより楽しくないですね。世の中と距離を置きすぎないために、ボランティアでも始めようと思っています。」

とのことです。ありがとうございます。

最初は「自由になれた」と思ったのに、半年もたたないうちに「なんか違う」という感覚になってきた、というかたが、意外と多いんですよね。会社を辞めた後悔や、世の中のつながりの喪失みたいなものでしょうね。

一方で、同じように50代で会社を辞めて、本当に生き生きしているかたもいます。毎朝好きな時間に起きて、自分が選んだことに時間を使って、むしろ会社にいたころより顔つきが明るくなった、というパターンですね。

同じ「会社を辞めた」という話なのに、なぜここまで差が出るのか。

そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に悩まされないための生存戦略を日々発信しています。

今回はこの「会社を辞めた後に後悔するかどうかの違い」という話を深掘りしていきます。

・後悔する人に共通するパターン

それで後悔するかたに多いのが、「辞めること」をゴールにしていたパターンですね。

「会社さえ辞めれば自由になれる」という感覚です。でも実際は、辞めること自体はスタートなんですよね。辞めた後に何をするか、どんなリズムで生きるか、そこが大事なんですが、そこを考えていないまま辞めてしまうかたが多い。

以前も話したかもしれませんが、Q太郎の知人の50代の男性は、30年以上勤めた会社を希望退職で辞めました。退職金と貯蓄を合わせると老後には十分な額があって、資産的には全く問題なかったわけです。

でも辞めた翌月から、毎朝7時に目が覚めるのに、行く場所がない問題が発生します。

フランスの数学者で物理学者で哲学者のパスカルは、「人間の不幸は、部屋にじっとしていられないことだ」と言いましたが、まさにその通りで、労働という「苦痛」を避けたあとには、「退屈」というもう一つの地獄が出てくるのですね。

スーツを着る理由もないし、かつての部下や同僚からも、だんだん連絡が来なくなる。「部長」という肩書きがなくなった途端に、自分が何者かわからなくなった、というわけです。近所のスーパーで夕方の買い物客に交じりながら、「自分はここにいていいのだろうか」という、なんとも言えない感覚があったそうです。

友人に連絡しても、「ちょっと仕事あるんで」と言われるわけで、みんなまだ現役で忙しいわけです。

平日の昼間に「暇な自分」に気づいたとき、解放感じゃなくて孤立感になってくる。結局また働き始めたわけですね。やることがないわけです。

ゲームも仕事が終わったあとに息抜きで遊ぶから楽しいのであって、ずっとゲームしていれば飽きるわけです。

・失うのはお金ではなく「構造」と「肩書き」

なぜこういうことが起きるかというと、会社って給料以外にも、実はいろんなものを提供してくれているんですよね。辞めて初めてそれに気づく、というかたが多い。

一つが「時間の構造」です。

朝7時に起きる理由や、12時に昼食をとる理由、午後6時に退勤する理由。これ全部、会社が作ってくれていた構造なんですよね。毎朝のルーティン、週5日のリズム、年間の繁忙期。窮屈ではあるんですが、同時に「今日何をすればいいか」という答えでもあった。

辞めた途端にその構造が消えて、最初の1週間は「ゆっくりできる」と感じても、1ヶ月、2ヶ月たつと、構造のない時間というのは、意外なほど人を不安定にさせます。「しなくていいこと」が増えると、かえって苦しくなる生き物なんですよね、人間って。パスカルが言ったように、家でじっとしていられないわけです。それが人間の不幸なのです。

もう一つが「肩書き」の問題です。名刺を渡すとき、「○○株式会社・営業部長の○○です」と言えた。それだけで相手の態度が変わった。社会の中での自分の「座標」が、会社によって決まっていて、それが自分をアイデンティティーになるわけです。

それがなくなると、「自分は社会のどこにいるのか」という感覚が揺らいでくるんですね。PTAの会合で「ご職業は?」と聞かれるのがきついわけです。良い年齢をした50代のおっさんが無職だと、やっぱりいろいろと世間体が悪いわけです。人と会わないなら別にいいんですけど、子供がいて、学校とかあると、ちょっといろいろと面倒です。

そして三つ目が「人間関係の場」です。毎日顔を合わせる同僚、飲みに行く仲間、取引先との縁。これ全部、会社という場があったから成り立っていた関係なんですね。辞めた途端に薄れていく。「定年になったら旅行に行こうな」と言っていた同僚が、退職した途端に連絡してこなくなった、というのはよく聞く話です。

ちなみにうちの父も退職後に、同じように退職した同僚から、「もう会社のことを考えたくないので、メールを送ってこないでください」と言われたそうです。それで連絡が途絶えてます。会社という場が消えると、そこでつながっていた縁も、静かに消えていくわけです。

・自由になる人は「辞める前に」設計している

では自由になるかたは何が違うかというと、「辞めた後の自分を、辞める前に設計している」んですよね。お金の話だけじゃなくて、むしろお金以外の部分に差があることが多い。

たとえば、「辞めた後の一週間」を具体的にイメージしているかたが多いという感じです。「会社を辞めたら楽しいだろう」という、ふわっとした感じではなくて、めっちゃ具体的なわけです。

月曜の朝は近所をランニングする。火曜は図書館で読書する。木曜は陶芸教室に行く。完璧でなくていいけど、「行動のテンプレート」を自分で作っておける人は、会社がなくても自分の時間に構造を持てるわけです。自分でフレームをあらかじめ作ってしまうのですね。

それと、「会社以外のコミュニティ」を、現役時代からすでに持っているかたも多いですね。

山岳サークル、地域の読書会、オンラインのつながりとかですね。

会社というコミュニティがなくなっても、別の居場所がある。「今日、話せる人がいる」という感覚って、思った以上に精神的な安定につながるんですよね。

あとは「肩書きを会社に頼っていない」ことも重要です。

「元・何々会社の部長」ではなく、「自分はこういう人間だ」という軸を、会社の外に持っていることが重要。

陶芸をやっている人でも、地域のボランティアをしている人でも、投資を研究している人でもなんでもいいですけど、会社以外の肩書きですね。

会社なしに自己紹介できるかたは、辞めた後も社会との接点を自分で作れます。

・お金は必要条件であって十分条件ではない

「お金があれば自由になれる」は、半分正しくて半分違うとは思います。お金がなければそもそも辞められないので、必要条件ではある。そこは最低条件であり、一番のベースになる部分です。

でも、お金があれば自動的に自由になれるかというと、そうでもない。

Q太郎の知人で、早期退職したかたがいます。経済的には「あがり」の状態の人ですね。

でも辞めた後、「一日中、YouTube観てます」みたいな感じなわけです。それで半年後には、「生きている意味がわからない」とかふざけたこと言い出して、そのうち体調を崩して入院することになったわけです。

お金は全く問題なかった。問題だったのは「自分の時間に意味を与える設計」が、まるでなかったことなんですよね。

というか、そもそも生活リズムがむちゃくちゃなんですよね。なんかYoutubeでひろゆきさんの動画を観て、「寝たいときに寝て、食べたいときに食べる生活がいい」とか言い出しているわけです。

ひろゆきさんは確かにそういう生活をしているかもしれませんが、彼は仕事もありますし、会社も経営していますので、結構忙しいわけです。ずっとそんな「食って寝て」みたいな生活をしているわけでもないのですね。とくにやることがないなら、生活リズムを作ったほうがいいとは思います。

お金は「自由を買う」ものではなくて、「自由を選ぶための余白」を買うもの、とは思います。その余白をどう使うかは、自分で決めるしかないのですね。お金の力ではどうにもならないわけです。とりあえず、生活リズムをなんとかしたほうがいいです。

・「〜からの自由」と「〜への自由」

それで、ちょっと話の角度を変えると、「会社を辞めて自由になりたい」という気持ちって、具体的に何からの自由なのかという問題があります。

嫌な上司からなのか、満員電車からなのか、理不尽な残業からなのかですね。

これは「なんちゃらからの自由」は、つまり「逃げる自由」なんですよね。

逃げたいという気持ち自体はすごく正直な感情だし、それがきっかけになることもある。でも「〜からの自由」だけだと、自由を手に入れた後に空っぽになりやすい。牢屋から出た囚人が「外に出た」という事実だけでは、その後の人生が豊かになるとは限らない、それと同じです。牢屋から出たあとに何するかですね。

大事なのは「何かに向かって動く自由」だと思います。目的がある自由ですね。

読みたかった本を読む、行きたかった場所に行く、会いたかった人と会う。そういう「向かう先」が具体的にあるかたは、辞めた後も生き生きしていることが多い。そういうのがないと、逃げた先が「新しい檻」になります。だって、目的がないんですからね。

つまり後悔するかたに多いのが、自由を目指して、目的地を設定しないパターンです。

Q太郎の知人で、「会社を辞めたら毎日釣りに行く」と長年の夢として語っている人がいました。

実際に辞めて、最初の1ヶ月は行ったわけです。

でも2ヶ月目には「週2回で十分」になって、3ヶ月目には「もう飽きた」とか、ぬかしやがるわけですね。

釣りが「逃避先」であって、「人生をかけてやりたいこと」ではなかったんですよね。

会社にいる間は「辞めたら毎日釣りに行ける」という夢が、一種の逃げ道になっていた。

でも実際に手に入れたとき、それほどの熱量がなかったことに気づいたわけです。理想と現実が思ったより乖離していた。

「目的をめざす自由」って、趣味の種類の話じゃないんですよね。「自分はこういう人間として、これからを生きる」という軸の話だとは思います。釣りでも畑でも旅でも、それが「逃げ先」じゃなくて「向かう先」になっているかどうかで、辞めた後の充実感は全然変わってきます。

会社を辞める前に一度、「仮に明日から自由だとしたら、何をしたいか」を紙に書き出してみるといいかもしれません。その紙が空白に近いなら、もう少し準備が必要かもしれません。

・まとめ

そんなわけでまとめると、50代で会社を辞めて後悔するかたと自由になるかたの差は、「辞めた後の自分を設計しているかどうか」なんですよね。

時間の構造、アイデンティティ、コミュニティ、そしてお金。

この4つを辞める前に設計できていたかたは、会社を出た後も自分の足で立っていられる。生活リズムを前もって決めておける。

そして「自由の向かう先」を持っているかたが、本当の意味で自由になれるんじゃないかと思っています。

あなたは「辞めた後の自分」をどう想像していますか?すでに辞めたかたは、辞めてよかったですか?それとも後悔していますか?よかったらコメントで教えてください。全部読ませていただいています。

数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。

タイトルとURLをコピーしました